第8話  魔王の秘密


こんこん、という乾いたノック音に短く返事をすると扉の外から聞き慣れた兵士の声が聞こえた。

「メイリアス殿、魔王様がテラスでお呼びです。」

一度ゆっくりと目蓋をおろし、息を吐く。

「かしこまりました。すぐに向かいます。」

さあ、現実と向き合う時だ。

魔族の森が異世界へ転送してから数週間が経ったが、未だに最終調整の為の下見から姉様は帰ってこない。

普段であれば、遠方の行軍で無い限りほぼ毎日のように姉様は私に会いに来てくれていた。

姉様が私に会いに来ない、その事実だけで推して知るべしなのだ。

ただ、最期に姉様の姿を見たのは魔王様なので、今回の呼び出しでより詳細を尋ね、知ることが出来るだろう。

大理石の廊下を進む靴音が、高く響く。これまで何度姉様のことを思い返したことか。

魔王様の隣で胸を張り、堂々と追従する姉様は私のみならず、王城に勤める女性達や一部の男性の憧れであった。

凜々しく、美しい姉様。おぼろげな記憶ではあるものの母様譲りの銀髪は夜空を横切る流星のよう。魔王軍に入隊する際に長く伸ばしていた髪を頬の横までの長さに切り落とした時は悲しみで一晩を明かした。髪を切ったことも、入隊したことも悲しかったが何よりそれが私の為だというのだから反対することが出来なかった。反対できない理由となる私の病弱な身体を心底恨んだものだ。私が病弱でなければ姉様とずっと一緒にいられたはずなのに。泣きじゃくる私を胸に抱えながら、その日は幼い頃のように同じ布団で眠りについた。優しい姉様。

そんな姉様の為に私は体調の芳しくない日は料理書を熟読し、調子がいい日は姉様の為においしい料理を作った。おそらく私しか知らないのだろうけれど、姉様は甘い物がとても好きだ。姉様の為にクッキーを作ったり、記念日には姉様の大好物であるパンプキンパイを作った。幸せそうにおいしいおいしいと笑ってくれる姉様は軍で片角のウォルフラムと呼ばれ恐れられる姿とは似ても似つかない。凜々しい姉様も素敵だけれど、甘いものを食べてとろけた表情をしている姉様も素敵なのだ。

姉様はメイリアスは料理が上手だ、私では敵わないといつも謙遜しているけれど、姉様も料理はお上手だ。病弱な私の為に食事を作ってくれていたのもまだ幼かった姉様だし、軍隊員の為に宿舎で大量の料理を作ることがよくあるとも言っていた。本当に料理が出来ないのであれば何度も隊員達に料理のリクエストをされることは無いと思うのだけれど、たまには変わったものが食べたいだけだろうと言って姉様は苦笑していた。昔から姉様の作ってくれるシチューはとても優しい味がしたものだ。姉様みたいなシチューが作りたくてお料理の本を沢山読んだ。けれど、いまだに姉様のシチューを越えられていない。お料理上手で謙虚で驕ることのない姉様。

姉様は昔から様々な男性を虜にしていた。美しい姿と、病弱な妹への献身、はっきりとした性格。近所に住む少年達や、その少年達の年の離れた兄、果ては食材屋のおじ様まで。姉様には魅了スキルが特性として存在しているのではないかと疑ったほどだ。ただし、姉様にその自覚がなかったようで、恋心を自覚しない少年達が姉様にちょっかいをかけるといじめられたと思い返り討ちにし、少年達の兄が花を摘んで手渡せば、寝込む私へのお見舞いだと勘違いし、食材屋のおじ様が家族になってくれないかと声をかければ、娘のように思われているのだと姉様は言ったのだ。さすが姉様、とりつく島もない。そんな恋愛に関しては愚鈍な姉様も私は大好きだ。

姉様にも苦手なことがある。お歌だ。姉様の声はとても涼やかで耳に心地いいのだけれど、音程を付けると台無しになる。音程を取るのがとても苦手なのだ。姉様の子守歌で眠れた例しがない。姉様曰く、耳に入る歌はとても素敵なものなのに、自分でその歌をなぞると全く違う物になってしまうのだとか。それが原因で魔法があまり得意でなく、詠唱の必要が無い、自己強化魔法のみの使用という前線特化型になってしまったそうだ。魔族の使用する魔法では詠唱を必要とする魔法は魔術回路を音程に刻むため、音程がずれてしまうと魔法が発動しないどころか暴発する危険性がある。たいていの魔族は音程訓練をすることで改善するのだというが、姉様には露ほどの効果も無かった。しばらくそのことで私の前でだけ姉様はしょげていたのが印象的だ。私は子守歌の代わりに寝物語をよくせびったものだ。姉様の落ち着いた声で物語を読んでもらうと、いつも最期まで起きていられなくて、同じ物語を何度も読んでもらっていた。文章を声に出して読んでいる姉様の横顔が、夜闇に揺らめくロウソクの火に照らされてとても美しくて、内容が頭に入ってこなかったこともある。私の視線に気がつくと柔らかく笑って布団をかけ直してくれる姉様。

姉様は基本的に軍ではあまり感情を表情に出さないタイプだ。もともとはとても表情豊かだったけれど、魔王軍の上席となり任務に責任が出てくると共に私と共に過ごす時以外は感情をコントロールするようになった。外では笑わないと初めて聞いたときは、私の知っている姉様とは別人なんじゃないのかと思ったものだ。

姉様のことを考えながら歩いていると王城の長い廊下はあっという間に進んでおり、目の前には魔王様がおられるテラスのあるお部屋の正面だった。魔王様が執務のご休憩をされる時はこのお部屋を使われるそうだ。日当たりもよく、姉様がたまに此方で休んでおられる魔王様に頭を撫でていただいたと言っていたっけ。それに気になることも言っていた。

扉をノックして名前を名乗る。くぐもった小さな声で魔王様が入室するようお返事をくださる。

「失礼いたします。」

扉を開けて深く一礼をして、顔を上げると姉様が言っていた気になることの通りだった。

部屋の内装がやけに女性的なのだ。

深いベルベットレッドの布で統一された家具や絨毯、カーテン。金糸で装飾の入った模様は上品な重厚さがあるが、そのモチーフはどれも草花だ。

もちろん草花が好きな男性もいるだろうし、そういった方に偏見など無いが、それとはまた一線を引いた内装なのだ。そうまるでその装飾が好きな女性の部屋、という雰囲気が感じられる。

扉から正面を向いた窓ガラスが大きく空いており、そのテラスに魔王様が座っておられる。魔王様の目の前にあるテーブルにはティーセットが二人分用意してある。

魔王様と目が合うと、テラスへ来るよう合図を送られる。私が今進んでいる部屋にも魔王様のおられるテラスにも側近の方はおられない。

この魔王様は少々、いやたいそう独特で、ほとんどのことを自分でされる。魔力が強く、魔物討伐でも腕の立つ方の為、護衛をする兵士よりも強いというのが実情だ。

また先代の魔王様と違い、もともと市井に生きていた方と言うこともあり、王族のように畏まられるのが苦手だと聞いたことがある。特にこの部屋は気を許した相手にしか入室を許されていないはずだ。

「足労いただき感謝する。まずは座ってくれ。」

「ありがとうございます。」

テラスで魔王様と向き合い改めて挨拶を交わす。この方は部下や家臣に対して労いを忘れない、と姉様が言っていたが、一般人である私にも同じようだ。

テラスに常備されている椅子へ腰掛け、景色を見る。

以前住んでいた小さく写る町並みから白い煙が立ち上っている。耳を澄ますと市場で生きる人々の活気ある声が聞こえてきそうだ。

魔王様は自らティーポットからお茶を注いでおられる。辞退したもののついでだからと私のカップにも注いでいただく。お付きの方がおられたら私の首が飛びかねない状況だ。

「…それで、お話とは。」

ティーポットを置かれた魔王様にお呼びになられた理由を尋ねると、わずかに目を伏せられた。やはりいい話ではないようだ。

「最終調整のため、ウォルフラムと魔性の森へ行った時の話だ。」

「存じております。人間の勇者と名乗るものが現れ、生き帰られたのは魔王様のみであったと。」

魔王様はティーカップを口に運び、頷いた。

「あのもの、勇者は、ウォルフラムの率いておった小隊を事も無げに破壊した。」

姉様の率いるフラム隊は魔王軍で精鋭部隊として有名であった。一個小隊が大隊と同等の戦力を持ち、軍事訓練の試合では勝利を収めたこともある。己に厳しい姉様の元で同じように己を磨いた隊員達はまれに顔を合わせた私にも優しく話しかけてくれた覚えがある。そう、彼らも敵わない相手だったのね。

「儂はフラムに逃げろ、と言われ尻尾を巻いて戻ったのだ。」

重いため息と後悔の念で深く刻まれる額の皺が魔王様の心情を表していた。

「儂があの場に残っていれば。と悔やまなかった日はない。だが残ったとして、長年の計画を遂行できなかったならば生き残ってもフラムは自身を責めるだろうと思うのだ。」

「そうですね。姉はそういう人ですから。」

抱えなくてもいい責任を抱え、そしていつの間にか乗り越えてしまう人だから。

私の身体が弱いのは姉様のせいじゃないのに。ずっとずっと私を気にかけてくれていた。

流行病の後遺症で片目の視力が無くなってからは、常に私の手を取り導いてくれていた。

「メイリアス殿に伝えるまでに何度か該当の場所にフラムがいないか捜索していた。お主に話すまで時間が掛かってしまったのはこのせいだ。誠に申し訳ない。」

頭を深く下げる魔王様に顔を上げていただくようお伝えする。

「だが、襲撃に遭った場所には隊員達の無残な姿と…フラムの折れた刀のみが残されておった。周囲の捜索も合わせて行ったが、有力な情報は出ておらん。」

姉様のもっていた双剣は城下町で一番の腕を持つ鍛治師が打った最高傑作だったはずだ。

切れ味は何よりも鋭く、持ち手は姉様の手になじむよう設計され、他の刀と打ち合っても競り負けない硬度を持ちながらも重さは羽のように軽い。一本でも取り扱いに苦労する癖のある形をしたその刀を両手に持ち踊るように相手を翻弄し俊敏な動きで相手を切り刻む様子をまるで刃が羽のように見えることから死の四翼と陰で言われていた。本人の前で口にすれば一瞬で首を落とされるだろうと。

「空へ、飛んだという可能性は?」

「ない。勇者の放った初撃の炎魔法は儂へ狙いを定められておった。いち早く気付いたフラムが身を挺して防いでくれたのだ。その際に羽根は焼け落ちておった。」

力なく首を振る魔王様をみて、私は目の前に置かれた口を付けていないティーカップを見つめる。琥珀色の液体は私の顔をボンヤリと映し出す。姉様と似ても似つかない赤茶色の髪、小指の程の小さな角。

「魔王様は…お伝えになられたのですか?」

無意識にそんな言葉が口をついて出ていた。

「なにを、だね?」

「魔王様が、我ら姉妹の父であること、です。」

私を見つめる魔王様の瞳が驚きで見開かれるのとは反対にテーブルに置いた手が硬く握り込まれる。

動揺で揺れる瞳の色は姉様とよく似たターコイズブルー、やわらかな風が揺らす髪は私と瓜二つの赤銅色。姉様とお二人で空を駆ける後ろ姿はさもあらんや。

姉様と魔王様を見たときに確証はなかったがそう感じたのだ。翼を持つ魔族も、同じ髪の色や瞳の色をしている魔族は大勢いる。それでも血縁ではないかと思ったのだ。

「フラムは、知っていたのか…?」

「いえ、恐らく気付いていないでしょう。私がそうではないかと思っていただけで、口に出して話したことはありませんから。」

あまり周りに聡くない姉様のことだから、まるで父親のようだ、と思い慕っていたとしてもまさか本当に肉親だなんて思ってもいないだろう。だから、姉様が魔王様と本当の関係を理解するには魔王様本人の口から語らなければ決して真実へたどり着くことはない。

「そなたらの、父、とは…。」

「お伝えになられていないのですね。」

「あのときは、そのような時間の余裕がだな…」

「では、一族の村へお二人で向かわれた時は?余裕はあったのではないですか?」

言い渋る魔王様をきっぱりと切り捨てる。

魔王城から失踪されたと分かった時の家臣達の慌てようはひどかった。

いつも冷静な大臣が頭を抱えて叫び出し、少々肉付きのよかった方達はほんの数日で余計な肉をそぎ落としていたし、城に使える女官達は姉様と愛の逃避行だとかお花畑のようなことをしゃべって女官長に大目玉を食らっていたし、上へ下への大騒ぎだった。心配するだろうからと私は姉様から事前に事情を聞かされていたので、その様子を面白おかしくも観察させていただいていたけれど、当事者であったならその場で倒れて寝込んでいても可笑しくはないだろう。その間約3週間。時間は充分にあったはずだ。しかも姉様や母様にまつわる角の一族のことだから話題として口に出すには違和感もなく状況は整いすぎていたはずだ。

「……。」

もごもごと視線を背ける魔王様に厳しい眼差しを向ける。

「その、すまぬ。」

「私に謝っていただかなくても結構です。」

「すまぬ。」

重ねて謝罪の言葉を口にする魔王様を見て大きくため息を吐く。

「どうせ、以前もそんな感じだったから母様も愛想を尽かしたのでしょうね。」

「愛されてはおったのだぞ?!」

母様や姉様は私と違い面倒見のいい性根をされているので、この情けない姿を見れば放っておけなかったのだろう。弱きを助け強きをくじくタイプだものね。

「まあ、母様の話は今は置いておきましょう。それで姉様のことですが。」

逸れかけた話の流れを軌道修正する。母様との昔話は後日おいおい話していただきますからね。覚悟なさってください。

「魔王様が心配なさられているような感傷に私はございませんのでご安心ください。」

「しかし、実の姉の悲報ともなれば…」

触れあうことの少なかった父ですら悲しみに暮れていることは想像に難くない。

それでも私は魔王様の言葉に首を振って否定する。

「姉様は常に誰かのために戦う人です。死体がその場になかったのならば、別の何処かで誰かを助けるため動いたのでしょう。姉様はお人好しですから。そんな姉様のことを私は誇りに思っています。最期のひとときに他の誰でもなく私のことを思い返して貰えるのなら。姉様の人生の一部であったことを嬉しく思っているのです。」

姉様が魔王軍に入った時におそろいで作ったネックレスは今も持ってくれているだろう。最期の時はきっとそのネックレスを手に私のことを思い返しながら笑顔で旅立ってくれるはずだ。私の今までの人生で姉様が全てであったように、姉様の人生も私が多く占めていればそれでいい。

「あの方にそっくりだな。」

昔を懐かしむような穏やかな笑顔をした魔王様が冷めた紅茶に口を付ける。

それに習うように私もティーカップへ手を伸ばす。あの方、というのは恐らく母様のことなのでしょう。魔王様はいつもお一人で母様のお部屋でこんなふうに思い出に浸りながら過ごされていたのだろうか。

…冷めていてもおいしい。私好みの味だわ。こんなところにこの人の血が流れていることを実感させられる。

「何を仰られているんですか。あなたの娘でもあるんですよ。」

母様一人で子供を成すことはできないというのに何を言っておられるのか。私と姉様の血の中には確かに母様と魔王様の血が流れていると、ほとほと実感しているところですのに。

「メイリ、アス。」

「まあ、私はまだ親と認めておりませんけれどね。」

感動で打ち震えているところを申し訳ありませんが、私は基本的に姉様以外には厳しいんです。

「メイリアスゥ。」

「泣いて同情を誘っても変わりません。それよりもこの新たな地で姉様が夢見た景色を築くことが魔王様のなすべきことではありませんか?」

「そう、そうだな!儂にはやることが沢山あるからな。」

ちらちらと此方を見てお父さん頑張るよアピールしなくても結構ですから。

姉様が本当の父親がこんな親ばかのような方だなんて知ったらどう思うことやら。

これから私は姉様や母様の代わりに魔王様の手綱を握らねばならないようです。

姉様、姉様の分まで頑張りますので、生まれ変わったら一杯おしゃべり、もとい愚痴を聞いてくださいね。

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