第9話

 石造りの通路が『薬屋』の作り出す光によって浮き上がる。

 少し白っぽい茶色の石が規則正しく積み上がり、しかし風化した石肌が照らされる光に不規則な影を生み出す。

「……むぅ」

 『薬屋』と並んで通路を進む『レディ』が眉間にしわを寄せ小さく唸る。

「大丈夫なのか?」

 『レディ』の言葉に『薬屋』は少し口元を歪め、曖昧な笑みを浮かべる。その視線は自然と先頭を行く『名無し』に向いた。

 『名無し』はその言葉を知ってか知らずか、照らし出された床をゆっくりと踏みしめるように進んでいく。

 その足取りはゆっくりとしているが、相変わらず迷いはない。

 一番後ろの『雀蜂』は、時折石突きで軽く壁をこすりながら、その壁を暫し凝視し、小さくうなずく。

 照らし出されることで濃くなる闇が、右側に深く溢れる。

 『名無し』はその闇の手前で足を止めた。

 『名無し』が片手を上げて合図する。同時に『レディ』は肩をすくめ、腰の細剣をゆっくりと抜いた。

 『雀蜂』も短槍を構え前に出る。逆に『薬屋』が後ろに下がり、腰のベルトから試薬を取り出し、光る器具の中に注ぎ込んだ。

 三人の影が仄かに揺らぐ。

 その揺らぎが小さく三回踊ったところで、『名無し』が右に溢れる闇の中に飛び込んだ。

 同時に通路の右側の壁に『雀蜂』が潜む。

 『レディ』は『薬屋』の前、通路の真ん中に陣取ると抜いた細剣の切っ先を通路の石畳に軽く突き立てる。

 しばしその石畳を見つめ、頭を小さく横に振ると、大きく切っ先をずらし、その表面に何かを描き始める。

 『薬屋』は光る器具を石畳に置くと、腰に下げていた金属製の香炉を取り出し、続けてポーチから取り出した薬草を香炉に入れる。

 香炉から淡い煙がたち始め、『薬屋』はそれを静かに揺らす。

 照らし出される通路の中に煙が揺らいで溶けていく。

 『雀蜂』の踏みしめる足元が小さく悲鳴を上げる。

 『レディ』の細剣がゆっくりとその顔の前に立てられ、その口元が厳かに震える。

 『薬屋』の揺らす香炉がその場に不釣り合いに粛々と時を刻む。

 そして『名無し』が闇の中から飛び戻る。

 『名無し』に続いて飛び込んでくるあふれ出た闇。

 闇色の毛並み。

 黄色く淀んだ牙。

 そして闇の中で大きな染みのように淀む赤い眼。

 長く伸びた口先が開くと、歪に並んだ鋭い歯と、驚くほどにきれいな真紅の舌と、半透明の粘着質な液体が零れ出る。

「ワーグぅ?」

 『薬屋』の声に呼応するように、飛び退いてきた『名無し』がつられてきたワーグに向かって再び飛びこむ。飛び込むと同時にその左手が自身の腰にあてがわれた。


 WoWWoWWoWoooooowwwwww!


 『名無し』は歩みを止めず、ワーグの鼻先をすり抜け、その後ろに回り込む。

 ワーグは奇音に引きずられるように、その巨体を巡らせ、『名無し』へと向き合った。

 壁際に潜んだ『雀蜂』はその隙を逃さず、ワーグの右後ろ脚の膝裏に短槍を突き立てる。

 ワーグはうなり声と共に刺された右脚を振り上げる。

 右脚は石畳を削り取り、石片が四散する。

 それを避けるように飛び退く『雀蜂』。

 さらに左に身体を移す。

 『レディ』が石畳に描いた図柄が崩れ、黒いひびが石畳に走り、それが次第に広がって穴を穿つ。

 実際にはやはりそこに穴などはなく、ただ虚ろな影が穴のように広がっていた。

 その影に、『レディ』は口を厳かに震わせながら、手にした細剣の切っ先を突き入れ、そして跳ね上げた。

 影の中から光が飛沫のように舞い上がると、勢いよく弧を描き、ワーグの身体へと降り注ぐ。

 咆哮を上げるワーグ。

 間髪入れずにその左脚の膝裏に『雀蜂』が短槍を突き入れる。

 ワーグは咆哮を上げながら、勢いよく『名無し』に向かって飛び掛かる。

 両手の籠手でその巨体を跳ねのける『名無し』。

 ワーグは跳ねのけられた勢いのまま、姿勢を反転させると石畳の上に降り立った。

 赤い視線は正面に立つ『レディ』をとらえ、口を大きく開くと赤い口腔から、粘液と怒号が吐き出された。

 『レディ』は細剣の刃に左手を添えると、自身の前に立てて構える。

 ワーグは口腔から真紅の舌を蠢かせ、濁った牙を鳴らす。

 赤い視線がさらに燃え上がったその時、その視線が不意に濁った。

 『薬屋』の香炉から振り撒かれ、通路に漂っていた煙がワーグの目元と鼻先にまとわりつく。

 ワーグは鼻を鳴らすと前足で鼻先を引っ掻く。煙は四散し、再び集まる。


 WooWWWooW……


 『名無し』の奇音。

 いつもより間延びしたその奇音は、逆に苛立たしく鳴り響く。

 ワーグはいきなり後ろ脚で立ち上がると、両前足を石畳へと叩きつける。

 飛び散る石片。

 その勢いでワーグは飛び上がると、狭い通路の中で機敏に壁を蹴って身を翻し、『名無し』に襲い掛かる。

 鈍い金属音。

 ワーグの大顎が『名無し』の籠手に喰らいつく。

 否。

 ワーグの大顎に『名無し』の籠手が喰らいついた。

 その上顎に右腕の籠手が。

 その下顎に左腕の籠手が。

 それぞれに乱杭歯をおしとどめ、閉じかけた口を少しづつ押し広げていく。

「『薬屋』」

 『雀蜂』の声に『薬屋』は腰から円筒形の物を取り出すと『雀蜂』に向かって軽く投げる。

 『雀蜂』は駆けだしながらそれを受け取ると、ワーグの腹の下に仰向けに滑り込む。

 滑りながら身体を回し、頭を『名無し』へと向け、さらに手に持った円筒形のそれを石畳へとこすり付ける。

 円筒形のそれは激しく火花を散らし始めた。

 滑らせた身体が『名無し』の足にぶつかって止まる。

 『雀蜂』は手を伸ばすと火花飛び散るそれをワーグの口の中に放り投げた。

「『名無し』」

 『名無し』は両腕を無造作に左右に抜き取る。

 籠手に食い込んだ乱杭歯が無残に弾け飛び、粘液をまき散らしながら両顎が上下から激突する。

その直後、ワーグの口がくぐもった音と共に大きく開いた。

 正確には押し開かれた。

 開かれると同時に吐き出される黒煙と、それに交じって飛び散る赤黒い粘液、そして真っ赤な肉片、薄黄色い乱杭歯。

 『雀蜂』が押し開かれたその上顎の内側から、短槍を突き立てる。

 その切っ先は伸びた舌を抜け、上顎さえも突き抜けた。

 『雀蜂』はそのまま短槍を引き振るい、ワーグの舌が蛇のように二股に割れ、上顎も鼻先まで引き裂かれる。

 大きく吠えるワーグ。

 その口からさらに赤いものや黒いもの、白いものや黄色いものが吐き出され、それらすべてが混じりあったものが、口端から溢れだし垂れ流される。

 そして喉の奥から嗚咽するように唸りを上げると、赤い眼が闇へと沈み、そのまま横倒しに崩れた。

「いやぁ……」

 『薬屋』が光る器具でその亡骸を照らしながら頭を掻いた。

「問題はちょっと別のところにあるな」

 『レディ』は視線を『名無し』に向けた。

「ここまでの地図は書いているか?」

「……殴り書きだが」

「見せてくれ」

 『レディ』の言葉に『名無し』は折り畳まれた羊皮紙を差し出す。

「『薬屋』君」

 声をかけられた『薬屋』が羊皮紙を器具の明かりで照らす。

 『雀蜂』も加わり、三人が羊皮紙を覗き込んだ。

「ふむ……」

 照らし出された羊皮紙。

 そこに描かれた地図は確かに簡素で歪ではあったが、細かく書き込みが施され、『レディ』の目にはさほど酷いものには映らなかった。ただ、どうにも釈然としない箇所も多い。

 いくつかの箇所は何度も消されては書き加えられ、書き込みも二重三重になっている場所がある。

 「ちょっといいかしら?」

 地図を見ていた『雀蜂』が『名無し』を見る。

「……ああ」

「今いる場所はこの地図のどこかしら?」

「……ここだ」

 『名無し』は自身の地図を指さす。

「地図の向きは?」

「……こっちが進行方向だ」

 『名無し』は地図を少し傾け、その端を指さす。

「あー……」

 『雀蜂』は小さく声を漏らした。

「それだと向きが違わない?」

 『雀蜂』は地図を逆にずらす。

「ここも逆だった気がするし」

 地図にある少し前の曲がり角を指さす。

「そうすると……」

 『雀蜂』は地図の上に指を這わせる。その指先は羊皮紙の上の遺跡を迷走し、再び同じところに戻った。

「こうじゃない?」

「……そうか」

 小さく答える『名無し』。

 いつも小さい声ではあるが、すこし力無く歯切れが悪い。

「で、ちょっと思ったんだけど、いいかな?」

「……ああ」

「先導が苦手なのを気にして攻手で登録してたんじゃない?」

「……」

「な……」

 無言になる『名無し』に対し、逆に『レディ』が声を上げた。

「護手としての腕は優れているのに、それを気にして攻手になるというのは本末転倒ではないか!」

「あたしもそう思うわ」

「……しかし」

「そうよね」

 言い淀む『名無し』に『雀蜂』は頷いた。

「冒険者の中では護手が先導をするのが常識になってる。誰もそれに疑いを持っていないし、持っていたとしても声を上げる人はほとんどいないのが現状だものね。そのせいで護手をやりたがらない人が多いのも知ってるし、それが護手不足に拍車をかけているのも知ってるわ」

「そんなことになっているのか……。冒険者というのは案外融通の利かないところもあるのだな」

「独特の文化といえば聞こえはいいけど、妙なところで閉鎖的で固執するところがあるのは確かね」

 しみじみと頷くふたり。黙って様子を見守る『名無し』。

「しかし気がついていたならなぜもっと早くに指摘しない?」

「試したって言うと言葉が悪いけど、確信が持てなかったのも事実なのよ。護手本来の腕は確かだし、ここで見極めとくのも手かなーって。気を悪くしたなら謝るわ。ごめんなさい」

「……いや、問題ない。こちらこそ黙っていてすまなかった」

 少し間延びした雰囲気に、『薬屋』が割って入った。

「早く移動しないとまたワーグが」

「そうね」

 『雀蜂』も頷くと短槍を構え直した。

「あたしが先頭を行く。『名無し』は一番後ろについて」

「……わかった」

「それはいいが、現在位置がわかるのか? この地図はあまりあてにならんのだろう?」

「……」

「あ、それなら大丈夫。『薬屋』!」

「うん」

 答える『薬屋』が羊皮紙を取り出して広げて見せる。

「いつのまに書いていたんだ?」

「えへへ。休みの合間とかに」

 それは地図だった。『名無し』のものよりも細かい。

「それならそうとはじめから言ってくれればいいだろうに」

「それはダメよ」

 『レディ』の言葉に『雀蜂』が否を唱える。

「『薬屋』の地図はもしもの時の保険なの。初めからあてにされるのは困るのよ」

「そんなものか」

 まじまじと地図を見る『レディ』。

 それからその顔を『薬屋』に向け、再び視線を地図に戻す。

「しかしこの注意書き……随分と綺麗な文を書くな」

 そしてその視線がもう一度『薬屋』に向けられる。

「庶民の書く文はあれこれ省略されていることが多いんだが、この文は綺麗に丁寧に書かれている。まるで貴族……」

「はいはい詮索は無しです『レディ』?」

 割って入る『雀蜂』に対し、『レディ』は苦笑を浮かべて肩をすくめた。

「じゃあ行くよ!」

 『薬屋』が器具を掲げると、通路の奥の闇が静かに引いていく。

  先頭に立つ『雀蜂』が後ろを振り返る。

 一番後ろについた『名無し』が小さくうなずく。

 『雀蜂』もそれに頷き返す。

 そして視線を前に、通路の奥へと向け直すと、ゆっくりと進み始めた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

攻撃力0の格闘士 竹雀 綾人 @takesuzume

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ