吸血鬼ハンター・アレックス

顎男

聖地、その不法侵入者は




 吸血鬼ハンターたちにとって、悲願といえば吸血鬼の根絶だとは思うが、それよりもう少し手の届きやすい目標がある。大陸のどこかに、吸血鬼たちの聖地があるという。そこではおぞましい数の吸血鬼たちが人間を奴隷にして絶対の繁栄を誇り、どんな狩人でもその街に入ったら二度と出ては来ない。

 名前を名付けられざるその街は、ただ「聖地」とだけ噂され、時折、大規模な吸血鬼の巣窟を掃討したあとなどはハンターたちは冗談まじりに「まァ聖地よりはマシだったさ」と言うのが常だった。


 私はずっとその聖地を追って旅をしている。戦地記者としての任務は各地の吸血鬼禍の取材と調査、報道と告知だが、そんなものは私の知ったことではない。吸血鬼ハンターの後ろにへばりつき、人食いの怪物どもからもっとも安全な場所でぬくぬくとペンを走らせコーヒーに舌鼓を打つなど三流のやることだ。それのどこが「戦地」だと言うのだ? 私は戦地記者だ。危険な場所にこそ仕事がある。

 だから私は一人旅に拘り続け、自分が握ったネタは決して誰にも共有せず、おざなりな近況報告だけを本社へ送り続けているうちに記者クラブの副長からあっという間に伝書鳩へと降格させられた。忌々しいクラブ長のしたり顔が目に浮かぶ。反省を促しているのか、それとも遠回しな解雇通告なのか知らないが、私は自分のやり方を曲げる気はない。給料が減れば旅費はどこかから自前で捻出しなければならないが、それこそ戦地記者たるもの空き巣や強盗の真似事くらい出来なければお話にならない。貴重なネタを握った人物が鼻炎に悩まされている時は薬が要るものだ。だいたいの場合は本社からのやる気のない軍資金では払い切れない。情報には値打ちがある。ましてやそれが真実なら尚の事。貴族の子女から装飾品を美しい鳥の羽と交換するくらい私には朝飯前だ。

 そうしてようやく、大陸奥地の山脈の向こう、傭兵団であろうと遠征したりはしない僻地へと足を踏み入れた。かつて古代の大国があったが、今では廃墟と魔物の巣窟になっている地域。戦士が二十人もいれば安全に旅できるが、まず間違いなく彼らを食わせるだけの宝物もなければ食料もない。だから誰も来ない――私のような単騎の男を除けば、だが。

 私はそこで『聖地』を見つけた。






 桃源郷と呼ばれる集落についての御伽噺がある。そこでは誰も老いることも病むこともなく、大地は緑に溢れ、生物はみな美しく健やかに野を駆けているという。私が踏み入れた聖地も、そこまで豪華絢爛ではなかったが、農村にしては豊かな部類に入る方だったろう。薄汚れた私を、配達カバンを肩から下げた幼児が目をぱちくりさせながら見上げていた。私が敵かどうか考えているのだろう。どう見ても私は落ちぶれた野盗が飢えて里に降りてきたようにしか見えない。髭もだいぶ前から剃っていない。狼の真似事をしてやったらニコリともせずに歩み去って行った。かわいくないガキだ。

 コソコソするのも嫌気が差して、堂々と村を練り歩き、露天のリンゴを堂々と盗んで店主と殴り合いの喧嘩になった。首都の武闘大会に出場するような巨漢だったが、私の鮮やかなステップワークに翻弄され、私をぶちのめすまでに一分もかかっていた。でかい図体をして情けないやつだ。私は鼻血を垂らしながら命乞いをし始めたが、いきなり誰かに体当たりを食らった。すわ新手かと神を呪ったが、あとになってみれば、結局その子が私を助けてくれたのだ。

 そういう経緯があったものだから、グロリア・コードフィアは、私にとっては吸血鬼ではなく、私が盗ったリンゴの代金を立て替えてくれた心優しい少女という印象が、いまでも拭い切れない。

 グロリアが吸血鬼の王族だと知ったのは、彼女の家で根こそぎヒゲを剃り上げられた後のことである。



 ○



「はい、これで綺麗になりましたよ。いいですか、二日に一度はヒゲ、剃ってください。山賊にしか見えませんよ?」

「断る。私は忙しいのだ」

「記者なら身だしなみは大切だと思いますよ」

「ふん……私の雷名は吸血鬼の姫君にも届いていたか。当然だな」

「昔、馴染みの行商人の方があなたの本を持ってきてくれたんですよ」


 グロリアは食卓の椅子を私に勧めながら、自分はエプロンをつけてなにか午後のおやつらしきものを作り始めた。卵と脂と牛乳のよい匂いがしてくる。


「コロロ・マッギロッドさん。小説家だったんでしょ? 飛び飛びですけど、昔の作品、いくつか持ってますよ」

「古い話だ」


 私は過去を掘り返されてげんなりしていた。売れない小説書きだったのは、私の人生でも汚点のひとつだ。誰も私の話をまじめに聞かないのであれば、真実を語るしかない。そう思って、私は記者になった。過去があるばかりに、私の人生は挫折とセットで語られやすい。それが不満だ。


「私は今の自分に満足している。つまらん本など忘れた」

「おもしろいのに」

「おい、作者の目の前でページをパラパラめくるな。ちゃんと読め」

「読んで欲しいんじゃないですか……」グロリアは呆れたように目を細めている。

「素直じゃないなあ。作品と一緒ですね」

「うるさい。……そんなことより、私は君の取材に来たのだ。いいかね、グロリア・コードフィア……吸血鬼の王よ」

「一応、血族ではありますけど、戴冠してませんし、傍流ですよ。だからこんなところでのんびりやれるんですけどね」

「その金髪……アリシアの血筋か」

「ああ、大叔母ですよ。もう亡くなりましたけど。というか、詳しいですね?」

「吸血鬼史の研究も私の仕事の一つだ。給料は出ないが」

「それは趣味って言うんですよ」

「生意気な娘だ……」

「はい、どうぞ。ミートパイ。あ、人肉は入っていないのでお気になさらず♪」

「おい! 人が肉噛んだ瞬間にそういう冗談はやめろ!」

「すみません……」私が盛大に噴出したミートパイの欠片をなんとも言えない表情でグロリアが掃除した。私は悪くない。

「小粋なジョークなつもりだったんですけど、人間って難しいですね」

「どう考えても今のは君個人のユーモアのクソさによるものだ」

「ひ、ひどい」

「……まったく。平和ボケした吸血鬼など、初めて見たぞ」

「そうですか? 案外、みんな綺麗に隠れてるんだと思いますよ」

「ふざけるな」私は鼻で笑った。

「人を襲わずにいられる吸血鬼などいない。……白状したらどうだ。このミートパイは無実でも、君は人の生き血を啜っているだろう」


 グロリアは無言だったが、やがてため息をついた。


「あーあ。バレちゃったか。じゃ、死んでもらうしかないですね」

「頼む、この通りだ。命だけは見逃してくれ!」

「嘘ですよーう」


 平蜘蛛のように這いつくばった私を、人間という枠を超えた哀れみでグロリアが見下ろしてきた。


「だからそういう冗談はやめろ!」

「す、すみません……」

「なんなんだ君は。私を怖がらせてどうしようっていうんだ」

「面白いのは確かです」

「このアマ……」

「ふふふ……」


 グロリアは額から三角巾を外してエプロンを外した。そうしてみると、高貴な血を連想させる金髪以外は、育ちのいい宿屋の娘ぐらいにしか見えない。年齢は十六、七あたりに見えるが、実際は数百年近く生きていてもおかしくはないだろう。


「それより、質問に答えろ。血はどうやって手に入れているんだ」

「冷蔵庫」

「は?」

「見てみればわかりますよ」


 私はおそるおそる、グロリアに背中を見せないように移動しながら、冷蔵庫に辿り着いた。何年か前に首都の研究者――まァ他人行儀に言わずとも、私の友人なのだが――が気化冷凍法の研究のついでに開発したものだ。こんな僻地にも普及しているとは。

 扉を開けてみると、中にはビン詰めの牛乳が並んでいた。ただし、それは上段だけ。

 下段には、『赤い牛乳』が入っていた。


「おえっ……」

「えっ、うそ。ここはそんなスプラッターではないはず」

「私は血が苦手なんだ」

「それでも男ですか!」なぜか怒られた。

「そんなんじゃ奥さんの出産に立ち会えませんよ」

「殺すぞ独身だ。……つまり、こういうことか」


 私は窓の外に広がる静かな農村を見つめた。


「住民から『税』として徴収している、んだな」

「うーん。そういうと支配者っぽくなっちゃいますけど。一応、話し合って決めてるんですよ、量とか。もちろん死ぬまで抜いたりしませんし」

「そんなことはわかっている」

「……ありがとう」ちょっと微笑み、

「血って、便利なんですよね。抜いておけば誰かが大怪我したときにすぐ輸血できるし、私達が吸えば本人の健康状態とかもわかります。大病になる前にお医者さんに連れて行くこともできるし。言い訳するみたいですけど、役には立ってるとは思いますよ」

「それでも、欲しいと思った量を満たされなければ、『餓える』だろう」

「……見たこと、あります?」

「一度だけ。もう見たくない」

「ああ……そうでしょうね。私達も、好きで『ああ』なるわけじゃないんです」


 グロリアは窓を開けた。

 惨劇の気配などしない。


「確かに、嘘をついていますよ。綺麗事を並べて、人間から血を集めてるんです。それが足りなければ、多めに出してもらうこともあります。それでも、今まで、一人の犠牲者も出さずに来れた」

「ここでは、だろう」


 私は少女の背中に問いかけた。


「わかり、ますか」

「人を噛んだことがある吸血鬼は、君と同じ表情をする。生まれたばかりの小鬼は、もう少し、世界を優しい目で眺めているものだ」

「……そうですね」


 グロリアは振り返った。そして、どこに隠していたのか、銀色に輝く短刀を取り出すと、私の座る食卓に放った。


「どうします。狩りますか、私を。あなたは一応、この悪魔の村を見つけた、人間ですよ」

「ふん」


 私は小刀を台所の流しに投げ込んだ。


「私は記者だ。ハンターではない」

「ねぇちょっと、そんなとこ投げたら錆びるんですけど?」

「……すまん」


 私はいそいそと洗い桶に沈んだグロリアのナイフを拾った。布巾で拭いておく。


「銀って錆びるのか? まァそれはともかく……グロリア」

「はい」

「私は記者だ。だから、君には取材をする。それに答えてくれれば、なんの不満もない」

「わあ、すごい。コロロさん、いまかなりちゃんとした人っぽいですよ!」

「茶化すな。もっと褒めろ」

「なに言ってんですか。もう……」


 ため息をつき、


「で、聞きたいことって? これまでの経緯ですか? それともどうやって外部から身を隠しているか? 本当に村人たちは納得しているのかとか、ここみたいな村が他にあるのか、交流はあるのか……」


 ぺらぺら候補を上げ続けるグロリアを手で制して、私は尋ねた。






「自分のことが、好きか?」






 その問いはグロリアにとって、無音の衝撃を与えたらしい。

 与えると理解していて言ったのだが。

 しばらく黙った後、吸血鬼の少女は私を見た。


「それ、吸血鬼に対して、いつも言ってます?」

「これしか聞かない」

「そうですか……」ちょっと考え、

「もう二度と聞かない方がいい、ってアドバイスしようと思ったけど……それも、逃げてるだけなのかもしれませんね」


 グロリアは、向日葵のように笑った。


「嫌いですよ、とても」

「……それは、自分が吸血鬼だからか?」

「そうです。自分が、血を吸う怪物だからです」

「なら、この村をどう思う」

「人には」


 グロリアは扉から外へ出ていった。私もそれに続く。

 遠く、村の果ての丘の上で風車が回っており、そこの根本で隻腕の老人が日向ぼっこをして休んでいた。よく見れば脇に古い剣が立てかけてあり、見回りの任務を与えられているのかもしれない。グロリアは、どちらかといえばその方角を見ながら、言った。


「人には、歪に見えるかもしれません。こんな村、おかしいって。ありえるわけがないって。人間と吸血鬼が共存できる場所……結局、それは吸血鬼の支配を変形させているだけなのかもしれません。この村にもハンターはいるけど、だからといって餓えれば人を噛む私たちと人間がそれだけで対等かといえば、違います」

「そうだな。人間は君を恐れるだろう。どこまでいっても、それは消えない」

「ええ……でも」


 風が吹き、草原が気持ちよさげにそよぐ。

 悪魔の少女に太陽が、なんの区別もなく降り注ぐ。


「それでも、どんなに自分が憎くても、生まれが呪わしく思えても……私は、この場所を誇りに思います。ここが自分にとって大切だと、実感できます。だから……何があっても、私はここを守る。守り続ける。本当に滅ぶいつかまで……」

「グロリア」

「なんです」

「足元」


 ん、と少女が足元を見ると、フレアに広がったスカートがごそごそ蠢いていた。それだけで瞬時に何かを悟ったグロリアが「ゴッ」と何かを蹴るとスカートの裾からコロコロと四歳くらいの鼻垂れ小僧が転がり出てきた。受け身を取って立ち上がり、私とグロリアの冷たい視線を浴びると「へへっ」と老獪なスケベ爺ぃのような下品極まりない微笑を残すといそいそと立ち去ろうとしたが大股に歩み寄ったグロリアの下段蹴りが尻とおそらくその前方にあるとても大事な場所を直撃し、この世のものとは思えぬ絶叫を上げながら傾斜した草原を転がっていき、やがて見えなくなった。

 すう、とグロリアは息を吸い込み、それから風車を見上げ、


「何があっても、私はここを守る。ここが、私の居場所だから!」

「すまないが、グロリア。もうたぶんその雰囲気に戻るのは不可能だ」

「人にはどう思われても、私にとってはここが……」

「グロリア! あきらめろ!」

「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!」


 見せ場が、私の一生涯で最大級の見せ場が、とその場に跪き慟哭する吸血鬼に、私は何も言えないのであった。

 あの小僧、なかなか見どころがあるな。私にも悟られずに近寄るとは。




 ○



「本当に、もう行っちゃうんですか」


 荷物をまとめた私を、グロリアと、幾人かの村人たちが見送りに来た。滞在しているときに仲良くなったメンツで、人間もいれば吸血鬼もいる。みな、カード勝負で圧倒的弱さを誇る私を逃したくないのか、泣きながら行かないでと懇願してくるオヤジもいた。クソが、私からむしった金と古本で新鮮なリンゴでも仕入れるがいい。


「私は記者だ。次の記事が私を待っている」

「かっこよくない……」

「おい、それは個人的に私に偏見を持っているからであって、私の発言そのものはカッコイイはずだ。訂正しろ」

「かっこよくない……」

「壊れた機械か! ちゃんと褒めろ!」

「ふふっ……あははははは!」


 グロリアが笑い出し、果物屋のオヤジがスケベ小僧に慰められようやく泣き止む。

 目元を拭って、吸血鬼の姫は言った。


「とても、とても楽しかったです。コロロさん。こんなに笑ったのは久しぶりでした」

「私もこんなに人様に笑われまくった日々は人生でも多くない」

「またいつでも来てください。歓迎します。人肉のミートパイで」

「ふん、またその顔面をパイだらけにしてやる。よだれまみれでな」


 私は嫌がらせかと疑いたくなるほど貧相な貸出の馬に鞭を入れた。颯爽と立ち去りたかったのにトコトコと馬はお散歩を始める。


「くそっ! 世界はこんなにも思い通りにならない!」

「まぁまぁ。ゆっくりいけばいいじゃないですか。時間はみんなの味方です」

「ふん」


 ようやく声も届くかという距離まで進んでから振り返ると、飽きもせずに全員がまだ私を見ていた。暇なのか、あの連中。少しは田畑を耕せと言いたい。私は息を吸い込み、叫んだ。


「おい!」

「なーんでーすーかー?」


 グロリアが両手を拡声器にして聞いてきた。

 私は、ぐっと親指を立ててみせた。



「いい村だぞ!」







 もう一度、鞭を入れると、今度は思い出したように、駄馬が思い切り走り出したから、グロリアがなんと答えたのか、私には聞こえなかった。









 それでもあの笑顔だけは、あれから何年も経った今でも、なんとか思い出している。


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