第1話シアン・マッカラン


 音響を計算され尽くしたロドニアムホールに自らの発言が響き渡ったのを確認して、一人の魔術師が講壇に上がった。

 ステージ上で声を出すと、随所に置かれた音魔石モアボイスによって、声量が増幅される設計だ。詰まり、ここから先は全てがになるのだと、彼女は改めて確認する。


 敢えて、一呼吸。


 グラスの水で口を潤して、軽く息を吸い込むと、シアン・マッカランは準備万端口を開いた。


「ヒトの歴史とは、進化の歴史であると誰もが思っているかもしれませんが、必ずしもそうではありません。前へ前へ。優れた技術、より良い未来、多数の幸福へと迷いなく突き進んでいたとしたら、我々の歴史は全く異なるものになっていたでしょう。

 そしてそもそも、そんなことは不可能です。あらゆる出来事に最善の解答を用意できる、人類全体を俯瞰する視点なんか、神ならぬヒトの身には」


 シアンは、ぐるりと首を巡らした。

 客席を見回すには視線を動かすだけで充分だったが、敢えて、彼女はそうしなかった。


 これもまた、最適だけを選ぶ訳ではないという、ヒトの悪癖への対策だ。

 講演とは一種の演劇だ。

 声の調子や喋り方、息継ぎのテンポとタイミング、姿勢、目線、動作。シアン・マッカランという存在の全てを総動員して行う舞台芸能パフォーマンスなのである。


 話す魔術理論の正しさや美しさなんか、二の次だ。


 より印象的で衝撃的なタイトルを、大袈裟に歌い上げる。『否定的な隣人を黙らせるゲーム』に勝つには、それが定石なのである。

 シアンが誇張アピールした『客席を見た』行為によって、聴衆は自分たちを、『話し手が意識している存在』として意識することになる。次の展開に、自分たちは関係しているようだ、と予想するのだ。


 そう、その通り。これは、に関わる話だ。いつものように。


「では、私たちは未来を見通す目を持っているでしょうか?」

「ハドホルンなら!」

「……ありがとう」


 聴衆の一人、若い栗毛の犬人ドグが飛ばした野次に、シアンは苦笑を返した。

 目立ちたがりの坊やめ、とシアンは思った。ヒトの発言を茶化すことが、自分の知識を表現する唯一の手段だと信じているのだろう。


「ランドリクス大陸の南部、黒天森林。通称【灰の森】に住む鹿人ハドホルンには様々な噂がありますね」

 無視しても良かったが、話の筋としては悪くない。森に住む彼らの、捻れ枝分かれした乳白色の角を思い浮かべながら、シアンは頷いた。「古くは森に逃れた、竜の一族だとか。或いは、魔女の護衛だとか。散々な扱いをされたようです――何しろ角は、目立ちますから」


 ほとんど世界に出ない偏屈な生活のせいでそんな汚名を被せられる羽目になったのか、汚名を被せられるから森に引きこもったのかは解らないが、彼らには多様かつ無責任な噂が数多流されていた。

 角が万病に効く、というのはその中でも最悪だった。

 病に悩む人々や、或いは永遠に金貨を数えていたいと願う金持ちによって、彼らはひどく数を減らすことになったのだ。


「そうした無責任な噂の中に、確かにこうしたものがあります――彼らは未来を読み取ると。しかし」

 興奮のざわめきが広がる前に、シアンは続けた。「それは間違いです。彼らの角は余剰魔力によって生成されますが、そのため、周囲の環境に対して非常に敏感なのです。そうして多く集めた情報で、未来を予想しているに過ぎません」


 失望のため息が、若者の間にこだました。

 シアンは苦笑を堪えるのに必死だった。

 彼らは気付いているのだろうか。この講演には未来有望な魔術師見習い以外に、【マレフィセント】の講師陣も顔を出しているということに。


 彼らの将来に、今のやり取りがどれ程影響するかは解らないが、品がよくは見えなかっただろう。


「現在を俯瞰する目をもたず、未来を見通す目ももたない我々です。だとすれば、我々が基礎とすべき視点は一ヶ所しかありません……

 魔力に満ちた世界に広がる、魔法や神話生物たちの営み華やかなりし神話時代。そこを目指すことだけが、ヒトの目指すことのできる場所です」


 さて、とシアンは一本の杖を取り出した。ミガモの苗木を墓場の土に植え、雪解け水と月明かりだけで育てた枝を使った、伝統的な魔術杖タクトだ。

 オーケストラの指揮棒の元になった、羽ペンほどの長さのそれを、シアンは宙へ向けて振るった。


 先端から飛び出した夜色の魔力は、シアンが設定した呪文に従って、空中にキラキラと光輝く絵を描き出した。


 先ず一匹の蛇。

 それが弾けて、破片が翼を生やした馬に変わる。もう一頭の、角を生やした馬が見守る前で、馬は翼をはためかせて天へと駆け上がる。と思えば、雄大な影が馬の脇を

 巨大な鯨は天馬の横に並んで、悠々と空を泳いでいく。その背からは海水の代わりに、激しい雷が吐き出されている。


 聴衆は言葉もなく、天馬と雷鯨のダンスを見上げている。そして絶妙のタイミングで現れた捕食者に、彼らは気持ちの良い悲鳴を上げた。

 雷鯨よりも一回り大きいは、翼で空を力強く叩き、巨体に似合わぬ俊敏さで天馬へと襲い掛かった。

 狩りは一瞬で終わった。

 大きく凶悪な顎が割けんばかりに開かれて、天馬を一呑みにしたのだ。そして長い尻尾が雷鯨を打ち据え、よろけた魚に鋭い爪が振り下ろされる。

 ドラゴン

 神話時代の覇者は悠々とホールの天井を一回りすると、シアンの杖によって消えた。


 代わりに現れたのは、


「魔力の現象と共に、神話生物はその大半が姿を消しました。残ったものも、翼や角を失っている。彼らはまだ現在には生きていますが、その肉体からは魔力がどんどん無くなっています」


 シアンは杖を振った。

 動物の像は消え、そして新たに生み出されたのは――


 天を突く長い耳に高い鼻を持つ兎人ラヴィに、短く鋭い耳と爪を持つ猫人キャッティア。岩石のようにたくましく毛むくじゃらの熊人ベアー、角を持つ鹿人ハドホルン犬人ドグ、そして


「過去からの事実の積み重ねを述べましょう。神話生物はおよそ千年前の大災害、神学で言うところの【聖伐カーニバル】によって絶滅しました。そこから徐々に世界から魔力が失われる中で、新たな神話生物は生まれていません。

 翻って、我々は。

 【聖伐】の時から比べて、人口は遥かに増えました。八大陸間の世界大戦で減少し、召喚大戦によって更に減少、世界も七大陸に減りました。その後大陸間同盟と【マレフィセント】による召喚禁止によって持ち直しつつありますが、しかし重要なのは、こうした全体的な変化ではありません。もっと内部の変化に目を向けなくてはいけないのです。

 ここ数十年で、大幅に増えた数があります。一割から、三割。何の数字だか、解りますか?」


 返事はなかった。

 シアンはまたしても時間をかけて、居並ぶ聞き手たちの顔を順繰りに見た。

 話の流れが解っているのだろう。彼らは不安そうな目付きで、息を潜めながら、じっとシアンの言葉を待っている。自分の思い付いた最悪の予想を、彼女が覆してくれると期待している。


 残念だがそうはならない。

 彼らに思い付くよう誘導したのは、シアン自身なのだから。


「それは、。ラヴィの耳が縮み、キャッティアの爪が抜け、ベアーが痩せこけ、ハドホルンの角が抜け、ドグは――少し静かになった。ラック、何も持たざる者が増えているのです」


 言葉に合わせて、ヒトの姿が消えていく。

 神話生物が消えたように、そして、単なる生物が残ったように。

 亜人たちが消えていき、残ったのはだけだ。


「私は未来を見ているわけではありません。これは事実です、ヒトがヒトに伝えてきた、過去の事実。それを踏まえた未来は、。そして、こうならないための方策を、我々は探さなくてはなりません。……出来るだけ、急いで」


 衝撃の余韻が残る内に、シアンは頭を下げた。

 彼女が壇上から去るのを見て、ようやく拍手が沸き起こった。

 話の内容に関してか、それとも、シアンが立ち去ったことに対しての拍手かは、解らなかった。

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