63gのメタフィクション

ミスターN

第1話 63gのメタフィクション

「それでは、始めよう」

「何言ってんの? お前」


 どうやら普段と違う言葉を選んだ何者かが、親しい仲の何者かに突っ込みを入れられた。


「冷たいなー。もっと乗ってくれてもいいじゃないか。男同士のシンパシーってのがあるだろ」

「何に?」

「これだよこれ、この文庫本さ」


 一方の男は文庫本を持っている。


「おいおい。そんな乱暴に本を振るな。しかもページを開きながらとか……。それでも本好きかよ」


 文庫本を持っていない男は相手を非難した。

 軽い文庫本は上下に揺さぶられ、ページがひらひらとめくれる。


「で、それがどうしたよ」

「主人公ってさ、どの作品もドラマチックな人生を歩んでいるんだよ」

「そうだな。それがどうした?」

「問題です。俺らみたいな平凡な奴らが本に出る様なキャラクターみたいに、フィーチャリングされる為にはどうすればいいでしょうか」

「フィーチャリングってなに?」

「フィーチャリングってのは、特定の事柄や人物を際立たせる事だ。主役にするって感じかな」

「うわー。そのドヤ顔腹立つわ。大方、昨日wikiとか見て知っただけだろ」


 文庫本を手にしていた男は、話してかけた男に対して前日調べたであろう情報を得意げに語った。

 その顔からは、その知識が明らかに付け焼刃であることが透けて見えていた。

 そもそも彼は普段から知的な発言をしていなかったのかもしれない。


「しかし、面白いなその問題」

「だろ!」


 手ぶらの男は得意顔の男の話題に食いついた。

 二人は問題を解くことを試みることにしたらしい。


「しかし、主人公か……。無理だな」

「はやっ。もっと時間かけて考えろよ」


 徒手空拳の男は数秒で結論を出す。

 なぜなら――


「いやさ、思い返してみろよ。お前の青春とも言えるこれまでの人生で、何かドラマチックな事有ったか?」

「あー……。全くないな」


 文庫本所有者の男も数秒で自分の青春を走馬燈の様に振り返り、結論に達した。

 第一、男同士でこんな会話をしている時点で押して図るべき結論だったのだが。


「いや待てよ……。閃いたかも」

「おおっ。このどうしようもなくボリュームのない薄っぺらな我々の人生をどう嵩増しするんだ?」

「残念ながら嵩増しする手立てはない。諦めろ」

「嫌だー! 俺はまだ残りの青春を謳歌したいんだー!」


 読書家の男は心の底から叫んだ。

 自分の中で青春を謳歌するという事が具体的にどうなのか、確固たるイメージすらない状態で。


「嵩増しは出来ないが、それでもフィーチャリングされる方法がある」

「詳しく話してくれ」


 活字愛好家は瞬時に気持ちを切り替えた。良い心掛けだが、そうでもしないと枯れた青春を乗り切れなかったのだろうか。

 彼の苦労が偲ばれる。

 それとも、フィーチャリングされることによって拘泥した青春を変えられると期待したのだろうか。


「我々を文章として書き易くするんだ」

「どゆこと?」

「物語において、主人公という存在が出て来るのはどうしてだと思う?」

「うーん……。主人公という存在を描くことが物語を成り立たせているからか?」

「それも一つの正解だろう。だが、こうも考えられる。主人公というどうしようもなくドラマチックな人生を歩んでいる存在があるからこそ、どこを描写しても容易に物語として成立する」

「ああ、成るほど。だから描写しやすくなろうってことか」

「そういう事だ」

「おっ。どこかに行くのか?」

「ああ、そろそろ時間だ。俺の家で遊ぶ予定だっただろ」

「おっと、そうだった」


 二人は閃いた男の家に向かった。




「どうしたら俺らは物語として書きやすくなるんだ?」

「そうだなー。まずは自己紹介をして名前を出すんだ。そうでないと登場人物としての我々を文章として表現するのが面倒になる」

「そうか。なら俺がAで、お前がBとすれば問題ないだろ」

「大問題だ。物語に記号で表現される人物なんてモブ代表って感じじゃないか。そもそもなんで俺がBなんだよ」


 家の主である男がBという扱いに対して不服を述べる。


「しっかりと名前を言うんだよ。でも、平凡な名前だと埋もれてしまう。田中太郎とかね」

「お前全国の田中太郎さんに失礼だぞ。というか、むしろ田中太郎って珍しくないか?」

「言われてみたらそうだな……。よし、お前今から田中太郎な」

「はぁー!? 絶対やだよ」

「その拒否反応。全国の田中太郎さんに失礼じゃないか?」

「ぐっ……。分かったよ、分かりました。今日から俺は、田中太郎だ!」


 ただ文庫本を持っていただけしか特徴のない男は、田中太郎という偽名を高らかに宣言した。


「じゃあ俺は……」

「待った」


 田中太郎は男Bを制止する。


「俺が考えるのはどうだろう」

「絶対に嫌だ。お前センス無いし。あと田中太郎の仕返しをするつもりだろう」

「全国の田中太郎を背負った俺は、そんな醜い事は考えてない。あと、センス無いは余計だ」

「まあ、良いだろう。そっちの方が面白そうだ。よく考えると、自分で自分の名前を付けるって結構恥ずかしいしな」


 諸説あるが、青春期に自分の第二の銘を考える男子は少なくないと言われている。

 しかし、それを大ぴらに口外することはそんな男子達にとっても恥ずかしい事の様だ。


「それでは田中太郎君、君が命名する素晴らしい名前は何だ? 感涙で前が見えなくなってもいいように、ハンカチを取り出しておいた方が良いかな」

「ハードルを上げるな、少年B。それではお前に名を与えよう。今日からお前は……。住良木真すめらぎまことだ」

すめらぎってまた大層な名前を……」

「違う違う、多分そっちじゃない。住所の住にグッドなウッドで住良木だ。皇帝の皇は市場に出過ぎて飽和しているから逆に平凡だ」

「まことは?」

「真実のまことだ」

「おお。程よく珍しい名前だな」


 変換してもすぐ出て来るがあまり聞かない。

 そんな程よく珍しい名前を得た少年B、つまり住良木真は次に取り掛かる。


「これで著者。つまりこの世界の創造主は我々を書きやすくなったに違いない」

「でも、それだけじゃ。つまらない話になるんじゃないか? 現に俺たち波も無ければ風も立たない日常を生きているわけだし」


 確かにそうだ。

 物語とは変化に富んだ非日常により、登場人物が何らかの変化を起こすものだ。

 それは、所謂日常系と称されるカテゴリーにおいても同じである。

 彼ら、彼女らは、退屈な日常を演じていると暗に語りながらも、我々現実世界と違う非日常を歩んでいる。

 どんなフィクションも、それを面白く成り立たせる為には一部の例を除き非日常を描くしかない。


「じゃあどうすればいいんだ?」

「簡単だ。どちらかが死ねばいいんだ」

「えっ?! 何々。いきなり物騒な話になってきたじゃないか。どうしたんだお前」


 急に危険な香りがする話を振った住良木に田中太郎は驚愕した。

 いや、オーバーリアクションをしただけかもしれない。

 なんだか変になった空気を切り換えたくて。


「ただ死ぬだけだったらモブと変わらない。その人物像を掘り下げて感情移入させてから劇的に殺すんだ」

「目が怖いって。というかさ。そもそもどう掘り下げても土とミミズしか出てこないような無為な人生に、どうやって感情移入させるんだ?」

「そのままでいいんだ。始まりは平凡だからこそ共感を得られるという事もある。そんな主人公が急に切った張ったの大立ち回りをすることで、読者の感情を引き出すんだ」

「おいおい……。なんでポケットからカッターなんて出してるんだよ。冗談としても度が過ぎてるぞ!?」


 住良木真は学生が簡単に入手できる凶器。カッターナイフを手に持った。

 カッターナイフにも様々な種類が存在するが、どんな物であれ切れば血が出て痛みを伴う。

 つまり、命を奪える。


「この場合、田中太郎の人物像は掘り下げなくても良いんだ。住良木真は名前を得た。それだけで十分に田中太郎は役目を果たしたと言える。でも、それだけじゃあ勿体無いだろ。名前があるキャラはもっと役割を持たなくちゃ」

「何が言いたいんだよ……」

「田中太郎17歳は今の今まで退屈な日常を平凡かつ無難に過ごしてきた。そして、それはこれからも永久に不変であり続けるだろう」

「ホント何を言って――」

「ありがとう。これで、住良木真は鮮烈な過去を得るわけだ。親友を殺したことがあるという過去を」


 住良木は刃が肋骨に当たらないように水平に構え、田中太郎の心臓を狙って切り込むように突き刺した。

 体を少し横にずらして田中の体を押さえながら刃を抜く。

 そうしないと、返り血で汚れるからだ。

 壊れた蛇口の様に鮮血が勢いよく噴き出す。

 鼓動に合わせてリズミカルに噴き出る血はやがて勢いを失っていった。

 田中は茫然とした表情でその赤い風景を終止眺めながら、やがて力が抜けて床に転がる。

 とても静かだ。


「さてと、これで良いですか?」


 良いよ。凄く良い。こんな短時間で君は素敵な名前を得た挙句、心情描写が簡単になる強烈なバックボーンを作り上げた。

 主人公らしくてとても書きやすいよ。


 それに、田中太郎を上手に殺せた。


「そうですか、それは良かった。私も貴方の様な存在に認められてラッキーだ。これから刺激的な毎日が待っているわけですよね」


 それは確約しよう。

 幸福であれ、不幸であれ、住良木真の人生は刺激に溢れドラマチックになる。

 それは作者が望むことなのだから。


「とりあえず、血をどうにかしたいですね。それと喉も渇いた。お願いしますよ」


 では――。


 住良木は体に付着した血をシャワーで洗い流し、清潔な服に着替えた。

 既に冷たくなった田中太郎を跨いで冷蔵庫から飲み物を取り出す。

 あらかじめ買い物に行っていたので、冷蔵庫には沢山食べ物が入っている。

 数日は外に出なくても大丈夫そうだ。

 家に家族は誰もいない。騒ぎになるのは数日後になるだろう。


「いやー。生き返った気分です。やっぱり血痕は早めに落とすべきだ。固まると落ちにくいし、匂いますからね」


 喉を潤した住良木はソファーに座って笑う。

 では、私も続きを書くとしよう。


「次はどうなるんですか? いやー、ワクワクするなー」


 住良木は田中太郎の傍に落ちていた凶器。血で汚れたカッターナイフを拾い上げた。

 まだ乾いていない血が糸を引いている。

 天井の照明で怪しく輝くその刃を、笑顔のまま喉に力いっぱい押し当て右に引いた。

 躊躇などなかった。


「ああ……、そうしたかったのですね」


 住良木は最期に得心したように呟いた。


 住良木が死んだのはこちらの事情でしかない。

 殺した理由なんて単純だ。

 そもそも、この物語は住良木を殺すためのものだったのだから。

 でも、書いてみて初めて分かった。

 ただ殺すだけではだめだ。

 市場には死が溢れて皆感覚が麻痺している。

 きっとこの死も、浴槽に落ちた一滴の血の様に薄まっていくんだろう。

 

 それにしても酷くお腹が空いた。冷蔵庫が空っぽで昨日から何も食べていない。もう物語を紡げるほど頭が回らない。

 なんとかひと段落付いたところで終わりとしよう。

 乱暴な終わり方にも感じる。

 でもいいじゃないか。

 なぜなら、物語とは著者と読者で作り上げる幻想なのだから。

 これはお話にならないのだから。






『ピンポーン』


 家の呼び鈴が鳴る音が聞こえる。

 空腹のせいか、こもって聞こえる。


「すいませーん。誰かいらっしゃいますかー?」


 返事は聞こえない。

 私が居留守を使ったからだ。

 私は一人。


「おい、突入するぞ。同時に扉に体当たりする。せーのっ!」


 古びた扉が勢いよく内側に飛び出してきた。

 スーツ姿の中年の男と若い男の二人組が、扉と一緒に私の家に土足で踏み入る。

 玄関が見える階段で座り込んでいた私は、それをじっと眺めている。


「うわっ。酷い匂いだ……」

「お嬢ちゃんは、住良木マコちゃんで間違いないね? 大丈夫?」


 大丈夫とは何だろう。空腹で無い事だろうか。それとも怪我をしていないという事だろうか。


「血はついているが怪我はないみたいだな。良かった……。おい、もっと奥を確認してこい」

「はい……」


 若い男は中年に指示されて奥の部屋を覗きに行く。

「先輩! 来てください、ヤバいですって!」

「オイッ! そういう言葉使うんじゃねぇ! ちょっと待っててな」


 中年の男は私に気を使ったのか、引き攣った笑顔を作って部下の男の後を追った。

 私はそれを見届けてから、ポケットに入っていたカッターナイフを震える手で取り出した。

 刃が欠けた上に乾いた血が張り付いて、もう何も切れそうにない。

 眺めていると、あの声が聞こえる。

 首に指を添えてそっとなぞると少し痛みが走った。

 あの男には見えなかったのだろうが、怪我はしていたのだ。

 けれど、血は出なかった。

 私は物語を作ることに失敗したのだ。

 上手に殺せなかった。

 だから、床に落ちていた紙の裏に書いてみた。


 正しかったはずの物語てじゅんを。

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