「「内緒!」」




 ふいに、私は立ち止まった。


 見覚えがあるようなないような景色を認識するのに、時間がかかる。

 頭痛がして、視界が傾いて、思わずその場にしゃがみ込む。


 そして、気が付いた。

 私は今、量販店の安物のリクルートスーツを着て黒いヒールの靴を履いている。

 そこにあるのは、私が一度目の最後に見たものだ。


 恐る恐る顔を上げると、仕事帰りの何てことのない日常の風景があった。

 記憶が――思い出が、頭の中に流れ込んで来る。



 そうだ。どうして忘れてたんだろう。妹は、病気だった。だから両親は治療費を稼ぐために二馬力でがんばっていたし、私に構う余裕がなかったんだ。


 妹は、健康な身体と仲の良い家族にあこがれていた。

 でも一度目の私は妹の期待を裏切ってばかりいて……一度目? 一度目って何だろう。今は、本当に二度目なの?



 そこまで考えた私は、いてもたってもいられなくなって走った。すぐにでも妹のいる病院へ行くべきだと思った。

 高卒で働いて社会人12年目。

 ヒールでだって全力疾走できるってもんだ。




 人それぞれに寿命があって、一度目の私はそれが30歳だった……二度目の世界の私はずっとそう、思ってた。

 始まりから違ったなんて。死にかけているのが妹の方だったなんて。

 私は、ぼろぼろ泣けた。


 本当じゃなかったなんて、知りたくなかった。全部夢、だっただなんて。

 あんなにリアルだったのに、辛くて嬉しくて素敵だったのに全部が幻だったなんて。


 私は素敵な親友なんていないぼっちのままだし、まだ彼氏の自動車の借金を返している最中だ。

 こんなのってないよ。

 私はどうしたら良いの?


 私は、通りかかったタクシーをつかまえて、乗り込んで行先を告げた。





「奈央!」



 病室に入るなり妹の名前を呼ぶと、驚いた顔のお父さんとお母さんが私を見る。

 当然だろう。私はずっと病弱な妹から逃げていた。両親の愛情を一身に受ける妹に嫉妬して、避けていた。

 だから両親の心はますます私から離れていって、私は高卒で就職先を決めると家出同然に家族と距離を置いた。


 ふらふらと、私は青白い顔色で私を見る妹に近付く。


「菜央……」


 どう声をかければ良いんだろう。

 何て言えば良いんだろう。

 そんなことばかり考えていた私に、妹はぎこちない笑顔を返してきた。

「お姉ちゃん、今度こそ・・・・私の分も生きないと許さないんだから!」

 こんな時にまでツンデレの妹は、ぶれない。

 というか、今度こそ? それって……。

 ……いや、あれは二度目の妹だったはずだ。かわいくて生意気で、甘えん坊な妹。私の手作り弁当が大好きで「お姉ちゃん」て私にべったりで……あれが、全部私の妄想だったっていうの?



「どうして?」


 混乱して役立たずの私は、そんなことしか言えなかった。





 妹の菜央はずっと油断できない病状で近所の総合病院に入院していた。

 妹がそんな状態になったのはすごく突然のことで、それは奇しくも私が幼なじみに告白した日と同じあの日のことだった。原因は、不明だった。

 あれから20年……長い時間だけが過ぎた。


 何年か前に意識不明になっていたらしい妹は、意識不明のまま容態が急変して、集中治療室に移された。それが、一週間前のことだったらしい。

 姉妹の仲が良くないからって、両親は私に知らせなかったようだ。


 でも、何も知らないはずの私は病院に駆けつけた。

 死にかけてて秒読み段階だったらしい妹は、私が名前を呼ぶとどうしてなのか目を冷ました。そして、見る見るうちに体調が回復し、周囲を驚かせた。奇跡だったらしい。

 今夜が峠だと医師に告げられたはずの二週間後には自力で食べられるようになっていて、医師はしきりに「あり得ない」とこぼしていた。


 会社の近くにアパートを借りて一人暮らしをしていた私は、妹の退院のタイミングに合わせて実家に戻ることにした。

 実家の左隣の一軒家には、幼なじみ夫婦が住んでいる。

 木村渉と、木村梓夫妻。すごいよね。長く付き合う内に色々とあったのだろうに、二人は全部乗り越えて夫婦になった。右隣んちのおばちゃんによるおかんネットワークで知ったよ……おばちゃん……。


 あの二度目が何だったのかを、私は知らない。妹に聞くこともしていない。

 でも、それで良いんだって思った。

 私は平日の朝に早起きをして菜央や現役で働く両親のためにお弁当を作るし、菜央はその弁当を食べてこれから大学受験を目指すんだって張り切っている。

 一度目の私は料理が苦手だったはずなんだけどなあ……とかそんなことを思いながらお弁当を詰め終わる頃になると、菜央が自分の分を確保しに台所へやって来るんだ。

 私の妹、マジかわいい。


「ねえ、貴方たちそんなに仲が良かったかしら?」


 お母さんが不思議そうに複雑そうに、私と菜央を見比べて言う。

 私と菜央は思わず顔を見合わせて、同時に言った。


「「内緒!」」


 声がハモったのが嬉しくて、また顔を見合わせてはじけるように笑い合った。



 


 人生は一度きりだ。二度目なんてない。だけど、私はそれで良い。

 一度きりだからって絶対にやり直せないってわけじゃない。

 人間だから何度も間違うし、立ち止まりもする。そのたびに悩んで、選択する。


 ダメダメでも良いじゃない。後悔したって良いじゃない。

 そんな人生もあるんだって思えるようになった。


 夢か幻だったらしい二度目に関して私が一つだけ心残りに思うのは、愛しの理系男子くんのことだ。


 もう会えない……。


 妄想だったのかもしれないし、夢だったのかもしれない。実在するかどうかすらあやふやだ。何であっても私はもう会うことができないし、お弁当を食べてもらうことも、「美味しい」と言ってもらうこともできない。

 あの不器用そうな笑顔を見られないのが悲しい。

 でもまあ、しかたがないよね。

 うじうじしてないで、いいかげん前を向かないと。

 二度目の私とは違って、一度目の私は現時点だとまだ色々とダメ人間だからな。



 よっし、この勢いで彼氏と別れて借金を完済して友達だって作っちゃうぞ! 次の恋も探しちゃうぞ!

 ダメだったら慰めてね、奈央。



 まかせて!



 あの時聞いた神様っぽい何かの声が、奈央の声と重なって聞こえたような気がした。

 会社の取引先で働いていた愛しの君と一方的な再会を果たすのは、妹の菜央が目を覚ましてからちょうど一年後のことである。

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失恋の。 ないに。 @naini

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