第12話それぞれの部屋

「……それが、犯人の目的ってわけね」


 樫材のテーブルをそっと撫でながら、シアンはため息を吐いた。


 悪くないデザインだ。少々使い古るされてはいるが、良く手入れされている。

 部屋自体もそうだ、床板も壁も天井も、ベッドカバーさえ古ぼけている。濃い緑色のカーテンは真新しいが、五十年前の誰かなら気に入りそうな好みだ。


 まあ、とシアンは思う。この部屋に入ってから五回は繰り返し自分に言い聞かせた呪文を、もう一度。

 ただ古いだけだ、不潔なより全然良い。

 それに、何より重要な要件をこの部屋は満たしている――


「【死の女王】。パーティドレスにはちょっと悪趣味すぎない?」

『そういうのが興奮するって男もいる』


 シアンの呟きに、が応じた。時の流れは万物に滞りなく襲い掛かるものだ、という世の真理を正しく教える教訓だらけの部屋には、シアン以外の人影は無いというのに。

 にもかかわらず声が聞こえた不思議を、シアンは気にした様子もない。


「頭の痛い問題ね、男女の好みの差っていうのは」

『一部の話さ。俺はどちらかと言えば清楚な方が――』

「悪夢の実現には絶好の服装ではあるわ」

 リックの冗談を冷静に遮った。「彼女の伝説を知ってる?」

『どれにする? 砂の奥から這い出た蠍の軍勢? 集落の煉瓦が毒蛇に変わった話、噛った林檎の中身が蛆になっていて、食べた人間の眼から……』

「どれでも一緒ね。気持ちが悪い」

『悪趣味さは変わらないな』


 笑い声に振り返ると、シアンは睨み付けた。

 古いテーブル。

 その上に広げて置かれた、一冊の本。


 天使を信じる無垢な少女と、彼女を助けるために奮闘する悪魔の話が描かれている。

 最後に力を使い果たして消える悪魔に、少女は笑顔でこう言うのだ――ありがとう、使

 ろくでもない話だが、重要なのはその内容ではなく。


 姿


 人形のように小さく縮小されたリックの虚像は、本物さながらの身振りと声量で、シアンと話をしている。

 初歩的かつ、ロマンチックな通信方法だ。幾つかある通信魔術の内、シアンは好んでこの方式を選択していた。


「生理的嫌悪は無視するとして、魔術師らしく神秘学的観点から見るのなら、共通点はあるわよね」

「そしてその逆もね。彼女が手を触れた相手が、全身から水分を失って塵になったという話は数多いわ」


 最もこれは、砂漠に存在する魔術師の得意な技ではある。

 ポピュラーな術式だ、そもそも魔術なんか使わなくても、砂漠に放置された人間は大体そうなるだろうが。


『神を否定したがる歴史家なんかは、こうしたエピソードを砂漠の擬人化だと考えているようだ。砂漠の過酷な環境、毒入りの生物。人が生活するなら、もう少しまとまな平原を選択するべきだという教訓だとね』

「気持ちは解るわ。魔術の理論をもってしても、神々の時代の魔術なんて、およそまともとは思えないもの」

『あらゆる自然を、驚くほどの魔力効率で支配下に置くからね。彼らの前じゃあ太陽だってひざまずく』

「というより、彼ら太陽なのよ。そして――


 それは、砂漠の擬人化よりよほど恐ろしい結論だ。彼女は死そのもの。与えるも、奪うも、望みのまま。


「もしその力を自在に振るえるとしたら――」

『まあ、行動に移すだけの価値がある報酬だろうね。成功すればだけど』

「成功を確信している連中はいるようね」

 シアンは、逃げる前の出来事を伝えた。

 リックはため息を吐いた。『無事で良かったよ。こっちでも、

「逃げて正解だったわね。私たちはこのまま、泥棒たちのあとを追うわ」

『……あの異端審問官には、詳しく伝えない方が良いかもな』

 なにか考える仕草で、リックが言った。『世界を滅ぼすかもしれない力を、魔術師が握った可能性なんて聞かせたら、新しい火種にもなりかねない。これ、聞かれてないよな?』

「えぇ。盗聴の気配はないわ、魔力も、魔法道具も使われてない」









「『……魔法道具も、使われて、ない』」

「えぇまあ。それはその通りですがね」


 魔術師の隣室でベッドに腰を下ろしたジャレットは、カストラータの報告に苦笑した。


 小柄な相棒は、部屋の壁に耳をぴったりとくっつけて、聞こえた言葉をジャレットに伝えていた。

 盗聴の道具などは確かに使っていない。ただ、彼女の耳が良いだけだ。


 美術館から脱出した直後、運良く乗り合い馬車を捕まえられたジャレットたちは、どうにか町にまで戻って来られていた。

 身分を隠して宿を取ると、ジャレットは魔術師に別部屋を提案した――戦闘行為を行ったカストラータを調整するが、あまり魔術師に見られても困ると言って。


 脱出し、相棒と別行動になった彼女は直ぐにジャレットの提案に同意した。

 異端審問官の目が届かないところで、仲間に連絡したいこともあるのだろうと予想したわけだが、結果はやはり予想通りというところだ。


「……通信終了したようです、カヌレ神父」

「そうですか、お疲れ様です」


 立ち上がったカストラータを労うと、ジャレットは深くため息を吐いた。

 思ったよりも深刻な状況だ。魔術師の企み事が善良だったことなど勿論無いが、まさか、世界を危機に晒すような事態とは。


「魔術師の意見としては、実現の可能性は低いということですが……油断できませんね」


 そもそも相手は、そうした可能性の低さを当然検討している筈だ。

 検討して、その上で行動に移ったのだとしたら、対策も当然行っていると考えるのが妥当だろう。

 犯人なりの勝算がある。つまり現状は、勝算を持った相手の後手に回っているということだ。まずい以外の言葉も出ない。


「一先ずは、協力を維持しなくてはなりませんね。追い付かないことには話にならない……ん? どうかしましたか、カストラータ」


 物思いの傍らで立ち尽くす相棒の、何かを言いたそうな態度に、ジャレットは首をかしげた。

 カストラータは、無表情なままで肩をすくめる。


「戦闘行為のあとは、自己調律が推奨されております、神父」

「ああ、そうでしたね」

 ジャレットは頷いた。人造天使とはいえ、調律の場面をあまり見られたくはないのだろうか。「では、確かシャワールームがありますので……」

 カストラータは頷いた。「えぇ。

「はいはい、ってえぇ? 私が?!」


 思わず腰を浮かせてしまってから、ジャレットは目を剥いた。

 カストラータは、あっさりと頷いた。


「服を脱ぐ必要がありますので、私のそうした行為に興奮し、襲い掛かる危険のある男性とは別室で行うべきだと判断しています」

「君は私を何だと思ってるんですか」

「男です」

「……それはまあ、そうなのですが……」

「外部から鍵をかけられるのはシャワールームだけですから。あぁ、それとも。少々踏み入った発言かもしれませんが、もしかして神父は女性に興奮しない方なのですか?」

「そんなことはありませんが、いえ、今そうした話をしているわけではなく、こうした場合女性の方がシャワールームを使う方が一般的でしょう」


 カストラータは、少しの間無言で、ジャレットを見ていた。

 なぜだか興奮してしまったジャレットは、その冷たさを感じる無機質な瞳から、静かに目をそらした。

 いたたまれない沈黙の末、カストラータは口を開いた。


「そうなのですか。それは実体験でしょうか、その辺り詳しくお伺いしても?」


 ジャレットは立ち上がった。

 それから、堂々とした足取りで部屋を横切ると、無言のままにシャワールームには入った。


 カストラータは、ドアに鍵をかけた。

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