第2話 五ヶ月前

 部屋の半分が、今は使われていないであろう荷物で埋まった会議室に、俺は萎縮しながら座らされている。


 プレゼン用に開いたノートパソコンは、先程から延々と、まだ披露されていない資料を映し出していた。

 向かいに座ったお客様クライアントの五十代程の男性は、腕組みをして眉間に深い縦皺を刻みつつ、俺の姿をジロジロと見つめている。グレーのくたびれたスーツと、気持ち寒々しくなってきた頭髪が、彼のサラリーマン人生を語っているかのようだった。

 俺の未来の姿かな……。


 普段対応してくれている先方案件担当者が会議に遅れていた。

 なのでこの場には、不機嫌そうなお客様クライアントと俺しかいない。

 間が持たない。

 しかし、担当者がいないので話も始められない。

 重たい空気が立ち込め、高まった緊張で吐き気を催してきた。


「きみ……」

 お客様クライアントの男性が、腕組みを外さないまま、おもむろに口を開いた。

「その頭はなんなんだね?」

 男性の視線は完全に俺の頭に突き刺さっている。

「あのっ……」

 緊張で固まった喉で無理矢理喋り出そうとしたので声が裏返った。

「こっ……これには事情がありまして……」

 俺は、肩口で結んだ長い髪を、撫で付けるかのように一度触った。

 フサフサで長い髪の毛を自慢しているのではない。

 断じて、ない。

 しかしその行動が、更に彼をイラつかせたようだ。目を細めて渋い顔をする。

「どんな事情があるにせよ、男がそんな長い髪で……清潔感というものが──」

 お客様クライアントの男性が俺に対して完全説教モードに突入にようとした瞬間、

「お待たせしました! 遅くなってしまい申し訳ありません!!」

 会議室に、いつもの担当者が駆け込んで来た。


 上着は脱いだスーツ姿で、ネクタイを胸ポケットに突っ込んだままになっている。

 俺より少し歳上で三十代に入ったばかり、といったように見えるが、具体的な年齢は知らない。

 多分昔はチャラかったんだろうなぁと、容易に想像できる人当たりの良さと人懐っこさを持っていて、受注側の俺にも対等に対応してくれる良い人だった。


 髪を触っている俺と、気まずそうな顔をしたお客様クライアントを交互に見て、担当者さんは一瞬にして『あっ!』という顔をする。

 素早くお客様クライアントの横に座り、そのままの勢いで彼に耳打ちした。

「彼の髪は──……の為に──……」

 担当者の微かな声が耳に届く。

 どうやら、事情を知っているこのいつもの担当者さんが、俺の髪の事を説明してくれているらしかった。


 確かに。

 このお客様クライアントの方が、至極当たり前な反応だろう。

 アラサーの男で、客先に出る事もある仕事なのに、髪を背中の半ばまで伸ばすなんて、日本ではほぼ許されない。


 しかし、俺には事情がある。

 髪を伸ばす事情が。


 俺の頭髪について、担当者から説明が終わったお客様クライアントは、目の端を少し赤くしつつ、ゴホンと一つワザとらしい咳払いをした。

「すまなかったね。事情を知りもしない私が余計な事を言った」

 彼は真っ直ぐに俺の目を見て、そう言いつつ頭を深々と下げた。

「いえっ……! お気になさらずに!」

 俺は半ば腰を浮かせて、アワアワと手を振る。

 顔を上げたお客様クライアントの目に光るモノを見つけてしまった。

 気まずくて担当者の顔を見ると、彼はウィンクをバチコンと俺に投げかけてきた。


 惚れるぞこの野郎。


 彼の対応に感謝と嫉妬と憧れを抱きつつ、俺は仕事の話を始めるのだった。

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