第9話予感

「あいつは――何処だ?」


 あいつ、という表現に、ジャレットは軽く眉を寄せた。


 宗教家には聞き慣れた単語だ――『あの方』、『彼の人』、『尊き方』、一人の名前を呼ばないために、幾つも渾名が存在する。

 名を気軽く呼ぶべきにあらず、か。神にも悪魔にも共通する特徴であるが、成る程人間関係にもそれは適応できるらしい。


 強さを仄めかし、利益を仄めかし。

 善なる者にも悪意ある者にも、それはとても有効な話術だ。


 さて、どうするか。

 現状彼らは間違いなく強者の側であり、天秤をずらすには言葉は唯一の武器ではあるのだが、いかんせん手持ちの札が――情報が、足りない。

 何を求めているのかを知らなくては、交渉のしようもない。


 では聞けば良いのだが、それは交渉のテーブルに座ってしまった今では手遅れだ。無知を知らせて得することなど、何一つない。

 だとすれば。


「……?」


 ジャレットの言葉に、角持ちハドホルンの視線が僅かにずれる。右の瞳だけ、ちらりと一瞬、突然口を聞いた青年の方に向けられる。

 それだけだ。

 仕込み杖だろう、シアンの肩から首筋に突き付けられた細身の刃はピクリともしない。


 まだ、足りない。

 ジャレットは敢えて大袈裟に、首をぐるりと巡らせた。

 ――周囲を囲む敵の数を、大胆に数える。

 これができるのは今だけだ。向こうが、シアンこそ最大の脅威だと判断している、この瞬間しか自由に動く隙はない。


「……どちら、とは?」

 それきり言葉を続けないジャレットに、ハドホルンが苛々と言う。「どういう意味だ? 私が探しているのは、一人だけだ」

 余裕で、笑みさえ浮かべながら、ジャレットは応じる。「ああ、成る程。一人の方ですね、解りました」


 全員の――シアンも含めた全員の視線を感じながら、ジャレットは大いに冷や汗を掻いていた。

 ただし、内心で、だ。

 心の教会では正しく七転八倒、わけの解らない言葉を叫びながら、スライムのように跳び跳ねているが。

 それは、心の中に留めなければならない。

 内心の動揺を外身に出すなかれ。偉大なる竜公の言葉を胸に、今、ジャレットは一世一代の大博打を打とうとしていた。


「どちらの方かなと、えぇすみません、思ったものですから。貴方が探しているのが」


 必要なのは嘘ではない。そもそも嘘は、宗旨に反する。

 だから、

 疑惑の種を蒔き、猜疑の心を育てる。自分の理性が差し出す結論に、心が疑問を持つように仕向ける。


 俗に言う、である。


「……どういう意味だ」

 同じ言葉の繰り返し。良い兆候だ。「そのままの意味ですが」

「ふざけているのか?」

「まさか!」

 ジャレットは心から首を振った。「私は真剣ですよ、勿論。……死にたくありませんから」


 シアンに向けた目配せに、果たして気付いてくれたかどうか。

 タイミングが、何より肝心だ。


「ヒトはそれぞれ、立場というものがある。王の持つ情報と農民の持つ情報とでは、当然違いが生じるものです。だからこそ、貴方に聞いたのです、『どちらの話ですか』とね」

「…………」

「ご理解頂けないのなら、それはそれで結構です。それもまた、一つの情報なのですからね」

「……


 良し、とジャレットの心は叫んだ。神への感謝を捧げながら、小躍りしたいほどだ。

 価千金の言葉が出てきた。まさか、あぁ、まさかとは!

 種はしっかり根を張ったというわけだ。今、この初老に差し掛かったハドホルンは、愚かにもこう思った――


 知るわけがない。知るわけがないが、誰にでも秘密はあるものだ。

 あとは、そう。『仄めかし』だ。


「お前は、の話をしているのか? を一人として数えているとでも? だとしたら、愚かなことだぞ」

「ほう、大きく出ましたね。……一応聞いておきましょうか、愚か、とは?」


 一応どころか、絶対に聞いておきたいことだ。だが敢えて、ジャレットは余裕を見せる。


 宗教家としては無念極まるが、ヒトはヒトを馬鹿にしたがるものだ。

 他人の無知を見過ごせない、それも、自分が知っていることならば尚更だ。

 周囲を囲まれ、絶体絶命の立場にある筈の男が危機感の欠片もなく微笑みながら、無知に気付いていない素振りを見せれば、多くの者が嬉々としてそれを正しにやってくる。その結果、何を失うのかを知らぬままに。


 予想通り、ハドホルンは嘲るように鼻を鳴らしながら、さえずった。


「決まっている。!」

「……成る程」


 ジャレットは思わず頷いた。

 詰まり、そういうことか。


「ありがとうございます、これでようやく、話が解りました」

「何? ……っ、お前、まさか……!」

「それでは失礼します」


 ジャレットはニヤリと笑う――視線を感じながら、全員の視線を。

 誰もが自分に釘付けだ……


 彼らは見誤った。

 勿論魔術師は脅威だろう――だが、これほど接近していれば、予備動作のとれない彼らはさほど危険ではない。

 このような場合に注目するべき相手は、


 自分自身に敵の注意が集まっているのを感じながら、ジャレットはポン、と傍らの少女の頭に片手を置いた。


「頼みますよ、

「承りました……神の導きのままに」

「神、それに、カストラータだと! だとすると、貴様は!!」


 言葉は、それが最後だった。









 そして、暴力が訪れた。


 目眩でも起こしたようにしゃがみこんだカストラータは、一瞬後には放たれた矢となった。

 六メートルの距離を三歩でゼロにした少女が、勢いそのままに放った飛び蹴りは、まだ振り向き途上だったハドホルンの脇腹に直撃した。


「がはっ……!」


 飛んできた少女と同じ勢いで、呻き声と共に部屋の隅へと吹っ飛んだ彼の行方を、思わずシアンたちは見送ってしまい。

 ヒトの造り上げた天使は、そんな愚は犯さない。


 ふわり、スカートに空気を孕ませながら着地、その膨らみが収まるより遥かに早く、カストラータは再び宙を舞っている。


「え、あ、ごふぁっ!?」


 我に返るまでに一人、その顛末に動揺する間にもう一人、敵が壁に蹴り飛ばされた。


 これで、三人。


 流石に半分になった時点で、連中も意識を切り替えたようだった。

 戦籠手ガントレット、ナイフ、棍棒。人混みに紛れるためだろう、一般に暗器と呼ばれる部類の武器を、手慣れた様子で構えている。


 奇襲の段階は終わったと判断したのだろう、カストラータは、トン、トトン、トン、トトン。独特なリズムの短い跳躍を、その場で繰り返している。

 ジャレット神父は、その傍らで緊張の面持ちだ。だが何処か、その瞳には興奮の色が見え隠れする。


 そして、残る一人。

 魔術師、シアン。

 


「苦痛故に安らぎ、苦悩故に悟る、ヒトは旅人、安寧は終末! 【嗚呼其処は無私なる楽園モルタリーフィールド】!」


 騒動の最中に、人知れず魔力を練っていたシアンは、最速の詠唱で自身の最高術式を展開した――それでは、本来の効果の十分の一すら、世界を騙すのには足りなかったが。


 それでも、充分だ。


 詠唱の完結と共に魔力が世界を塗り替える。

 場を創る系統に属するシアンの魔術によって、敵に懲罰デメリットが襲い掛かった。

 武器を構え、臨戦態勢にあった彼らの肉体は、糸を切られた操り人形のように崩れ落ちる。


「……お見事、恐ろしくさえある腕前です」

「おだてるのは後にして。とにかく今は、この場を離れましょう」

 シアンの言葉に、ジャレット神父は目を見開いた。「しかし……リックさんは? 置いていくのですか?」

「そうするつもりよ……貴方のはったりのお陰でね!」


 神父の機転のお陰で窮地を脱したが、結果として、彼らはシアンたちに対して疑惑を持った――自分達の秘密を知る者である、と、彼らは確信しただろう。


「あいつらは、『ミイラ』と言ったわ。そして、盗難事件のあった展示場の題材テーマは……『砂漠の神秘』。だとすると、話題に上るミイラっていうのは……」

!」

 そういうこと、とシアンは頷いた。「どうやら、それはまたしても行方不明らしいけれど」


 恐らくあのハドホルンたちは、泥棒たちの取引相手か何かだろう。

 盗み出したミイラを得る予定だった筈が、どうやら件の『あいつ』はミイラを持ち逃げしたらしい。

 ハドホルンたちは怒り狂い、持ち逃げした犯人たちを探していたのだろう――そこへシアンたち、詰まりが現れたわけだ。怪しさ満点、事情を知っているかもしれないと、彼らは罠を仕掛けたのである。


 シアンの推理に、少女は抑揚の利きすぎた声で大いに同意した。


「そんな相手に、カヌレ神父はわざわざ、『私たちはお前たちの秘密を知っているぞバーカ』と、大胆なはったりをかました訳ですね」

 細く長い息を吐きながら、カストラータが首を傾げる。「成る程。逃亡を推奨なされるマッカラン様のお気持ちが良く解ります。そしてこうも仰りたいのですね、『この考えなしの唐変木!』、と」

「……いや、そこまでは……」

 無表情、かつ淡泊な口調で、少女は一礼する。「ご安心下さい、マッカラン様。神父は常日頃から、信者の方々の罵詈雑言に耐える日々です。あまりに文句を言われ続けるので、今では、文句を言われることに興奮を覚える始末ですから」

「ははは、人造天使カストラータには定期的な調律メンテナンスが欠かせないという原則を、私は今、初めて身に染みて実感しています。えぇ、帰還したら貴女の倫理基準は全面的に改修しましょう」

「いいから、さっさと逃げるわよ!」


 こんなところで、二人組の和やかコントを始まらせる訳にはいかない、シアンの魔術はあくまでも相手を眠らせただけで、いつ目覚めるか解らないのだ。


「ここでの調査はリックに任せましょう。私たちは、


 追っ手の目はシアンたちに向いた。

 美術館内の調査が円滑に進むためにも、邪魔物はこっちで引き受けるとしよう。


 しかし、とシアンは密かに眉を寄せる。


 わざわざミイラを盗んだ犯人、そして、

 そこから予想できる嫌な未来、自身の役割に、思わずため息がこぼれる。

 これはもしかして――シアンに関係があるのかもしれない。


 そして、だとすれば。

 事態は、非常に不味い。

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