門番と旅人



 夜更けに門を開く街は少ない。外には魔物や幻獣がうろうろしており、国を追われた盗掘者たちなども獲物を狙って息も少なく潜んでいる。だから大抵の門番は、睡魔と己の不遇な境遇をじっと見つめながら夜を過ごし、助けを求めてようやく火影に辿り着いた遭難者をなんの感情もなく拒絶するのが乱世の常だった。それともこれは世の乱れなどという格式ばったものではなく、海から這い出た生き物が辿りゆく自然の理屈なのかもしれない。助け合い、わかちあい、いつくしみ、そんなものをついにアレックスは見た覚えがなかった。見たと思っても、それはよく調べていくと違うものだった。偽善、妥協、嫉妬……ここまでよく逃げてきたと暖かく門を開け光の中に手を引いてくれた街など一つもなかった。それはアレックスがまだ若かったから、それほど多くの経験をしてこなかったからと言えるかもしれないし、また希望などという厄介な妄想を胸の奥にまだくすぶらせていることが、罪といえばそうだったのかもしれない。


 いずれにせよ、鷹の月、アレックスはバルセオの街に辿り着いた。そばに一人、フードを目深に被った連れがいる。

 甲高く円環を鉄扉に叩きつけられて、ほの明るい詰め所から出てきた門番は病んだ犬を見るような目で二人を見た。夜更けのもっとも辛い頃に訪れたわけではないが、それでも異邦者は不愉快な存在らしい。腐った卵黄のような目が、すばやく動いてアレックスたちの旅装から、武器の有無を確かめていた。アレックスは堂々と剣を背負っている。見えるのはそれだけだ。防甲車もない。


「なんのようだ。この街は、昼間しか旅人を受け入れんぞ」

「そのとおりだ」とアレックスが答えた。フードをおろして、顔を出す。少し面長の、南方の血が少し都市で淀んだような、雑種三世あたりに見えた。歳は十九あたりだろうか。

「あんたは正しい。でも、それを曲げて頼みたい。街道沿いで盗賊に襲われた。なんとか撃退したが、車は獲られたし、行くアテもない。どう身を振ればいいのか自分でもわからないが、とにかく、この夜から逃げたい。ここの街で。お願いだ、開けてくれ」

「断る。法律で定められていてな、そんな権限、俺にはない」

「でも、カギはあんたが持ってるだろう」アレックスは引き下がった。どこかに歩き出そうとする連れの袖を引っ張って近寄せながら、

「だから、閂さえ開けてくれればいい。俺達が入ったら閉めてくれれば、それで」

「おまえ、バカか? 誰が門の開け方がわからんなんて言ったよ。え? どこへでもいいから消えちまいな。俺はこれからもう一眠りするんだ」

「……門番なのに?」とアレックスの連れが呟いた。それ――少女のように聞こえた――を聞き捨てなかった門番が、窓から身を乗り出して、

「ああ、そうさ。俺は門番、いつだってここにいる。門番だから昼間は用無しってわけで、クソ騒々しいあきんどどものダミ声に頭ン中をガンガン鳴らされながら眠ったような気になって過ごす。そして夜が来れば当然のように叩き起こされて、ここにずっといなくちゃならない。おまえらみたいなのが来るからな。いったい俺が何をしたっていうんだ? 俺は吸血鬼じゃない、だけど昼を奪われた。俺は門番だから。そして俺はおまえらみたいのを通さないために、ここに閉じ込められてるんだ。わかったか? だったら荒野で死ね。せいぜいあっさりと頸動脈を噛み切ってもらうんだな、地廻りの狼どもにでも」

「待て、待ってくれ」詰め所に引っ込もうとした門番にアレックスの声が追いすがる。

「悪かった。気にさわったよな、謝るよ。すまない。だが、俺達もここで見捨てられるわけにはいかないんだ。生きるか死ぬかなわけだし。あんたにとっては寝ればすべてチャラかもしれないが、俺らはあんたに寝られたらすべてがパァなんだ。頼むよ。絶対におとなしくするって誓う。だから開けてくれ」


 アレックスは窓の中に、手首をしゃくって何かを投げ入れた。キン、と鞘鳴りのような音がする。一瞬のあとに、男がめんどうくさそうに窓から顔を出した。アレックスは引きつった笑顔を浮かべた。故郷の街で、気に入らないといってパン屋の若旦那にぶん殴られた時と同じあの笑みで。


「確かめてくれたかい? 銀貨だ。……いくらなら入れてくれる?」

「なんで金なんか持ってる」

「言ったろ、盗賊に襲われた。行商人なんだ。もっとも、この剣でわかるだろうが、――俺達自身も盗賊をやったりする。武装商人さ。でも、ここいらの地域で悪さをしたことはない。信じてくれ」また一枚、カーリー銀貨を投げ入れ、

「根城にしてた山が土砂崩れで塞がっちまってな。誰も来ないんじゃ行商も強盗もできやしない。仕方ないんで遠縁の親戚の家を訪ねようとして、妹と旅に出た日にこれだ。ついてない。呪われてるのかもな」

「今日、旅に出たにしちゃずいぶん薄汚れた格好だな」門番は埃と汗と血をずいぶん長く吸ったように見える二人の旅装束を不思議そうに見た。

「そりゃ、夜逃げの時に舞踏会用の衣装を着ていこうとはならないよ。これが俺達の普段着さ。叔父貴の家は三ヶ月はかかる北方だし。行商なんて、格好はどうでもいいのさ。何をどれだけ安く売ってくれるか、客が気にするのはそれだけ。交渉が決裂したらちょっと怖い目に遭ってもらう」

「犯罪者だな」


 また新しい銀貨が投げ込まれた。


「たしかに俺達は罪深い。だが殺されるほどか? 誰だって罪を犯してる。神様だって間違いを犯す。だから、大切なのは、あんたの返事。今ここで――頼む、俺達を助けてくれ」


 深々と頭を下げたアレックスと、その左手に無理やりお辞儀をさせられた連れを見下ろしながら、門番はしばらく何も言わなかった。やがて言った。


「金貨はないのか?」


 一粒の穢れた流星が窓の中に吸い込まれると、バルセオの街の鉄門がわずかに開いた。金属の唸りは夜の風と酒場の嬌声にかき消された。アレックスと連れは猫に追われた鼠のように素早く門の内側へと滑り込んだ。二人が振り返ると、もう門はすでに閉まっている。門番の男が、歯車式の城閂を取手で戻し終えたところだった。乾燥した肌の、やつれた男だった。目が老いた馬のように濁っている。もう二人を見ることもなく、詰め所に入ろうとする男にアレックスは言った。


「ありがとう。助かったよ。この恩は忘れない」

「それは口封じに来るって脅しか?」門番は嗤った。

「頼むから、死ぬ間際に俺を思い出すなよ。祟られちゃ敵わん」

「わかってる。それに俺は死ぬ前に誰を恨むのか、もう決めてる」

「へぇ、そうかい。そりゃよかった。ま、面倒事は起こさないでくれよ。風みたいに現れて、風みたいに消えてくれ。どこへでも」


 そして二人と一人は別れるところだった。だが、最後に連れの少女が、フードからわずかに瞳を覗かせて、門番を振り返った。奇妙な色の瞳だった。燃えたての炎のような金色の瞳。


「ねぇ、どうして開けてくれたの?」


 おいよせ、と制止する連れの男の言葉は間に合わず、門番の男が足を止めた。寝不足の顔を向けてよこして、ずいぶん素直な笑顔でこう言った。


「嫌いだからな。この街が」


 建てつけの悪い木戸が閉まって、門番の男は詰め所に消えていった。


「いくぞ、おまえ、余計な口を利くなって言ったろ」

「だって」と少女はアレックスから目を逸らした。

「あの人、お金なんて欲しがってなかった」

「……ああ。そうだよ」

「自分の暮らす、街なのに」

「自分の暮らす、街だからじゃないか?」


 少女にはわからなかった。アレックスには痛いほど理解できた。

 だが、わからないままでいたかった。


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