宇宙に蘇った大英帝国~Lotus Land Story~

枢密院勅令

宇宙に蘇った大英帝国~Lotus Land Story~

「――イギリスが宇宙計画に着手している事実はない。私の中の皮肉屋は、宇宙計画が実行に移される日は来るのだろうかと疑っている」

「――だが、夢はみることはできる」

  ――『女王陛下の航宙艦』著者 クリストファー・ナトール(1982~) 本書冒頭にて。




 プリデイン王国首都リンディン、ホワイトホール官庁街。ニュー・ウェストミンスター議事堂庶民院本会議場(ザ・コモンズチェンバー)。人類標準時午前十時一分。

 王国議会は解散総選挙前の議事一掃ウオッシュアップ期間に突入していた。にも関わらず、その日、庶民院下院全院委員会は大荒れだった。


「――ですからバンクーバー条約体制の見直しを行うべきなのです。連邦の本来の姿である緩やかな国家連合への回帰をですね」

「――そうなると、加盟国の統一された外交・安全保障・財政・金融政策がバラバラになる事でしょう。それは実質的な解体に他ならない」

「――キャメロン議員、貴女はこの偉大なる帝国を第二の欧州連合EUにしたいんですか?中途半端な国家連合が二十一世紀の欧州に何を齎しました?」

「――アンソニー議員、私が申し上げているのは、あたかも植民地のように加盟国を扱う我がプリデインの傲慢さを指摘してるだけです!我が連邦はあの抑圧に満ちた大英帝国ではない!」


 最後の野党議員の一言を発端に個人攻撃の誹謗中傷から、具体的な示唆を含んだ建設的な意見までが同時に飛び交う。ハンサード議会速記録には、「名誉ある諸議員」と記されるであろう野次と罵声は当分止みそうにはない。


静粛に、オーダー!静粛に願います!オーダー!


 議事進行を担う副議長、イーデン歳入委員長は、自身の腹を擦りながら厳しい表情をする。まるで悪ガキ共の悪戯に呆れる保母のような顔だ。


(もう今日で一応フィナーレなんだから、これ以上私の胃を虐めないでくれよ。頭からまた毛が抜けるわ、もう無いけど)


 彼は嘆息し、半分自棄にやって「静粛にオーダー!」を叫び続けた。


 揉めていたのは、毎度のごとくネオ・コモンウェルス新生イギリス連邦の政治体制を定めた憲法条約”バンクーバー条約”の改正問題だった。

 西暦二〇九三年十二月十一日、カナダのバンクーバーで締結されたこの条約は、緩やかな国家連合に過ぎなかった従来の「イギリス連邦」を連邦国家に変容させるものとなった。


 ――全ての始まりは、中華人民解放軍ロケット軍によるアメリカ合衆国に対する戦略核攻撃だった。


 陝西省太白県より突如発射された十発の大陸間弾道ミサイルは、人類史を根底から覆したと言われている。

 当時、日本列島沈没に起因する大韓民国の国家機能喪失に端を発した朝鮮半島危機が米中間の対立を煽っていたとはいえ、少なくとも核攻撃に至るレベルにまで悪化してはいなかった。

 米国との圧倒的な核戦力差を考えれば、中国軍の核による奇襲攻撃などは単なる自殺行為であり、当時から疑問の声が多かった。後の調査では、中央軍事委員会の誰一人として核攻撃を命じていなかった事も明らかになっている。

 しかし誰も望まなかったにせよ、ハルマゲドンは開始された。無数の核の炎が全世界を覆う中で、辛うじて統治機能を維持した国家は選択を迫られる事になる。国民国家再構築”ラスト・レコンストラクション”である。

 国際安全保障の中核を担うはずの安保理常任理事国の被害は甚大だった。当時辛うじて覇権国家であったはずのアメリカ合衆国に至っては、連邦政府の機能不全により、州軍同士の戦闘が始まっていた。


 常任理事国に代わり、再構築の中核を担ったのは、旧イギリス連邦諸国であった。その連邦内で力を有していたのは、インドとカナダを始めとする英連邦王国コモンウェルスレルムだった。

 パキスタンや中国に対する奇襲核攻撃により、インドは無傷での完全勝利を収めていた。カナダはそもそも攻撃対象にすらならなかった。オーストラリアなども同様だった。

 カール・セーガンらが西暦一九八三年に発表した「TTAPSレポート」レベルの惨劇こそ回避したものの、世界気象機関は今後十年以上は「核の冬」に耐え忍ぶ事になるだろうと発表した。

 だが、二十世紀のポストアポカリプスが描いてきた「死者の世界」はそこには存在せず、何処までもただ「生者の世界」があった。


 新たな世界構造が模索される中で、主導権を握ったカナダはイギリスとの合邦に踏み切る。これは当時のカナダ首相が訪加中のイギリス国王ヘンリー九世に提案し、実現した。

 カナダが合邦を求めた現実的な背景として、パキスタンの強引な併合など独走していたインドに対抗する為に必要な核戦力を確保する事やイギリスが膨大な時間を掛けて蓄積した国家としての「経験」を欲した事にあったとされている。

 しかし、近年の研究では「帝国の長女に戻りたかったから」というシンプルな説が有力視されている。


 二十一世紀のカナダは民族などの既成の価値観に囚われない、一個人が精神的な充足を追及する「ポスト・モダン社会」とされた。

 その実はイギリス系白人、ケベック人、先住民、そして主要都市の人口の半分近く占める非白人の移民達、その他無数のアイデンティティが入り混じっている無国籍化社会だった。隣人のアメリカ合衆国のような国民意識の醸成は成功したとは言い難く、「カエデの葉」をシンボルとするカナディアン・アイデンティティはもはや死に体だった。

 当時のカナダ政府は、核戦争後の混乱の中でこのままでは国家の統合を維持できないと確信するに至り、彼らの「王冠」に救いを求めるに至った。


 宗主国であるイギリスではロンドン中央政府が核攻撃で消滅し、各地方自治政府(権限移譲政府)の賢明な努力で国家を維持していた。

 そんな中で辣腕を振るったのが、当時のイギリス国王ヘンリー九世だった。偶々アイスランドに外遊中だった彼は、核の炎に斃れた兄の王位を継承。英国史上最大の危機に対処する事になった。


 彼は各地方自治政府の首席大臣及び首長をウェールズのカーナヴォン城に集め、次のように宣言した。


「私はここに国王が有するとされる留保権限の行使を宣言する。諸君らは法的根拠は何かと問うだろう。私は人民の安寧は至高の法(salus populi suprema lex)であるとのみ答える!」


 あくまでも学者達の思考実験の中にしか存在しなかった留保権限、即ち国王自身の自由裁量による国王大権がついに行使された。

 まず手始めに生き残っていた貴族院議員を首相に任命し、組閣を命じた。庶民院議員ではなく、大臣経験が豊富な一代貴族を首相にした点は今日でも評価されている。彼は食料配分に関する緊急事態規則が宗教的マイノリティへの配慮に欠けるとし、国王裁可を拒否する等内閣とは激しく対立した。「人道と公正正義に反する」が彼の口癖だった。

 本来は消極的な立場を求められる現代の君主としては異例の行動であり、ジョージ三世以来の「専制君主」と呼ぶ人間もいた。ヘンリー九世の専制的な統治は当然の事ながら、「国制(憲法)に違反している」との強い批判を産む事になり、ようやく再建された議会でも不満が噴出した。

 しかし、放射能も恐れずに全国の被災民を訪ねていく彼の精神力と体力には、「臣民」達も立場を問わずに拍手喝采を送った。「我らの王を!」の歓声はブリテン島中を埋め尽くした。

 カナダが「王冠」に救いを求めたのは、こうした君主が持つ「国民統合の象徴」としての効能に期待を寄せたからだった。


 それでもカナダとイギリスの合邦は両国国民の心理的抵抗感が強く、その実現は困難を極めた。

 カナダ国民からすれば、イギリスと同じ君主を戴く英連邦王国コモンウェルスレルムとはいえ、自国がイギリスの自治領であった事はもはや「歴史」だったからだ。イギリス国民からすれば、内心見下してた自治領ごときと一緒になるのは御免だった。例えどれだけ落ちぶれても、誇りだけは超大国だった。

 但し彼らは同時に現実主義者だった。カナダも、イギリスもそれ以外に生き残る道は無い事はわかっていた。特にイギリスはもはや自国に「王冠」以外に魅力的な商品が無い事に気づいていた。

 イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランド地方自治政府は、国王ヘンリー九世に最終判断を委ねた。国王はカナダ政府の合邦提案を了承。

 カナダと似たような問題を抱える英連邦王国コモンウェルスレルムのオーストラリア連邦とニュージーランドも合邦への参加を表明し、インドには及ばないにしても充分に大国と呼んでも恥ずかしくない規模となる。


 英加豪新四ヵ国代表による憲法制定会議がオーストラリアのアデレードで開催され、自分達が忠誠を捧げるに相応しい祖国とは何かを模索し始める。

 成文憲法(豪を除く三ヵ国はいずれも不文憲法体制)を採用するか、議会主権と裁判所の違憲立法審査権の関係をどうするか、君主制を継続するか。三年間にも渡る議論が行われた。

 特に君主制の継続に関しては、オーストラリア内の共和主義勢力の存在が無視できず、スウェーデンや日本の象徴君主制の要素を取り入れた「名目君主制」が採用されるに至る。

 名目君主制では、建前上は国王(議会における国王)に存在した主権が、名実共に国民に「譲渡」された。これにより、国王は枢密顧問官任命権及び法律認証権などを除き、政治的権能を有さないようになった。君主国における主権の移動は日本、ルクセンブルクなどの例があるが、イギリス及び英連邦諸国においては意味合いが異なる。

 マグナ・カルタ以降脈々と続いてきた英国法体系が「断絶」した事を意味するからだ。

 この事実を以て、「ブリテンの王権は死んだ」と述べた憲法学者ヘンリー・ロースンは、これらの主権の移動を「静かなるクァイエット革命・レヴォリューション」と呼称した。清教徒革命、名誉革命に続く第三の革命というわけだ。


 さて国民が合邦など忘れかけた頃、ようやく憲法草案が全参加国の議会で批准される。


 ――西暦二〇八五年七月一日、ここに「プリデイン王国」が誕生する。


 プリデインとは、ウェールズ語で「ブリテン」もしくは「グレートブリテン島」を意味する。口の悪いイングランド人に言わせれば、「頭を使った形跡が微塵もない国名」。旧イギリスの色合いが濃すぎる、直裁的、安直である、詰まらないとの批判も多く、国名の見直しを求める動きも巻き起こった。

 とはいえ他の候補としては、アーサー王伝説に登場する王国「ログレス」か、カエサルが名付けたとされる「アルビオン」位しか残っていなかった。どれも大差無い安直さである。

 プリデイン王国初代首相エリック・バーレントは、後に「どんな国名にしても、結局はマーマイト(賛否が分かれる英国の栄養食品)にしかならない」と苦悩を滲ませる回想を残している。

 ちなみに国名がウェールズ語なのは、核戦争で最も被害を蒙ったウェールズ地方を慰撫する為という説が有力だが、実際の所はよく分かっていない。


 一方ではインドが対外的な国号を「バーラト」と改めて、バングラデシュなどの近隣の南アジア諸国を次々と併合。当時中国を超える超大国となっていたインドは自国を中心とする地球規模での連邦国家樹立を画策していた。

 しかし「中世と現代が同居する国家」インドことバーラトの国内情勢は、混迷の極みにあった。「神に選ばれた我々だからこそ生き残った」とするヒンドゥー・ナショナリズムの勃興による宗教的少数者への迫害は、無視できない規模までに拡大。低カーストへのアファーマティブ・アクション(積極的是正措置)を利用する為に、首相の息子が身分を偽った不正事件を契機に史上最大規模の暴動が発生。一部のシク教徒が立て籠もった黄金宮殿が空軍機に爆撃されるまでに至ると、バーラトの国際的威信は大きく失墜した。

 旧パキスタン勢力によるテロ活動や犯罪は後を絶たず、バーラトは国外情勢に関与する余裕を喪っていた。

 インド、いやバーラトは「アメリカ」にはなれなかったのだ。


 ――国際連合の集団安全保障体制が崩壊した事で、国際連合に代わる新体制創設が急務とされた。


 生き残った国家の共通認識として、国際連合や欧州連合EUなどの中途半端な超国家組織では、国際紛争を抑止できないという点があげられる。そこで注目されたのが、全人類のほぼ三分の一、二十億人以上を抱える国家連合「イギリスコモンウェルス連邦オブネーション」だった。

 日本語の一般名称でこそ「イギリス連邦」だが、正確にはイギリス連合という方が正確であり、イギリスという言葉も西暦一九四八年十月には取り除かれている。ヤン・スマッツ第二代南アフリカ連邦首相が西暦一九一七年五月に基礎理念を示し、誕生したこの連合は大英帝国崩壊後はもっぱら「英語圏の飲み会」でしかなかった。

 しかし、連邦の政治的・感情的紐帯は決して軽視できるものではなく、二十世紀、二十一世紀の国際社会でも印パ間の仲裁等で一定の役割を果たしていた。

 プリデイン、バーラトはこの「イギリス連邦」を連邦国家にしようと考えたのだ。


 ――後に「宇宙に蘇った大英帝国」とも呼ばれるネオ・コモンウェルス(新生イギリス連邦)の誕生だ。


 内戦中だったアメリカ合衆国臨時政府も参加を表明し、文字通り世界最大の国家へと変貌を遂げる事になる。

 しかし、地球市民主義を背景とする夢想的な地球連邦を構想していたプリデイン――正確には旧カナダを主体とするリベラル派――と、自国の覇権主義を背景とする連邦国家を構想していたバーラトの差異に代表されるように、各々が考える連邦の姿は決定的に乖離していた。

 そうした中で、プリデインを連邦の盟主とする事を提案したのは、バーラトだった。そもそも旧イギリスを中核とする国家連合を利用する以上当然ではあるが、何よりパキスタン併合後の大混乱によるトラウマが彼らにはあった。バーラト指導層としては国内問題に注力し、“併合”への反発は父親でもある「盟主」に押し付け、連邦制がもたらす「実」のみを得ようと試みたのだ。

 だが、彼らは自国の現状を正確に認識していなかった。バーラトの人口ボーナスは既に終了していたし、未だに内乱状態の様相を呈している地域もある国内情勢は如何ともし難いものであった。国内の富裕層、高等教育を受けた知的エリート層は次々とプリデインに逃避していく。英語も話せる上に価値観が比較的近い彼らを拒否する訳も無く、プリデインは爵位を含めた極上の飴でそれを歓迎した。俗にいう「黒い貴族」と呼ばれる世襲貴族階級はここで誕生する。

 結論から述べると、名目上の盟主となったプリデインを「君臨すれども統治せず」のままにしておける期間はそう長くは無かったのである。


 初の人類統一政体樹立どころか、国際連合の代替機関にすらなれなかったネオ・コモンウェルス新生イギリス連邦。失望の声も少なくなかった。

 それでも、こうした国家統合の動きは全世界に波及し、様々な紐帯を頼りに国家統合が進められた。少し本筋からは離れるが、代表的なものを幾つか紹介する。


 ①ロシア連邦などの独立国家共同体、東欧諸国の一部を中心とするユーラシア人民主権連合。

 ②中国と台湾の合邦国家であるチーナスターナ。

 ③オーストリア、ハンガリーなどを中心とするイシュトヴァーン王冠共同体(ドナウ星系もしくは帝冠共同体)。

 ④旧アメリカ合衆国南部のバイブル・ベルト聖書地帯を中心に再統合されたサザンクロス連合国。


 さてこの頃、地球環境の急激な悪化から恒星間移民が真剣に検討され始める。この時点では恒星間移民など夢物語であり、口にすれば正気を疑われた。

 問題は山積していた。当時の原子力電気推進NEPとスイング・ハイを利用した宇宙船では、お隣のアルファ・ケンタウリまで千四百年もの年月が掛かるとの試算――極めて楽観的な試算である――まであった。

 反物質推進は未だに空想の域を出ないものだったし、仮に実現したとしても宇宙は人類には余りにも広大過ぎた。

 こうした現状を打破したのが、西暦二〇五九年のインド宇宙研究機関(ISRO)の太陽系探査船チャンドラヤーン五号による超空間通路「ターンパイク」の発見だった。まるで道路のように、宇宙空間の一点と一点を結んでいる空間であり、これ無くして人類の恒星間移民は実現しなかった。

 逆に言えば、これが無ければ今も人類は地球と月で欲望を満たしていた事だろう。

 果たしてこの空間がどのように生成されるかは定かではない。暗黒物質ダークマターが原因だとか、宇宙人が制作した等の仮説はあるが、いずれも憶測の域を出ていない。


 当初、世界の覇権を握っていたネオ・コモンウェルス新生イギリス連邦は恒星間移民にそれ程熱心とは言えなかった。

 二十一世紀序盤に人工衛星打ち上げ能力すら自主的に放棄していたイギリス人ならともかく、宇宙開発に心血を注いでたインド人まで「面倒臭さ」が行動の先に来ていた。

 そんな彼らを突き動かしたのは「外圧」だった。帝政時代から続くロシア・コスミズムを信仰するユーラシア人民主権連合の移民船が火星を突如占拠したのである。全宇宙の探検と支配、人類の飽くなき進化と成長を新たな生き甲斐として発見したロシア人と愉快な仲間達は、地球に替わる可住惑星を貪欲に探し求めていた。彼らの恒星間探査船コロリョフ号のアルファ・ケンタウリ到達は、ラスト・レコンストラクション後の何処か冷めていた人類を狂喜させた。

 ロシア人の狂気に当惑したのか、それとも七つの海を制覇した開拓者精神を唐突に思い出したのか。これ以後のネオ・コモンウェルス新生イギリス連邦は恒星間移民を目的とする宇宙開発に邁進する事になる。


 だが、ここで後世の人間が指摘する事がある。「何故人類は地球での環境改善に尽力しなかったのか?」という視点だ。

 確かに惑星一つをテラフォーミング可能な技術があるなら、地球環境を改善する方が現実的だ。現に試みられており、ある程度は改善した。

 しかし再構築後の国家には、統合を維持するだけの国家目標が必要だった。手段は「恒星間移民」であり、目的は「国家統合の維持」だったわけである。地球環境の悪化は事実より誇大に報じられ、人々の危機感を一層煽った。疑問を投げかけるメディアには、各国は容赦なく物理的な力でねじ伏せた。

(ここに笑い話があるが、地球脱出を促す為に世界最大規模の火山であるイエローストーン火山の脅威を声高に叫んだ所、西暦二一四十年に本当に噴火した)

 特にネオ・コモンウェルス新生イギリス連邦の強権的な姿勢は、サザンクロス連合国の成立を招く事になるが、他の構成国は太陽系脱出までの緊急避難的措置であると考えていた。


 そして構成国全ての太陽系脱出が成功した西暦二一五十年頃には、とうとう憲法条約“バンクーバー条約”の第一次条約改正が成立。“大英帝国”の栄光に影が差し始める。

 改正条約では連邦国家ではなく、「統合国家」とし、構成国は「加盟国」という表記に改められた。加盟国が主権国家であり、連邦はその集合体に過ぎない事が再確認された。連邦の権能は大幅な縮小を余儀なくされ、統一外交・安全保障・財政・金融政策以外の権限が加盟国に返還された。また連邦法体系の一新が図られ、規則、指令、勧告の三つに集約された。この中で、加盟国において直接的効力を持ち、国内法より優先して適用される連邦規則NCRに関しては、加盟国議会の批准手続きを得ない限りは効力を持たない事とされた。


 そして第二次条約改正では直接選挙で議員を選出する連邦議会(帝国議会)が廃止され、加盟国議会から選出される評議員で構成される連邦総会(帝国最高評議会)が連邦の立法権を、加盟国行政府の長による閣僚理事会が連邦の行政権を握る事とした。


 しかしながらプリデイン国王への忠誠、「王冠への忠誠」規定は存置され、連邦軍全体の統帥権や条約改正同意権はプリデインに留保された。


 それでも帝国は徐々に中央集権型の連邦国家から、二十一世紀に存在した「欧州連合」のような超国家的な共同体へと変容していった。西暦二〇一六年に欧州連合を離脱したイギリスが作り出した帝国の末路としては、あまりに皮肉に満ちていた。


 現プリデイン女王アデレードの秘書官、パトリック・クロムウェル男爵は、その「皮肉さ加減」を次のように述べている。


「我々は百三十九年前のメルケルというドイツ女の心情をようやく理解したのだ。彼女はあれだけ欧州連合EUの利点を説いたが、我々は聞かなかった」

「――今度は我々がイングランドユニオンEUの良さを説かねばならない。難しいだろうし、実際無理だろう」


 今年一月、バーラト共和国(旧インド)が連邦総会に提出した第三次条約改正案は「宇宙に蘇った大英帝国」に止めを刺すものであった。


 ①連邦を純粋な経済共同体として再編する。連邦法の領域を経済分野に限定し、経済分野以外の加盟国の主権回復。

 ②「王冠への忠誠」規定の削除。批判が多かった連邦公務員に対する忠誠宣誓の即時廃止。

 ③プリデイン女王の連邦首長の地位を剥奪。連邦の対外的代表権を閣僚理事会に移譲する。

 ④バンクーバー条約におけるプリデイン王国の留保権限の全廃。

 ⑤プリデイン王国が独占するターンパイク・トラストの無条件開放。

 ⑥連邦共通通貨“ソル”の発行権限を加盟各国の中央銀行に移管する。

 ⑦連邦の非公式名称である「帝国」の使用禁止。

 ⑧プリデイン王室属領「ハイランズ」の独立を承認する。


 この他三十項目にも及ぶ条約改正案の趣旨は、プリデインを帝国盟主の座から叩き出すものである事は明白であった。当然の事ながら、保守派のアシュレイ・マディソン現首相は「重大な内政干渉であり、まるで敗戦国への降伏勧告だ」と激怒。


「我々は西暦一九四七年八月一五日(インド独立)に貴国から勝ち取った権利の返却を求めているだけだ」


 バーラト共和国のバハードゥル首相は、インド独立の父ガンディーの肖像画を指差し、こう述べた。新生イギリス連邦成立を彼らの先祖が主導した事は都合よく忘却したわけだ。

 バーラトは連邦そのものの崩壊は望んではいなかったが、もはや「大英帝国」に価値を見出してはいなかった。


 そんなこんなで、「宇宙に蘇った大英帝国」を維持するかでプリデイン世論は沸騰した。例え仮初であり、幻影であったとしても、一度は手にした栄光をそう簡単に手放す事はできないからだ。

 加えて、プリデイン国内の王政廃止論争にまで議論は拡大し、市中でさえ右派左派に分かれての大激論となっていた。


 当然、民意の代表機関である議会は荒れに荒れた。


「――王冠への忠誠規定の削除は、象徴天皇制を抱える日本の我が連邦への加盟を見据えたものだという指摘について。チェンバレン外務・英連邦省政務次官、お答え下さい」

「――ラドヤード庶民院議員の御質問に女王陛下の政府を代表し、お答えします。王冠への忠誠規定の削除は以前から指摘されていた連邦内の共和制国家との折り合いから発したものであります。したがって」

「――私は貴方の論文朗読を聞きに来たわけではないのですよ、政務次官。加盟を目指す日本政府の狙いは、間違いなくハイランズ人として扱われる日系人の待遇改善にあるわけで。我が国としては」

「――政務次官、議員のウィルバーフォースです。質問中に失礼。近年のハイランズ人への不当な暴力や偏見に対して、政府としてどのような行動を示すおつもりでしょうか。このような人権侵害に何ら無策である事は」

「――政務次官、日本国の我が連邦加盟ですが、これまでの歴史の中で加盟検討の前例はあったのでしょうか? 西暦一九五四年に日本の吉田茂首相が、エリザベス二世女王陛下に旧イギリス連邦加盟を希望した史実はあるにはありますが」

「――紳士淑女の皆様、迅速な議事進行に協力をお願いしたい。まもなく女王陛下の勅命議員が到着します。それを以って閉会となりますので、議論を一時やめ、おい聞いてんのか!?聞いてないよな。くそったれ共め!」


 イーデン副議長は、議論の冷却を試みたが徒労に終わる。副議長は神の見えざる手により、議論が終結する事を祈る自由放任主義へと移行し、その場で競馬新聞を読み始める。

「どうせ国民も我々議員を競走馬としか見ていない。この中から万馬券を当ててみせろ、バーカ」とでも言いたげだ。

 副議長は落馬が確定しているので、他人事だった。


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