04:サードカーテン基地

 霧の海に浮かぶ辺境のちいさな島、サードカーテン島の西端。それが、俺の今の寝床たるサードカーテン海軍基地だ。と言っても軍事拠点というわけではなく、本来は第三の帳、つまり「世界の端」とも言われる未踏の霧の壁、迷霧の帳ヘイズ・カーテンを観測するための根拠地だ。

 輸送艇と『レディバード』の着陸に関しては基地の連中に任せて、俺は、俺――というか『エアリエル』のために基地の建物の隙間に切り取られた、正方形の発着場へと降下する。離陸に滑走を必要とする揚力を利用した一般的な飛行艇と違って、翅翼艇エリトラは飛行翅による垂直離着陸が可能な分、必要なスペースはごく少ない。

 普段通りに難なく降り立ったところで、『エアリエル』との同調を完全に切る。途端、視界が風防に広がる霧一色になって、重苦しい疲労感が体を押しつぶそうとする。昔はここまで酷くなかったはずだが、衰えってこういうものなんだろうな。

 手探りで体を固定していたベルトとうなじの辺りに接続していた同調器を外して、ヘルメットを脱いで首をめぐらせる。頭がいやに重いのは、何も同調の後遺症というだけではなく、あまりにも色々ありすぎて、魂魄の処理容量を超えちまってるからかもしれない。

 平和ボケしたこの頭は、突然起こったことを正しく認識してくれないようにできている。単に、面倒くさくて深く考えようとしていないだけだが。

 もう一度頭を振ったところで、突然『エアリエル』の扉が激しく叩かれた。一応、着陸後も外の音声だけは通すようにしてあったのだが、そのせいで外から投げかけられる声も、ストレートに俺の耳に飛び込んでくる。

「ウインドワード大尉! 生きてますか!? 蒸発してませんか!?」

「してねーっつの人聞きの悪ぃ! 今出る!」

 ほんと人聞きが悪いにもほどがある。蒸発するときは気持ちよく飛んだ末に『エアリエル』と心中するって決めてんだから、こんなどうでもいい場面で蒸発したいとは思わない。

 とにかく、このまま死んだことにされちゃたまらない。慌てて開錠の釦を押して、外に這いずり出る。と、目の前に手が差し伸べられた。

「大尉、ご無事で何よりです。さあ、お手を」

 見上げれば、黒に白と黄色のラインが入ったパイロットスーツに身を包み、鮮やかな赤毛をそれはもう完璧なおかっぱ頭にした好青年が、はじけんばかりの爽やかな笑顔で俺を見つめていた。

 きらきらしてる。すごくきらきらしてる。目とか。あと全体的な雰囲気とか。何かもうきらきらしすぎてて目も当てられないくらい。

 ろくでなし霧航士ランキング期待の新人、ジェム――ジェレミー・ケネット少尉。一応俺の後輩に当たる最新翅翼艇エリトラの乗り手だが、諸事情により軍本部でなくこの辺境で訓練をしている。

 そして、これまた何故か、俺にことあるごとに付きまとってくる。何故か、と言いながら理由はわかりきっているのだが。

 ……せめて、お前がかわいい女の子ならよかったのになあ。

 今まで散々思ってきたことをもう一度頭の中で繰り返し、その不毛さを噛み締めながらも、素直に手を借りる。残念ながら、俺一人では『エアリエル』から降りることもままならない。

 何とかふらつく両足で地を踏む。足の付け根や関節に鈍い痛みを感じるが、もうこれは如何ともしがたい。ああ『エアリエル』、なんでお前は俺の足じゃないんだ。できることなら、二十四時間お前に乗っていたい。お前に比べて生身の重さったらないよマジで。

 そんな俺の内心の嘆きなど絶対に気づいちゃいないジェムは、一体どこから取り出したのか、手に握り締めていたものを差し出してくる。

「眼鏡をどうぞ! こちらが杖になります!」

「お、おう、サンキュ」

 ダメだ、いつになってもこの扱いには慣れない。俺はお姫様か何かか。もう三十も半ば近いおっさん相手に何をやってるんだこの青少年は。そんなことしてる暇があったら、もっといい子探しなさいって。

 俺が相当すごい顔をしているにもかかわらず、ジェムはそのきらきらとした笑顔を崩すことなく、かいがいしく俺の世話を焼く。正直、恥ずかしいのでやめていただきたい。

 ヘルメットと交換で色眼鏡をかけて、杖を返してもらったところで、ジェムはぴんと背筋を伸ばし敬礼をする。

「改めましてウインドワード大尉、グレンフェル大佐からの伝言です。『至急司令室まで来なさい、ハリーアップ!』とのことです!」

 ロイドの口調まで再現しなくてもよかろうに、とは思うのだが、その内容はちょっと聞き捨てならなかった。

「は? 俺様に? さっきの輸送船の連中じゃなくて?」

「ウインドワード大尉にも同席していただきたい、とのことです」

 ……嫌な予感しかしない。

 本当はとっとと着替えてゆっくり休みたかったんだが、どうも、それだけでは済まされない感じがひしひしする。

 だが、ロイドからの呼び出しとあっては逆らうわけにはいかない。逆らったら後が怖すぎる。仕方なしに杖をついて司令室に向かおうとしたその時、ジェムの声が背中から聞こえた。

「お供いたします!」

「お前は呼ばれてねーだろが! ついてくんな! ハウス!」

「そんな! 僕はウインドワード大尉のお世話係では」

「いつ俺様そんな係作ったの!? お前の頭ん中ほんと都合よくできてるよね!」

 まとわりつくジェムを杖で追い払いながら、たかが知れているとはいえ早足でその場から逃れようと試みる。

 あと格納庫の方からこちらを窺う整備隊の、顔を真っ赤にして笑うのを全く堪え切れてなかった奴。主にゴードンとレオ、覚えたからな。俺は体こそろくに動かないが、目はいいんだ。後で鋼板抱かせて砂利の上で正座させてやるから覚悟しとけよこんちくしょう。

 

 

 途中で何とかジェムを撒いて、司令室の前。ろくに力の入らない手で、三回ノックする。

「誰だ?」

「ゲイル・ウインドワード大尉でありまーす」

「……入れ」

 司令モードのロイドの声が、呆れを含んだニュアンスで入室を促す。いやまあ、緊張感の無い俺が悪いのはわかっているが、どうもこの基地のゆるーい雰囲気に感化されたというか。これ、多分にロイドの人柄もあるとは思うのだがいかがだろうか。

 そんなことをつらつら思いながら、「失礼します」と司令室に足を踏み入れる。

 途端、目に入ったのは、青だった。

 言葉通りだ。

 俺に背を向けて立つそいつは、小さくて、青かった。

 俺と同じ型――そもそも霧航士ミストノートはみんな同じ型なわけだが――の、これまた俺と同じデザインである薄青に白のラインが入ったパイロットスーツ。スーツが浮き立たせる体のラインは頼りなく、背丈もやたらと低い。遠目から見ても、俺と頭一つ以上違うのではなかろうか。

 何よりも、目を引くのは、短く切りそろえられたその髪の色だ。

 染めている、にしてはいやにつややかで自然な、淡い青色。光の加減によっては、白を溶かしたようにも、深く底の見えない青にも見える、不思議な色。

 色眼鏡を通して見ているからだろうか、とレンズを少し下げてみるが、レンズの色は俺の見ている光景に何ら影響しないということがわかっただけだった。

 すると、そいつが、不意にこちらを振り向いた。

 髪の色よりも色の濃い、混じりけのない青。澄んだ瑠璃ラピスラズリの瞳が、真っ直ぐに、俺を映し込む。

「……あ」

 ――青の作り方を、教えようか。

 記憶の奥で、囁く声がする。

 ――瑠璃ラピスラズリの青。瑠璃ラピスラズリを細かく砕いた粒子を溶かすことで、鮮やかな青が生まれる。

 もはや永遠に交わされることのない会話。俺がこの手で焼き尽くした、カンヴァスの青さ。

 あの日から幾度となく俺を苦しめてきた鈍い頭痛に、ついこめかみを押さえたその時だった。

「遅いぞ」

 奥から聞こえてきたロイドの声に、やっと、我に返る。青い――少年? 少女? ぱっと見では判断できない――そいつは、俺をじっと見つめたまま、首を傾げていた。

 何とか視線をそいつから引きはがし、色眼鏡の位置を直してロイドに意識を向ける。

「すみませんね。ジェムを振り切るのに手間取って」

 正直なところを言葉にすると、あー、それは仕方ないわねー、と小さく呟いたのが聞こえた。ロイドは本当に物分りがよくて助かる。

 ロイド・グレンフェル大佐。

 我らがサードカーテン基地司令。そして、俺の師匠でもある、元霧航士ミストノート。口調こそちょっとばかり特徴的だが、俺様調べ「ろくでなし霧航士ミストノートランキング」に含まれていない、ごく数少ないまともな人物だ。まともだからこそ、霧航士ミストノートで唯一それなりの地位に上り詰めた、ともいえる。

 白髪交じりの灰色の髪を撫でつけ、この基地の人間には珍しくきっちり軍服を纏っているロイドは、机の上に肘をつき、整った顔を覆うミラーシェードの色眼鏡をこちらに向けた。

 俺と同じく、ロイドの目は魄霧汚染で強い光にめっぽう弱い。ついでに、俺以上に汚染の度合いが酷いロイドの足は、膝下辺りから跡形もなく蒸発していて、長らく車椅子で生活している。蒸発が両足だけで済んだからこそ、今、まだこうして生きているともいえるが。

 ほとんどの霧航士ミストノートは、愛機の中で、己の形を失うものだから。

 そんな数少ない「霧航士ミストノートの生き残り」であるロイドは、司令として声をかけてくる。

「楽にしていいぞ、ウインドワード大尉」

「ではお言葉に甘えて」

 長話でないことを願いつつ、壁にもたれかかる。それをミラーシェードの色眼鏡越しに確認したロイドは、話を始める。

「さて、君に来てもらったのは他でもない。そこにいる『彼』についてだ」

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