七階の森 (2)


「そこだろ」


 手にもった小型電灯を掲げて照らしたが、黄色い光を浴びてもラシャノキの幹は暗い色をしているとだけ見える。周りにある影や葉も、微動だにしなかった。


 生き物の気配のない幹のあたりを、ギズの手にする灯りがいたぶるように撫でた。


「なんだ、その顔は。おれが嘘を言って本当は見えてないとでも思ってんのか? なら、教えてやろうか。おまえの顔は中央の穀倉地帯系で、目と髪は琥珀色、白肌。齢は十五、六あたり」


 ギズが灯かりを向けた先に、影がぼんやりと浮かび上がる。影はじわじわと人の形を得て、虚空に浮かぶ暗い染みのように宙にとどまった。じっと見つめていればいるほど黒い染みは陰影が濃くなり、目や鼻や口や、人の顔だとわかる部分パーツもうっすらと区別がつきはじめる。ギズの眼には、影ではなく、青ざめた少年の顔が見えていた。


「ふうん、姿を消したり現したりできるのか。珍しい化け物だな」


 言うと、少年ははっと顔を強張らせてギズを凝視した。すぐに逃げるように身を引き、少し手を浮かせる。その手を、少年はじっと見下ろした。


「なんだ、たまたまか。自在にやってるわけじゃねえって顔だな。まあ、所詮化け物だもんな」


 少年の青白い顔がおそるおそるというふうに上がって、ギズを向く。喋るというよりは震えるように唇が動いて、空気を痺れさせるふうな細い声が、ギズの耳に届いた。


『違うんです、僕は違う。僕は塔師がいう化け物じゃなくて――』


「話ができるとは、ありがたい」


 ギズは笑い、手を筒服ズボンの外衣嚢ポケットに差し入れた。


 次に手が衣嚢ポケットから現れた時、少年の目がこわばった。手には、拳銃があった。手の中に収まる大きさだが、扱い慣れた戦友を迎えるように、ギズの指が拳銃をいじる。回転式の弾倉を開けて、中の銃弾をたしかめた。


「たいてい、自分を化け物と認める化け物はいねえんだよ。そいつらは自分のことをまっとうな奴か、悲劇の主人公と思ってるから――。おまえが違うと思っていようが、おまえみたいな化け物が孤塔にくっついてるのは、磁嵐が起きる前触れと同じだ。ごめんだな」


 確認を終えて、指が回転式弾倉を元に戻す。かちりと金属音が鳴り、銃口が少年の顔を向けられ、引き金に指がかかった。


「早々に退治してやるよ。おまえがこの孤塔を狂わせて次の『レサルの磁嵐』を引き起こすかもしれねえんだ。冗談じゃねえよ」


『僕が、次の「レサルの磁嵐」を?』


 少年はいかにも心外だといわんばかりに眉をひそめる。


「不満か? なら、おれを襲いに来いよ」


 挑発すると、少年は歯を食いしばった。その顔に向けて、狙いを定めた。


「早くしねえと撃っちまうぞ。ほら」


 ドウッ――。乾いた銃声が響いて、少年が顔を庇ってよろける。ギズはさらに撃った。少年の額と胸に一発ずつ、塔師の間では「化け物退治」にも使われる二割弾を撃ち込む。少年は黒い地面に膝を落として、苦しみに耐えるように口を大きくあける。ギズは、自分の手の中にある拳銃に視線を落とした。


「とどめをさしたつもりだったんだが。弾倉はちゃんと三発分回ってんのに、なんだ、こいつは――対磁弾が効かねえ?」


『待って、僕は違うんです――』


 少年は懸命に青白い顔を向けている。その額に、再び銃口を定めた。


「もう一回」


 ドウッと鈍い銃声が鳴る。少年は蜂蜜色の眉をひそめて懇願した。


『ギ、ギズ・デンバーさん……もう、やめてください』


「もう一回」


 ギズは真顔を保っていた。ドウッ――。五発目の銃弾は、顔をかばってうつむいた少年の左のこめかみに撃ちこまれた。少年の身体は衝撃で飛ばされて地面に跳ね、死に際の苦しみに耐えるふうに身体を小刻みに震わせた。


『痛いんです、苦しいんです、もうやめてください』


 少年の声は、涙が似合うふうに揺れていた。


『僕は、あなたに憧れてました。本当です。あなたの敵じゃありません。もう、やめてください』


 ギズは、けっと笑った。


「ほら、自分を化け物と自覚している化け物はいねえんだよ」


『僕は化け物じゃない。本当に僕は、あなたに憧れてました。――でも、どうしてあなたなんかに憧れてたのか、今はもう思い出せない。こんなに言ってるんだ、話を聞けよ!』


 少年が声を荒げる。ギズはせせら笑うふうに片目を細めた。銃口はまだ少年の眉間に向けられていて、ギズは苦笑しつつ引き金を引いた。ドウッ――と六度目の銃声が鳴る。弾を撃ち込まれると、少年は弾かれたようによろけてうずくまるが、じわりと顔を上げて、ギズを睨みつける。青白い顔が、憎いものを見るように歪んでいった。


 ギズの指が弾倉を空けて、薬莢を地面へ落とした。カラカラと高い音が鳴るのを、少年は暗い目で見ていた。次の瞬間。十ミレトルは離れていたはずの少年の身体が、さっと宙を滑ってギズの正面に躍り出る。青白い顔は憤怒の表情に歪んでいて、ギズを威嚇しようと宙に広がった。


「ほう? おれが今何をしてるか――弾が尽きたと知ってんだな? で、この隙におれを襲おうと――。そんなことを知ってるってことは、おまえ、塔師とやり合ったことでもあるのか?」


 少年は答えなかった。少年の青白い顔が夜闇に広がり、身体全体がパン生地のように薄く伸びる。少年は、広がった自分の身体で、ギズの頭をくるみこもうとした。


「てめえの磁界の中におれを飲み込む気か? ――ばあか。塔師に関わりはあったとしても素人だな。おれを新人と勘違いすんじゃねえよ、化け物が」


 少年の顔だったものが膜のように広がって、ギズの顔を包む――その内側で、ギズの右腕が振り上げられる。固く結ばれた拳が、薄く伸びた少年の頬めがけてぶち当てられた。弾き飛ばされて、少年はラシャノキの根元まで吹き飛んだ。


 黒い樹の根元に転がった少年のもとへ、ギズは、ゆっくりと歩いていく。かくかくと手首を動かしながら自分のもとへと近づいてくるギズの顔を、少年は魔物に脅えるように見上げていた。


「エクル最高峰の塔師がどんなもんか知ってるか? 塔師用の銃弾なんぞ、おれには要らねえんだよ。磁制本能っつうのはな、能力が高くなればなるほどなぁ――まあ、おまえに話してもしゃあねえか」


 少年は頬をひきつらせて、逃げようと身を翻した。しかし、ギズのほうが早い。少年に飛びかかると、馬乗りになる。ギズは、両手で少年の細い首を締めあげた。


「苦しいか? あ? このまま消えろ、消えちまえ」


 少年は呻いたが、首を絞める力を弱める気などなかった。少年の首の肉と骨まで握りつぶすつもりでぐいと絞め、ついには首が飴細工のように細くなっていき、ギズの両手は、少年の首を握り潰した。少年の顔と身体は離れ離れになり、首から先が千切れて、風船のように暗闇にふわりと浮く。頭部だけになった顔で、少年は涙を流した。


『馬鹿野郎、痛いって言ってるだろ! 痛いよ、苦しいよ』


「仕方ねえよ、おれはおまえを消そうとしてんだ」


 少年の胴体の上から腰を上げ、立ち上がると、ギズは靴底で少年の胸を踏みつけた。靴底は少年の胸元深くへと沈んでいき、頭だけになった少年が宙で呻くので、ギズは笑った。


「へえ、痛いんだ。化け物の身体っていったいどういう構造になってんだ?」


『やめろと、言ってるだろうが』


 少年は叫んだ。宙に染みるように頭を大きく膨らませて、口を開ける。口はギズの頭よりも大きくなり、同じように巨大化した白い歯で、ギズに噛みつこうとした。


 その時だ。塔師と学術調査隊の拠点になった方角から、少女の声が響く。


「ギズ教官、どこですか、ギズ教官! 大変なんです、来てください」


 少年の顔は青白くなり、輪郭すら失って、闇に薄れていった。


『お願い、ギズさん――カシホに、僕のことを言わないで――』


 そう言って、涙を浮かべた少年は、そのままふっと姿を消してしまった。


 ギズの足の下にあった胴体も瞬時に消えるので、足が居場所を失って身体がよろける。


「あの野郎――」


 やってきたのは、カシホ。カシホは血相を変えていて、ラシャノキの森の奥の暗闇にギズの姿を見つけるなり、飛びつくように駆け込んでくる。


「ギズ教官、急いで戻ってください。サスさんがたいへんなんです。今、マオルーン教官が治療をしていますが――」


「サス? 誰だ、そいつ」


「調査隊の一人ですよ。同行者の名簿は資料として配布されたでしょう? いくら興味がなくたって、それくらい覚えてください!」


 言うが早いか、カシホの手がギズの手首をぐいと引っ張る。暗い森の中、ラシャノキの隙間を縫って、来た道を戻ろうとした。


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