第17話 花見(2)
最初のビールは、染みる。
俺がビールの美味さの余韻に浸る間、丹波が乾きものと菓子類の袋を解放していく。こういうところ、やっぱ家庭的だよなと思う。自律的な生活を送る丹波は、こういう集まりでも率先して仕切るのか。
「っぷはあ~! やっぱエビスうめえ~!」
「金山先輩、さきいか食べます?」
「お、いいの佳乃子ちゃん? サンキュ~」
金山は既に佳乃子を名前で呼ぶチャラさを遺憾なく発揮している。それに対して佳乃子も嫌な顔をしていないし、チャラ男ってこういう感じで相手の懐に飛び込むのが上手いんだなあと思う。彼が営業をやれば将来、大成するのではなかろうか。
「彩音ちゃん、こんにちは」
「丹波先輩、こんにちは」
「大学はどう? 楽しい?」
「まだ始まったばかりなんですけど……今は楽しい、と思います。この大学に入ってよかったって」
「そ。よかった」
丹波は松川に同学部のよしみで話しかけており、松川もジュースをちびちびと飲みながら楽しそうに話している。普段表情が固い彼女だが、多分、楽しいんだと思う。
こうしてみると、改めて彼ら彼女らは眩しいな、と思う。
別にひがみでもなんでもない、ただの感想だ。金山は見た目に反して成績は優秀、単位も落としていないという。それにフットサルサークルの部長で彼女持ち。
丹波も同じく成績優秀、学業にサークルにバイトにとせわしない日々を送っているが、充実感は高いのだろう。それに美人で巨乳だ。
松川も美人でサッカーもやってて、これからは夢のキャンパスライフが始まる。佳乃子も同じだ。主体的に行動して、サークルも何個も回っている。
主に外見によって眩しいと言っている感があるが、美男美女が集まればそりゃ輝くというものだろう。現にブルーシートのそばを通る人たちがちらちらと見ている。
そんな傍から見ても美男美女たちの結節点に俺がいて、俺がいなければ今日この集まりが実現しなかったというのもなんだか不思議な感じだ。客観的に見ても俺は平々凡々な庶民である。教室にいれば二軍、サークルに入ればたまに飲み会に来る程度の空気感、成績はギリギリ落第しない程度に単位を拾う。
多分、それは神が気まぐれに起こした奇跡のようなものだ。
そして、俺の人生においては今後、決して起こりえないものだろう。
願わくば、彼ら彼女らの人生に、俺がいた痕跡をとどめてほしいものだ。
手に持っていた缶ビールが空になった。
「もう無くなったか」
「真治君早いね~。二本目飲む?」
「そうだなあ。いや、日本酒飲むか。丹波」
「はいはい」
松川と話し込んでいた丹波に声をかけると、買い物袋から一ノ蔵純米吟醸酒の四合瓶が現れる。
「お、一ノ蔵か。いいね」
「あんた好きだったでしょ? 感謝しなさい」
「ありがたき幸せ」
紙コップを取り出すと、丹波が開栓して注いでくれる。
「丹波も飲もう」
「じゃあ、せっかくだし頂こうかな」
今度は丹波の差し出したコップに俺が注いで、乾杯とばかりにコップ同士をぶつける。口をつけ、半分ほど注ぎ込む。
スッキリとしたキレの後に、日本酒の味が吹き込んでくる。
正直日本酒の良し悪しは分からないが、美味いものは美味い。
さきいかをつまみ、口に入れて噛む。イカの味とお酢っぽい酸味が広がり、これまた美味い。日本酒が進むな。
「美味しそうに飲むわねえ」
そんなことを言う丹波も、日本酒をちびちびやって嬉しそうにしている。顔がほんのり赤い。
「美味いよ、美味い。やっぱり俺、酒があれば生きていけるなあ」
「何言ってるんですか尾崎先輩は……」
「いや、尾崎さんってこんな感じだからね。あんま普段飲まないけど、飲む時めちゃくちゃ飲むから」
松川と金山が何か言っているが、きっとどうでもいい内容だろう。
「それより金山、お前も飲め」
「え~、まだビール残ってて……」
「いいから飲めって、せっかくの機会なんだから」
「……じゃあ、いただきますかね」
誓って言うが、これはアルハラではない。金山は俺がこういう人間であることを知ったうえで付き合っているのだ。
「金山は酒強いもんなあ」
「へえ~そうなんですか」
「またテキトーなこと言って……。あ、それくらいで大丈夫です」
と言って一口飲み、
「あ、美味いなこれ」
「だろう? やっぱり『えびがわ』で出されるような安い日本酒とは品質が違うんだよな」
「俺、酒って付き合いでしか飲まないんすけど……ちょっといいですね」
「お、いいね。俺も日本酒開拓したいんだよな」
意外と話の分かる奴。これも金山だ。
「お酒ってそんなに美味しいんですか?」
松川が話に入ってくる。
「美味いよ。彩音ちゃんも飲む?」
「おい、未成年に酒を進めるな」
「かたいなあ~尾崎さんは。普段ちゃらんぽらんなのにそういうとこ変に律儀ですよね~」
「俺は法学部だ。法学部生たるものルールは守らないといかんだろ」
「私もお酒は20歳になってからって決めてるので……すみません」
「あ、そうなの?」
松川が申し訳なさそうに頭を下げる。
「謝る必要はないんだ、松川。むしろこのチャラ男をぶん殴ってやらないと」
「暴力反対!」
ケラケラ笑いながら、金山がコップを持ったまま逃げ回る。
おいおい、酔ってるのに危ないだろう。
と、俺が思う間もなく、丹波のリュックサックに金山がつまずき、
「あ、」
盛大にずっこける。当然、コップの中の酒もぶちまけられ、丹波と佳乃子の服に引っかかった。
「……!」
真っ青になる金山。
「言わんこっちゃない。タオルあったかな……」
「ちょ、それわたしの私物カバンだから!」
慌てた佳乃子にカバンをまさぐる手をとめられる。俺も酔いが回り始めてるのかもしれない。そんな彼女の服にはぱっと見で分かるほどのシミができている。
「結構濡れたなあ。いったん家に帰るか?」
「あ。それなら私の家が近くにあるから、シャワー貸すわよ。服もあるし」
俺の提案にそう答えたのは、丹波だった。そういえばコイツはこのあたりに住んでいたっけ。うちの大学生でこっち側に住んでいる人はあまりいない。
「でもそんな、ちょっと濡れただけですから――」
「いいのいいの! ちょうど人も増えてきたことだから、ウチで二次会といこうよ!」
辺りを見回すと、確かに老若男女を問わず人でごった返している。家族連れがブルーシートで静かに花見を楽しんでいるかと思えば、あちらではネクタイを頭に巻いたコテコテの酔っ払いが謎の踊りを踊っていたりする。気づかぬうちにこんなにも人が増えていたのか。
そんなことにも気づかないほど、俺はこの花見を楽しんでいたようだ。
「本当にすみません……」
「いいってば。わざとじゃないんでしょ?」
分かりやすく落ち込んでいる金山を励ます丹波。彼女の姉御肌っぷりが遺憾なく発揮されている。
「尾崎もそれでいい? シケた面して無言で飲んでばっかじゃなくてさ」
「んあ?」
急に聞かれたので情けない声が出る。
「花見は切り上げてウチで二次会しない? って話してたんだけど」
「あ~、まあ佳乃子と丹波も濡れちまったしなあ。行くか」
そんなわけで、これから丹波の家で二次会という運びになった。
* * *
丹波の家に来るのはこの前の飲み会ぶりだから、結構最近ということになる。
10畳のワンルームは一目で掃除が行き渡っていると分かるほど綺麗にされている。南向きに取り付けられたベランダの窓から降り注ぐ日光によって部屋の中は十分すぎるほど明るい。
「お風呂こっちだから、佳乃子ちゃん先に入っていいよ」
「あ、はーい」
と言って、佳乃子が洗面所へ消えていく。
「ソファお借りしま~す」
と言って金山がプラスチック袋を下ろし、中に入っているジュースや軽食などを透明なテーブルの上に並べる。その様子を見ながら手に持っていた一ノ蔵を飲んでいると、
「尾崎先輩も見てないで手伝ったらどうですか?」
と松川に言われる。
「一人でできるだろ」
「そういう問題じゃないですよ。こういうのは手伝うという気持ちが大事なんです」
などと言いつつ、金山はもう一人であらかた荷物の整理を終えている。
「とりあえず飲むか。っとと……」
足元が少しふらつく。自分でも気づかないうちに酔ったのかもしれない。
「なあに尾崎、あんた酔っぱらったの?」
「酔ってない、断じて」
「とか言ってさあ、顔真っ赤になってるよ?」
「マジで?」
言われて顔に手を当てる。心なしか熱いが、赤くなっているかどうかは無論分からない。
「嘘嘘。あんた顔に出ないタイプじゃん」
「俺ってあんま顔に出ないか?」
「うん。気づかないうちに潰れるタイプだねきっと」
「あ、それ分かります」
俺と丹波の会話に金山が入ってくる。
「去年の10月くらいにエスペランサで飲んだ時も、尾崎さん一人で日本酒飲みまくって潰れた時も全然その気配なかったですからね」
「そうなの尾崎?」
「そうだったかなあ」
わざとらしく顎に手を当てるが、ばっちり覚えている。あの時はもう手当たり次第に先輩後輩関係なくダル絡みして、ひどく反省した覚えがある。
その話を聞いてニヤニヤする丹波。なんだかしてやられた気分になってムッとする。少し仕返ししてやろう。
「んなこと言ってる丹波も酔うと面白いよなあ。キャラ全然違うし」
「なっ!」
「普段の真面目キャラからイマイチ面白くないお調子者キャラになるからな~」
「えっ、丹波さんそういう感じなんすか?」
今度は丹波の顔が赤くなっていく。
「そうそう。この前飲んだ時もコイツべろんべろんに酔っぱらってさ~。家に運んでくるまで大変だったんだよマジで」
「真治君何その話? わたし聞いてないよ」
不意に背後から、マジトーンの佳乃子の声が聞こえてきた。
大学三年生、一つ屋根の下で美少女と暮らすことになる 黒桐 @shibusawa9113
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