第28話 お風呂

「優斗。どうして、リナさんがここに居るの?」


 ゆっくりと顔を戻した明日香が、静かに僕が最初に思った事と全く同じ事を尋ねてきた。笑顔だけど、目が笑っていない気がする。


「ごめん。僕にも理由が分からないんだ。リナさんには、このお店へ来る事を話していないし」


 そう、僕は絶対にリナさんへこのお店の事は話していない。

 有り得ないとは思うけど、仮にスマホを覗かれていたとしても、『いつものカフェ』としかメッセージに書いておらず、店の名前は出していないから、分かるはずが無いんだ。

 僕の言葉を聞いて、明日香が何かを言おうと口を開いた所で、


「パパーっ! パーパーっ! だっこー!」


 僕に背を向けて幼児用の椅子に座っていたミウちゃんが身体を捩じってこちらを向き、いつもの様に抱っこを求めてくる。

 そう、いつもの様にだ。

 僕とリナさんは、誤解だったと互いの認識が合っているが、ミウちゃんはそれを理解していない。

 だから仕方がない事だと僕は分かっているのだけれど、悲しい事に場所とタイミングが非常に悪かった。

 店内で金髪少女が無言のアピールを続け、その少女の面影を持つ金髪幼女が僕に向かってパパと叫ぶ。

 一方で、パパと呼ばれた僕は金髪少女のアピールを無視して、黒髪の少女と楽しげにお茶を……あぁぁっ! 男女問わず、周囲に居るお客さんの目が冷たいっ!

 知りたくもないけれど、僕と明日香、それからリナさんとミウちゃんの関係について、どう思われているのだろうか。僕の想像通りだとすると、最低な男に映っていそうだけれど、違うからねっ!? 上手く説明出来るとは思えないけれど、僕とミウちゃんの間に血縁関係は無いんだよ!?

 大声で弁明したい所だけれど、そんな事よりも、


「……私、帰る」

「明日香っ! ちょっと、待って! 明日香っ!」


 どんな表情だったのかは見えなかったけれど、明日香が席を立ってしまった。

 慌てて後を追ったのだけど、どういう訳か店員さんに止められる。


「お客様、お待ちください」

「何ですか? 僕、急いでいるんですが」

「こちらのお客様が、お飲み物のお会計をお客様に請求して欲しいと仰っているのですが……」


 どういう事かと店員さんの指し示す方向に目をやると、すぐ後ろにリナさんとミウちゃんが歩いて来ていた。


「ごめん、優ちゃん。ウチ、こっちの世界のお金持ってへんねん」

「パパーっ! だっこー!」

「……おいくらですか?」


 リナさんとミウちゃんの分の会計を済ませ、ミウちゃんを抱っこし、店内から刺すような視線を感じながら外へ出る。

 当然、明日香の姿は既に無い。

 一先ず明日香のスマホに電話を掛けてみたけれど、出てくれる気配はなく、仕方がなくメッセージだけでもと送っておいた。案の定、既読マークは付かないけど。


「優ちゃん、ゴメン。ウチは良かれと思ってんけどな」

「……とりあえず、帰りましょうか。夕食の準備もしないといけませんし」


 どうしてここへ来たのかと、リナさんに問いたい気持ちも少なからずあったけど、先程の言葉から察するに、全ては僕の為。

 僕と明日香の仲が上手く行く様にと、リナさんとしては最善を尽くしたつもりなのだろう。結果としては、思いっきり裏目に出たけれど。

 ここでリナさんを責めて、明日香との仲が戻る訳でもないと分かっているので、内心溜息を吐きながら家へと帰る。

 すると、今朝の事で誤解したままの優子が上機嫌で夕食を用意してくれていたので、訂正する事も出来ず、食事を終えてお風呂へ。


「はぁ……どうしよ」


 ようやく一人の時間となった所で、湯船に浸かりながら思いっきり溜息を吐くと、突然浴室の扉が開き、


「優ちゃん。さっきはゴメンな」


 身体にバスタオルを巻いたリナさんが入ってきた。


「リナさん!? ど、どうしたんですか!? というか、その格好は!?」

「えっとな、態度には出してへんけど、明日香さんの事で優ちゃんがウチに気を遣ってくれてるのは分かっててん。それで、さっき優子ちゃんに日本での謝罪方法を聞いたら、お風呂で水に流すのが一番って教えてくれたから」

「ちょっと待って。それは、いろいろと間違っているからっ!」

「ミウの事は優子ちゃんが見てくれるって言ってくれたし、こういうのは初めてやから下手かもしれんけど、ウチ一生懸命頑張るから」

「何の話!? ちょっと、リナさん!? 脚――っ!?」


 リナさんが恥ずかしそうに脚を上げ、湯船に入ってくる。

 バスタオル一枚しか身に着けていないから、いろいろと見えかけてしまい、そのチラリズムに引き寄せられるかのように僕の視線が……いやいやいや、これは本当にダメだっ! この前の寝室よりも、僕が全裸だから尚更マズい!


「あの、リナさん。優子が何を言ったのかは分かりませんが、真に受けちゃダメですからっ!」

「えっと、男性はそう応えるのが日本のしきたりやねんな。優子ちゃんから事前に聞いていた通りやわ」


 優子ーっ!

 今になって、朝の誤解を解いておかなかった事を後悔する。

 だけど今となっては後の祭りで、


「じゃあ、ウチ頑張るから。至らない所があったら、遠慮なく言ってな」


 リナさんの細い指先が、僕が断るよりも早く身体に触れてきたのだった。

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