第7話 深海で死ぬんかい?

前回のあらすじ

・タリアがハイテンション。

・ツトムは男の子。

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 潜水艇にもシェルスーツにも夢中のツトムだが、ふと疑問に思う。


「この潜水艇もそうだけど、こんな高そうな装備まで。おじいちゃんって、もしかしてお金持ち?」


 先日、どこかの大富豪が、このようなスーツで海底探査をしている番組がネットに流れていた。


 ツトムの質問に、ナガトは微笑んだ。

「だったら良いんだけどね。実際には設備投資ってことで、まぁ、言ってみれば借金だ」


 ツトムは顔をしかめた。

「借金なんてして大丈夫なの?」

 ナガトは微笑んだままだ。

「遊びのための借金なら良くないが、仕事で儲けを増やすためにする借金が無いと、世の中は回らなくなってしまうんだよ」


 どうもその辺はツトムにもよくわからない。とりあえず保留だ。


 ところで、気が付くと”くもすけ”が静かだ。何か突っ込んでくると思ったのだが。


「あ、電波が圏外だ」

 頭部の小さなLEDランプが消えていた。


 ”くもすけ”はクラウドに置かれたAIだから、ネットが繋がらなければ元の子守ロボット以下だ。内蔵されていた音声認識機能はショボすぎるので、今は外してしまってる。


 最近は地下鉄や旅客機でも普通にネットに繋がるので、滅多にない体験と言えるかもしれない。


 ナガトが顎に手を当てて答えた。

「ネットか。潜航する前ならば、船舶用の無線ネットが使えるぞ」


 潜ってしまえば無理か。それはまぁ仕方ない。


 操縦室に戻り、船舶用無線の電源を入れてもらう。”くもすけ”の額のLEDランプが点り、頭部のカメラアイがツトムをまじまじと見つめた。


「おう、お帰りやす。早かったやないか」

「まだこれからだよ。おじいちゃんが船のネットを起動してくれたんだ。潜ったらまた切れるからね」

 ツトムの言葉に、”くもすけ”は不満そうだった。


「しょーもないのう。このユビキタスの時代に」

 新しそうで古いキーワードだ。確か、ツトムの生まれる結構前くらいの。


「さて、そろそろ出航しても良いかな?」

 おっと、そうだそうだ。祖父の言葉に、海中の旅のことを思い出す。


「”くもすけ”、潜ったらちょっとの間、別行動だね」

 副操縦士の席に座り、”くもすけ”の体をデイバッグに押し込む。


「ちょいまちや! 仕舞うの早すぎるで!」

「善は急げって言うじゃん」

「それ、『善』ちゃうで」

 仕方ないので、上半身だけデイバッグから出しておいてやる。ネット接続が回復すれば、すぐわかるはずだ。


「では、出航だ」

 ナガトがそう宣言して、パネルを何か所かタップすると、ドックの正面の水門が開きはじめた。

 完全に水門が開くと、操縦桿に右手を添え、左手でスロットル・レバーをわずかに前に倒した。

 すると、かすかなモーター音と共に、”のちるうす”は港の海面を進みだした。速度は二ノット、人が普通に歩く程度だ。


 ツトムが座席に座ると、水面は頭上になった。日光がキラキラと反射して美しい。海中はまさに青い世界。そこも海面からの光に溢れている。

 行き交う船は結構多い。小型船が殆どだが、漁船のように見える。


「島の周囲に広がる人工浅瀬の生簀いけすに行くんだろう」

 ナガトが教えてくれた。


 深海の海水は栄養分が豊富なので、それをくみ上げて流し込むだけでプランクトンや魚がどんどん育つという。その魚を相手にする釣り船が、沢山出ているらしい。


 やがて、”のちるうす”はフローティアを取り巻く人工浅瀬と外海の境界、閘門こうもんへ入った。


「おじいちゃん、行き止まりだよ?」


 ツトムが見つめる船首の窓の向こうは、金属製の壁だった。

 ナガトが解説する。


「フローティアの人工浅瀬は、外の海面より十メートルほど高くなってるんだ。ここは閘門と言って、船のエレベーターみたいなもので、これから水を抜いて水面の高さを合わせるんだ」


 やがて、”のちるうす”は水面と一緒にゆっくりと下がり出す。

 そして正面の壁が開き、いよいよ外洋へ。眼下に広がるは、一面の青い世界。


「よし。いよいよ潜航だ」

 ナガトは操縦席の前のボタンを押した。後ろの方で、シューっと空気の抜ける音と共に、水音が聞こえて来た。同時に、展望窓の上の方にあった水面が上がり始め、視界は全て海中となった。


「おお、これが海の中……」

 ”くもすけ”のつぶやきが途中で消える。額のLEDランプは消えていた。


「また後でね」

 デイバッグを座席の背もたれにかけて、ツトムは青みを増していく海中の光景に見とれるのだった。


 船が行き交う海上に対して、海中は大小さまざまな魚が泳ぎまわってた。時折、かなり大きな影が視界の隅を横切る。


「イルカよ。可愛いわね」

 タリアが指さした。展望窓の端から、すぐ近くを”のちるうす”と同じ方向に泳ぐイルカの頭部が見えた。


「好奇心旺盛だからな。良く来るんで、名前を付けてる。あいつは”タロウ”だ」

 ナガトに言われて、ツトムは窓の外のイルカに話しかけた。


「こんにちは、”タロウ”」

 分厚い船殻越しだから聞こえるはずはないのだが、イルカはスイっと船首側を回ってから去って行った。


「今日の調査は、フローティア下部の付着生物だ。周辺部から底部に潜り、螺旋状に中心部へ向かう。最大で千メートルまで潜ることになるな」

 祖父の言葉に、ツトムは質問した。


「付着生物って?」

 答えるかわりに、ナガトは制御卓のキーを叩いた。ツトムの席の前のスクリーンに、ブツブツ黒い穴が無数に開いた岩のようなものが表示された。


「うわ……キモっ」

 いわゆる「蓮コラ」のように生理的にダメで、思わず声が出た。タリアも苦手なのか、顔を背けている。


「フジツボだ。本体はその穴の一つ一つに棲んでいる小さな甲殻類だが、貝殻のような石灰成分で船底などに付着して、水の抵抗を増やして速度を落としたり、船体そのものを痛めたりする」

 他にも牡蠣かきなどの貝類が含まれるらしい。


「牡蠣はフライとかにするけど、フジツボって食べられるの?」

「大きく育ったものは高級食材になるな。身は小さいが、蟹と卵を合わせたような味だ。味噌汁の出汁にもいい」


 ……へぇ、食えるんだ。こんなのがねぇ。カニ玉味か。


「でも、船と違ってフローティアは浮いてるだけだけど、邪魔になるの?」

 ツトムの疑問。

 ナガトはうなずくと答えた。


「フローティアはMg合金製だからな。Mg合金は元来、腐食に弱かったんだ。今は改良されてるが、表面の保護コーティングが無くなると傷んでくる。フジツボが大量に長期間張り付いているとそうなる可能性があるので、定期的な調査が必要なんだよ」


 フローティアのサイズではドックに入れるわけにもいかないから、海中での点検や修理が必要なのだろう。


 気が付くと、展望窓の外はかなり暗くなっていた。


「深度百メートルだ。フローティアの下に潜るぞ」

 最後の陽光が遮られる。フローティアが海底に落す直径二キロの影の中に入ったのだ。艇首の上部から強力なサーチライトが照らされた。海中を漂うプランクトンが白く照らし出され、雪の中を進んでいるかのようだ。


 同時に、ピン、という甲高い音が聞こえて来た。


「これって、ソナー?」

 ツトムの問いにナガトはうなずいた。

「衝突防止に加えて、フジツボなどの確認だ」


 フローティアの底面はなめらかな外観なので、付着生物がつけば反射音が変わるらしい。直径二キロの面積は六百万平方メートルにもなるから、全部肉眼で見るのは時間がかかりすぎる。反射音が変化したところだけ、司令塔に設置した上方カメラで確認するという。


「なるほど、それなら効率いいね」

 納得するツトム。


 しかし、真っ暗な中をゆっくり進むだけで、変化が乏しい。それでも時折、暗闇の中に金属性の巨大な構造物がライトに浮かび上がる。ナガトは巧みな操船で、そのカーブを描く外壁に沿って一周してから、もとの航路に戻る。


「おじいちゃん、あれは?」

「海洋深層水の汲み上げ施設だ」


 フローティア底部の周辺部分からは、このような円錐状の突起が十二本、海底へ向けて突き出している。基部は直径数十メートル、先端は深度四百メートル近くに達するという。その先端からはさらに深度千メートルまで取水パイプが伸び、深海から冷たい海水をくみ上げっている。

 この深層水と海面の暖かい海水との温度差で発電を行うことで、フローティアの電力のほとんどを賄っているという。


「ツトム、しばらくは退屈だろうから、後ろの船室で休むと良い。タリア、お茶やお菓子を出してあげなさい」

「わかったわ、パパ」

 タリアが正副操縦席の間のシートから体を起こし、ツトムの方を向いた。


「お湯を沸かすわね。緑茶でいい?」

「う、うん」


 彼女が腹ばいになってたシートは操縦席より前に出ていたので、体を捻った拍子にミニスカがめくれたのが見えてしまった。さっきのイルカ並みのドルフィンキックで、ツトムの目は力強く泳ぐのだった。思春期前だというのに。


 やがて、操縦室の後ろから声がかかった。


「ツトム、お茶が入ったわよ」

「あ……うん」

 さっきの光景が脳裏から抜けないのか、ツトムは生返事だ。それでも座席から立ちあがり、後ろへ向かう。


「パパも良ければどうぞ」

「そうだな。もう少ししたら自動航行に任せられる」

 海洋深層水汲み上げの突起は周辺部にあるので、その内側に入れば障害物は無くなる。そうなれば、自動航行が可能だ。


 ツトムが後部の船室に向かうと、床下に折りたたまれていたテーブルが広げられ、両側の寝台の低い段がシート代わりに引き出されていた。テーブルの上には湯気の立つマグカップと、菓子が盛られた深皿。”のちるうす”が調査船だからか、どちらもステンレス製だ。


 ……こっちへ来てから、日本茶をよく飲むなぁ。


 そんなことを思いながら、ツトムは寝台の一つに腰かけた。


「ツトム、こっちよ。そこはパパの席」

 タリアが、自分の座る寝台の隣を指さす。

「え、そうなの? ごめん」

 テーブルのタリアがいる側に回って腰かける。

 ――タリアが近い。どのぐらいというと、喋れば耳に吐息がかかり、体温が感じられるほど。


「えーと……」

「御茶菓子、あられとミニドーナッツ、どっちが好き?」

「……両方」


 この雰囲気。緑茶がアルコールなら、まさしくガールズバーなんだろうけど、未成年で思春期前のツトムにわかるはずがなく。


 操縦室から入ってきたナガトは、そんな二人を見て踵を返そうとした。


「おじいちゃん、一緒にお茶しようよ!」

 ツトムの声に、ナガトは振り向いて席につこうとした。まさにその時。


 操縦室から警報音が響いて来た。


「厄介な奴が来たな」

 苦い顔でナガトは呟き、操縦室へ戻る。直後、大きな揺れが”のちるうす”を襲う。


「わぁ!」

「きゃぁ!」

 二人とも寝台から放り出され、床に倒れ込む。ツトムの上にタリアが落ちて来て、押しつぶされるツトム。

「ぐえっ」

「ご、ごめんなさい!」

 タリアの膝が、ツトムの股間を直撃していた。


 ……ああ、このまま死ぬのかな。


 そんなことを思った時もありました。はい。

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