第13話 飲み会(3)

 店を出て、深夜へと向かうネオン街の中を歩く。入る前よりもいっそうの酔っぱらいや客引きがうろついている。平日だろうが休日だろうが変わらないんじゃないか、これ? 国分町という魔物の姿を垣間見ている気分になる。そうして俺たちは、その魔物の胎内にいる。


「おい、しっかりしろ」


 相変わらず丹波の脚はふらついている。喋っている感じ、こちらの言うことは分かるようだが……。


「う~ん。ダイジョブダイジョブ。えへへ」


 なぜかだらしない笑顔を浮かべる。今まで見たことのない酔いっぷりだ。それくらい、進路について悩んでいたということだろうか。

 いや、それだけじゃないかもな。


「とりあえずコンビニ入るぞ。お前の家、酒とかあんの?」

「えーっと……発泡酒ならあった気がするう……」


 小首をかしげながら言う。

 発泡酒か。金麦とかグリーンラベルとか、生ビールでなくとも旨いものはいっぱいある。

 が、やはり今日は生ビールを飲みたい気分だ。何を隠そう、俺だって久々の飲酒だったのだ。ならば、ビールぐらい旨いものを飲みたい。日本酒やワインは流石に貧乏学生には手が出せないが、プレモルやエビスならば、ちょっと財布のひもを緩めれば買える。

 幸い、春期講習のバイトで多少余裕はあるので、俺の腹はすぐに決まった。


「俺はビールが飲みたい」

「あ、私もー」


 ビシイ、っと手を挙げた。挙げなくても分かるが。


「分かったよ、おごってやる」

「ほんとお? 太っ腹ー!」


 背中をビシバシ叩かれる。


「やめろ、酔っぱらい」

「酔ってないもーん」


 酔っぱらいは皆そう言う。これはマジ。

 自動ドアをくぐってコンビニへ入る。そのまま酒のコーナーへ直進すると、途中にある日本酒や焼酎のコーナーで、丹波がおもむろにいいちこのパックをカゴに入れ始めたので、チョップで制裁を加えた。

 ぶつくさ言う丹波を引きずって飲料水のコーナーへ行き、冷えた金色の缶ビール500ミリリットルを2本カゴに入れ、引き返してつまみを探す。


「何がいいかな」

「家にピーナッツならあるよ」

「うーん……一応、ポテチも買っておくか」


 本当はサラミやビーフジャーキーを買いたいところだが、それは俺の中で忘年会レベルの贅沢になるのでやめておく。

 レジへ行き、外国人のコンビニ店員に商品を渡す。


「839円です」

「カードで」

「かしこまりました」


 流ちょうな日本語である。俺はこんな風に英語は使えない。

 商品を受け取り、ショーケースのアイスを眺めていた丹波を連れて外へ出る。

 さて、丹波の家に行かねば。と言っても、俺、こいつの家がどこにあるのか分からないんだよな。


「なあ、お前の家どこ?」

「川内」

「マジか。俺ん家と近いじゃん」

「あれ、あんた八幡じゃなかったっけ」


 ……しまった。墓穴を掘った。俺はこいつに、引っ越したことを報告していない。理由はもちろん、佳乃子と同棲していることを知られたくないからだ。


「いろいろあってな」

「いろいろってなあに?」

「いろいろだよ」

「……ふーん」


 それ以上追及する気はないようだ。

 よかった、丹波が酔っぱらってて。俺も気をつけねばならない。


「じゃあ、地下鉄乗ってくか」

「うん」




 地下鉄東西線青葉通一番町駅から八木山動物公園行の列車に乗って3駅行くと、川内駅に着く。前も言ったが、およそ3キロで200円。少々高い。が、酔っぱらいにはやはりありがたいものだ。


「おい、大丈夫か」

「……うん。ちょっと酔い覚めたかも」


 言葉の通り、さっきよりは顔も引き締まっているし、目の焦点が合ってない、なんていうこともない。


「歩いてどれくらいだ?」

「5分かからない」


 丹波を前にして歩く。時折、木枯らしが吹いては俺の背中をぞくりと撫でた。


「うわ、さむっ……」

「まだ4月中旬だからね」


 そう言う丹波は寒そうでもなんでもない。まだまだアルコールが抜けてないのだろう。身体もまだふわふわしているらしい。

 ついでに言うと、仙台市の春は昼夜のみならず日ごとの気温差も大きいので、昨日はパーカーを着ると暑い、今日は薄手のシャツを着ると凍える、なんてことがしょっちゅうある。なんとかしてほしい。

 少し言って左手の坂を昇る。その中腹くらいで丹波は左折して、白いアパートの一階の奥の玄関で止まった。それからポケットに手を突っ込んで、ややもたついてからカギを取り出し、ドアノブに差し込む。ひねって引く。


「散らかってるけど」

「気にしないから。お邪魔します」


 狭い玄関で靴を脱いで、上がる。右手にキッチン、左手には洗濯機とトイレと風呂場がある。

 直進してドアを開けると、俺の家よりも広い一間が現れた。

 散らかっているとは言っていたがそうでもない。衣類や教科書の類もあるべき場所に収まっているし、普段から清潔感には気を遣っているのだろう。右に机、中央にこじんまりとしたテーブルが置かれ、左側にベッドが寝ころんでいる。


「……じろじろ見ないでよ」

「ああ、悪い」


 しっかりしてんなあ、としばらく感心していた。

 俺がテーブルの前に座ると、丹波は俺に向かい合うようにしてベッドに腰かけた。「ああ~」とかオッサンみたいな声をあげながら、ポニーテールにまとめられていた髪を下ろす。そうしてストーブをつけ、テレビの電源を入れた。知らないバラエティ番組で知らない芸能人が喋っている。


「誰だ、これ」

「あんた知らないの? この前キングオブコントで優勝したじゃん」

「観てないから分かんね」

「呆れた……」


 と言われても、テレビがないから観れないのだ。

 コンビニ袋をテーブルに置く。そこからエビスビールの缶を取り出し、丹波に渡す。プルタブを開ける。カシュッという爽快な音が響く。


「じゃ、乾杯」

「かんぱ~い」


 若干上機嫌で、丹波が応じる。


「それにしても、お前がそこまで酔うなんて珍しいな。今までだって何回か一緒に飲んだけど、頑なに飲まなかったし」

「人は変わるのよ」

「まあ、変わるか」

「あんただって、昔と今じゃあ違うでしょ。……そうだ、昔の話、聞かせてよ。私知らないし」

「やだよ」

「いいじゃん、酒のつまみに」

「うーん……いいけど、つまんないぞ」

「いいって」

「高校時代は別に今と変わらなかったな。いわゆるオタク趣味にハマっていたころだったから、そこが違うけど」


 今だって漫画は読むが、さほどの情熱は持っていない。むしろあの頃のほうが人間として輝いていたかもしれない。


「ふーん」

「部活はサッカー部だったし、勉強はそこそこ頑張ってたな」

「恋愛は?」

「しようと思わなかった」

「つまんなーい」

「人の人生をつまらないとか言うなよ……」

「ただの優等生じゃん」

「……そうかもな」


 そこまでは言えないだろうけど。


「中学は?」

「中学もサッカー部だった。今よりはテンション高かったな」

「あるある。中学の男子って、なんであんな馬鹿みたいにうるさいんだろ」

「言えてる」


 視線が合う。

 微笑みあう。


「勉強はできなかったけど、塾に行ってなんとか成績上げて高校入ったな」

「あー、私も」

「マジで? お前、ずっと勉強頑張ってるイメージだったけど」

「んなわけないでしょ。高校から頑張ったの」

「俺と似たようなもんか」

「一緒にされるとちょっとむかつく」

「おい」

「あはは、冗談」


 だいぶゴキゲンのようだ。気を紛らわせたのだろう。俺もビールがぐいぐい進む。


「尾崎って結構つまんない人生送ってきたんだね」

「おい」


 本日二度目の「おい」。


「でもなんか納得。今の尾崎っぽいし」

「そうか?」


 そう言われればそうとも思える。だらだらと、なあなあで生きる性格の俺は、そんなつまらない人生によってできたのかもしれない。


「丹波はどうなんだよ」

「私? 私は高校時代は普通だったよ。そうだ、卒アル見る?」

「え、あるの?」

「当たり前じゃん。一年の時みんなで見せ合うでしょ」


 そんな儀式知らない。もしかして俺だけか?

 悲しみに暮れる俺を後目しりめに、丹波は押入れをごそごそやってから、緑色に装幀そうていされたアルバムを取り出した。


「えーっと……」


 ぱらぱらとめくってから、


「あ、これこれ。これが私」


 そう言って指さしたのは、赤い眼鏡をかけた、つり目がちの気の強そうな少女の写真だった。下には『丹波 愛』と黒い明朝体で書かれている。


「へえ、なんか若干雰囲気違うな」

「イメチェンしたからね」


 ふふん、と茶色く染められた髪を撫でる。

 イメチェン、か。

 あまり意識したことが無かった。俺もたまに整髪料をつけて最低限の身だしなみを意識することはあるが、染髪などはしようとすら思わなかった。おそらく、俺の高校時代のアルバムを見ても、あまり変わっていないことだろう。いや、中学時代からすでにこんな見てくれかもしれない。……それはないか。

 人は変わる。そのいい例が、目の前にいる。


「どうなんだ? イメチェンしてみて」

「よかったと思う。人生もっと楽しくなったし」

「それはよかったな」

「あんたはしないの?」

「今からは遅いだろ」

「遅くないって。尾崎だって変われるかもよ?」

「変わる、かあ……」


 正直言えば、あまり変わりたいと思わない。俺は今の俺が嫌いじゃないし、一生ここに安住してしまおうとすら思っている。


「モテるかも」

「俺がそういうのに興味ないのは知ってるだろ」

「そうだった」


 あはは、と笑う。また酔い始めたのか、顔がほんのり赤い。手元を見ると、500ミリのビールが早くも空になっていた。俺が席を立って冷蔵庫から発泡酒を持ってくると、丹波は「ありがと」と言って受け取り、一口飲んだ。「ぷはあ」と息を吐いた。


「でも恋愛しないなんて、もったいないじゃん」

「そうか? 俺は今のままで一番いいと思ってるけど」

「だめだめ、恋も学生の義務」

「……そういえば、お前彼氏いたよな。一個上の」

「うん」


 名前は忘れたが、同じ学部の4年生だったはずだ。前に一度紹介されたとき、サークルで知り合ったとか言っていた気がする。


「やっぱ楽しいの、それ?」

「楽しくなかった」

「は?」


 意表を突かれた。


「いや、お前今さっき『恋はすべき』って言ってたじゃん」

「でもあの人、なんかつまんなかったのよ、話が。一緒にいて楽しくなかったっていうか」

「じゃあ、しなくてもいいんじゃ――」

「それとこれとは別!」


 ぴしゃりと人差し指を立てる。


「恋は楽しい! 私が言うんだから間違いない」

「なんだよその自信……」

「なによ、その目。信じてない」


 ずい、と顔を突き出される。不機嫌な顔だ。


「そりゃあ言葉で説明されてもなあ」

「じゃあ実際にやってみなさいよ」

「相手いないし――」


「じゃあ、私と付き合う?」

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