03:ゲイル・ウインドワードの三十秒

 宣言して、『エアリエル』に潜る。先ほどよりも、ずっと深く。頭のてっぺんから爪先まで、俺自身が丸々『エアリエル』そのものへと作りかわるような感覚と共に。

 一息で、霧を、裂く。

 俺の狙いに気づいたのだろう、速度を上げて上昇しかけた戦闘艇の姿を目に焼き付けたまま、彼我の距離はあっけなく消し飛び、戦闘艇の上方に陣取る。

 何も、本当に距離が「消し飛んだ」わけじゃない。滞空状態から、瞬間的に加速しただけだ。

 俺の愛機、翅翼艇エリトラ第五番『エアリエル』の真髄は、個性豊かな他の翅翼艇エリトラとは違い、ごくごく単純な高速機動。単純だからこそ誰よりも速く飛べる。そういうことだ。

『……っ』

 戦闘艇の操縦士は、何か、気の効いたことを言おうとしたのかもしれない。魂魄にノイズのような意識が混ざりこむ。

 だが。

「つまんねーんだよ、お前」

 俺は、そんな、お手本通りの飛び方の奴と遊びたいわけじゃない。

 何とかこちらの射程から逃げようと船体を捻らせる戦闘艇に照準を定め、意識の中で弓を引く。それだけで、『エアリエル』は俺の意を汲んで唯一の武装を構えてみせる。

 記術スクリプト型演算式砲台『ゼファー』。照準を合わせた標的に向けて、魄霧はくむから生成した熱線を放つ、典型的な記術スクリプト型砲台だ。記術スクリプト型という性質上、魄霧はくむの中を飛ぶ限り弾数は無限。反面、物理弾のような破壊力はなく、熱が周囲の魄霧はくむに散らされる都合射程も短い。高速で動く『エアリエル』にとっては「連射は利くが針並みの火力の近接格闘武器」と言っても過言ではない。

 それでも。

「じゃあな」

 ほとんど鼻先が触れるくらいにまで踏み込めるなら、どうってことはないのだ。

 矢を放つイメージと同時に『エアリエル』から射出された青白い熱線は、狙い違わず戦闘艇の操縦席をぶち抜いた――ということを魂魄の片隅で認識すると同時に、更に飛行翅を羽ばたかせる。

 目指すは、基地の監視海域から今まさに脱出しようとしていた、偵察艇だ。

『ひ……っ』

 喉を引きつらせるような、緊張と恐怖の感情が、通信として魂魄に流れ込んでくる。それはそうだろうよ、どれだけ必死に逃げたところで、『エアリエル』から見れば陸の亀と同然だ。その性能差は、ごくごく単純なものだからこそ、向こうさんもばっちり理解しちまったんだろう。

 ――逃げ切れない、と。

 偵察艇は、身の軽さを生かして速度を殺さないまま旋回し、こちらに機銃の銃口を向ける。逃れられないとわかった以上、緊急用の武装を使ってでも、せめて一矢報いようというのだろう。

 確かに『エアリエル』は他の翅翼艇エリトラと比べても、それどころか一般的な戦闘艇と比べても圧倒的に装甲が薄く、脆い。ついでに鞘翅を持たず、飛行翅を発生させる機関が剥き出しである以上、貧弱な機銃の一撃でも、まともに喰らえばあっさり墜ちる。

 とはいえ、それは、あくまで「攻撃が当たれば」という話であって。

 機銃の銃口を睨んだまま、更に加速。周囲の霧を喰らう『エアリエル』の駆動音の咆哮が響き渡る。もっとだ、もっと速く。そう求めているようにも聞こえて、ほとんど無意識に笑い声が漏れた。

 もっと速く。もっと遠く。誰の手も届かないように。戦いの海にいたころに、何度も繰り返した言葉を、もう一度だけ繰り返して。

 俺は、偵察艇の機銃の射程に飛び込む。飛び込むだけではなく、そのまま、こちらに向かってくる偵察艇に向けて飛び続ける。高さも方向もぴったり合わせたまま、真っ直ぐに。ただ、真っ直ぐに。

 偵察艇は、トリガーを引かなかった。否、きっと、引けなかった。

 お互いの鼻先が接触するその直前、偵察艇は一気に加速をかけて、下方に逃げた。

 つまんねー奴。そのまま衝突ルートを取れば、確実にこっちを落とせたってのに。偵察艇が本来敵いっこない翅翼艇エリトラを撃墜するという功績を、こいつは死の恐怖に負けて逃したってことだ。

 どっちにしろ、霧の海で俺に銃を向けた以上、死ぬのは変わりないのにな。

『狂ってる……!』

『褒め言葉だ』

 今度は意識して口元を歪め、向こうが体勢を立て直すその前に『ゼファー』を立て続けに撃ちこむ。狙いはちょいと甘かったが、それでも『エアリエル』の眼は、こちらの一撃が奴さんの機関部を穿っていたことを教えてくれる。

 ゆっくりと、しかし確かに墜落していく偵察艇から、不意に、ノイズ交じりの、声が。

『……申し訳ありません、今、あなたの御許に』

 ――やめろ。

『教主、オズワルド』

 ――やめてくれ。

 理性の制止を振り切って、遠い日の記憶が閃く。

 意識の奥底で、今もなお俺を掴んで離そうとしない、夢見るような横顔。明るく輝く瞳。その視線の先にあった青いカンヴァス。その向こうの、青い空。

 何もかもが今はもう、ここにはない。どこにも、ない。

 わかりきっているはずなのに、俺は、まだ。

 ――やめろって、言ってんだろ!

「沈めよ。二度と戻ってくんな!」

 無理やり、意識にまとわりつくものを振り払って、熱線を連射する。今度こそ、操縦席までを撃ち抜かれた偵察艇は、叫び声一つ残さず霧の海に飲まれ、そのまま反応が消えた。

 辺りに残されたのが味方の船だけであることを確認して、速度を落として旋回し、『エアリエル』との同調を緩める。水面に浮かび上がるような感覚と同時に、自分の体のどうしようもない重さを思い出して、鈍い頭痛を覚える。

 一つ舌打ちして、思い出しかけてしまったあれこれを頭の奥底へと押し戻す。

 どうか忘れさせてくれ、オズ。お前はもう、どこにもいないんだから。

 自分自身に言い聞かせていると、低層に浮かぶ輸送艇から通信が入ってきた。

『流石は我が国を幾度となく救ってきた英雄殿。見事です』

 見事、か。

 つい、笑ってしまう。自分の顔は見えないが、相当変な面になっているに違いない。ほんと、何が「見事」だっていうんだ。たった一人きりで、本来の『エアリエル』の性能を引き出すこともできない、この俺が。

 そんな卑屈な考えに囚われながらも、気を取り直して改めて問う。

『今の、件の教団の船だったよな?』

『ええ……残党でしょう』

『残党?』

『数ヶ月前あたりから、「原書教団オリジナル・スクリプチャ」の残党が小規模ながらも各地で活動を再開したと、時計台でも話題になっています』

 一体どこに船を隠し持っていたのかはわかりませんが、と。輸送艇に乗っている連中も、不思議そうな声を上げている。

 完膚なきまでに潰したはずのあのカルトが動き出している、とでもいうのか。拠り所の教主様と教典を失ってなお、連中を駆り立てる何かがあると?

 とはいえ軍本部――時計台で噂になっている、というなら信憑性は高そうだ。これは、後でロイドに詳しく話を聞く必要があるか。

『で、何でお前らは教団に狙われたんだ?』

 かの教団が女王国軍、というか俺に恨みがある、というのはまあわかる。だが、こんな辺境に向かう輸送艇を襲撃して何になるというのだろうか。俺の疑問は、そのまま向こうさんの疑問でもあったらしく、訝しげな声が返ってくる。

『何故この輸送艇と備品が狙われたのかはわかりかねます』

 やっぱり、備品って言ってるよなあ……。

 疑問に疑問が重なって、何だかよくわからなくなってきた。ので、一旦考えることを放棄して、ふわふわと頼りなげに浮く『レディバード』に声をかける。

『あーっと、そっちは大丈夫か、「レディバード」の』

 そういえば名前をまだ聞いていない、と気づいたが、正直どうだっていいと思いなおす。どうせ、基地に着けば任務終了、その後のことは俺のあずかり知らぬことだ。

『大丈夫。です』

 一秒くらいのラグの後、たどたどしい、子供のような声が聞こえてきた。「青い」イメージを連れてくる、感情の動きがほとんど聞き取れない淡々とした声。声音から判断すると女、だろうか。つかみどころのない、妙な響きの声だ。

 ただ、よくよく聞いてみると、先ほどまでの完全な無感情ではなく、少なからず興奮が混ざっているようにも聞こえた。

『すごい、です。あなたが何をしたのか、ほとんど見えませんでした』

 そりゃあ、普通の翅翼艇エリトラじゃ、ろくに視認不可能だろう。『エアリエル』は速度という一点に特化した翅翼艇エリトラなのだから。

 ――とはいえ。

『高速機動中の、最低限の弾数による的確な砲撃。並みの技術では不可能です。素晴らしいです』

 手放しに褒められるのは、なんだ、くすぐったいけれど、悪い気はしない。さっきは言及されるだけでも鬱陶しかったってのに、何でこうも感じ方が違うんだろうか。

 色々と引っかかるものはあったが、こちらも正直な感想を述べることにする。

『や、お前さんの方がすげーよ。「レディバード」でそんなに飛べる奴、初めて見た』

『そうなの、ですか?』

 返ってきたのは、やたらぼんやりとした声。……こいつ、腕はいいけど性格に問題ありそうだな。霧航士ミストノートってやつは、どうしてこう変なやつばかりなのだろうか。もちろん俺様も含む。

 そうこうしている間に、基地の方から輸送艇に指示が飛んでいたらしい。輸送艇は『レディバード』を引き連れて、基地の方に船首を向ける。

 そして、俺の方にもロイドからの通信が入ってきた。

『お疲れ様。とりあえず、あんたも基地に戻ってきなさい』

『連中の墜落地点は確認しねーの? 連中について何かわかるかもしれねーだろ』

 自分で言っといてなんだが、操縦席をピンポイントで狙っちまったから、情報量に期待はできない気もする。一番狙いやすい場所を真っ先に狙うのも、こういう場合ばかりは考えもんだな。

『撃墜ポイントはこっちで押さえてるから、後で観測隊を向かわせるわ。だから、あんたはふらふらしてないでとっとと帰りなさいな』

『へいへい』

 我らが司令にそう言われてしまっては、帰らざるを得ない。俺だって好き好んで上司に逆らって、営倉に叩き込まれたいわけじゃない。まあ、そこ以外は俺自身の気分が何よりも優先されるところではあるが。

『あんたのその自由さ、ほんとうらやましいわよねえ……』

 どうでもいいけど、通信記術コム・スクリプトは時々考えてることがそのまま漏れてしまうのがいただけない。その辺りをどうにか改善できないものか、今度、アーサーか誰かに聞いてみるべきかもしれない。

 そんなどうでもいいことを思いながら、徐々に近づく基地に視線をやる。

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