第15話手を結ぶ

「……というわけで、敵の狙いは恐らく【死の女王】の同一化よ」


 翌朝、宿の一階で食事を取りながら、シアンは同行者に説明していた。

 周囲に他の宿泊客の姿はない。美術館以外に目立った観光地があるわけでもない村では、泊まるほどの用事がない、ということだろうか。


 人気がないのは幸いだ。盗み聞きされたところで良く解らないだろうが、あまり喧伝するような内容でもない。

 ……盗み聞き、という辺りで、何故だかジャレットが咳き込んだ。


「ちょっと、大丈夫? もしかしてコーヒーに砂糖入れ過ぎた?」

「い、いえ、別に……」

「お気になさらず、シアン様」

 心なしかつやつやした肌で、カストラータが口を挟む。「少しばかり、罪悪感がせり上がってきたのでしょう」

「はあ……? まあ、大事無いのなら良いけど。それより、問題は解ったでしょ?」

「げほ、げほ……え、えぇ。結構な規模の問題ですね」

 数回咳き込んでから、ジャレットは立ち直った。「彼女の伝承は、私も多少は知っています。死に関するエピソードが多いですよね」

「というより、それだけよ」


 シアンは、昨夜リックとも話していた【死の女王】の逸話をかい摘まんで解説した。

 現存する魔術師からすると、冗談としか思えないような規模の神秘や神話生物、そして死にまみれた様々な伝説。


「各地に残る【呪詛の乙女】の、恐らく雛形の一つでしょうね。砂漠王朝の最も初期から存在していて、時の権力者たる【化身アヴェルタ】と、何度となく対決しているわ」

「我が秩序神教会における【天魔】のような存在でしょうか」

「民衆を惑わしたり、災害を引き起こしたり。直接的にも間接的にも、彼女は世界を滅ぼそうとしてくる」

 シアンは自分のコーヒーにミルクを入れ、その白と黒の渦巻きを覗き込んだ。「ムンレス砂漠の神話というのは、大きく言えば彼女と歴代【アヴェルタ】との戦いの記録なの」


 常識的な歴史学者はそれを、【アヴェルタ】が天災や気候変動に対して、政策で対抗していく歴史書だと判断している。

 【黒き死の風】を火を操る魔法使いが焼き尽くした、なんて伝承を、疫病に対して焼却消毒した事実を脚色したものだと判断するように。伝説から夢を奪うのが、彼らの仕事だ。


 とはいえ、本職である魔術師からしても、これらの逸話は大袈裟に過ぎると思われていた。

 小さな火でも、無知な人々には大火に見えるものだ。恐らく先進的な考えや技術を持っていた【アヴェルタ】の行動を、民衆が大袈裟に描いたものだろうというのが、ムンレス神話に対する【マレフィセント】のスタンスであった。


 これまでは。


「これからは、そうはいかないでしょうね。砂漠の魔術が表舞台に現れた以上、【マレフィセント】も考え方を改めるしかない」

「その第一歩が、この事件なのですね」

 ジャレットは顔をしかめた。「第一印象が悪くならないことを祈りますよ」

はどうなの?」

 ゆっくりとカップの中身を掻き回しながら、シアンは何気ない風で尋ねる。「世界第一位の秩序神教会としては、砂漠の古き神に対してご感想は?」


 秩序神教会は、多神教に属する。


 火と戦争の女神マチューバとのライバル関係や、水竜神クードロンの帰依、謎めいた空神エーマなど、大陸、そして大国の名前として残る神々とのエピソードが数多存在する。

 そもそも世界を創造する際だって、他の六大神と力を合わせて行ったと、他ならぬ聖典に記されているのだ――その主だった舵取りが、秩序神にして主神たるアズライトである、というだけで。

 間違いなく元来の聖典は他の神々を認めている。だが、


 ジャレットは頷いた。


「まあ、他の宗派でもこれは同じでしょうけれど。自分の信奉する神が第一にして最高位です、私にとって、神とは秩序神以外あり得ません」

「でも……」

「えぇ、仰りたいことは解りますよ。今回の死体、ミイラ――それが【死の女王】ならば。彼女は

 ジャレットの穏和な瞳に、鋭さが宿る。「我々が、それを許すのかということですよね?」


 まあ、とシアンは思った。

 聞くまでも無いことだ――。神は、天上に居わすからこそ尊ばれる。汚れに満ちた地上に蔓延る、ヒトと同次元に存在するモノを、崇め奉ることはできないだろう。


「ご想像の通りです、シアン。我らが神は遥か彼方、けして、同じ空気を吸う輩ではありません。そして――

「まあ、そうよね」

「貴女の思う意味ではありませんよ。そもそもムンレス神話とやらでは、【アヴェルタ】とは?」

 クッキーへと伸ばしたジャレットの手が、空を切る。頬を、まるでハムスターのように膨らませたカストラータを睨んでから、彼は話を続けた。「神がヒトと交わり、あまつさえ子を成すなど。そんなものは――神とは言えない」


 鋭い視線が、シアンを射抜く。


「ヒトと交わり、ヒトと同じ方法でヒトを産むようなものは、結局ヒトでしかないでしょう? 神の御業、とは違います。そう見せかけただけの、少しだけ、優れただけのヒトの詐欺師に過ぎない。神が、そのような真似をするわけがない」

「…………」


 思わず身を引きたくなるような、熱だった。

 出会って初めて見る、頑なな熱弁に、シアンは誤解を悟った。

 信仰者とは、神を絶対の存在と考えるではない。


 宗教はいつも言う――ヒトは不完全で、未熟で、穢れに満ちていると。

 

 それが、これほど強烈な否定を生むのだと。


 同時に、シアン・マッカランは覚悟を決めた――

 リックと共有している、ある一つの秘密。【死の女王】のミイラ盗難に関する脅威は、同一化


 ……獣は火を恐れる。焼かれることが、解っているからだ。

 、シアンも彼を恐れることにした。自らが、焼かれるかもしれないとたった今、理解できたから。









「……じゃあ、我々としては今後、盗難犯を追うということで良いのですね?」

「えぇ」

 シアンは頷いた。「私たちが襲われたということは、盗難事件の犯人は一枚岩ではないみたいだし」


 魔術師の顔から何やら血の気が引いていることに、ジャレットは勿論気がついた。

 何しろ自分は神父。悩めるヒトの顔など、飽きるほど見ている。

 シアンの表情は正に見慣れたそれで、そしてそうなった理由も心当たりがある。原罪に関する話題は、多くの場合こういう反応を生んでしまうのだ。


「彼らの口調を鑑みれば」

 ジャレットは、意図的に明るい声を出した。「どうやら、望みの宝は手に入っていないようですからね。正に骨折り損というわけだ」


 苦しいジョークではあったが、場の空気を変えることには成功した。

 というよりも、意図を察してもらったと言うべきか。

 円滑な解決のためには、円満な関係を維持しなくてはならないのだから、シアンとしても距離をとり過ぎるわけにはいかないのだろう。


 どうにか軽く、シアンは微笑んだ。


「内部の調査は、リックに任せるしかないわ。その分、私たちは犯人を追うわ」

「私で、良いのですね?」

「えぇ。ここでいがみ合う理由は無いわ、放っておいたら世界が滅びるんだから」

 探るようなジャレットの言葉に、シアンは簡単に頷いた。「それとも、魔術師とは手を組めない?」

「いいえ、そんなことは……」

「じゃあ、決まり。とにかくミイラを盗んだヤツを捕まえて、取り返す。そのあとは――ま、アンタたちと館長とで決めてよね」

「えぇ、そうしましょう」


 シアンの差し出した手を、ジャレットは笑顔で握り返した。

 全幅の信頼とは言いがたいが――しかし当面、相手を信用するしかないのだから。

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