造反 (4)

 カシホはため息をついた。


 厄介な邪魔者連中を一秒でも早く送り返してしまえ。という思惑が、ギズからもマオルーンからも透けて見えたからだ。


「そういえば、マオルーン教官。わたしが持って下りるべき資料はありますか? 先に塔師局に知らせておきたいこととか」


 場の雰囲気を変えようとせめて笑顔を向けてみるが、返ってくるのは素気無い返事。


「ないよ。全員無事に下りられればそれでいい」


「そうですね、はい……」


 マオルーンは学者達をせかした。


「時間です。こういうのは一度足がすくむと飛び出すまでに長い時間がかかります。十秒以内に自分の足で飛べなければ、俺が手伝います」


 一人ずつ順番に縄梯子を登り、大きく広げた隙間窓から、向こう側の虚空へと飛び降りる。やるべきことは計画書に書かれ、似た状況下で訓練も終えている。しかし、いざ隙間窓から上半身を出した先頭の男は、悲鳴を上げた。


「なんだここは……空が黒いぞ。見上げたら青空が見えるのに、下は黒い空しか見えない。地上なんかどこにも見えないぞ」


 「ご安心ください。そういうものです」と、マオルーンは無感情に応えた。


「おそらく、空気になんらかの粒子が多く含まれるのでしょう。雨雲の中にいるのと似た状態なのだと思います。大丈夫、飛び降りて数秒数えれば、あなた方が下降訓練をおこなったのと同じような空の上に出ますから。――そろそろ押しましょうか」


 男は「やめてくれ、押さないでくれ!」と死に物狂いの悲鳴を上げて窓枠にしがみつくが、マオルーンは手を緩めない。


「地上が見えたら落下傘を開いてください。訓練通りです。我々は観光案内人じゃないんです。自分のことくらい自分でやっていただけませんかね」


 「いきますよ、そら」と、結局男は、窓の向こうへと放り投げられてしまう。


 一人目に続き二人目も放り出されることになったが、カシホは背筋が寒くなった。悲鳴を上げて窓枠にしがみつく男を次々と窓の向こう側に放り出していく様は、冷酷な死刑執行人にも見えて、はたから見ると多少震えるものがある。


 三人目は、考古学者のドナル。ジェラ族出身で、一番体力に余裕があった彼は、サスを背負って飛び降りることになった。


「サスの容態とあなたが運ぶことは通信で伝えたので、先に降下した連中を見つけた監視隊があなたの着地を補助するはずです。落下傘も二人までなら対応可能です」


「ありがとう、マオルーン塔師、ギズ塔師、カシホ塔師」


 ぐったりとしたサスの身体を胴にくくりつけて飛び下りていったドナルに続いたのは、イーシャル。


「あなたは元気そうだ。時間をかけずに下りて、ドナルとサスを補助してあげてください」


「言われなくても」


 イーシャルは、塔師の誰からも世話を焼かれるものかとばかりにみずから脱出口から飛び出していく。


 最後は、隊長のアボット教授。


「塔師諸君、お世話になりました。どうかご無事で。カシホさん、あなたにはもう少しご面倒をかけますが、よろしく頼みますよ」


「はい。すぐに追いかけます」


 学術調査隊の脱出を最後尾から見守るのは、カシホに与えられた任務だ。アボットがみずからの足で飛び出していくと、カシホも縄梯子に手をかけた。


「すぐに飛ばなきゃいけないから、手短に挨拶します。お世話になりました、マオルーン教官、ギズ教官。どうかご無事で」


 ギズとマオルーンを交互に見て、丁寧に頭を下げる。でも、マオルーンもギズも無言のまま、表情も変えない。挨拶を返すどころか、マオルーンは手作業を始めた。降下の補助をするのにマオルーンは縄梯子の上にいたが、脱出口を固定した器具を外し始める。もともとあった隙間を広げるための器具で、外されると、人がくぐれる大きさがあった隙間がもとの小窓に戻る。頭も通せない小さな窓だ。


「マオルーン教官? どうして外すん……」


 見上げていると、「梯子から手を放せ」という声が降ってくる。


「俺が降りられない。どけ、カシホ」


「でも」


 カシホはこれから孤塔を降りるはずだ。下塔するためには、今手をかけている縄梯子を登り、脱出口から飛び出していかなければいけない。でも、その穴はマオルーンの手で消されてしまい、縄梯子からも離れろと言う。


 いったい、なぜ。動揺を伝えようとじっと見上げるが、マオルーンは無言のまま縄梯子を下りてくる。場所を譲らないとぶつかってしまうので仕方なく避けるが、梯子を下りきってしまうと、マオルーンは縄梯子も片付けようとした。


 意図には感づいた。マオルーンは学術調査隊の引率役を放棄させようとしていた。でも、理由がわからない。


「マオルーン教官」


 呼ぶと、目が合う。でも、すぐに逸れる。マオルーンの目はカシホを通り越して、さらに背後を向いた。


「前にした話の続きだが、これが俺の答えだ。おまえの答えは?」


 マオルーンの目線を追って振り返ると、渋顔をしたギズがいる。いつからその顔をしていたのか、耳の上の黒髪をガリガリと掻いていた。


「カシホ、下塔を許可しない。残れ」


 カシホは驚いた。なにより事情がつかめない。


「どういうことですか。理由を説明してください。それに――早く下りないとアボットさん達を見失います。間に合わなくなります。この間にもしも学者さん達に何か起きたら――」


「何か起きたとしても、下塔時にはなんの手助けもできない。もし途中で誰かが死んだとしても『あいつがこうこうこういうわけで死にました』と報告するだけだ」


「死ぬって――ギズ教官」


 「説明するから聞け」と、マオルーンも言った。


「カシホ、おまえへの特別任務だ。研修期間の延長を通達する。俺達が脱出するまで同行して、孤塔のことを学べ。おそらくここが世界で最高難度の孤塔で、ギズが参加するこの回の調査が、史上最高の成果を残すはずだ」


「研修の延長? でも」


「ウースー局長から、俺は別の命令を受けている。おまえを一人前にすることだ。俺もギズに並ぶ同志が欲しい。残って、学んで帰れ」


「学ぶ? 学びますよ、これからもずっと。でも今は学者さん達の引率が――アボットさん達は後から飛び降りるわたしを信じて降りたんですよ?」


「『塔師がついている』と安心して、彼らは脱出できた。役目は果たした。放っておけばいい」


「でも! 万が一途中で何かあって誰かが――もしかしたら全員が行方不明になったりしたらどう責任をとるんですか!」


「全員ならむしろ好都合だ。失踪の理由を捏造できる」


「マオルーン教官……」


 カシホはぞっとした。マオルーンは温厚で面倒見の良い男だと思っていたが――。見上げた先で、マオルーンがため息をついた。


「化け物を見るような顔をするな。いろいろあるんだ」


「いろいろって――」


「心配しなくとも、連中の無事なら後の通信で確認できる。ギズがいるんだから」


 「なあ、ギズ」と、マオルーンが呼びかける。ギズはさっきと同じ場所に、まったく同じ姿勢のままで居た。何かを考え込む風に気難しい顔をしていたが、ある時、じわりと顔を上げた。


「マオルーン。やっぱりカシホを地上に戻そう。おれ達二人でもどうにかなる」


 マオルーンが不機嫌に片眉をひそめる。


「今さら――」


 カシホも同じことを思った。「今さら」だ。


「なら、早く追いかけないと」


 脱出してから地上に着地するまでは、記録統計上では長くかかっても三分だ。任務を果たすなら、こんなふうに問答する暇など十秒も許されない。


 ふう――。マオルーンが腕組みをした。


「俺とギズで意見が分かれた。なら、カシホ。おまえが選べ。連中を追いかけて地上に戻るか、俺達と来るか」


「――それは、狡いです。今さら」


 カシホは怒った。酷い選択を迫られていると思った。


 最後に下りたアボットが脱出してから、すでに一分近く経っている。最初に飛び降りた男はすでに着地しているかもしれないし、急いで降りたくても、重力任せの落下速度はそこまで操作ができない。守りたい連中は、はるか彼方にいるはずだ。


「今から計画書通りに進めたとして、得られることはなんでしょうか。『塔師は計画通りに下りた』という既成事実を作るだけですか。『遅れました』といいわけをしに降りるだけですか。『新人だからうまくできませんでした』と言えばいいですか」


 言いながら、腹が立つ。選択肢があるように見えて一択じゃないか。


 睨むようにして、マオルーンを見上げた。


「今下りても、得られるものは表面上の体裁だけです。何かと天秤にかけてまで得るものではないと判断しました。必要がないなら、行く必要はありません。残ります」


 ふふっと、マオルーンが笑う。


「いい判断だ。実に塔師的な判断だ」


「持ち上げないでください」


 「何が塔師的判断ですか」と、かえって腹を立てた。


「それより、聞かせて下さい。わたしを残らせるのは塔師局の命令ですか、それともお二人の――ううん、マオルーン教官の個人的な希望ですか」


 虫の居所が悪かったので、声はとげとげしくなる。けれど、マオルーンの表情はかえって緩んだ。さっきまでの固い作り笑顔とは打って変わった微笑を浮かべて、縄梯子を片付ける手を再び動かし始めた。


「今は、俺の個人的な希望だ。だが、今に必ず塔師局全体の希望になる」


「マオルーン教官の勝手な希望なんですね。じゃあわたしは、マオルーン教官のわがままに付き合わされるということですか?」


「どうした。途端に口が悪くなったな」


 「お?」と目を丸くして、マオルーンは愉快げに笑った。カシホはからかわれたと思った。本気で責めているのに。ふてくされた。


「ここで下塔していたら実地研修は及第していましたか? だったら、この先もしも失敗しても及第点をいただきますからね?」


「甘いな。それはそれ、これはこれだ」


「じゃあ、残り損じゃないですか」


 唇を突き出した。ははっとマオルーンは声を出して笑った。


「俺も、おまえが実地研修を及第できないような足手まといなら引き止めていないよ。もともと、おまえを今回の隊に入れたのは俺とウースー局長だ。期待してた奴が期待通りだったから、もっと期待したくなったんだ。引き受けろよ」





 学者の無事を確認するがてら、カシホが残っていることを地上で待つ仲間へ伝えることになった。通信役はギズ。


「ギズは磁波の中から電波を探せるんだよ。俺には見分けがつかないし、原理もよくわからん。こう見えて器用な奴だよ」


 と、マオルーンはギズの才能を称えたが、通信役がギズだと、不安な面もつきまとう。歯に衣着せない物言いのせいで、すぐに喧嘩腰になるのだ。


「サスって奴がいただろう。そいつが磁場発生装置もどきを無断で持ち込んでたんだ。その装置が下塔前に起動されたせいでカシホが間に合わなかった。はあ? 何度も言わせんじゃねえよ。耳が遠いのか? この……」


 通信相手は塔師局長官のウースーだとか。塔師局の最高責任者だ。それなのに。


 カシホは何度も「私が代わりに話しましょうか」という言葉を飲み込んだ。ウースー長官とさほど面識もなく、塔師としての実績がない新米の自分でも、まだギズよりうまく話せる気がした。


「マオルーン。代われって。ウースーの奴、おれとは話ができねえって」


 通信機を手に、ギズが手招きをする。遠目から様子を眺めていたマオルーンは、カシホにぼそっと耳打ちした。


「ウースー局長はおまえが育つのが楽しみだろうな」


 愉快そうだった。上官の機嫌を損ねるギズを面白がっていると感じたのは、カシホの気のせいだろうか。


「代わりました、マオルーンです」


 地上との通信はギズのそばでしかできない。マオルーンは、ギズの身に寄り添うようにして通信機に耳を当てた。


「ええ。そうです。問題が起きました。サスという学者が無断で持ち込んだ機器が磁嵐を生み、内部で新たな孤塔を生成しようとしました。――ええ、驚くべき事態です。詳しくは学術調査隊から聞いてください。イーシャルという男がよく知っているはずです。あとは、サスの回復後に。ええ。サスの発作もその機械が原因ではないかと――はい。カシホですか。ええ、残っています」


 順調に報告が進み、話題がカシホのことに移った。


「磁嵐が起きた際、八度の磁波が発生しました。ええ、強い磁波です。俺もギズもカシホも、一般人を守らなければと疲労したのでしょうね。脱出口から降りる際に、カシホの荷物にロープを引っかけてしまったんです。凡ミスというやつです。それでカシホは転倒して、準備に手間取り、下塔の機会を逃しました」


 カシホは目をしばたかせた。マオルーンはカシホが引率役に就けなかったことの言い訳をしているが――。


ロープに引っかかって転んだって――)


 なんとも間抜けな理由だ。もう少しましな嘘が吐けないものだろうか。それに、要は「コケて間に合わなかった」と言われているが、いくら嘘でも「コケた奴」として自分のことを報告されるのはいい気分ではないものだ。


 やはりというか、通信相手のウースー局長には見抜かれたらしい。


「はい、そうです。言い訳です。塔師局としてもっとも差しさわりのない理由を局長のほうで付けていただければと――はい。俺の……いえ、俺とギズの希望です」


 マオルーンは唇を閉じて聞き役に回った。しばらくして、笑った。


「そうですね。はい。お任せください。カシホを育ててきます。俺にとっては、孤塔の破壊よりも重要な任務だと思っています」


 通信を終えると、マオルーンは、ウースーと話した内容を披露した。


「カシホを育てることは俺とギズの希望ですと言ったら『反乱だろ』と一蹴された。当たらずとも遠からず。だが、やっぱり違う。希望だよ」


 そして、肩の荷がいくらか下りたように笑った。

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