9-4 Master Jessie【マスター・ジェシー】

 ジェシーのたっての願いで、年明けすぐに、夜明けを待たずに神社へ初詣に行くことになった。


 大所帯だと動きづらいし、寒いし、眠いからと両親は家に残る。


 愛は一緒に行きたいと言うので三人で行くことになった。


 僕は厚手のコートを準備するだけで、出発の準備は整ったのだが、愛とジェシーにはちょっと待っていてと言われて、かれこれ三十分くらいは経っている気がする。


 女の子二人の「ちょっと」という感覚が男である僕の「ちょっと」とは全然違うのは、同じような意味をもつ二つの単語が異言語間では意外と違う意味を持つのと同じようなものなのかもしれない。


 一体どれだけ時間が掛かるのかと、いい加減に二人に催促でもしようと思ったが、偶然にもそこがジェシーの着替え中でパンツを見てしまうなんて自体を避ける為にもこうして気長に待っていた。


「おっ、来た来た……、えっ……?」


 やっとトビラの音がして、部屋に入ってくる二人を見た僕は驚きのあまり言葉を失ってしまう。


「着物を着てみたんですが、どうですか?」


 着物を着たジェシーは僕に感想を促してくるが、すぐにはそれを表現するぴったりの言葉が思い浮かず、驚きすぎていまだに言葉が戻ってこない。


 着物といえば、基本的に日本人が着るもので黒髪じゃないと似合わないイメージがあったが、金髪のジェシーもそれを見事に着こなす。派手な赤い着物に輝く金髪の組み合わせは、新年を迎えためでたさを豪華に表現するようだ。


 首元にはクリスマスに僕がプレゼントした紺色のマフラーを巻いていて、それがよいアクセントにもなり、使ってくれることを嬉しく思う。


「すっごく綺麗だよ」


 結局、そのジェシーの様は一言に集約される。もっと気の利いた言葉をかけてみたかったがそれ以上の言葉は出てこなかった。


「でも、愛は着付けなんてできたっけ?」


 横にいる愛もジェシーとお揃いの着物を着ていた。愛の着物姿は小さいときに何回か見たことがあるが、ずいぶん久しぶりに見るもので、大きくなってから見るとずいぶんと印象が違うなあと思った。


 赤色の派手な着物ではあったが、黒髪の愛がそれを着ると、ジェシーと比べてずいぶんと落ち着いた雰囲気がある。我が妹ながら、着物はやっぱり日本人かなあと再認識させられる。


「なんで、私にはそういうこと聞くの? もっと他に言うことが……」


「なんでって……、だって和服って着るの大変じゃん。しばらく着るのも見たことがなかったし、母さんも手伝わずにどうやってやったのかなって純粋に気になって……」


「全部、ジェシーにやってもらいました……」


 愛は何が気に入らないのか、とにかく不機嫌そうだ。


「ジェシーが……? 和服の? でも、どうやって?」


 ジェシーが来てからのこの四ヶ月の間に和服を着た姿を見たことなどない。いくら日本オタクだといっても、アメリカでそういう機会があったとも考えにくい。


「マイヤに教えてもらいました」


「ああ、なるほど……」


 おかげさまで、マンガ研究部の活動は順調だった。ただ、舞弥がジェシーの日本人にはない金髪などのいろいろな属性に目をつけてコスプレ趣味になりはじめたのだ。日本のそういう文化にも目がないジェシーも共感し、二人のそのノリはエスカレートしている。その一環で、ジェシーが着物の着付けも学んでいたのだろう。


「ほら、あんまりのんびりしていたら徹夜になっちゃうよ。早く行こう」

 

 愛の言うとおり、時刻はすでに1時を過ぎていた。


 愛達が着替えるのを待っていたから遅くなったんだけど……、などとは言い出せるはずもなく、実際、僕も徹夜は勘弁だったので、すぐに家を出て神社へと向かった。


 訪れたのは、徒歩で行けるところにある、普段は参拝客などほとんど見かけないような規模の神社だ。


 そんな神社も元旦ともなれば、こんな深夜でも人でいっぱいだ。


 巫女さんや、着物を着た参拝客もちらほらいたが、ジェシーはその中の誰よりも目を引く。


 その見てくれもそうだが、新年の神社という独特の日本の雰囲気を楽しむジェシーの様相がその存在感をさらに強調する。


 ジェシーが隣にいれば、寒空の中で参拝を待つ行列でも楽しく思える。

 三人でお賽銭を入れて、大きな鈴を鳴らし、各々で


『英語がしゃべれるようになって、ジェシーと――』


 僕は予め決めていた願い事を心の中で念じる。今までは『世界が平和でありますように』や『家族が健康でありますように』などと、曖昧なことを願っていたのに、ずいぶんと具体的なものになったものだと思う。


 三人のお願いが終わると、次の人達の為に場所を譲る。


「ジェシーは、何を願ったの?」


 日本人である僕でも見習いたいくらいの二礼二拍一拝をしていたジェシーに尋ねる。


'It’s a top secret.'


 英語を積極的にしゃべろうと決めた新年の初めであったからか、突然の英語であってもジェシーの言葉の意味はわかった。


「いや、なんで、英語でしゃべるの?」


 でもそれは秘密ということらしく、なんでジェシーがそれを英語で言ったのかもわからない。


 今までも、感情的になったときに時折、ジェシーが英語を使うこともあったが、なんでこんな唐突に出てきたのかは分からない。


「えっ、英語でしゃべりたいんじゃないんですか? それに、これはジョージには言いたくないからいいです」


 隠し事なんて持ちそうにないジェシーにしては珍しく、その毅然とした態度から察するに、それ以上二の句は期待できそうにない。


「愛は何を願ったの?」


「秘密。大体、そういうのは人に言うものじゃないでしょう?」


 二人そろって、なぜ僕に教えられないのかはよくわからなかったが、秘密というのならしょうがない。


「それで、ジョージはなんてお願いしたんですか?」


「それはジェシーと……、今年は英語をちゃんとできるようになりますようにって」


 危うく真の目的のほうが、口をついて出そうになったが、なんとかすんでのところで抑えた。


「なるほど、それはいい心がけですね。ジョージならきっとできますよ」


「お兄? それはジェシーと……、っていうのはなんだったの?」


 ジェシーには、そこはスルーされたのだが、愛には何かひっかかりがあったようだ。


「いや、なんでもないよ。ただ、神様とは別にジェシーにもお願いがあってさ」


 そのフレーズが、思いもかけず出てきたのは、実際に言おうとしていたことと無関係ではなかったため、言い訳はすぐにできた。


「お願い? なんですか?」


 ジェシーは


'Would you become my master for my English?'


'Oh... Sure! I'll be glad to help you.'


 ジェシーは、少し迷う素振りを見せたが、僕の英語のマスターになることを了解してくれた。


'Thank you! So... I call you master Jessie from now!'


 そして、マスターとなるからには当然『マスター・ジェシー』と呼ぶことにする。


'I don't want you to call me master. Call me ”Jessie” as always.'


 しかし、マスターと呼ばれると、ジェシーにしては珍しく嫌そうな顔をする。


「でも、ジェシーは僕のことを師匠って呼ぶよね。それと同じじゃないの?」


「それとこれとは違います。日本語では師匠って呼ぶのはかっこいいんです」


「いや、日本語でもおかしいけどね」


 どうやら、僕がジェシーをマスター呼ぶのをかっこいいと思うのと同様に、ジェシーは僕を師匠と呼ぶのもかっこいいと思っていたようだ。しかし、英語でマスターと呼ぶのは、日本語で師匠と呼ぶくらい不自然みたいで、両言語の感覚を理解しようとするのは難しいなあと改めて思った。


 しかし、そんな差分を埋めることにこそ、ジェシーと心の底から理解し合うことに繋がるわけで、新年の近いともしたわけだから、改めて頑張ろうと思った。

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