皇女様は肉食系

@natume11

第1話

「アイシャ、着替え」

 ウェーブがかった美しい銀髪。宝石のような碧の瞳。括れた腰に相応しく、全体的に華奢でありながら、女性らしさの象徴である胸とお尻は、少女の性をはっきりと示唆している。

「かしこまりました」

 対して、少女に付き従うメイドの少女は、一言で言い表すならば地味であった。

 黒髪、黒目。顔立ちは整っていて、体型もスレンダー寄りながら標準以上と言えるのだが、どちらもワンパンチ足りない印象を抱かせた。もしかするとその原因は、彼女の常に傍に居て比較対象とされる相手が、あまりにも図抜けた容姿の持ち主であるせいなのかもしれない。メイド――アイシャは、王宮内でも外出先でも、とにかく目立たない存在であった。

「…………」

 アイシャは真面目だ。日々黙々と、仕事を熟す。

 マルセイユ王国の姫君であり、アイシャの主君、シルヴェーヌ皇女殿下の身の回りの世話こそが、彼女の仕事。

 シルヴェーヌの瞳の色と同じ、碧のドレス。肌の弱いシルヴェーヌため、肌触りに拘りぬいて作製されたそれを淀みない手順で着付けていき、その仕事はものの数分で完了した。

「終わりました、姫様」

「……ん」

 シルヴェーヌは終了の合図に、軽く頷く。そして、鏡の前で一回転して見せた。次いで、一言。

「悪くないわね」

「ありがとうございます」

 アイシャは、毎日のドレス選びを任されていた。気分によってシルヴェーヌが自分で選ぶこともあるが、それは稀な出来事。細かく付け加えるなら、ドレスの大半はアイシャの手縫いだ。

「出かけましょうか」

「姫様の御心のままに」

 自分の縫った服を着て、アイシャの親愛なるシルヴェーヌが一日を過ごすこと。それが、アイシャにとっての何よりの幸せ。



「命を奪うことは! 絶対に許されぬっ!」

「「「許されぬ!」」」

「人は肉を食わなくとも、生きていけるのだ!」

「「「いけるのだ!」」」

 今日は月に一度の街の視察。月のどの日に訪れるかは完全にシルヴェーヌの気分次第であり、街の極一部の市民達は戦々恐々としているとの噂があった。ともあれ、基本的にシルヴェーヌは市民に人気があるので、大半の者達にとっては歓迎すべき日だ。

 しかし、そんな平和な世の中にも、不届き者は存在するもので――。

「……なにあれ?」

 シルヴェーヌは、目を丸くしていた。

 市街地の中心は、人で溢れている。その活気を目にすることが、シルヴェーヌの密かな楽しみでもあった訳だが……。

「近頃は、連日のようにああいったデモが行われているようですね」

「……デモ?」

「集団で行う意思表示のようなものです」

「ふーん」

 少し興味を引かれたのか、シルヴェーヌの瞳に邪気が宿る。

「で、あの人達はどんな意思表示をしているの?」

「巷で聞いた話によりますと、彼らは完全菜食主義者のようですね。動物を殺し、肉やそれに類する食物を摂取するような行いを批判しているものと思います」

「何、あの人達、肉を食べないの!?」

 シルヴェーヌは驚愕に目を見開いた。

「そのように聞いております」

「……信じられない、気持ち悪っ……」

 シルヴェーヌは身震いしながら、嫌悪を示す。

「そこまででございますか……? あと、口調が乱れております」

「ああやって思想を押しつけようとする輩は気持ち悪さ三割増しでしょうよ。それと、アイシャの前でくらい気を抜かせてちょうだい」

「それは、まぁ」

 アイシャは、目を血走らせながらシュプレヒコールを繰り返す扇動者の集団を眺める。血気盛んに、周囲の全てを威嚇するようなその態度には、酷く暴力的な雰囲気を否が応でも感じとってしまう。

 その証拠に、周囲を歩く住民達は、明らかに集団を避けて行動していた。子供などは特に顕著だ。恫喝じみた大音量の声に、泣き出す者までいる。

「確かに、そうかもしれませんね」

 思想は人それぞれ。

 だけど、それを表現するならば、やり方というものがある。

 人間は、品位があるからこそ人間なのだ。

「好きなものは好き。嫌いはものは嫌い。それでいいのよ。むしろ、それ以外必要ないのよ。あんな大声で好き勝手して、私の街の美観を壊すなんて」

 アイシャには、メラメラとシルヴェーヌの背に怒りの炎が上がっているように見えた。アイシャはメイド服の前ポケットから、メモを取り出して確認する。

「一応、市街地の使用許可は出されているようですね。姫様の名前で」

「……え?」

 シルヴェーヌは、ポカンとする。

「それ、本当?」

「はい。間違いありません」

「…………」

 一瞬の沈黙。

 やがて、シルヴェーヌは集団に背を向けた。

「今日の所は帰りましょう。この様子じゃ、街の視察なんてできっこないわ」

「かしこまりました」

 最後にシルヴェーヌは一度だけ集団へと振り返り――――

「どうせ、こんなのに影響されるお馬鹿なんて、私の国にはいないわよ」

 冷たく言った。

 アイシャは「あのお馬鹿集団も、一応この国の国民です」という言葉をグッと飲み込んで、

「そうですね」

 シルヴェーヌの望む言葉を告げて、その後に続くのだった。



「肉を食べるのはやめないか?」

「……は?」

 楽しい晩餐の席。

 シルヴェーヌにとって、婚約者との幸せな逢瀬――――になるはずだった夜。

「今、なんて?」

「だから、肉を食べるのはやめにしないか、と言ったんだ」

 その幸せな空気は、婚約者であるフィンの一言によって、無残にも崩壊した。

「何を言ってるのよ……貴方まで」 

 シルヴェーヌは頭を抱える。

「ていうか、貴方だって、ついこの間まではお肉を当たり前のように食べていたじゃない?」

「ああ……それについては深く反省しているよ……。だけどな、気付いたんだ。肉食の罪深さに……」

 フィンは深く懊悩するように、テーブルに肘をつく。

 まるで、悲劇の主人公にでもなったかのように。

「必要のない命を……俺達は奪っているんだ。殺される動物を見たことがあるかい? 牛は自らの最後を悟ると涙を流すとさえ言われているらしいじゃないか! 彼らは最後の瞬間まで、生きようと足掻くんだよっ! 生きているんだ! 死んでいいはずがないじゃないかっ!」

 舞台の上で観客に向かって語りかけるように、フィンはそのような事を熱く語って見せた。

 シルヴェーヌはフィンの話を聞き流しながら、牛肉を口いっぱいに頬張る。国策として何世代にも渡って品種改良されてきた牛肉は、蕩けるように柔らかく脂も甘い。

「ああ、美味しい」

「俺の話を聞け!」

「……聞いてるってば」

 シルヴェーヌはフィンを無視している訳ではない。ただ、右から左に通り過ぎてしまうだけだ。

 シルヴェーヌは、訳もなく誰かを批判したり、文句を言ったりは決してしない。シルヴェーヌは彼女にとって都合の悪い話のすべてを聞き流し、すぐに忘れるという特技を持っているからだ。

「恐れながら、シルヴェーヌ様と議論をなさろうと考えているなら、無謀かと存じます」

 見ていられず、アイシャは忠言する。

 議論とは、対立する両者がいてこそ成り立つものだ。その点、シルヴェーヌは対立者には決してなり得ない。何故なら彼女の世界には、自分の意見と、聞くに値する意見と、それ以外しかないのだから。

 彼女はあらゆる意見を排斥しない。しかし、それ以外に分類された瞬間、少なくともこの皇国内において、その意見は最初からなかったことになってしまう。

 だから、もしもフィンがなにかしら答えを求めるならば、もっと単純明快な問いにすべきだ。

 アイシャの知る限り、シルヴェーヌとフィンの関係は長い。

 アイシャは、十の時に親に捨てられた所をシルヴェーヌに拾われた。その時、すでにシルヴェーヌとフィンの二人は婚約者同士だった。ゆえに、シルヴェーヌの事をフィンはよく分かっていた。

「シルヴェーヌ! お前は明日も肉を食べるのか?!」

 シルヴェーヌは肉を口いっぱいに頬張りながら答えた。

「当たり前。死ぬまで食べるわ」

 フィンはカッと目を見開くと――――

「ならもういい! お前とは婚約解消だっ!」

 勢いに任せて、フィンはそう言い切った。

 対してシルヴェーヌは、

「貴方、どちら様でしたっけ?」

 真顔で平然とフィンに言い返すのだった。

 こうして将来を誓い合った二人は、姫君と最初から存在しなかった何かとなった。



「姫様、苦情が多数来ております」

「苦情?」

「ええ、例の菜食主義者達のようです」

「……市街地の使用許可はもう出してないはずだけれど?」

「それが、ここ数日は朝昼夜問わずに街中の家を強引に訪問しては、肉食がいかに悪逆かを長々と話しこんで、多額の寄付金を要求しているようです」

「……なにそれ、新手の詐欺じゃないの」

 詐欺にしては、あまりに大胆不敵……どころか、隠す気もない。

 きっと、フィンのような単細胞な人間が、影響されて多額の金を貢いでいるのだろう。それで、味を占めてしまったのだ。最早、菜食主義者から、拝金主義者に鞍替えしたといってもいい。

「どうされますか?」

「どうするもこうするも、やめさせるしかないでしょ」

「手段はいかように?」

「私の親衛隊を使いなさいな。ただし、関係者は一人も逃がさないこと。一人でも逃がしたら、こういう輩はゴキブリのようにまた増殖するんだから」

「御意に」

 アイシャは慣れた様子で、親衛隊角方に向けてシルヴェーヌの指示を伝える。すると、ものの三日ほどで例の集団のアジトを発見し、捕らえたという報告が親衛隊から上がってきた。

 そして今日、尋問と相成った訳だが――――。


「肉を食えとは言わないわ。ただ、黙りなさい。そして、募った寄付金とやらを全額返済しなさい」

 無機質な石作りの部屋に集められたのは、菜食主義集団の主要メンバー三名。アイシャには、その顔によく見覚えがあった。どれも、市街地の査察に出向いた折に、最前線で大声を出していた人物であった。

 男が一人に、若い女二人。男は意気揚々と吠えているが、さすがに女性二人は怯えを隠せていない。

「断る! 我々は国の圧力に、決して屈することはない! 寄付金に関しても、合意の上でのものだっ!」

「合意じゃないから被害届が出ているんじゃないの。けっこうな数が来てるのよ?」

「黙れ! 命を粗末にする悪魔共めっ!」

 自分を尋問しているのが自国の皇女だと知っても、男の勢いは止まらなかった。話が通じる気がしないので、シルヴェーヌは相手を女性二人に変更する。

 その際に、男がまたギャンギャンと吠えたので、一人だけ別室送りに。

「やっと五月蠅いのが消えたわね……。で、貴女たちも彼と同じ考えなの?」

「それは……」

「えっと……」

 緊張しているのか、どうも要領を得ない。

 それでも辛抱強く待っていると、ちゃんと口を開いてくれる。

「……私達は普段舞台で役者をしております。ですが、昔から太りやすい体質で、体調管理ができていないと、前から監督に怒られてばかりで……」

「そんな時に彼と出会って、痩せるには肉食という罪を絶つのが一番だと……」

 二人は、同じ劇団の同期らしい。似たような悩みを抱え、それを解決するために、男に縋った。

 確かに、二人とも役者だけあって美人だった。

 だけど――。

「で、痩せたの?」

 シルヴェーヌが、どこか興味津々に問いかける。

 二人が僅かに戸惑った後、おずおずと頷く。

「痩せるには痩せたのですが……」

「その……今度はスタイルが崩れてしまって……」

 そう――二人は確かに痩せているのだが、魅力的な肉体とは言えなかった。首筋も、頬も、服から伸びる足も、枯れ木のようで生気に欠けている。青白い肌は、まるで病人のよう。

「栄養不足ですね」

 アイシャが言った。

「きちんとバランスのいい食事をとらなければ、脂肪だけでなく、筋肉も落ちてしまいます。体重が落ちても、肉体の土台である筋肉がなければ、肌は弛んでしまうのです」

「詳しいじゃない?」

「私も一応女なので、いろいろあるのです、姫様」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら聞いてくるシルヴェーヌに、アイシャは苦笑を浮かべる。

 アイシャの人生は、地味なようで波乱に満ちているのだ。

「やはり、そうなのですか……」

「薄々、勘づいてはいたのです」

 女性二人は、揃って肩を落とした。

 目線を合わせるように、シルヴェーヌが二人の前に立つ。

「無知は罪ではないわ。これから、知っていけばいいの。これから貴女達が菜食主義を貫くとしても、私達は止めない。だけど、公衆の面前で騒いだり、金品を要求する行為をやめてくれないかしら?」

 二人は目を見合わす。

 そして、瞳に涙を浮かべながら揃って。

「「……はい、申し訳ありませんでしたっ……」」

 深々と頭を下げるのだった。



 二人の女性に、すべての事情は聞いた。

「話はすべて聞かせて貰ったわ」

「……何のことだか分からんな」

 男は、己の所業をこの期に及んで認めてはいない。

「まぁ、そう簡単に認めるとはこっちも思ってはいないわ」

 しかし、それもすべて想定内。

 強情から生まれてきたようなこの男には、こちらも強情を持って答えるしかない。

「ねぇ、貴方。私とゲームをしない?」

 ニッコリと笑って、シルヴェーヌは言った。

「……ゲームだと?」

「ええ、これから二週間の間、貴方がある事を我慢することができたなら、私は貴方を全面的に認めるわ。もちろん、今回のことも無罪放免と見なします」

「ほう?」

 興味深そうに、男が眉根を寄せる。

「で、その内容は?」

「それは言えないわよ」

「……なんだと?」

 男が目を見開く。

「そもそも、被害者達の被害届だけでも、貴方の事を問答無用で罪に問うことはできるのよ? その内容がどうであれ、これは貴方にとって一方的に有利なゲームに他ならない。違う?」

「……いいだろう」

 男が、ゲームを受諾する。

 シルヴェーヌは、満足げに頷いた。

「なら行きましょう? ゲームのステージへ」

 男が親衛隊によって、強引に立ち上がらされる。

 無言で、シルヴェーヌの後に続いた。

 たとえ男が有罪判決を受けたとしても、数年もかからず出てくることができる。そうなれば、この男のような輩は、まず間違いなく罪を繰り返すだろう。ならば、ここで心を砕いておくのが賢明だろう。そういった判断だった

「…………」

 男は、無言のまま小さな牢屋に入れられた。しっかりと牢屋に施錠を施されると、男は少しだけ焦ったような表情を浮かべる。そこには薄汚いベッドと、樽一杯に詰め込まれた水。

 そして――。

 部屋の隅には、怯えたように丸くなる、一羽のウサギの姿。

「お、おい! こ、ここはっ、一体……」

 どういう事か分からずに、男が言い募る。しかしシルヴェーヌは、すでに男に対して背を向けていた。そのまま顔だけ振り向いて、告げる。

「それじゃあ、二週間後に会いましょう」

「ど、どういう意味だ!?」

「言った通りよ。貴方には二週間をそこで過ごして貰うわ。大丈夫。水があれば、人は二週間程度生きていられるから」

「ふ、ふざけるな!」

 男の怒声もどこ吹く風といった体で、シルヴェーヌやアイシャ、親衛隊達はその場から続々と離れていく。

「お、おい! 待てっ!!」

 やがて大きな一枚の鉄扉がギィィという金属音と共に締められると、男の声は完全にどこからも聞こえなくなった。 

「そこで、命の重さを思い知りなさいな」

 最後にシルヴェーヌは、吐き捨てるように言うのだった。



 ――命を奪うことは罪である。

 そんなことは誰だって、ある程度の年を重ねれば、子供ですら当たり前に知っている事。

 しかし、人は大きな矛盾も抱えている。

 命を奪わなければ、生きていけない。

 それは、男達のような完全菜食主義者だって等しく同じ。

 野菜や穀物を作る際には、どうしても昆虫やその他の命を奪っている。

 極論を言えば、植物だって生きているといえなくもない。

 どう努力した所で、一生を命を奪わずに生きていくことなんてできない。

 でも、菜食主義者の主張自体は、正しいと認めなければいかない。

 奪う命は、少ないにこしたことはないのだから。

 菜食主義を貫くその姿勢は、賞賛に値する。

 しかし、その正義は自分だけの正義だ。

 人に押しつけてはならない。

 ましてや人を欺くなんて、もっての他だ。


「私がお肉を食べるのは、お肉が好きで、美味しいからよ」

 シルヴェーヌは、牢の前で小さく呟いた。本当に、ただそれだけの理由でしかない。正当化したこともないし、これからやめる気もない。

 皇女という立場から、シルヴェーヌはある程度、命の重みを知ったつもりでいる。敵国から命を狙われることは日常茶飯事だし、国政にも深く関わっているから、不用意な発言一つで、国を危機に陥れる可能性があることも重々自覚している。

 シルヴェーヌは、王族としては珍しく、一人娘だ。

 母はシルヴェーヌを生んですぐに亡くなり、父は再婚することも、愛人をつくることもなく、今日に至る。それが原因で、他に有力な候補もいない事から、シルヴェーヌは時期女王になることが既定路線。

 いずれ、シルヴェーヌは、何千、何万という国民の命をその小さな背に背負うことになるのだろう。だから、シルヴェーヌには、身に染みてよく分かっていたのだ。

 ――命が、とても、すごく、言葉にできない程に重い事を。

 それらをすべて承知した上で、肉も、穀物も、変わらず命を頂いているということを。

 健康に、一日でも長く、生きるために。

 シルヴェーヌも、そして国民も。

「……命の重さ、少しは分かった?」

 シルヴェーヌは、蹲る男に問いかけた。

 元から枯れ木のようだった男は、さらに生気を失っていた。それでも、ちゃんと生きている。人の底力を目の当たりにし、シルヴェーヌは薄らと笑った。 

 男の傍には、皮と骨だけになった血まみれのウサギの残骸が。残骸の骨を元に戻そうと試みたのか、奇妙なオブジェのようになり、牢の隅に鎮座している。

 男は己のやった事を何一つ認めようとも、反省すらもしなかったが、彼の語った内容には、一つ真実があった。

『命を奪うことは! 絶対に許されぬっ!』

『人は肉を食わなくとも、生きていけるのだ!』

 男が菜食主義者であるという事実だけは、確固たる真実であった。

 恐らく、男は自意識を抱いてから、生き物の肉を口にするのは初めてだったのだろう。その証に、男はウザギのオブジェに向かって涙を流していた。

「ぅ……ぅぅぅっ……!」

 生きるために、男は肉を口にしたのだ。シルヴェーヌが口にした命の重さ。それは、自身の命の重さに他ならない。肉食を拒否していた男は土壇場で、自分の命をとった。それは、何よりも重い、答えだった。

「貴方の言っていた事は間違ってないわ」

 シルヴェーヌが、男の前にしゃがみこむ。

「命を奪うな。当たり前の事よね? でもね、人間は奪わなければ生きてはいけないのよ。考えてもみて? 同じ人同士ですら、奪い合ってる。食欲、美味しいものを食べたいっていう欲求は、人間の原罪なの。誰しも生まれ持っていて、死ぬまで付き合って、その中で受け入れるしかないものなのよ」

「…………」

「だから、貴方のやったことは、確かに罪だけど、人間なら誰しもが持っている罪なの」

「……誰しもが……」

「そう、貴方だけじゃないのよ」

「……っっ!」

 男が泣き崩れた。シルヴェーヌは構わず言う。

「だけど、それ以上の罪を犯してはダメ。罪を憎む貴方になら、本当は分かっているはず、そうでしょう?」

「……ぁぁぁっ! ああっも! 申し訳ありませんでした! 申し訳っ!」

 男が繰り返し謝罪する。

 シルヴェーヌはニッコリと微笑んで、

「いいのよ。罪は、償えるものなんだから」

 天女のように、そう告げたのだ。



 シルヴェーヌは自室の戻ると、だらしなくソファーに身を預けた。

「あー……だるい」

「姫様、言葉遣い」

「いいでしょう。ここは私の部屋よ?」

 紅茶を所望されたので、アイシャは主人の望み通り、美味しい紅茶をカップの注いで、机の上にそっとのせる。

 それと同時に、アイシャは一つ、気になっていたことを尋ねてみた。

「さっきのお話……」

「んー?」

「菜食主義者の男性に話されていた内容は本心ですか?」

 問うと、シルヴェーヌは破顔して、

「まさかー!」

 と、一笑に付した。

「あれはあの男を洗脳するためよ。心が折れた人間に、新しい思想という名の傷薬を処方する。よくある手ね」

「なるほど、相手の弱みにつけ込む……という訳ですね」

「そう言われるとなんだか納得行かない気もするけど……概ねそうね」

 アイシャはシルヴェーヌに見られない位置で、ホッと息をついた。あれが本心だと言われると、アイシャとしては酷く混乱していただろう。男を優しく諭すシルヴェーヌが、気味が悪くて見ていられなかった身としては。

「ま、ともかく。これで菜食主義なんて露骨に言い出す人間はいなくなるでしょう」

「そうですね」

「でも、ま、気になるのは男の証言よね」

 シルヴェーヌは、観念した男の語った内容を思い出す。概ね、シルヴェーヌ達が聞いた話と合致していたのだが、一点だけ、男はある主張をしたのだ。

「デモをやろうと持ちかけてきた相手……ねぇ」

「気になりますか?」

「そりゃ、気になるでしょうよ」

 最初、男はデモをするつもりなどなかった。肉食を嫌悪すべき対象と見ていたものの、声を出す度胸がある訳でもなかった。その後の男を考えれば信じられない話ではあるが、確かに男の部屋には、匿名で送られてきた手紙が残されていた。

 男はその手紙に後押しをされ、実行に及んだ……と。

「ですが、そんなに気にする事もないのでは? 男に送られてきた手紙も、特に行為を直接指示するような内容でもありませんでしたし」

「……それも、そうか」

 シルヴェーヌも納得したようだ。どことなく、スッキリとした表情を浮かべる。

 そんな時、

「シルヴェーヌーー! ごめんよっ! 許しておくれーー!」

 シルヴェーヌの部屋へと続く廊下から、情けない声が届いた。

「誰かしら?」

「恐らくは、フィン様かと」

「フィン? 誰、それ?」

「…………」

 やりとりをしている間にも、声は近づいてくる。

 そして、件の声の主は無遠慮にシルヴェーヌの部屋のドアを開けて――。

「勝手に入ってくるな、この変態!」

「ぎゃあ!」

 フィンは、シルヴェーヌに思いっきりぶたれる。

 でも、無視はされなかったからか、フィンの顔はどことなく嬉しそうにも見えた。

「姫様、最後に一つ、よろしいでしょうか?」

「な、なに!?」

 シルヴェーヌは、足下に縋り付くフィンを容赦なく蹴りつけながらも、アイシャに振り返った。

「姫様は、どうしてお肉を食べるのですか?」

 問うと、シルヴェーヌは一瞬呆けたように静止した。

 しかし、すぐに口元を歪め、不敵に笑う。

「何度も言っているでしょ? 美味しいからよ。美味しいものは古来より食べていいってことになってるのよ」

「命を奪うことになっても?」

「簡単に摘み取られる命が悪いのよ。最も、厄介な相手でも、それはそれで食べ甲斐があるってものだけれどね」

 さすがは我が姫。

 だからこそ、シルヴェーヌは摘み取られぬよう、そして摘み取らせぬよう、強くあろうとするのだろう。

 清々しい肉食系であると、アイシャは花が綻ぶように笑うのだった。



「ふぅ……」

 アイシャは机の引き出しを開け、その中から紙の束を取り出した。どうやら、それらは手紙のようであった。手紙の一番下には、ある男の名前が記載されている。アイシャはその紙の束に、マッチで火を付けた。すると、たちまちの内に紙は火に包まれてしまう。

「証拠隠滅完了」

 感情を込めず、呟く。ともすれば、アイシャは深い怒りに、発狂しそうだった。

「おのれ……フィンッ!!」

 でも、どう頑張っても怒りは抑えきれず、憎き相手の名が思わず口を吐いて出てしまう。

「何度も! 何度も何度も何度も! 姫様とようやく破局したかと思えば、ゾンビのように復活してっ!!」

 夫婦喧嘩は犬も食わないとはよく言うが、シルヴェーヌとフィンの仲はまさにそれだ。シルヴェーヌは強情だ。だから、一度なかった事にされると、意地でも認めない。ゆえに、関係はいつも初めから。初めからなのに、気付けばいつの間にかいつも通りに戻っている。しかも、その度に初々しい初恋のような甘酸っぱい空気を醸し出すものだから、アイシャにしてみれば、たまったものじゃなかった。

「……姫様はどうしてあんな男に……」

 フィンは、世界でも有数の乗せやすい男だ。ゆえに、材料さえ撒いてやれば、勝手に引っかかってくれる。そんな、愛すべき馬鹿であった。

 アイシャは、ベッドに倒れ込む。ベットのシーツからは、シルヴェーヌの甘い香りがした。それは、洗濯すると嘘をついて持ってきた、シルヴェーヌの使用済みシーツだった。

「ああ! シルヴェーヌ様の、香り!」

 そのまま数分、アイシャはベットの上で身悶えた。

 そして、唐突にガバッと立ち上がる。アイシャは椅子に座ると、眉間に皺を寄せ、考える。

「どうすれば、シルヴェーヌ様とフィンを引き離せる?」

 二人を別れさす方法を。

 これまでの、シルヴェーヌとフィンの二人の喧嘩の原因のほぼすべてが、アイシャによる計画的犯行であったことを知る者は……まだ、いない。

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