第10話現場への道

 とにかく先ずは現場を、ということで、館長はリックを連れて廊下に戻った。

 失われた在りし日の廊下の光景を思い浮かべながら、リックは首をかしげた。


「中を見られるのはありがたいですが、美術館自体は今日も営業していますよね? そこで調査などしては、ご迷惑では?」

「えぇ、まあ……」

 館長は多少言葉を濁した。「調査には必要でしょうし、それに、盗難のあった一角は今のところ封鎖しているのです」

「封鎖?」

「被害はある遺物と、その関連品に集中していますので。対象でない区画のみオープンして、被害区画は保全してあるのです」


 要するに、場所を決めておくからその中で調査しろ、というわけだ。

 真実よりも客商売の方が重要だという館長の立ち位置が、どうにも透けて見える。まあ、妥当な判断とも言えるが。

 どうせと、リックは心の中で嘲るような笑みを浮かべた。この美術館は国営だ、補償は国がやってくれるのだから、無理に犯人を明らかにする必要はないのだろう。


 まあ、落とし処としては悪くない。館内の調査は閉館後にゆっくりやらせてもらうとして、差し当たって今のところは、事件の痕跡を調べる方が先決だろう。


「解りました、先ずはそこを見せてください」


 館長は、あからさまにホッとしたようだった。

 彼としても調査依頼を出した手前、リックのことを無下にはできない。


「こちらへどうぞ、魔術師様」


 廊下の端へ進むと、館長は壁に掛けられた大きな額縁をずらす。

 およそ四十度ほど傾いた時、かちり、と何か歯車の噛み合うような音が響いたかと思ったら、急に地響きと共に壁がスライドした。


「貴族の脱出経路ですね」

 ヒト一人分の隙間が開いた壁に、リックは感嘆の吐息をこぼした。「マチューバ帝国における、革命時代が発祥でしたか」

 館長は頷いた。「軍人によるクーデターの件ですね。かの国は、その名の通り戦神にして火の女神、マチューバを信仰しておりましたから。単なる土地持ちなどよりも、武力による統治を住民自身が選んだのですな」

「貴族の在り方は、基本的に戦士には忌避されますからね。屋敷に逃走経路を確保するのは、ある意味で嗜みとさえ言えるのでしょうね」


 力こそ正義。

 ある意味でワーズワース大陸よりも危険で原始的な風俗を、マチューバ帝国は採用している。強い者が弱い者を束ね、彼らのために力を振るう。弱者は強者が振るう力に仕える。


 人々の心の根底に、『弱肉強食』という法則が刻み込まれているような国だ。現在の王より強い者が現れたら、政権が転覆するのは当たり前だった。


「情勢の悪化にともない、貴族たちはこぞってこうした隠し通路を造りました――後には、避難通路があることが、逆説的に貴族であることの証明となったのです。正しく貴方の仰る通り、貴族の嗜みというわけですな」

「えぇ、全く」


 、とは、流石にリックも言わなかった。


 革命は民衆が主役だ。そして、貴族の屋敷を建てた作業員は民衆なのである。

 襲撃者が隠し通路の存在や入り口、出口さえも知っていたなら、それらはまるで役に立たない。事実、革命の際秘密の逃げ道を用いることができた者は、ごくわずかに過ぎなかった。


 隠し通路が本格的にその役割を発揮するのは、それから五十年ほど後の事である。誰もがその存在を忘れたからこそ、屋敷は住人を守ることができたのだ――彼らの財産と共に。

 今回も、そうなれば良かったのだが。









「盗難被害の詳しい目録は、我々もまだ作成しきれておりません。が、その被害がある一部の年代に集中していることだけは、把握出来ています」

「今回の展示は、どの程度の規模なのですか? というのも、砂漠を題材にしているとは聞いていますが、詳しくは知らないのです」

 館長は気負う様子もなく、あっさりと口にした。「【月無しの砂海】、ムンレス砂漠に眠る遺跡の、ほぼ全てを網羅した展示なのです」

「全てを? それはまた、すごい」


 ムンレス砂漠は、ユンハルトゥラ大陸の南東部に位置する広大な砂漠だ。


 その広い土地には数千年前、神々の時代からずっと、数え切れない程何代もの王朝が存在してきた。

 繁栄と滅亡を繰り返したのだろう、様式の異なる遺跡が幾層にも積み重なり、砂の下に埋もれているのだ。

 ユンハルトゥラ連合王国の統治下にある今でも、砂漠には独自の文化と宗教観を持つ民族が暮らしているというが――それを、全て掘り返したというのか?


 思わず疑わしげな目を向けたリックに、館長は肩をすくめた。


「まあ勿論、商売に付き物の誇大表現は認めますよ。けれど少なくとも、我々は手の届く限りの遺跡発掘に成功し、学術的に充分満足のいく成果を獲られたと確信していますよ」

「確かにまあ、あの閉鎖的な集団がいる砂漠から、このフロアを埋められるだけの発掘品を持ち出せたのならそれは成功と、そう呼ばれるでしょうね」

「ええ、ええ! 流石魔術師殿は良くお分かりだ!」

「そして、


 自由に見えて厳格、開放的に封印するあの国からの持ち出し品は、例え紙切れ一枚でも通常の数倍以上の価値を持つ。

 盗賊たちは、それが解っていたのだろう。だからわざわざ、美術館に押し入ったのだ。


「ようやく事件のあらましが見えてきました。館長、盗まれたのは――?」

「く、詳しい時代測定は困難でしょうが、遺跡の装飾や埋葬品を調べる限りでは、恐らくそうでしょう……」


 やはりと、リックは頷いた。

 魔術師にとっては常識だが、旧いものはそれだけで力を持つ。

 神秘は、時だけが積み重ねることが出来る壮大な織物だ。旧いという事実だけで、そうではない全てのものを圧倒する。


「その遺物、それから関連品を調べましょう。何が盗まれたのか、それが重要だ」

「それでは、適任に会っていただきましょう。ちょうど今、館内を見回っている筈です」

「館内を?」

「ええ、それが役目ですから」

 館長は壁の一部を操作した。魔石用品だろう、恐らくは何か合図を送るための。「……彼も必死なのです、失われたモノを見付けるために」

「失われたモノを?」

「……あの夜、この美術館から無くなったものは、歴史的に重要な遺物だけではないのです。貴方も、ご存知でしょう?」

 リックは一瞬悩み、それからハッと、大きく目を見開いた。「行方不明の、警備員……!」


「エマ・クレイモアだ」


 重々しい言葉に、リックは振り返る。

 年代物の床を踏み鳴らし現れた恰幅の良い鹿人ハドホルンの男性が、不機嫌極まるといった表情で鼻を鳴らした。

 仕立ての良いスーツ姿にステッキを携え、何故だか片足を引きずっている。それに良く見れば、スーツも所々汚れているような気がするが。


 ハドホルンの男性は外見に頓着する様子もなく、大股でリックの方に近付いてきた。


「俺の部下だ、あいつが、消えたんだ」

? ということは、もしかして……」

「ご紹介しましょう、彼はノックス・クグロフ。ここの警備を任せている男です。クグロフ、こちらはリック・クラフトエール。【マレフィセント】から来ていただいた魔術師です」

「どうも」


 差し出した手を無視して、クグロフ氏はリックに詰め寄った。


「展示品が消えて、警備員も消えた。怪しまれるのは解ってる、だが、そんなわけはないんだ。あいつは真面目だし、何より臆病だ、そんな大それた真似する訳がない!」

「あー、それは、その……」

 行き場を無くした右手をリックはさ迷わせ、結局無難に髪を撫でた。「……ええまあ、そのつもりです」


 こほん、と館長が咳払いをした。


「彼は既に、クレイモア嬢が犯人ではないと理論的に否定してくださったよ、クグロフ」

「……そうなのか?」

 疑わしげなクグロフ氏の視線に、リックは肩をすくめた。「ええ、まあ。今のところは、ですが」

「流石は【マレフィセント】の魔術師殿だ!」


 クグロフ氏は先程とは打って代わった陽気さで、ハグでもしそうなほど勢い良く、リックの右手を両手で握った。

 激しい上下の動きと握力に、リックは短く悲鳴を上げたほどだ。


「実に素晴らしい、貴方の見る目、推理力は間違いないようだ! 到着早々実に見事、貴方になら、お任せできる!」

「ど、どうも……」

「早速盗難品をお教えしましょう、魔術師殿。それを見れば、敵が何を狙っているのかお分かりいただける筈だ――我々が何故、【マレフィセント】に話を持っていったのかも」

「と、言いますと?」


 クグロフ氏は館長に目配せした。

 館長は、心なしか渋々といった様子で、けれども頷いた。


 許可が出たクグロフ氏は、改めて、リックの瞳を熱心に見詰めながら言った。


「私どもは、その遺物がとにかく古く、そして危険な逸話に満ちていることを理解していました。それを用いて魔術師が何か魔術を行えば、どんな悲劇的な結末が待つか、容易に予想できるほどに」

「それほどまでに、危険な遺物なのですか?」

「ええ。の伝説には、死と破壊が生じなかったことが一度もありません。歩く度に死をばらまき、呼吸と共に破壊を呼ぶ、そんな存在です」


 リックはゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 最古の遺物、危険な伝承、彼女。それらの条件に合致するのは、恐らくただ一人だけ。

 そしてだとすれば、予想される被害は恐らく、世界規模になるかもしれない。


 脅威を共有できたと確信したのか、クグロフ氏は重々しく頷いた。


「盗まれたのは、今回の展示品で最も古い時代の遺物群……

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