九階の砂漠 (2)

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 砂の上を走りながら、ギズは、リイトを案じていた。


(あいつのことを忘れてた。あいつはカシホとくっついてんだから、それをたどれば見つかるはずだが……)


 行く手には、黄色い砂の色をした地平線に重なるように、まるく盛り上がった緑の影が見えている。見渡す限り続いて見える砂の海の中に、ただ一つ、こんこんと湧く水源地――そのはずだ。もしもこの砂漠が、本当にジェ・ラーム砂海を模しているのなら。


緑地オアシスってことは、この階の水源はあそこだ。――間違いない。あいつの気配があるのもあっちのあたりだ)


 砂の上を走ると、一歩を踏み出すごとに、肩から調帯ベルトを提げた長銃がガチャガチャと鳴る。長靴の底が砂を踏むたびに黄色い砂が勢いよく舞い上がり、舞い上がった砂は、肌が露出する手の甲や首にへばりつく。風も吹いていた。彼方の緑地オアシスに向かって渦を巻く風は、四方八方から、乾いた砂を叩きつけてくる。


 リイトの行方を探すのに、ギズは、磁波の糸をたどっていた。カシホに繋がった、リイトの一部だ。それだけはまるで、風や砂の動きも、砂の上を駆けるギズが起こす振動も一切存在しない世界に在るように、微動だにしなかった。


 ちっと舌打ちをした。


(分かった――この砂や風が幻なんだ。だから、リイトの端っこが動かないんだ。ここには実際に何もない――あったとしても、あるのは、今見えている砂漠とも風とも別の物なんだ)


「おい、リイト。聞こえるか、リイト」


 虚空に向かって呼びかけてみる。触れているものや見えているものが真実でないならば、この目や鼻や肌の感覚器が麻痺しているだろう。ならば――と試してみたが、反応はない。 


(だめか。しかし、どうしたんだ、あいつ――なんで一人で遠ざかってるんだ。一緒に来いって言ったのに)


 「一緒に来い」と言ってやった後の涙ぐんだ顔が脳裏に浮かぶ。その時には「鬱陶しいからいちいち泣くな」と毒づいたが、リイトの泣き顔が、孤独な彷徨に疲れ果てた末に一縷の希望を見出した表情だったことは、ひと目見れば分かった。


 死んだはずなのに意識が途切れず、消え方も分からず、いとしい少女からも離れられない――存在を隠しながら流浪を続けるしかなかったら、それは、死ぬよりも孤独で、つらいだろう。


 そういえば――と思い出した。


「おまえさ、しばらくおれ達のそばにいなかったろ。その間、どうしてたんだ」

『そんなこともわかるの? ――じゃあ、僕が何をしてたかも知ってる?』

「そこまでは知らねえ。なんだ、訊いてほしいのか?」

『――』

「興味ねえよ。話したいなら聞くけど、わざわざ訊かねえよ」

『――何度か、消えかけた。でも、消えなかった』


 思い出したのは、そいつとした会話。そして、「助けて」というさっきの悲鳴。


 「消えかけた」と脅えていたのなら、今も何かが起きて消えかけているのだろうか。 


(消える? 消えるなら、消えればいいんだ)


 もともとギズはリイトを消したかったし、リイトもそれを望んでいた。そのすべが分からないので、リイトを消し去る方法を探しながら、しばらく一緒に進んでいるだけだ。


(でも――あいつが消えるのは今じゃないんだ。あいつはもう自分の意志の力で実体を得始めている――カシホと居たいと思い始めてる。今の状態で消えたら、どうなる? 死んだ時よりも未練は強くならないものか。あいつが磁波の塊になった時と同じことが起きるんじゃ……考えすぎか?)


 はっと、視線が下方に落ちる。カシホから繋がるはずのリイトの磁波が、ふるりと揺れた。風が吹いても、砂がかかっても、それこそ踏んでしまっても、揺れることすらなかったのに、今、糸が風に翻弄されるようにそよそよと揺れている。それどころか、じんわりと色味が薄れているように見えた。


(消えかけてる? 何が起きてる――)


 駆けるうちに、緑地オアシスに近づいていた。ジェ・ラーム砂海に似た黄色い砂漠の世界の奥に、こんもりとした緑の森をつくる緑地オアシス。それは、クロク・トウンのある湖のほとりの景観と、よく似ていた。


 耳に届く歌声が、鮮明になってきた。


 セイラゼス・ナ・ジェラ・アム・サリ――

 ジェ・ジェラ・ジェラードナル・レイテ・トリ・ジャルジャマール・ド・ジャー

 

 「おかしい」と、こめかみがぴくりと揺れた。さっき歌を聞いたと感じた時は、子供の歌声だった。でも、今は大合唱に聞こえる。子供も大人も、男も女も、大勢で歌っているような、声のふくらみを感じる。


(他に誰かいるのか?)


 何かが閃いた気がして、リイトの声を思い出した。


『――何度か、消えかけた。でも、消えなかった』


(そもそも、あいつはどうして消えかけたんだ? 方法があるのか? 他に誰かいる? ジェルトっていうこの前のガキがいたのは知ってるが――あいつ以外にもいる? 大勢……?)


 糸のように細くなったリイトの一部は、風の吹き方とは違った規則正しい振り幅でぐらぐらと揺れている。その磁波は、緑地オアシスへとまっすぐに伸びていた。


(やっぱり、あそこだ。なんで……誰が――)


 急げ。早く。言葉を噛み締めるたびに、踏み出す一歩が大きくなり、舞い上がる砂が高いところまで浮き、頬に降りかかる。


 長銃の重みにも注意を払った。


(もしも何かが居るなら、これが必要になる)


 湖を囲むように広がる緑地オアシスは、すでに目前に迫っている。その緑地オアシスは、紛争後に王都からやって来た王国民が定住して「クロク・トウン」という名をつけるまでは、ジェラという一族の都だった。そして、この孤塔は、その一族の聖地だ。


(ジェ・ラームの「ラーム」はジェラの古語で「道」だとか。――道か)


 一度、背後を振り返る。リイトの磁波をたどってまっすぐに駆けてきたが、通ってきた進路ルートは、ジェ・ラームの孤塔が中に迷い込んだ人間を奥へ奥へと入り込ませる最短の経路ルート、つまり、「道」のはずだ。





 緑地オアシスは、ギズが知っているクロク・トウンの景観とは少し違った。当然といえば当然だが、クロク・トウンでは名物となった黄色い日干し煉瓦造りの建物が続く街並みも、駅舎も、電波塔も時計塔もない。建物は一軒もなく、このあたりの水辺に繁茂する砂漠ユリが、薄紫色の可憐な花をつけて群れていた。


 ふと、歌声に睨まれた気がした。


 セイラゼス・ナ・ジェラ・アム・サリ――


 歌声は大きく聞こえるようになっていたが、ギズが緑地に足を踏み入れてしばらくすると、歌声の質が変わる。同じ旋律を歌っているのに、「侵入者だ」と知らせ合う警報音の中に飛び込んだ気分になった。


 やはり、子供一人の歌声という風ではない。子供も大人も男も女も、百人近い人数が同じ歌詞を合唱している雰囲気があった。しかし、雰囲気がそうであるだけで、歌声は違う。耳で歌を聞くというよりは、歌に似た磁波の揺れを身体が受け止めている感覚だ。


(人がいるわけじゃないのか? いたとしても磁波だ。なら――)


 手が、肩から提げた長銃に伸びる。その武器は、今や敵地に共に乗り込んだ相棒だった。


 ジェ・ジェラ・ジェラードナル・レイテ……


 歌声が、自分を向いている。歌声の主の姿は見えないが、ギズがここに入り込んだことに気づいて警戒している――そういう気配だ。


(ジェラの聖地だもんな。何かあるのか――。そういや、ジェラの伝説だと、死んだ奴は孤塔を登って塔の上にある「母の国」へ向かうんだっけ。まあいい、おれがここに居ることがばれてるなら、こそこそしなくてもいいってことだ)


「リイト! いるか」


 走りながら、大声で呼んだ。


「リイト! どうした! 消えてんのか!」


 靴底が蹴る地面は、湿り気を帯びた土に変わっている。緑色に染まった草むらを水辺に向かって駆けこんでリイトを探すが、返事はない。しかし、リイトの居場所は、彼の磁波が教えてくれる。カシホに繋がる糸状の磁波をたどれば済むはずだ。


 返事はなかったが、磁波の糸をたどって地表を目で追って進むと、一度、ぴくりと揺れた。「こっち。助けて」とそいつが泣いている気がした。


(いちいち泣くなってんだ、鬱陶しい。カシホに幻滅されるぞ)


 彼が想う少女のほうは、死んだリイトの夢を継いで、泣き言一つ言わずに奮闘しているというのに。


 歌声に聞こえるものが、ギズを睨んでくる。「塔師だ」「憎い」「去れ」と、歌声の礫を叩きつけられるようだった。


 トリ・ジャルジャマール・ド・ジャー……


「うるせえ、鬱陶しい」


 長銃を構えて、引き金を引く。鈍い銃声が鳴り、その瞬間だけ、さっと歌声がやんで静まり返った。「ざまあみろ」と再び調帯ベルトを肩から提げて、リイトの気配に向かって駆け出す。すると、そろそろと歌声が大きくなっていき、さっきの威嚇を忘れたかのように、ギズを睨んだ。


 歌声に姿を変えた無数の視線から貫かれる気分だが、ギズはもう気にならなかった。


 ここは孤塔で、周りにあるのは、歌声も、人のように見えるものも、動きのあるものはすべて幻か、磁波だ。

 「塔師」と呼ばれる自分なら、磁制本能がある。

 相手が「磁波」と呼ばれるものなら、己の意志によって完全制御できる。

 危険を及ぼしてくるものがなんであれ、こちらの受け止め方次第で、それはただの波になり、信号になる。


(信じるな。これは幻、祈り、霊魂の「こうなりたい」という意思――今ここには存在しない)


 強く念じて、前を睨んだ。


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