その日は雨が降っていた。まだ日暮れ前にもかかわらず空は暗く、淀んでいた。それでも時折光る稲光は雲越しの太陽よりも明るく、陰影のコントラストで色褪せた廃墟をいつもと違う表情にして見せてくれる。だからカユラは雨がとても好きだった。今日はその景色を描こうと、上機嫌でメルの元へと向かった。


 建物の中へ入ると、メルと初めて出会ったときのように人の気配がした。しかし様子がおかしい。少し騒がしいのだ。


「街の不良どもが溜まり場を変えたのか……? よそでやってくれよ……」


 せっかくの気分が台無しと言わんばかりにカユラは呟くが、すぐにその緩んだ足どりに緊張が走る。辿り着いたいつもの場所にメルがいないのだ。


「いやぁ!」


 その叫び声は遠く微かだったが、高く澄んだ声はメルのものに間違いなかった。


「メル!」


 廃墟の奥まで夢中で向かうと、男たちが囃し立てる下卑た声の中心で力にねじ伏せられているメルがいた。


「……!」


 それを見た途端、カユラは足がすくんで動けなくなってしまった。止めなければ、今すぐ飛び込んで助けなければならないと思うのに、そう思えば思うほどに体が硬くなる。


「くっ……」


 必死で抵抗するメルに男が平手打ちを繰り返していた。カユラの目からは涙が溢れだした。悔しいのだ。なにもできずにただ立ち尽くす自分が、情けなかった。


「んあ? おいおい、タダで見学ですかぁ?」


 最悪なことに、男たちがカユラに気がついた。ゆらりとニヤついた男がカユラに近付く。


「あ……」


 カユラは逃げることもできず腹に何発かの拳を打ち込まれ、突き飛ばされて抵抗らしい抵抗もできぬままメルのいる側まで引きずられた。


「カユラ!」

「なんだ、彼氏か? わはは! 彼氏の前でってのもいいよなぁ」

「離して! このっ!」

「わはは」


 カユラは髪を男に引っ張られ、もうメルから目を逸らすこともかなわない。声も出ない。目の前で大切な人が傷つけられようとしているその様をただ見ているしかできない自分の情けなさで体が熱くなるのを感じた。自傷で熱くなるあの感じよりも、さらに熱い、心臓の中で真っ赤な血液が煮えたぎるようだった。


「やめろおぉぉーーーーーっ! メルに触るなあぁーーーーーっ!」


 それは空気が震えるほどの叫びだった。今までにこんな声をあげたことなど、ない。カユラは夢中で叫び続けた。殴られても、蹴られても、叫びをやめなかった。


「やっと言えたね。思ってること。ごめんね、約束、やぶるよ」


 メルは凛とした澄んだ声でそう言ってにこりと微笑むと、男たちを見回してにやりと微笑んで舌を噛んだ。


「うおっ! こいつやりやがった!」


 がっくりと力をなくして口から鮮血をこぼすメルの体をその場に放って、男達は逃げるように消えていった。


「メル……! だめだよ、こんなの……僕が助けられなかったから……っ」


 メルがまた朝になれば眠りから覚めるように戻ってくることはわかっているのに、取り残されたカユラの胸は激しく打ち付け、脳を揺らすのだった。


「僕がいなければ! ここで僕と会わなければ! メルは、メルは!」


 カユラは衝動的に手首に刃を当て、力を込めた。カユラの赤い雫がメルの赤い海に落ちて融けていく。


「こんなの、痛くない。ぜんぜん痛くないんだ。メルと会う前は、こんなのただの赤い液体だったのに……っ!」


 

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