10-◾️ 【お蔵入り】【いちばん上手な幽霊退治】






「お邪魔しま〜す……」



 預かった鍵を使って、久々に白い部屋の扉を開けた。

 さっきまでラフィが居たはずなのに、室内は怖いほど静かで冷たい。



「家賃払ってるの、二号さんでしょ」



 僕に続けて入った那由多くんが扉を閉める。



「それはそうなんだけどさ、今住んでるのはラフィだし」



 僕が住んでいた頃は三つある部屋のうち一つしか使っていなかったけど、ラフィは三つともフルで使っているみたいだ。

 よく見たら家具はどれも二人分あって、流しに置きっぱなしになっている二つのグラスの片方には口紅がついていた。



「恋人ができたって言ってたからなぁ」


「さぁ、どうでしょう。行きずりの相手かもしれませんよ」


「信用ないね!?」


「だって、ラフィですし」


「それは僕も思う……」


「でもまぁ、良い相手が見つかったのならよかったですね。彼は独特ですから」


「そうだねぇ……」



 室内を一通りビデオカメラに収めて、以前僕たちが動画公開していた部屋にたどり着く。

 三号くんが持つ一号しか映さないカメラは、相変わらず沈黙を続けている。



「ちょっと僕のカメラ置くね……」


「えっ? 三号が二台持ちますよ」


「いや、良いんだ。動画として公開するのはここまでにしようと思ってたし」


「どういうことですか?」


「上手い具合に編集しとくからさ……」



 僕はカメラの電源を落として床に置いた。

 動画用のライオンマスクを外す。



「一号! 僕だよ! 浅葱だ!」



 白い部屋に僕の声が響く。

 ここで暮らしていた時に何度も感じた一号の気配が、一気に濃くなった。



「浅葱さん、何のつもりですか? まさか、また……」


「身代わりになろうなんてバカなこと、もう、僕は考えてないよ」



 不安そうに耳打ちをする那由多くんを落ち着かせるために、出来るだけゆっくりと喋る。


 ほ、本当は……逃げ出したいほど怖いけど……っ!


 でも、もう、逃げないんだ!!

 自分のためにも、大事な人のためにも。



「僕が引きつけるから、その間にキミはリュックサックの中のお札でケリをつけるんだ」


「………」



 無言で頷いた三号くんとアイコンタクトを交わして、再び一号へ呼びかける。



「今まで、一号に頼ってばかりでゴメン! 僕は気づいたんだ! きっとキミにも、心細い時や誰かに頼りたい時があったはずだって!」


「………」


「僕たち相棒だったのに……そんな当たり前のことにも気付けなかったなんて……いくら謝っても足りないよ!!」



 三号くんの持っていたカメラがジジジ……と唸り声を上げはじめた。



「浅葱さん! 危ない!!」



 窓は開いてないはずなのに、急に強い風が吹いた。

 部屋の暗闇がゆるんで、黒い霧になって一カ所へと集まっていく。

 渦を描くように凝縮された霧の中から現れた見慣れた姿は……。


 ……一号だ。



「………」



 ラーメン店で出会ったときと同じく何も喋らないけれど、両目に開いたがらんどうの黒いアナをスローモーションのようにジワジワと僕らへ向ける。



「……浅葱、さん」



 那由多くんが僕の背中を引っ張った。

 一号のカタチをした、だけど一号じゃない羅睺らごうが怖いんだろう。

 僕は彼女を守るように一歩前へ出る。

 前回みたいに、また僕に興味を示してくれれば……っ!



「一号、僕のこと……分かる?」


「………」



 無言のまま、一号の身体は一瞬後ろに傾いて……その後、僕の頬を何かが掠めた。



「えっ!?」


「きゃっ……!!」



 一号が次に狙ったのは那由多くんの方だった。

 僕の隣をすごい早さで通り抜け、那由多くんの両肩を押さえつけて壁に縫い止める。

 


「い、痛い……っ!」


「すぐ行くよ!!」



 一号の身体を那由多くんから引き離そうと後ろから羽交い締めにするけれど、押しても引いてもビクともしない。

 その間にも、一号の大きな手は那由多くんの細い肩を力任せに砕こうとしている。

 頼みの綱のお札は那由多くんが背負っているリュックサックに入っているから、壁に押しつけられて取り出せない。


「にぃ、ちゃ……」


「那由多くん! ソレは羅睺らごうだ! キミのお兄さんじゃない!!」


「う、ううう……ッ」



 苦しそうな声を聞いて焦りが増す。

 そうだ、なにかで目を塞げば……!!

 僕が使っていたマスクで……!



「ヒッ!?」



 那由多くんの悲鳴と、一号の首が根本から崩れ落ちるのは同時だった。

 羅睺らごうの器としての限界が来たんだろう。

 床に転がった頭も、パラパラと黒い霧へ変化していく。

 こんなに食い尽くされるまで、一号、キミは……。



「あ、さぎ、さ……」



 頭を失った一号は、今度は手探りで那由多くんの首に触れた。

 那由多くんの瞳が恐怖で歪む。

 頭を無くしてしまったのなら、視界を塞ぐ作戦は使えない。



「くそっ……!」



 何かないかとポケットを探っていたら『いつでも死ねる家』の後に海で見つけた手紙の切れ端が手に当たった。

 そうだ、結局あの時は那由多くんが笑ってくれたことに気を取られて返せなかったんだ。こんな断片、使えるかどうか分からないけど……!!!



「ニャアアア!!!」



 手紙をポケットから外に出した途端、ラフィの飼い猫が僕の手から紙を奪い取って一号に飛びかかった。



「マイゴッド!?」



 いつもはラフィと一緒なのに、今日は見かけないと思ったら……!!

 確かな意志を持って一号へと突っ込んだマイゴッドはそのまま一号だったものと揉み合いになる。

 僕はその隙に那由多くんを助け出した。



「はぁ、はぁ……」


「那由多くん! 大丈夫?」


「に、兄ちゃん……兄ちゃんが……」



 自分で自分を守るように両肩を抱えてうずくまる那由多くんは、ガタガタと震えながら涙目で僕に訴える。



「兄ちゃんの顔……、全部、ヒビが、入って……ボロボロ、くっ、崩れ、て……ぅあ、あっ、あああああぁあ……」



 僕は後ろからだったけど、真っ正面から見てしまった那由多くんは相当ショックだったのだろう。

 こ、こんなに怯えている姿なんてはじめて見た……。



「那由多くん、落ち着いて……っ」


「む、無理……無理です、いや、やだ……兄ちゃん、兄ちゃん!!」


「アレはお兄さんじゃないよ!!」


「兄ちゃんだもん!! なゆ、の……兄、ちゃ……」



 どうしよう……那由多くんの恐怖心が強くなると、幽霊たちの力も増してしまう。

 どうする? どうすれば……っ!



「……あっ」



 自称天使らしいラフィの言葉が頭をよぎる。

 信じるか信じるかは僕次第だけど……っ!

 もう、中途半端だけは絶対にイヤだから……!!



「……那由多くん、こっち」


「えっ?」



 俯いて泣きじゃくる那由多くんの華奢な顎に指を添えて、僕の方を向いてもらう。

 何をされるのか全く想像できないのか、キョトンとした表情で那由多くんが言った。



「な、なに……?」


「僕を見て」



 今、彼女の感情を恐怖から反らすことが出来ればいい。

 身体を小さく丸めている那由多くんのために僕も膝を折って視線を合わせて、彼女の白くやわらかい頬に触れた。

 居候させてもらうようになってからいつも保っていた一線を、ソッと踏み越えるぐらいの強さで引き寄せる。


 彼女のことが大好きだ。

 幸せになってほしい。

 僕にできることなら、なんでもするよ。



「……んっ!?」



 両手で包んだ那由多くんの顔はやっぱり小さくて、合わせた唇から震えが伝わる。

 いや……、これは僕の方が震えているのかもしれない。

 キスのやり方なんてすっかり忘れてしまった。

 だけど、こんなに壊れそうな脆いキスは初めてだ。

 絶対傷つけちゃダメだと思ったから、口を真一文字に結んだまま触れるだけの拙いキスを続ける。

 恥ずかしくて目を開けていられない。

 少しずつ、石みたいに固かった那由多くんの身体が緩んでいって、そして……。

 


「ひっ、あッ……! や、やめてくださいっ!!!」


「ぐはっ!!!」



 案の定、殴られた。

 それもグーで。



「な、な、何考えているんですか!? ぶっとばしますよ!?!?」



 那由多くんは顔を真っ赤にしながらパーカーの袖で口元を何度も拭っている。



「ぶっ……ぶっとばしてもいいからっ!!」



 僕の顔も燃えるように熱い。



「あっ、浅葱さんだって私の気持ち、いい加減、知ってるはずじゃ……っ」


「ちょっとでも……! 怖いの無くなったら、もう、それでいいから!!」


「えっ……?」



 那由多くんがパチパチと瞬きをすると、二重瞼の大きな瞳から涙が一筋だけ流れて止まった。



「あああ、後で、何回でも殴っていいから!! だから……」


「……分かりましたよ」



 辺りを見渡した那由多くんは、首のない一号がマイゴッドに苦戦している姿を確認して立ち上がった。

 僕がプレゼントした黒いニット帽を深く被り直す。



「……取り乱してすいません。『ゴーストイーター』を続けましょうか」


「那由多くん……!!」


「後で、覚悟しておいて下さいね」


「うっ……!! も、もちろん……!!」


「安心して下さい。命まではとりませんから」


「なにされるの……!?」


「浅葱さんにはハッキリ言わないと分からないみたいなので、もうハッキリと言います。逃げずに聞いて下さいよ」



 那由多くんは背負っていたリュックサックの中からお札を大量に取り出すと、とうとうマイゴットを振り払うことに成功した一号に向けて高らかに宣言した。



「おいっ!! お前なんか……っ!」



 一緒に動画を撮り始めてからずっと手離さなかった、一号のカメラを投げ捨てる。



「兄ちゃんじゃ、ない!!!」










「そうだ!」





 バン!!! と勢いよく玄関の扉が開いた。







「その言葉が、聞きたかった!!」







 声の主は……は。

 僕たちがずっと会いたかった、一号そのものだった。


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