ANTHEM 後

 視聴覚室のスクリーンに、今度はまだ幼いころのシノが映し出されていた。

 シノは少し照れたように笑いながらスクリーンを見つめていた。

「あはは……、ちょっと恥ずかしいな」

 そして、シノと一緒にいるのは今と全く変わらない姿の私。少しずつ記憶が鮮明になってきた、シノと初めて会ったときのこと。それからのこと、自分のこと、世界のこと。


『シノ、大丈夫。私の歌声を聞いて』


 スクリーンの中の私がシノに優しく話しかけて、そして歌い始めた。それはX→LIST+の曲だった。

 そう、X→LIST+のボーカルは私だ。世界中の人々の無意識の世界が生み出した幻のボーカリスト、「メル」。それが私。人々の心に安寧があるようにと、人々の無意識の祈りが私を生み出した。

 あのとき、ステージに出てきたのも、私の顔をした少女も、人々の無意識が私の本来の在り方を思い出させようとして細工をしたのだろう。

 シノが手を出してきた、と言ったのはたぶんそういうことだ。


『シノ、大丈夫。私が居るよ』

 そういうとスクリーンの中に居るシノは安心したように眠った。そして何度も何度も、私はシノのために歌った。

 本当はシノのためだけじゃない。世界中の、私を必要としている人たちの無意識の中で私は歌い続けていた。

 誰にも気づかれない。当たり前だ。私は人々の無意識の世界に生まれてしまった存在だ。語りかけられることも、気づかれることもない。

 ただ、人々の悲しみ、憎しみ、怒りを受け止めて、それを和らげるためだけの機械に等しい。

 だから、私がシノに出会えたのはきっと、奇跡だったんだろう。


「メルと初めて会ったのは夢の中だったっけ」

「そうだね……。私に話しかけてくれる人なんて初めてですごく嬉しかったのを思い出した」

 

『おねーちゃん、だれ……?』

『私は、メル。あなたは、シノね……。私のこと分かるの?』

『うん、だって私、おねーちゃんの歌すき!』

『ふふ、ありがとう……』


 それから何度も何度も夢の中で会って、色んなことを話していた。ああ、そうか、これが私だ。

 少しずつシノが成長して、たどたどしかった言葉遣いが大人びて、私はそうやって大きくなっていくシノを見るのが楽しみだった。

 

 そして、なんどか場面が変わってのシーンが映し出された。


『っ……はぁ、はぁ……。ぁ』

『メル、苦しいの?』

『う、ううん平気だよ。私は平気。だから心配しないで』


 そのころの私はもう限界に近かった。人々の無意識にさらされて、自我を保つのが難しくなっていた。

『シノ、もし私が居なくなってもまた会えるから……。だから心配しないで』

 このまま自我を失えば、「今の私」が消えて、また「新しいメル」が生まれてくることは想像に難くなかった。 

 そういうふうに生みだされたのだから、そういうふうにできているのだから。それが私の人生みたいなものなだと、私はそう思っていた。それは、今でも。


『それって、どういうこと……。メルが死んじゃうってこと?』

『そう、かもしれない。人間風に言うと、死ぬってことなのかな』

『どうして、そんな簡単に言うの。消えちゃうんだよ!? 嫌だよ!』

『シノ、私は死んでも、また生まれ変われるの、記憶はもうなくなってるかもしれないけど。そうやって生きてきた。だから、泣かないで。きっとまた会えるから』

『そんなの……っ! メル、私はあなたを死なせない。あなたが世界から生まれた空想だっていうなら、私の空想になってもいいはず。私の空想の中でずっと……!』

『シノ、なにを……!?』


 そこで私の意識は途切れている。

 シノが一度目覚めてから、現実で睡眠薬を飲んだのだ。致死量ギリギリ。それはほとんど自殺に近い。

 その強力な眠りの中に私は囚われた。

 ほとんど死人に近い、無意識に近い領域まで降りてきたシノは、私の記憶を消して、彼女の空想の中で共に夢を視ることに決めたのだ。


「これでおしまい。あーあ、もう完全に思い出しちゃったよね」

 投げやりに言い放つシノの声には、少しだけ涙が混じっているような気がした。

「メル、忘れちゃった方が幸せだよ。メルは私と一緒にいたくないの?」


 シノの言葉が私の心に染み込んだ。

 それは麻薬のように私のことを麻痺させて、考える隙も与えてくれない。気を抜いてしまうと、シノの言葉に甘えたくなってしまう。

 だけど、それじゃだめだ。それじゃ、誰も救われない。私も、シノも、世界の人々も。


「シノ、だめだよ。私は私の居場所に帰らなきゃ。それが正しい世界の在り方なんだもの」

 

 私がシノの空想の中で「シノの空想」として生きていくことができれば、私は確かにシノと一緒に、それこそ永久の時間を生きることができるのかもしれない。

 だけど、それはシノにとてつもない負担だ。今も現実のシノの身体は生きるか死ぬかをさまよっているのだろう。

 だから、世界がひどく曖昧なんだ。生きているように見えて、死んでいる。シノと私以外の全ては。


「シノ、この世界は偽物だよ。元の世界に帰らないと」

「偽物……? 偽物って何? 本物って? あっちのことを知らなかったら、こっちの世界が唯一つの本物でしょう? 偽物か本物かなんて、些細な違いよ」


「だけど私は知ってしまった……。この世界がシノの空想で、本当の世界があるって」

「メル、だけどこっちの世界の方がいいでしょう? 人々のために歌を歌って、確かに私も世界も救われてた。だけどあなたは? メルのことは誰が救ってくれた? この世界ならあなたを救えるの。あなたをただのメルにできる」


 それは、とても魅力的な答えだった。ただの女の子になって、何もかも忘れて、シノと一緒にただ過ごす。

 この世界での生活はまさに幸福に違いない。だけど、それは夢だ。本当はそうはなっていない。私たちは夢から覚めて、シノは現実で生きていかなければならない。

 その手助けをするのが私の役目だ。みんなが辛い現実に負けないように、私がいる。一時の夢、幻想を魅せることが私の存在理由。だから――。


「ごめんね、シノ。それでも私は、歌を歌いたいの。みんなのために、あなたのために。それにシノが私のために苦しい思いをして作った世界で幸福になることなんて、やっぱりできないよ」

「それでも私は……、私はあなたと一緒にいたいの、メル。あなたのことが好きなの。どうしようもなく、たとえ自分が死にそうなっても……!」

「シノ……。歌を聞いて。あなたのためだけに歌うわ。あなたのためだけに作った歌、ANTHEMを」


 シノのために私は歌う。シノだけの歌だ。シノが安心して眠れるように、明日を頑張れるように、未来に生きていけるように、シノのための歌。私とシノの歌。

 だから、泣かないでシノ。あなたが泣いてると、私まで悲しい。私はもうずっと悲しみとか、怒りとか、悔しさとばかり向き合ってきた。だけどシノは私に笑顔とか、嬉しいとか、楽しいを教えてくれた。

 だからシノ、帰ろう、あなたの世界に。



「シノ、帰ろう」

「メル、私は……!」


 












 ふと意識が戻ると、そこは自分の部屋だった。眼の前には大量の睡眠薬の瓶があって、私はそれを開けようとしていた。

「メル……っ。私、わたしは……」

 時間が、戻っているのか……。本当なら私は病院のベッドの上にいるはずだ。両親に見つかればすぐに病院に運ばれているだろう。だけどそうはなってない。

 睡眠薬を買ってきたままの私が、自分の部屋にいた。もう一度飲みほす気力はなかった。メルの歌ってくれた曲が頭のなかで響くと、不思議とそんな破滅的な願望が綺麗に消えていくようだった。


『シノ。おはよう』

「メル……!?」

『私はシノの意識に残れているみたい。曖昧だった自我も今はシノに繋がれて安定してる。長くシノの空想の中にいすぎたせいかな』

「じゃあ、ずっと一緒にいられる……?」

『きっと一緒にいられるよ。シノが望む限り』

「よかった……。だけどどうして……。時間も戻っているみたいだし」

『私にも分からない。だけど、これは夢じゃなくて、現実ってことだけは確かみたい』

「メル……。私、メルを救えたのかな」

『シノのおかげだよ。ありがとう。だけど、もうあんな無茶しちゃダメだよ』

「それは……。ごめん、もうしないよ」

『メル・アイヴィー』

「え……?」

『私の名前。メル・アイヴィーにしようかなって。アイヴィーの花言葉には不滅って意味があるの。だから、私はメル・アイヴィー。不滅のメル、だよ』

「不滅のメルって……。だけど、いい名前だね」

『シノ、だから心配しないで。私はあなたとずっと一緒にいる――』


 


 世界は、こともなげに回っている。メル・アイヴィーは今でも世界の誰かのために、そして彼女の大切な者のために歌っている。

 もしかしたらあなたの夢の中でも、あなたの知らない無意識の世界でメル・アイヴィーが歌っているかもしれない――。









 


 

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ANTHEM ごんべい @gonnbei

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