24 さて、謎解きを始めましょうか

 八剱栄太郎えいたろうが副院長室に入り電気を点けると、背後からコトリと何かが落ちたような音がする。


 ゆっくりと音の方向へ振り返ると、黒いタキシードにマントとシルクハット。顔には口元が見える上半分だけの道化師のような仮面を被った男が立っていた。


 栄太郎は特に慌てる様子もなく自分のデスクに移動し、小さくため息をつく。


「おや、驚かないのですね」

 首を捻るピエロの男に。


「誰が来るかの問題だけだからな」

 つまらなさそうにそう呟いて、眼鏡をはずして磨き始める。


「待ち人は私で良かったのでしょうか」

 ピエロが胸に手を当て、優雅に腰を折ると。


「誰でも同じことだ」

 栄太郎は苦笑いしながら、眼鏡をかけ直した。


「では早速用件をお話ししましょう」

 ピエロがそう言って近付いて行くと、栄太郎は小さく頷く。


 机の上に鍵付きの厚い日記帳が置かれたので、栄太郎が手に取ると。

 そこには殺された義理の弟の筆跡で、毎日の食事記録がつづられ。


 ――その上に、茶色い薄い文字で。


 今回の一連の事件の詳細と、義理の弟が実験にどのように関わり、そして何を考えていたのかが記されていた。


「私にどうしろと?」

 パラパラと日記をめくりながら、途中まで確認して栄太郎が顔を上げる。


「日記の巻末辺り……ちょうどしおりが挟んである辺りを、読んでいただきたい」

 ピエロの言葉に栄太郎はページをめくり、その場所に目を落とす。



―――


 当初の実験の意義や内容から逸脱し、いつの間にか将来の多くの患者を救うと言う大義名分にしがみつき。医師として越えてはいけない一線を越え、金のために動いたと言わざるを得ない状況に至ったのは、我々の責任だろう。


 しかし裁かれるべきは、この実験に関わった義理の兄栄太郎氏をはじめとする八剱病院関係者ではない。


 すべては私の浅慮から始まった事なのだから。


―――



「彼は私を擁護しているのかね」

「そのようです」


「怨みつらみは……」

「ご自身を責めることはあっても、他者は一切」


「彼は、やはり優しすぎたようだな」

 栄太郎はそう呟くと、大切な何かを扱うように日記を閉じ。


「今どきの病院経営は大変だ、この国の健康保険は既に崩壊している。しかも患者は病院に過度の期待とサービスを求め、スタッフはそれに応える時間と精神的余裕が無い。評判が下がれば大病院だって倒産の危機を迎える……そこでユニオンの依頼は魅力的だった。年間数十億の利益に、ユニオンに所属する人々から引き出される各省庁の援助」

 天井を見つめ、大きく息を吐くと。


「全部言い訳だな……覚悟はできている。キミは、私に引導を渡しに来たのだろう。警察に突き出すのか、それともこの場で殺す気かね」

 疲れたようにピエロの男に向かって、そう呟いた。


「ユニオンは警察にも深く入り込んでいる可能性が高いですし、私は殺しをしません」

「ユニオン……ターパ・ユニオンか。キミはそちら側の人間だろう」


 栄太郎の言葉に、ピエロの面の下側の唇が微笑む。

「残念ながら、私は贋作専門の泥棒です」


「では何をしに来たのだ」

「ユニオンも、ユニオンを裏切り犯行に及んだ人間も、あなたを狙っている。ならそこからあなたを盗みだしましょう」


「私を盗む?」

「ええ、偽善者にすらなれなかった贋作フェイクを……今ここで」


 ピエロがそう言い終わると同時に、窓ガラスがカシャンと音を立てて割れた。

 天井からもパラパラとホコリが落ちてくる。


「身を伏せて、ゆっくりとこちらに移動してください。角度的にここより低い場所からの狙撃です」



 ピエロは天井に空いた小さな穴を確認すると……

 そっと明かりを消した。




 ¬ ¬ ¬




 かすみは事前に見た資料から、先ずは副院長室へと足を向けた。


 そこは八階建ての本棟の最上階にあり、七階までしかない一般エレベーターでは昇ることのできない場所だったが、七階から通用階段を利用してなんとか移動できる。


 非常灯のみ輝く薄暗い廊下を進むと、ドアから明かりのもれている部屋がひとつだけあった。


 かすみは反射的に足音を消して近付くと、栄太郎の声とフェイカーの声が微かに聞こえてくる。


 襟元に仕込んであるインカムのマイクに何か伝えようとすると……

 ガラスが割れる音と同時に、部屋の明かりが消えた。


「かすみさん、なんて素敵な恰好だ!」

 フェイカーは窓より姿勢を低くして、栄太郎の手を引いている。


「ななな、なにがどうなってるの!」

 かすみが慌てると、フェイカーは身を伏せろとジェスチャーで伝えてきた。


 しゃがみこむと同時に、連続して廊下のガラスが三枚割れる。

「威嚇射撃ですが……恐ろしく腕がいい。窓から姿が見えれば狙撃される危険性があります」


 フェイカーはかすみにそうささやくと。

「その恰好は、警察のお嬢さんの悪戯ですか? ならちょうど良い。私の獲物はコレですが、鑑定結果と共に持ち主にお返しします」


 日記帳をかすみに渡し、おどろいた表情の栄太郎を指さした。

「何がいったいどうなってるのよ!」


 憤慨するかすみに、フェイカーは。

「後は二人で話し合ってください、警察に保護を求めるならお任せします。予告通り私は真犯人を盗みに来ただけですから」

 そう言って、ひらりとマントをひるがえして立ち上がった。


「栄太郎伯父さんが真犯人だって言うの?」

 かすみの声にフェイカーは振り返ると。


「実行犯と裏の組織は別のようですね。でも彼は……きっとかすみさんに話したいことがあるはずだ」


 どこか寂し気にそう呟き。

「では残りの獲物を盗みに行きます」

 割れたガラスの向こうへ飛び出した。


「ちょ、ちょっと!」

 かすみが慌てて立ち上がろうとすると、栄太郎がそれを止める。


「まだ危険だ! 後は彼に任せて、自分たちでしなくてはいけない事をしよう」

 その言葉にかすみが首を捻ると。


「こんな事を頼める義理じゃないが、先ず話を聞いてほしい。そしてもし許してもらえるなら……手伝ってほしい事がある」

 かすみは栄太郎の眼差しを見て、コクリと頷き。


 インカムの電源をオフにした。




 ¬ ¬ ¬




 大野は柱の陰に隠れながら、狙撃場所の特定を急いだ。

「村井さん、どうしても分かんないのですが……動機は何ですか?」


「金だよ、離婚調停や住宅ローンの返済、それに養育費。安月給には身に余る請求額だ」

 村井も大野と同じように、身をひそめて周囲を窺う。


「相変わらず嘘が下手ですね、亞里亞の調べでは離婚に関わる請求は一切受けてないそうですし、ローンも全て完済してるって」

 大野がそこまで話すと、ガシャンガシャンと続けて窓ガラスが割れる音が響いた。


 村井が上を指さすと同時に、正面の駐車場まで破片が散らばる。


「あいつ本当に出来る刑事デカだな。本庁でコソ泥専門にしとくのは惜しい」

 大野がその言葉に苦笑いしながら、駐車場奥に止まっている黒のミニバンを指さすと、村井はゆっくりと頷いた。


 狙撃箇所が暫定出来ても火力が違い過ぎる。

 応援を呼ぼうと警察無線を取り出しても……電波が通じない。

 スマートフォンは画面がチラつき、再起動を始めてしまう。


 大野が振り返ると、村井は携帯を握りしめて首を振った。


 ――通信機能抑止装置?

 スマホや警察無線まで遮断するなら、もう軍用レベルじゃねえか。


 大野が舌打ちすると同時に、目の前に黒い何かがふわりと落ちてきた。

 それは紐でぶら下がった人形のように見えたが、空中でくるりと回転すると、自力でロープを外して地面に降りる。


 トスントスンと連続してマントに何かが当たったが。

「新調した甲斐がありました。重くて動き辛いですが、効果はあったようです」

 上半分だけのピエロのような面を被った男は、口元をニヤリと歪ませながら、村井に近付いて行き。


「さて、謎解きを始めましょうか」



 月明りを背に、黒いシルクハットのつばを指で摘まむと……

 その道化師は、まるで作り物のような笑みを浮かべた。

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