3.3スカートのチャックを下しかけている状態で

 それから私は制服から私服に着替え、荷物をもってバイト先を後にした。途中軽くめまいがしたが、自転車を止めて栄養剤を飲み干すことで難を逃れた。



 約二十分で家に着いた私は、自転車を止めて鍵を取り出し、ドアノブに突き刺す。一回転手前まで回して扉を開き、鍵を抜く。



「ただいま」



 家にはまだ誰もいない。母さんの仕事は通常運航であるらしく、まだ帰宅していなかった。私は荷物を置いて箪笥たんすから食用の財布を取りだす。再び玄関へ向かい、鍵を刺して回し、施錠。アパートの階段を下りて自転車に跨り、漕ぎ始めた。行き先は近所のスーパー。今晩の食事を作るために食材を購入するのだ。



 交差点が黄色を示すと勢いよく漕ぎ、ご近所さんとすれ違うとブレーキをかけて御挨拶。左右曲折しながら私はスーパーに着いた。そして電話を掛けた。しかし、通話は不通となったのでメールで要件を母親に送る。内容は今晩の食事の必要性の有無とこれから食材を購入する旨である。



 カートにカゴを乗っけてお買い得品の値札を検閲しながら狭い店内を進む。ふむ、鮭が安いな。今晩は焼き魚にするか。



 私は焼き用切り身セットを二つカゴに入れた。すると、そこで電話が鳴った。母さんからだ。



「もしもし?」

「もしもし? ああ、メール見たよ。それでね、お客さん来るからお願いだけど三人分買ってきてくれないかな?」

「三人分?」

「うん、おねがい。それと、今日少し早く帰れそうだから」

「そっか。じゃあ、気を付けて」




 私は二人用を三人用へと変更し、残りの買い物を済ませるためにカートを押した。



 

 ***




 帰宅後。私はこれまでにない衝撃と、目撃してもいいのかという我が身分を省みる事態に陥った。それはこれまでの私の生活には存在しないものであり、今後の我が人生とも無縁であるだろうが、それでも多少はあってほしいと妄想する事象。しかし、これはいったい何の因果応報であろうか。一抹の恐怖さえ覚える。ああ、きっとこれは巧妙に仕組まれた罠の一つであり、こうして手にしていた買い物袋をおとしていることもまた、陰謀者の計算の内なのかもしれない。だが、もう遅い。落としてしまった。



 一時間と少し前と同様に開錠してドアを開け、「ただいま」を言った私が目にしたのは美少女の下着姿であった。正確に記述すると、上半身にブラジャーを身に着け、スカートのチャックを下しかけている状態で帰宅した私を目視している状態である。



 彼女は美しい、綺麗、華麗という言葉よりも可愛い、可愛らしい、愛らしいという言葉が的確であった。見た目の幼さに比べると胸がある。高校生だろうか。まさか中学生だということはあるまい。下着の色も白かと思っていたら、実は淡いピンクのようだ。ここまで時間にして零コンマ一秒。さて…………。



 こ、これはどうすればいい。



 扉を閉めるのが正解か。しかし、落とした買い物袋のせいで扉はそう簡単に閉まらない。くそぅ。



 手で目を覆い隠すのが正解か。いや、それはあからさますぎるのではないだろうか。大げさな行為はかえって不快を与える。後ろを向くというのも同理由で却下。



 では、ど、どうすればいい。



 目線を逸らすのが正解か。よし、そうしよう。そうすべきである。そして謝るのだ。私に落ち度がなくとも謝るのだ。ものすごい理不尽と不可抗力でもこの一場面を切り取られれば非は私の方にあることになる。なってしまう。なぜだ。それは分からない。しかし、大抵は男の方が悪いこととされてしまう。車と自転車の事故では必ず車の方が大罪人になり、ハラスメント問題では必ず受けての意向次第ですべてが決定してしまう。そこに悪意が含まれていても見逃されることが世の常。男と女で問題が起きれば、倫理観を逸脱しない限り男が悪い。強ければそれだけ言動に責任が伴うということなのかもしれないが、社会人であれば誰でもそうなのでは? あ、目の前の彼女は未成年か。



「すまない」



 私は目線を落ちた買い物袋へと向けた。そしてついでに拾ってそれを両手で持った。ただ手持無沙汰なだけなのだが、少しは反省が汲み取られるかもしれない。



「いえいえ、大丈夫ですよ。サプライズしようと思っていた私たちが悪いのですから。お恥ずかしいところをお見せしました」



 サプライズ? それは、まぁ驚いたけど。買い物袋落とすぐらい驚いたけども。それと、私たちって……。



「あら? もう帰っていたんだ。案外早く買い物終わったのね」

「母さん!」



 陰謀者は母親であった。本来の企図など今となっては不明だが、私を驚かせようとしていたことは事実であるようだった。目的は達成したため、母親の勝利で幕は閉じた。



 さて、敗北した私はことの経緯と意図を陰謀者から聞き出していた。じっくりと焼かれた鮭を食卓に並べ、向かい合って。久々に家族そろっての食事は、謎の美少女を加えることとなった。私はまず彼女のことを聞いた。



「すみませんが、あなたはどちら様ですか」



 するとその少女は、むせた。仕方がない。私は席を立ってコップを取り、お茶を提供した。



「すみません、ありがとう」



 上目に涙目でそう言われるのは悪くなかった。



「いえいえ。それで、なぜ我が家に? 母さんの知り合い?」



 私はお茶を冷蔵庫にしまい、席に着いた。



「私はあなたを探していたんです」



 え?



「これからは毎日通わせてください」



 え?



「いえ、通うことにいたします」



 え? どういうこと?



 情けないが、私は突然の宣言に理解が追い付いていなかった。そこで第三者に可否を問うことにした。



「母さんは、許可したの? あと、この娘だれ?」



 母親は大手広告代理店でバリバリと音を立てはしないが、機敏に働くシングルマザーである。家の中で仕事の愚痴は言わないし、私の心配まできちんとしてくれる親の鏡のような母親である。しかし、それでも世の中の低賃金化は歯止めが利かず、猪突猛進である。親子二人が生きていくのに精いっぱいの給与しか出ず、さらに男性と女性との間で仕切りが設けられているため昇給の望みは薄い。バリバリでもキリキリでも、仕事の中心としてどれだけ働こうとたまにボーナスが出るぐらいだ。それも小学生の小遣いレベル。全く笑っちゃうよな。



 その母親がこれ以上我が家庭に一人分の食事を出す経済的余裕がないことを知らないわけがない。それでも母親は




「もちろん。ありがたい話だもの」




 と、家事を手伝ってくれるから助かるという。しかし、私だって我が家の一員である。それこそバイト以外の時間で家事をバリバリとこなしているのだ。これ以上母親の仕事がなくなれば、家ではのんびりする以外やることがないではないか。実に羨ましい。そして、私も仕事でくたびれているはずの母親にはそうあってほしいと思っている。



 しかし、それではこの美少女が気がかりだ。確かに食事代だけでお手伝いを雇えると考えれば、かなり安上がりな話になる。割に合わない仕事であり、ほぼボランティアだ。そうなると先ほどの『私を探していた』という言葉が気になるが――。



「わかった。母さんが許可しているのなら仕方がない。でも、我が家には余裕がないから、申し訳ないが働きに見合った報酬を出すことはできないよ」



「はい」

「それと、俺を探していたってどういうことだい?」

「その、」

「うん」

「あとですべてお話しします」

「後でって――」

「あら? 聞いてなかったの? 今日泊まって行くんだって」




 え? 聞いてないよ、それ。




 ***




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たとえたとえられたとてただたとえばのたとえばなし 小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】 @takanashi_saima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ