宇宙戦争は、俺の秘密基地《トイレ》で起きている。

筆屋 敬介

【 第1部 】

 第1章 トイレの中の宇宙戦争

プロローグ (ヘルプ・ミー ヘルプ・宇宙人)


「あの……見原みはらくんにお願いがあるんですけど……」


 昼休み。まだまだ夏の暑さが残っていても、都会とは違って多少は涼しい風が入る教室の窓際。

 身長185センチ、中肉中背――いや高背か――の図体を机からはみ出しつつも無理やり突っ伏してウトウトやっていた俺は、突然の声にそのままの姿勢で顔だけを上げた。


 机の横にはクラスでも小さくて目立たない女子……志戸しどさんがポツンと立っていた。


 黒い髪に当たり障りのないショートボブ、目鼻立ちも表情も地味な彼女は、一言で言えば、高校の制服を着せられた小学生。

 まぁ、見ようによっては中学1年生か。とにかく居るのか居ないのか印象が薄い。


 高校に入ってからの6ヶ月間、授業で当てられた時の何度かとゴミ捨て場の場所を尋ねられた時くらいしかその声を聞いたことがなかった俺は、まず声の新鮮さに面食らった。


「ぁ? あー……志戸さん……だっけ? 頼み?」

「ご、ごめんなさい。起こしちゃいまして……」


 おずおずといった感じのか細い声でイメージ通りだが、机に突っ伏している人間にわざわざ声をかける程の頼みごととはいったい。

 会話らしいものをしたことがない女子からのお願いごとに、寝ぼけながらも少し緊張する。


「い、今じゃないと話ができそうにないので……」


 昼休みの教室。俺の席の周りはちょうど誰も居ない状態だ。

 運動に励んでいる体育会系や、どこへ行くのかわからない文化部系。よくぞまあ話のネタがつきないもんだという女子グループとは違って、特に何することもない俺はよく机で惰眠をむさぼるのが日課になっていた。


「み、見原くんなら何とかしてくれるかもと……」

 小さな制服姿の志戸さんが、さらに身を縮みこませながら消えるような声で言った。お願いする緊張感というよりも申し訳ない感が溢れている。


「わ、わたしにはもうムリっぽくて……」

 上背だけはデカイ俺に、荷物持ちを手伝え的なレベルではないようだ。

 続きを話してよいかどうか、おどおどしている彼女を見かねて、なんだよと身体を起こす。


 座っている俺と目線がほぼ同じ高さになった志戸さんが口を開いた。


「う……う、ううちゅうじんを助けて欲しいって言ったら困り……ます……か?」



※※※


 ……。

 散髪に行くのが億劫で少々長くなりすぎた俺の前髪が、ぱらりと額に落ちる。


「宇宙みるのたすけて、星?」

 天体観測を手伝え? 半分寝ぼけた頭でそう解釈した。


 小声の志戸さんが目線を落とした。

「あ、やっぱりダメだよね……」

 いや、勝手にオチをつけるなよ。


「俺、天体観測とかしたことないんだけど」

「て、天体観測ですか?」

 志戸さんの声のトーンが上がった。

「見原くん、天体観測が好きなんですか? わたしも大好きで今は土星と天王星が――」

「いったい何の話をしてるんだ?」

 はた、と気がついた様子。

「ご、ごめんなさい! 緊張してつい……」

 ほんと、こいつは何の話をしにきたんだ。


「とりあえず手伝うからさ、落ち着いてしゃべれよ」

 しどろもどろになっている姿が気の毒になって思わず言ってしまった。こういうところが俺、見原礼人みはらあやとの、考えているようで行き当たりばったりの悪い癖なんだと思う。



※※※


「宇宙人を助けろぉ!?」


 思わず大声+裏声で聞き返してしまった。騒いでいた女子の一部がこちらを見る。

 俺に向かって志戸さんが小さな手をブンブン振る。


「あ……。で、何を職員室に持っていくんだって?」

 とっさにごまかす俺。キョトンとする志戸さん。

 わざと大声に出して教室から何食わぬ顔で出て行くと、志戸さんも後ろからちょこちょこと付いてきた。


「あ、あの……先生には相談してほしくないなぁって……」

「……人に聞かれるとマズイんだよね?」

 会話がかみ合っていないことに不安を覚えながら、まずは人目につかない場所に向かった。


 教室から離れた美術準備室の前まで来た俺達は、いかにも授業の準備をする振りをしながら、トンデモ話の続きを始めた。


「ご、ごめんなさい。わざわざ出てきてもらっちゃいまして……」

「もう小声でしゃべんなくていいから」

 つま先立ちして耳打ちしようとする志戸さんを抑えて、俺はしゃがみこんだ。頭のてっぺんが俺の胸くらいまでしかない志戸さん、さすがに無理があるだろ。


「で、宇宙人がどうしたって?」

「え、えと……。びっくりさせちゃうかもしれませんけど……」

 そういうと、小さなポーチから何かを取り出した。


 ゆっくり手のひらを広げると、そこには携帯電話程度の大きさで金属のような塊が乗っていた。


 表面の色は、白? 銀? 紫というか藍色というか。奇妙に光を反射していて水面に広がる油膜のようにも見える。


「これが、宇宙人?」

「はい」


 これ、人じゃないだろ……。

 って、まぁ、人型とは限らんよな。というより、ここはどう反応すべきか。


 志戸さんの表情を見ると真剣なので、笑うところではないなと判断する。


 統合失調症というものだろうか。以前観たテレビ番組の話が頭をよぎる。約100人に1人居るんだそうだ。幻視幻聴が聞こえるらしく大変そうだった。冷静に突き放すような反応はきっとよくないよなあ。


「へえ。これが宇宙人かぁ。綺麗だなぁ。思ったより小さいなぁ」

 空々しかったか。


 緊張でガチガチになっていた志戸さんの様子が明らかに柔らかくなった。

「よ、よかったぁ……見原くんなら分かってくれると思ったよぉ」

 秘密を受け入れてもらえた嬉しさか、志戸さんがふにゃっとした笑顔を見せた。


 少し罪悪感を覚えたが、こうなればそのまま話をあわせるしかない。下手な失敗をしないうちにサッサと終わらせよう。

 

「この子に助けてってお願いされたんですけど、がんばってたんですけど、わたし、こういうのよくわからなくて――」

 俺は途端に饒舌になった志戸さんに驚きつつ、あらためて様子を伺うことにした。


 志戸……下の名前はなんだったか。

 とにかく背丈も小さくて目鼻立ちも地味で影も薄いそんな子だったが、一生懸命に訴える姿がなんというか……小動物的。

 こうやって身振り手振りで熱心な姿がますますそれっぽい。よく見ると目は大きめか。興奮しているからだろう。


 声は少し高めで力が入っているようだが、大きな声を出すことに慣れていないような……たぶん怒鳴ったとしても怖くもなんともないだろうなあ、と想像できる。

 とにかく目立たない地味な子だったから全く気にもしていなかった。


「――それで、この子、仲間の宇宙人に追われて戦っているんです! わたし、半年頑張ったんですけど、全然ダメなので……」


 ……え? なんだって??



※※※


 冗談で言っている様子はない。

 必死に説明して、熱っぽく少し潤んだ瞳で返答を待っているがどうしたものか。つい数分前までは、影が薄くて、あーあんな子いたなあ程度の認識しかなかった女子を前にこんなヤヤコシイ状況に置かれるとは。


「えーーーーっと。途中がよくわからなかったんだけど、このカタマ……宇宙人ボックスに助けてくれって言われたから、一緒に……戦っているわけ?」

「そうなんです! 上手く説明できなくてごめんなさい! それじゃ、もう一度説明――」

「いや、大丈夫」

 この調子だと昼休みが終わる。それに、途中から志戸さんを見ていて聞いていなかったとか言えるわけがない。


「それで、手伝いって何すればいいんだ?」

 ぱあーっと明るい顔になった志戸さんが嬉しそうに、

「この子に力を貸してあげて欲しいんです。一緒にやっつけて欲しいんです。わたし、こういうこと詳しくなくて、レパートリーが少なくって……」

 途中からため息をつかんばかりに訴える。


 この話、いつまで付き合えばいいんだろう。だいたいレパートリーってなんだよ。

 金属の塊が宇宙人に見えて話かけるとかどんな幻視幻聴だよ。これはある程度話を合わせて、やんわり断ろう。


 思いもよらないアクシデントが起きたときは、まずは冷静になるべし。余裕を見せて冷静に対応できるのが大人だ。我ながら気取っているとは思うが、普段からクールを心がけている。


 俺は考える素振りをしつつ、こっそり深呼吸を始めた。

(ひとつ、ふたつ――)

 まず息を吐いてから、大きく息を吸う。最初に吐くことが重要だ。

(ひとつ、ふたつ――)

 どうしたものかという風に大きく息を吸って、

(ひとつ、ふたつ――)

 うーんと唸ってみせながら息を吐く。


 深呼吸を3度ほど繰り返すと思慮深げに口を開いた。

「えーーっと。宇宙人のことはわかったけど、もうすぐ休憩時間も終わるし、あらためて話を聞くよ」

 問題の先送りともいうけど。


 金属の塊をギュッと握った志戸さんが、それまでの期待に満ちた表情を暗くして目を伏せた。

「……そ……うだよね。変なこと言っちゃってごめんなさい……」

 まずい。

「あ、あれだ。放課後ちゃんと話を聞くから!」

 その時、昼休み終了前の予鈴が鳴った。


 その後の授業は普段以上に頭に入らなかった。

 どう上手く答えよう……放課後までに考えなければ。

 俺は帰宅部で週に何度かコンビニでバイトをしている。バイトを理由にサッサと切り上げようか……というのも、逃げるようで嫌だ。志戸さんも傷つけてしまう。


 少し離れた志戸さんの横顔をついチラチラ見てしまうが、静かにノートを取っていた。

 いつもの志戸さんだ、と思う。よく知らないけど。



※※※


 その日の授業が終わった。

 皆、てんでに教室から出て行く中、志戸さんは黒板を消している。日直だったのか。

 上の方にまったく手が届かなくてイスに上ってさらに背伸びをしている。改めてみると危なっかしい。席を立とうとしたところに、


「志戸さんとお昼どこへ行ってたの?」

 隣席の女子が興味深げに声をかけてきた。


「え。あぁ、高いところの荷物取ってくれって頼まれた」

「そうなんだ。めずらしーってみんなで言ってたんだよ。あの子って、自分から話かけるって殆どないからさ。話すと普通なんだけど」

「へぇ」

「陰キャって感じはしないけど、入学してからずっと緊張してんのか、あんな感じだし。いじめられてるって訳じゃないんだけどね。まじめでいい子っぽいし、物静かというかなんていうか」

「あんま目立つ感じじゃないからなぁ」

「そうそう。気配がないって感じ? で、どんな子だったんかなって」

 ……緊張してたり、笑ったり、不安そうだったり、宇宙人を助けてくれって言ったり、悲しそうだったりして、忙しそうな子だったけど。


「別に? 普通だったよ」

 ごめん、嘘つきました。宇宙人の声が聞こえる子でした。


「そっかー。話してみたいけど、話しかけにくいっていうか、話そびれるっていうか。気になるっていうか、気にならないっていうか」

 女子からも地味キャラ扱いなんだな。この様子じゃ誰にも相談できてそうにないなぁ、まったく。


 一人また一人と教室から人がいなくなり、気がつくと日直の志戸さんと俺の二人だけになっていた。志戸さんはうつむいて帰宅の準備をしている。


「で、宇宙人の話は?」

 志戸さんの机のそばに立った俺は、努めてさりげなく話しかけた。

 ふっと顔をあげて、さらに大きくこちらを見上げた志戸さんが笑顔とも諦め顔ともいえない表情をした。


「き、気にしないでください。だ、だだいじょうぶですから」

 はぁ……全く大丈夫そうにないけどな。

 話相手になるくらいはできるだろう。


「困ってるんだろ。手伝うから。宇宙人助けるんだろ」


 悩んでいるのか緊張していた志戸さんが、意を決したように口を開いた。

「…………はい」

「秘密の話だったよな。約束は守るぞ」

「……はい」

「よし。じゃあさっきの変なカタマ……宇宙人に会わせて」


 目を潤ませたような志戸さんが、再び手のひらに宇宙人ボックスを取り出した。


「宇宙人かぁ。やっぱり地球のものに見えないな」

「はい」

 ようやく表情が和らいだのを見て、俺は隣の席のイスに座った。


「またなんで、突然宇宙人に頼まれたからって、そんな慣れないことをやってんだ?」

 一応、興味ある風に続ける。

 志戸さんは奇妙なボックスを優しく見ると、

「この子、どこにも相談できなくて困っていたんです。だから、です」

と、気負うことなく答えた。


 思い出した。

 この子、よくバスでおばあさんに席譲っていた子だ。

 声が小さくて、耳の遠いおばあさんと話がかみ合っていなかったけど、思えば動きは自然だった。地味な子であまりに自然だったからすっかり覚えていなかった。


 そうか、大変そうだから手伝うってだけの子なんだ。

 まぁ、宇宙人に頼まれて引き受けちゃうのはどうかと思うけど。


「ほんとに、一緒に戦ってもらってもいいんですか?」


 うーん。

 なんだかこれ以上悲しい顔をさせたくなくて、俺は目線を外してサラッと答えた。

「うん。志戸さんの頼みだ。手伝うよ」

 志戸さんの、というところを強調する。なんだかよくわからない宇宙人のためじゃないんだよ?


 ふにゃあとした顔になる志戸さん。結構くるくる表情が変わるんだな。

 面倒なことになったが、その顔を見るとなんだか嬉しくなった。これからは、適当に相槌を打つことに慣れないとな。


「よかったね、ミーファ! 手伝ってくれるって!! ちゃんとお礼言わなきゃ!!」

 ミーファって名前なんだ。と、ぼんやり聞いていたところ、手の上に載せていたボックスの周囲にぐるりと筋が入り、ゆっくりと指輪ケースのように開いた。


 そこには……手のひらサイズの人間が丸く横になって居た。


 すっと起き上がるとこちらを見て、小さな小さな口を開く。

『はい。よろこばしいかぎりです』


 涼しげでいて、よく通る柔らかな声。


『おてすうをおかけします』


 え?

 いや、ちょっと待て。


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