第8話 X年後②

 手帳に挟んでいる、美玲ミレイと俺の記念写真。


 一つ、大きなため息を漏らして、俺はその手帳を閉じて、真っ黒なスーツの胸ポケットにしまった。

 こんな所で一人感傷に浸っていたら、姉になんて言われるか分からない。

 俺は涙が浮かんだ右目の縁をそっと拭いた。


 そろそろ式が始まる。

 行かなければ。


 まさか、こんな日が来るなんて。

 いや、分かっていた。

 来る、と。

 本音を言うと、こんな日は来て欲しくなかった。


 俺は、再度大きなため息をついて、さざめく心を落ち着かせ、部屋の扉を開けて外へと出た。


「遅いよ! 今呼びに行ってもらおうかと思ってたとこだよ!」

 式場の前に立つ彼女が、やっと現れた俺を見て、イライラしげに怒らせていた肩を下ろす。


 俺は、彼女の横に立って──左腕を差し出した。

「ごめん。感傷に浸ってた。

 まさか……バージンロードを一緒に歩ける日が来るとは思わなかったから」

 俺の腕にそっと自分の腕をまわした彼女──美玲ミレイの顔を横目で見る。

 ぶっちゃけ、まともに見れない。

 泣いちゃう。


 美玲ミレイが着ているのは真っ白なウエディングドレス。

 あの日の、姉お手製のなんちゃってではない、本物の花嫁衣装。

 俺が昔イメージした通り、いやむしろ想像なんて足元にも及ばないレベルで、美玲ミレイの姿は美しかった。


 美玲ミレイは、俺との誓いを果たしてくれた。

 美しい花嫁姿を見せてくれた。

 ……正直、なんだかとっても複雑な気分だけど。

「いいのかな……お父さん差し置いて、俺が一緒にバージンロード歩いても……」

 俺は、なんだか居心地の悪い気持ちに身体をモゾつかせた。

 そんな俺の腕を、美玲ミレイがギュッと掴む。

「当たり前でしょ。リョーマが骨髄くれたから、私は今生きてるんだよ?

 あ、そういえば」

 美玲ミレイがツイツイっと俺の腕を引っ張る。

「リョーマから貰ったウィッグ、佐藤さんにお願いしてヘアピースに直してもらったの。ほら、盛ってるこの髪、リョーマのだよ」

 その言葉に、俺は驚いて美玲ミレイの顔に振り返る。


 彼女は、眩しそうに目を細めて、俺の顔を見上げていた。


「私今、リョーマに貰ったものを身につけてるの。骨髄と、髪の毛。

 リョーマがいたから、私は結婚できるんだよ」

 彼女はひょいっと背伸びすると、ヴェールを横に避けて俺の頬へと口付けた。

「本当に……ありがとう」

 やめて。式の前に号泣しちゃう。


 式場のスタッフが、俺たちを催促したため、俺は下唇を噛んで前を向く。

 兎に角、美玲ミレイを新郎に引き渡すまでは泣いたらダメだ!

 俺は気合いを入れた。

 目の前にある式場入り口のドアを見つめる。


 俺はこれから彼女を送り出す。

 最高のシチュエーションで。


 俺の天使は誰かの妻になる。

 でも、この瞬間までは、まだ俺の天使。


 開け放たれた扉の向こうに、祭壇と、美玲ミレイを待つ新郎の姿が見える。

 俺は、美玲ミレイの体温を左腕に感じながら、その一歩を踏み出した。


 どうか、これからもずっと幸せでいてくれ、そう願いながら。


 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

31cmの贈り物 牧野 麻也 @kayazou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ