八十階 004

 ようやく読み終えた頃には日が暮れていた。

 腕がじんじんと痛い。

 消炎剤を打った方が良さそうだ。

 こういう時ばかりはテトラみたいな微小医療器械メディックが欲しくなる。

 オレは身体改造を何一つしてこなかった。

 興味がなかったからだが、目細野郎のシュキを読む限り、しなくて正解だったのだろう。

 ヘンタイの中のヘンタイがオレの脳に銀色のメスを突き立てている図を想像する。

 銀色のメスのイメージは、こないだ撮ったばかりの没入現実映画ヴィジョンで古代地球の医師役をやったときに、オレがずっと握っていたからだ。

 そんな方法は、今じゃセッキジダイみたいなもんだ。

 オレは少し悩み、仕方なくキザ金髪を呼ぶことにする。

 この部屋の物はあいつの物だ。

 キザ金髪はまだバルコニーの外を眺めている。

 何時間その姿勢でいたんだろう。

 読むのに必死だったのは認める。

 でも、一度も誰かが部屋を歩く気配を感じなかったってのは、変だ。

 トイレくらい行くだろう。

 オレは気味が悪くなって思い直した。

 腕の痛みは我慢した方がいいかもしれない。

 キザ金髪が、ふっと振り返る。

 夜風がびゅんと音を立てて吹き込み、オレはゾーイのノートが飛ばないように押さえつけなくちゃいけなかった。

「読み終えたか」

「ああ」

「得心できたか」

「トクシン?」

 静かに目を細めたキザ金髪は、ひと呼吸だけ悩んだそぶりをしてから、

「心から納得したか、ということだ」

 オレは答えた。

「できるか、そんなもん」

 キザ金髪は鼻で笑う。

「成る程。鈍であることだな」

「納得できるのはゾーイにあった後の話だ。あいつはどこにいる」

「まあ待て」

「生きてるんだな」

「生きている。仲間が上手く立ち回っているようだ」

 キザ金髪はオレの前に座り、机をタップした。

 机の上が疑似モニタに早変わりして、ケータリングメニュー一覧表を映し出す。

「腹が減っては戦が出来ぬという。好きなものを食べるがいい」

 オレはざっと見渡して、一番高いアルファグラムビーフのステーキを注文した。

 キザ金髪が少しでも困ればいいと思う。

「あんたは」

「儂には必要ない」

 オレが何を頼んだのか興味がない様子で、キザ金髪は決定ボタンを押し、注文は確定した。

 ひとことも言わす、オレとキザ金髪は睨み合う。

 もっとも、睨んでいるのはオレで、キザ金髪は意地の悪い顔で笑っている。

 オレには問いただしたいことが沢山あったが、どうやってこいつから聞き出せばいいのかわからなかった。

 くそくらえ。

 やがて、机の上の疑似モニタがランプを点滅させた。

 間もなくステーキがオレに食われに来るというサイン。

 キザ金髪は立ち上がり、別の部屋から机をもうひとつ持ってくる。

 オレが食ってる間、目の前でにやにや笑う気はないってことだろう。

 少なくともそれだけの意味において、オレは安心した。

 玄関先では、エレヴェーターの八十階のボタンが押されていること、つまりキザ金髪の客が来たことを表示する映像が流れている。

 それはホタルのような光の点で、きらきらと輝いて歓迎のダンスを踊り、ようこそ、という言葉になったりした。

 馬鹿みたいなエンシュツだな、とオレは思う。

 キザ金髪の顔を盗み見ようとしたが、そいつはガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。

 どうしたどうした。

 オレは頭を巡らせてキザ金髪の行動を追う。

 キザ金髪は壁のスロットから何本も優先接続用のコードを抜き出して、端子同士を組み合わせた。

 ぶぶぶん、と音を立ててオレの前の疑似モニタの映像が歪み、<ロイヤルサンシャイン・ニューハワイキ 館内アクティビティガイド>とは別の画像が表示される。

 その映像を見たとき、オレの胃の辺りがきゅっと締め付けられた。

 映っていたのはエレヴェーター内部の監視カメラの映像。

「ドクター・ヒューゴで間違いないか」

「ああ」

 キザ金髪は俺に言った。

「後ろの部屋に隠れろ」

 オレはキザ金髪の言葉に素直に従い、やつの寝室に転がり込む。

 映像の中のエレヴェーターの階数表示は六十八階を指していた。

 ドクター・ヒューゴに瓜二つな男の前後に、四人のSPがついているのも見えた。

 何か武器になりそうなものはないか物色を始める。

 しかし何だって――。

 オレは混乱している。

 ゾーイは確かにやつを撃ったはずだ。

 ドクター・ヒューゴの葬式は国葬になって、大々的に外惑星にも伝えられている。

 双子なのだろうか。

 長命化手術の末にそっくりになった双子?

 そいつが屈強なSPと一緒にオレのステーキを届けに来るのか?

 チーン、とエレベーターが到着する音が聞こえた。

 オレはオレに腹を立てちまうくらいにくらい怖がっている。

 目細野郎のシュキを読んだからだ。

 

 オレは物干し竿(ポーラーチャンネルで出てくる未開種族が良く持ってるやつ)みたいな棒を寝室で発見し、それを手に持つ。

 殴る役には立つだろう。

 呼び鈴が鳴った。

「ルームサービスのお届けに上がりました」

 キザ金髪が応対に出る。

「どうぞ」

 オートロックの開錠音。

 あっさりとドアを開けたことにオレは度肝を抜かれた。

 馬鹿じゃないか、勝算があるわけないだろう!

 五対一だ。

 だが迂闊に飛び出すわけにもいかず、オレは息をひそめている。

「ステーキは?」

 と、キザ金髪が言う声が聞こえた。

「焼かせていますよ。あなたは少食だと聞いているのに厨房係は訝しんでいるのです」

「空腹なものでね。ドクター・ヒューゴ」

「そこまでわかっているなら話が早い。我が星のスターを返していただこうか」

「彼は自分の意思でここにいる。返す必要はない。警察を呼ぶ」

 低い低い、ナレノハテが笑ったようなクウドウな声がした。

 それがドクター・ヒューゴの笑い声なのだと気づいて、オレは吐きそうになる。

 それはバラエティー番組でやつが聞かせる笑いの一オクターブ下だったが、追悼特集で何度も聞いたことのある独特のリズムなのだった。

「警察はここにいる。私の横に。令状もある。探しなさい」

「入るな!」

「公務執行妨害」

 短い銃声が響いた。

 どさりと何かが床にぶつかる音。

 オレは物陰から飛び出した。

 鉢合わせたやつの足首を竿でないだ。

 それは打撃じゃなく関節を折り曲げるようにすくう一撃。

 不意を突かれたやつの手から銃が落ち、オレはそれを床に身を投げ出しながら拾い上げる。

 キザ金髪が倒れていた。

 言わんこっちゃない!

 オレは銃口をドクター・ヒューゴに向ける。

 三人の警官の武器がオレに向けられた。

 その間に残る一人は部屋の電子網にロックをかけている。

 訓練された動き。

 どう見たってテロリスト集団にしか思えない。

「おやおや、レイニーの王子様プリンス! 今宵は不機嫌な夜ですな」

 それはゾーイに撃たれる前にドクター・ヒューゴが出演したチープなドラマシリーズの、決まり文句のひとつだった。

「お前は死んだはずだ」

「私のひとりはね、王子様プリンス。思いもよらぬところに、沢山の臣下がいるのですよ」

「クローンか」

 ドクター・ヒューゴは恭しく、古代地球の芝居じみたケイシキでお辞儀をした。

「仰せの通りですとも、王子様プリンス。さあ、我らの城に帰ろうではございませんか」

「オレの脳のどこを切りたいんだ」

「おやおや!」

 ナレノハテめいて青白い顔をしたドクター・ヒューゴは、青い目を大きく見開く。

 心から驚いておりますよ、王子様プリンス

 そういう芝居だ。

「あのゾーイめが嘘を吹き込んだようだ。ただ私めは、あなたのように優れた人材がよその星に流出するのはおしいと思っているだけですのになあ」

「くそくらえ」

 オレは引き金にかけた指に力を入れる。

王子様プリンス、やめなさい。あなたを細切れにしてしまうと復元が難しい」

「フクゲンだ?」

「おや知りませんでしたか? 長命化手術とファンタジーキラー理論のお陰で、私は人体の秘密を神よりもなお理解しているのですよ。あなたはいつまでもレイニーの美しい見本でいていただかなくては。永遠に続く命を持って」

 ドクター・ヒューゴは笑った。

 親しみをこめた笑顔。

 再放送のバラエティーでいつもこうやって笑っている。

「くそくらえ」

 オレは言った。

「お前のオモチャじゃねえよ」

「私のではありませんよ、王子様。レイニーの民意です。あなたがずっと美しいまま生きていることを、レイニーは願っている。老いていくあなたは消え、若いあなたが保たれる」

「……そして、お前の人格がその中に混ざっていくというシナリオを書くわけだ」

 キザ金髪の声がした。

 日本語の「く」の字になって折れ曲がっていた体をゆっくり伸ばしながら、キザ金髪は立ち上がる。

 オレを包囲しているニセ警官隊に動揺が走った。

「撃ったはずだがな」

 ドクター・ヒューゴ。

「その醜い体を捨て、この男の外面に乗り換えようというわけか。成る程。我が民の言葉を借りるならば、齟齬はなけれど反吐が出るということだ」

「おやおや、あなたはどちらのお国の王子様プリンスで?」

 ドクター・ヒューゴは嘲った。

 オレは成り行きを見守るしかなかったが、丸腰のキザ金髪には何もできない。

 こいつがどれだけ金をかけてこの部屋のAIをカスタマイズしていたとしても、電子網は既にシャダンされちまってる。

 それに空飛ぶオレンジジュースがぶっかかったところで、警官隊を殺せるとはとうてい考えられなかった。

王子様プリンスか」

 キザ金髪は笑う。

 オレはドタンバで頭がイカレたのかと思い、鼻白んだ。

 そうしている間にひとりがキザ金髪の後ろに回り込み、電子銃を構えている。

 足音が全くしないのは特殊なブーツを履いてやがるからだ。

王子様プリンスとは舐められたものだ。これだから」

「撃て」

 ドクター・ヒューゴの言葉に従い引き金を引いた警官が、悲鳴を上げてのけぞる。

 警官の手が吹き飛んでいた。

 全身からぶすぶすと煙を上げて、ゆっくりと床に倒れこむ。

 何をしたんだ――?

「撃て!」

 オレは反射的に身を屈める。

 警官隊はキザ金髪に向かって一斉に射撃した。

 射撃に伴うフラッシュと着弾音が何発も何発も炸裂する。

 意味の分からないことをオレは叫んでいた。

 見たくなかった。

 そこにある血だまりと細切れになった肉と金髪の燃えカスをオレは想像できたから。

 やがて射撃音が止み、静寂が訪れた。

 警官隊が身じろぎするのが分かった。

 オレは顔を上げる。

 信じられないことに、キザ金髪は立っていた。

 背後の棚は粉々に砕けていたが、やつは一歩も動いていない。

「良い耐久テストになった」

 アロハシャツのところどころに焦げ目がついている。

 金髪の先が焦げているところもある。

 指先に少しだけやけどがあるらしい。

 それ以外は、無傷だ。

 どんな強化スーツを着てやがるってのか。

 だけどオレが思うに、強化スーツ特有の対爆反応はどこにも見られなかった。

 そもそも強化スーツを着ているならアロハシャツは焼けないはず。

 未知の技術なのか、それとも。

「何なんだお前……」

 ドクター・ヒューゴよりも警官隊よりも先にオレは口を開いていた。

 キザ金髪は赤い目を細める。

「王だとも」

 ヨユウだぞ、という感じで口の端が吊り上がった。

 ドクター・ヒューゴが、

「リミッターを外せ!」

 叫んだのと同時に警官隊が再度射撃を始めた。

 先ほどよりも激しいフラッシュと爆音。

 ホテルの壁に大穴が開いて行く。

 その中でキザ金髪が笑っているのが、オレには聞こえた。

 高笑いしていやがるんだ。

 王様めいて。

 何だって――何だってゾーイはこんな野郎と組んだんだよ!

 フラッシュの煙幕の中でキザ金髪が腕を上げた。

 その手の先にいた、オレの隣で撃ちまくっていた警官のヘルメットが爆発する。

 キザ金髪は半円を描くように手を動かした。

 残りの警官のヘルメットが、順にポン、ポン、と炸裂する。

 あっけなかった。

 おもちゃの風船が割れたみたいに。

 キザ金髪はドクター・ヒューゴに顔を向けた。

 ドクター・ヒューゴは、いつの間に取り出したんだかスタンガンをキザ金髪に向けて震えている。

「臣下が王に武器を向けるとき、それは死すべき定めだ」

 何かを喚いてドクター・ヒューゴはスタンガンのスイッチを押す。

 だが、スタンガンは不発だった。

 信じられねえ、とオレは驚く。

 スタンガンなんてタンジュンなものが、そうそう壊れるかよ。

 キザ金髪はつかつかと歩み寄って、逃げ出そうとしたドクター・ヒューゴの腕を取った。

 ぱあん、と何かが弾ける音がし、ドクター・ヒューゴは白目を剥いて、口から煙を出しながら、玄関先に崩れ落ちる。

 オレまでびびっちまった。

 いや、何なんだよこいつ。

「小僧」

 キザ金髪は片手にドクター・ヒューゴの手首をつかみながら、言った。

「な、何だよ」

 オレは馬鹿にされたことの反論(コゾウだって?)も忘れた上に、どもっちまった。

 本当にくそくらえだな。

 だけど考えてほしい。

 相手は今、四人を妙な方法で殺したヘンタイなんだ。

「行くぞ」

「待てよ。この部屋このままで」

「ルームキーパーが片付ける」

「そういう問題じゃねえだろう!」

 キザ金髪はドクター・ヒューゴの手をぽいと放す。

「ルームサービスに見せかけた武装集団に襲われたが、何故か武装集団は仲間割れを始めて相打ちになった。部屋の住人は無事で、これから臨時の宿泊先を探すため市内のインフォメーションに足を運ぶことを許可されている」

「……そんなスジガキ、誰が信用するんだよ」

「誰もがだ」

 来い、とキザ金髪は手招きした。

 オレは引き返してゾーイのシュキと、オレの鞄を持って部屋を出た。

 そのままオレとキザ金髪はエレヴェーターに乗ってホテルのロビーに下りる。

 ロビーで早速キザ金髪は係員につかまった――言わんこっちゃない――が、それはただ替えのアロハシャツを手渡されて、心のこもった気づかいの行き届いた言葉をかけられただけだった。

 信じられねえ。

 オレたちは無罪放免になり、玄関ホールのロータリーに止まっていたメタリックイエローのクラシックカーを借りて乗りこむ。

 キザ金髪は手動でエンジンをかけ、何も言わずに発進させた。

 自動運転プログラムが切ってある。

 それって違法じゃねえのか?

 オレは鞄の中に、空港でレンタカーサーヴィスにサインしたときの書類があるのを思い出し、取り出そうとした。

 だがその前に、キザ金髪が口を開く。

「ゾーイを迎えに行くぞ」

 オレは鞄の中でつかんでいたレンタカーサーヴィスのヤッカンを、そっと手放した。

 どうせこいつは聞く耳持たないだろうし、目細野郎に会いに行くなら止める気はさらさらない。

 キザ金髪はアクセルを踏み込む。

 車は加速し、オレたちは稲妻のようにアスファルトの上を走って行った。


(第二部 了)

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