第一章 それは、二人の過去のお話

第1話 色眼保有者の独白

 いつからだろうか。俺が彼女を好きになったのは。

 はじめは、気にも留めてなかったはずだ。だって、昔の俺は人に興味なんかなかったから。他人に、希望を見いだせなかったから。

 俺は生まれた時から、能力を持っていた。これだけ聞けば凄い能力にも思えるだろうが、とんでもない。

 使い勝手が悪いし、なにより人の心に土足で踏み入ってしまっているような、そんな罪悪感が四六時中付きまとう。

 そして何より、人の心に宿る色は、大体が――いや、殆どの人間が同じ色だった。個性を大事とされる今の時代において、その事実に俺は嫌悪感を抱いていたのだ。

 これだけだと分かり辛いから、少しだけ例を挙げよう。

 対象の心に激しい怒りがあるなら血の色よりも鮮烈なあかが視え、絶望があるのならがブラックホールのような闇色が視え、悲しみがあるなら毒々しい紫に視え、恐怖があるなら鉛色に視えた。


 不気味だった。

 昼休み中、弁当をつつきながら笑顔で談笑している友人も、授業中の先生も、下校中にふと見かけた井戸端会議中の主婦たちも。そして、家族も。

 みな、心の中に闇色の光を宿している。そして、俺もまた。

 それに気付いた時、俺はどうしようもなく苦しくなって、全てを諦めてしまった。

 亡くなった祖父さんが生前口にしていた、『人は希望を胸に歩いているのだ』という淡い幻想は打ち砕かれ、後には目を逸らさずにはいられない現実のみが残った。それを知ってしまった時、俺は人に期待するのを止めた。

 勝手に期待して、勝手に絶望して勝手に傷ついたのは自分自身なのだが、当時の俺の心はそれを受け入れられなかったのだ。

 なにせ、まだ14歳。万能感に支配された井の中の蛙だったのだから。



 話を戻そう。

 そう、だから彼女も同じだと思っていた。あの日、俺が彼女への認識を改めた日までは。

 確か、西暦2046年の9月9日。絶望してから2年の月日が経って、俺が高一に上がった年の、秋の頃だ。俺だけ未提出だった課題があって、先生に居残りさせられて問題集を解いていた。先生は終わったら職員室に出しに来いとかなんとか言って、さっさと仕事に戻っていった。でも、俺は知っていた。先生の心の色が、鉛色一色に染まっていたことを。

 きっと、他の生徒から俺の噂を聞いていたのだろう。アイツは普通じゃないとか、人の考えが読めているとかなんとか。誰かに陰口を言われるのは慣れていたので、もう気にも留めなかった。

 足りない頭を捻りに捻ってうんうんと唸っていた丁度その時、彼女が教室に入って来たのだ。忘れ物を取りに来たのだと、そう言っていた。


 「誠人君、何してるの?」

 「え?」


 開口一番、彼女――月島華は俺に訊ねる。

 正直、ビックリした。だって、声を掛けられるなんて思っていなかったから。

 同じクラスではあったけれど、一言も喋ったことは無い。なのに、月島は如何にもいつも話してますよと言わんばかりの、何気ない態度で俺に話しかけてきたんだ。しかも優しい笑顔で。

 何とか動揺を隠して、俺は素直に答えた。居残りしてる。課題を一つ忘れたんだってそう答えた。


 「あ、そうなんだ……」

 「……」


 会話はそれっきり途切れて、教室内には俺がシャーペンを動かす音と、月島が身じろぎをする音だけが響いていた。でも俺はその時、問題が解けるような状態じゃなかったんだ。なぜなら、彼女の心に灯った色を、この眼ではっきりと視てしまったから。

 月島の心は、薄い水色に輝いていた。この色の意味は、心配。彼女が、自分か他の誰かを心配しているという証。

 恐らく、俺と二人きりになっているから心配なんだろう、主に自分の身が。だが、その浅はかで傲慢な考えは、月島の口から出た言葉によって否定される。


 「ねえ、誠人君。いつも疲れた顔してるけど、大丈夫?」

 「――え?」


 最初は、何を言われているのか全く理解できなかった。お互いに喋ることも無く、一切接点を持たないはずの月島が、何故か俺の心配をしている。

 そりゃ疑うだろ? その時の俺は何か裏があるんじゃないかってまじまじと顔を覗き込んでいたんだ。彼女の真意なんて、眼に視えているというのに。


 そして、もう一色。

 淡い黄色。この色は、安心。今、月島は俺に安心感を抱いている、という証。

 意外だった。俺を知る人間ならば、心のどこかに必ずと言っていい程、負の感情の色が宿る。どんなに近しい人間であっても。だけど、目の前に佇み、俺を見る月島の心には、そんな色が一切無かった。だから、余計に戸惑いを隠せない。


 それでも、何故、という思いと共に湧き上がって来たのは、安心感だった。

 まだ、俺に喋りかけてくれる奴がいる、俺を心配してくれる人が居るんだって、勝手に閉じた世界に罅が入りかけた、そんな予感がしたんだ。

 でも、ここで何か気の利いた答えを返せばよかったのに、当時の俺は冷たい態度しか取らなかった。


 「……別に、大丈夫だよ」

 「え? あ、そ、そっかー。そうだよね」

 「……」


 俺がぶっきらぼうに返すと、彼女は慌てた様子でそう答えた。心の色は、薄い水色と、淡いオレンジ。俺の反応に傷ついて、少しだけ悲しく思っている。それが分かっていながら、俺は態度を変えることが出来ないでいた。自己への嫌悪と、他者への疑心。矛盾だらけの俺にいら立ちを隠せず、頭を掻く。

 なぜ、コイツは俺に近づくんだろう、一体何の目的があるんだろう。自然と身についてしまった防衛機構が警鐘を鳴らす。でも、その時の俺は、少しだけ彼女に近づいてみたい、そう思ったんだ。


 「――なあ」

 「え? なに?」

 「あ、いや。なんでもない」


 彼女が首を傾げると、重力に従って艶やかな髪がさらさらと流れる。黒い髪に混じって、隠しきれないほど多くの白髪が混じっていた。せっかくの綺麗な髪なのに、白髪の所為でその魅力が半減してしまってる。それが酷く残念に思えて、俺は母親が使っている白髪染めでも勧めてみようと考えたのだ。が、それは彼女にとって余計なお世話かもしれないと直前で思いとどまり、口を噤む。

 性別も違うし、育った環境も違う。きっと苦労しているのだろうと場違いな事を頭の中で浮かべながら、俺はシャーペンを手放した。


 「――駄目だ、諦めよう」


 どうしても、最後の二問が分からない。今取り組んでいるのは、現代文。

 回答者への問題は、『では、作者のいうと心は、どこに存在するか』。

 もう一問は、『心を持った生物が与える様々な影響を考えよ』。


 諦めると言いながら、俺は頭の中で答えを導き出していた。

 第一問の答えは、『どこにも存在しない』、だ。

 そもそも、人は全て体内に流れる微弱な電気信号で動いている。中学時代の理科の先生が言うには、グルタミン酸やドーパミン、グルカゴンに一酸化炭素などの脳内伝達物質も作用している、らしい。

 それに、幼い頃、人体の構図が割と詳細に記された飛び出し絵本を読んだことがあったが、どのページにも心などという器官は存在していなかった。

 もし仮に心が在るというならば、化学的に明らかにするのであれば、恐らくは脳。それも、大脳の辺りになるだろう。


 そして、第二問の答え。これは、『悪影響しか及ぼさない』だろう。

 人は誰しも、心に闇を抱える。心を持つ以上、それは消しようが無い。怒り、悲しみ、苦しみ、嫉妬、恨み、嘲り、失望、絶望。

 それら負の感情が持つエネルギーは、喜びや安心など正の感情に比べるとずっと強い。

 そして、負の感情は伝播しやすい。小さな噂や嫌悪感による忌避、戦争や紛争、差別、区別など様々な要因によって。人間はどんなに優しくなろうと、どんなに誠実であろうと、決して聖人にはなれないのだ。

 だが、この問いに対してその回答は不適切というのは、頭の悪い俺でも理解できた。

 だから、俺は最後の二問を空欄にして提出することに決めた。


 「諦めちゃうの?」

 「ああ。だって、答えようが無いだろ。心なんて不確かなモノ、在るのかどうかも分かってないんだし何より非科学的だ。それに、心が与える影響なんて状況下によって変化するだろうし、なにより――」

 「――私は答え、知ってるよ?」


 何も言わず椅子から立ち上がりかけた俺を見て、月島が小さく呟く。俺は言い訳をするように早口で適当な屁理屈を並べ上げた。

 だが、月島は顔を俯かせて考え込むと、俺の言葉を遮ってシャーペン手に取り勝手に回答欄に書きこんだ。

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