七階の森 (3)

 連れられて戻ると、六階の塔室に人だかりができている。男が一人寝転んでいて、囲むように学者たちがうずくまり、寝転んだ男の頭上にマオルーンがいる。マオルーンの手は男の頭部を包むように丸まっていた。――なるほど、とギズはそこで起きていることを理解した。


(急性中毒だ――いわんこっちゃない)


 近づいていくと、男たちの叫び声が聞き取れるようになっていく。


「こいつの両腕、両足を押さえて、動かないように縄でくくれ。このままじゃ今に骨を砕くぞ」


「頭もだ! 寝袋をもってこい。サスの頭の下に敷け、早くしろ、死ぬぞ」


 地べたに寝転ぶサスという学者は、何か恐ろしいものから逃げるように身体をよじり、手の甲を床へしきりにこすりつけている。時折腕や脚が力任せに振り降ろされて、鈍い音が響くこともあった。叩きつけられた先には煉瓦が敷き詰められている。皮膚が裂けて、白い手は赤く腫れあがり、血がにじむところもあった。


「マオルーン塔師、麻酔はないのか。これじゃあ脳がやられる前に身体が駄目になる」


「ない。黙れ。集中させろ」

 

 サスの頭上で治療にあたるマオルーンは、額に大粒の汗を浮かせていた。足音を感じたのか、顔を上げる。ギズと目が合うと、ほっとこめかみの強張りを解いた。


「ああ、ギズ――よかった」


 学者達をかき分けて進むカシホに引っ張られるまま、サスの頭のそばへ着く前から、マオルーンは腰を浮かせた。場所を譲ろうとしていた。


「ギズ、この男が、七階の奥に入って七度の磁波を浴びたんだ。またこれだ、注意喚起を聞けない奴の尻ぬぐいだ――クソ。強い磁波にさらされて脳に異常が起き、中毒から発作が起きた。磁力を帯びた脳をもとに戻そうとしているんだが、こう人が多いと、こいつらの磁波が邪魔だ。応急処置にも限界がある。俺はこいつらを連れて五階に降りる。そのうちに治療を――」


 ギズは立ったまま、唇を噛んだ。


「――カシホ、こいつの頭の上に回れ。おまえがやれ」


「緊急時に新人研修をするのか」


 マオルーンが振り返る。学者連中を引っ張って階段へ向かおうとしていたが、ギズを見る目は「なぜだ」と咎めていた。怒りをあらわにするマオルーンに詫びるつもりで、はにかんだ。


「おれも、できないんだ。さっき、ちょっと疲労が限界に達して――」


「外との通信のせいか。おまえの恋路に口を挟む気はないが、こういうことがあると俺も――」


「そうじゃない。わけは後で話す。――とにかく、今はおれにもできない。カシホ、おまえがやれ。手順はおれが説明する」


「は、はい」


 カシホの返事は、緊張気味だった。サスの頭上にそろそろと膝をつくのを見届けると、マオルーンは小さく息を吐き、止めていた足を浮かせた。


「何かあったら呼べよ」


 声も目も、まだ不機嫌だった。


 アボットたちを連れて下の階へ向かうマオルーンを見送って、ギズはカシホの隣で両手を浮かせて、サスの首の上にかざして見せた。


「真似をしろ」


「はい」


 カシホが同じように両手をかざす。カシホの手のひらをサスの額の真上へ導いて、自分の手は、サスの胸の上あたりまでずらした。見本役に徹した。


「いいか。塔師――つまり、磁制本能がある奴なら、体内の磁波を完全制御できる。体内から磁波を汲みとって手のひらに集めて、向きを合わせろ。うまく合わせたら、こいつの脳内にとどまった磁波を吸い寄せて、相殺できる。――塔師局で、医療関連の研修は受けたか」


「はい、少しですが実習も……」


「結果は?」


「はい、目立った失敗はありませんでした」


「ふうん。いいねぇ、そういう、謙虚ぶっているくせに自信満々な態度」


「自信満々? そんな……」


 カシホが横目を向けて睨んでくる。ギズは唇の端を軽く上げて、サスの上にかざしていた手を引っ込めた。


「馬鹿にしたわけじゃねえよ――したか。まあいいや。とにかく今は、失敗するな。うまくやれ」


「――はい」


 カシホは口をつぐんで、サスの顔を見下ろしてまぶたを閉じた。


 隣から見守るギズの目には、カシホの手に集まっていく磁力を帯びた小さな粒が見えていた。塔師が「磁力」と呼ぶその力は、波のように見える時もあれば、粒の集まりのように見える時もある。カシホの体内から染み出た磁力の粒は華奢な手のひらに集まり、規則正しく同じほうを向いて、サスの頭部と相対した。しだいにその粒は一粒ずつ消えて、作り出す波も小さく、弱くなっていく。サスの額を通して脳内から磁力の粒を吸い寄せて、打ち消し合ったからだ。


 ギズは、手首に視線を落とした。腕時計は、カシホが治療を始めてから三十分が経ったことをを示していた。その間、カシホはまぶたを開けることも身じろぎをすることもなかったが、ギズが時間を気にし始めてからしばらくして、こわごわと目を開けて、サスの顔を見下ろした。


「ギズ教官……すみません、わたし、もう役に立てないかも――」


 カシホの蜂蜜色の瞳は不安げに揺れていた。目が合うと、ギズは噴き出すのを止められなかった。


「もういい。発作はおさまったし、異常な磁波はあらかた除去された。――おまえの持久力はなかなかだな。新人のくせに、よくもまあ、それだけ集中して制御できるよ」


「――サスさんは、助かったっていうことですか」


「ああ、そうだ。取り除いたのは脳の中の一番まずいところだけで、記憶障害や身体の痺れはしばらく残るだろうが。――マオルーン、戻ってきていいぞ。こいつの応急処置は済んだ」


 「おつかれさん」とカシホに笑ってから、階下にいるマオルーンに呼びかけた。



 + + +



 ギズのもとから離れようとしたものの、少年はそれほど遠くへ逃げられなかった。


 天を刺すようにまっすぐ伸びるラシャノキの森は彼方まで広がっていたが、いくら彼方へ飛ぼうが、それほど遠くにいけないことも、少年は知っていた。上を目指すべきだった。


 七階の森を越えて、八階へ――孤塔の上を目指すが、やがて、見えない壁にぶつかってそれ以上進めなくなり、跳ね返された。そうかと思えば、見えない縄に引っ張られるように、来た方向へ向かって下降を始める。手足をばたつかせて逆らっても、どうしようもなかった。思わず少年は、自分の足首を探した。本当にどこかにくくられた紐があるのではないかと心配になったのだが、見下ろしたものの、すぐに目をそむけた。何かと繋げられた紐など、そこにはなかった。紐どころか、あると思っていた足首はおろか、膝や、腿や、つま先もなかった。身体がなかった。


(当たり前だ。僕は死んだんだ。僕の身体は土に埋められて、今頃朽ちているはずだ)


 あると思っていた身体が今はない――。それを確かめるたびに、「仕方ない。もう僕は死んでいるんだ」と現実を受け止めざるを得なかった。でも、それなら、どうして今のように浮遊しているのだ。それに、なぜさっき吹っ飛ばされたのか。なぜ。


(ギズさんには僕の姿が見えていたみたいだった。どうして――僕には見えないのに……ううん、さっきは僕にも見えた気がした。ギズさんが何かしたのか? だいたい、僕はどうしてこんなところにいるんだ。死んだら天上高いところにあるガラの国にいくんだって教会の司祭様が言ってたのに。おばあさんだって――家にあった〈ガラ〉の祭壇はなんだったんだよ)


 「僕は死んでいる」と思うたびに、苛立ちが募った。せめて、死後の世界がこういうものだとはじめから知っていたら、ちゃんと身構えていられたのに。


 下のほうに引こうとする力に、少年は懸命に逆らった。


(いやだ、僕はそっちにいきたくないんだ。ギズさんは僕の姿が見えるみたいだった。だったら、もしかしたら――)


 手足をばたつかせて虚空を掻いているうちに、下へと自分を吸いこもうとする力は弱まっていく。よかったと息をついたところだった。どこかから歌声が聞こえてくるのに気づいた。


「セイラゼス・ナ・ジェラ・アム・サリ――サザール・ジェイ・ド・セラ・ス・ジェラ――」


(誰かいる? ジェラの歌だ。子供の歌声――もしかして……)


 少年がいた場所は、とても広かった。あたりには一本たりとも樹が見当たらず、地面は平たんで、冷たい風が吹いている。風は唸るような低音を響かせていたので、甲高い子供の歌声は、くっきりと際立って聞こえた。


 周りは、一面が闇。一つたりとも灯かりがない。夜の荒地の気配がある。やがて、風に乗って移動する白い影が、遠くのほうにぼんやりと浮かび上がる。その影が近づいてくるたび、歌声も鮮明になった。


 誰だ。もしかして――。


 少し前に、この孤塔には子供が現れたはずだ。カシホが驚いて、ギズとマオルーンが見つけて追い払ったのを、少年も見ていた。


 やってきた白い影は、自分よりずっと幼い子供だった。その顔にも、少年は見覚えがあった。


(ジェルトだ)


 子供の風貌は、エクル王国西方の砂漠地帯で暮らすジェラという名の遊牧民の一族のものに間違いなかった。

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