逝く者

「ここでいいわ。この子達に寂しい思いをさせたくないから……」


 ライキの腕に抱きかかえられたオガルゥは、空咳をしながら地面を指した。かつて彼女が安らかな死を求めて放蕩して来た旅人を葬った、異質で冷たく、そして温かな森の墓場の中心であった。


「さてと……あまりゆっくりしていてもボクに悪いから、そろそろ逝こうかしら?」


 買い物にでも出掛けるような声色で、オガルゥは傍の墓石を撫でた。ごく近い将来に自身も墓下のと同じ境遇に立つ事を、何処か嬉しがっているようだとライキは感じた。


「ボク、どうやって私を仕留めるの?」


 一切の敵意を向けてこない標的を、果たして殺める事が出来るのか――?


 彼の手には魔女狩りの刀はおろか、斧も鉈も紐も何も無い。ただ冷たくそれでいてジットリと汗で濡れた手が開かれている。


「正直なところ……あまり痛いのは嫌ね、どうせならスッキリと逝かせてくれる方法が嬉しいのだけど――」


「……オガルゥさん」


 魔女に対して敬称を付けたライキは、しかし自分の口から「さん」などという言葉が飛び出るとは思わなかった。無意識の内に滲み出た「尊敬」の念は、達観した素振りを見せていたオガルゥすらも驚かせた。


「驚いたわ、私の事を『オガルゥさん』だなんて……」


 ライキは瞬きの多い彼女を見つめる、彼の目には雑念が一切見受けられなかった。純粋な決意が力強い眼差しとなり、眼前の魔女を射貫くようだった。


「俺は……分からないんです。自分が何をしたいのか、一体何を信じれば良いのか……こうなってしまっては、もう何も分からない」


 一度もファリナに「戦う意味」を問うた事の無いライキは、今まさに果てようとしている魔女に弱音を吐いた。明確な答えを彼は求めていなかった。ただ、誰かに泣き付きたかったのである。幼い頃に両親を亡くしたライキは、他人に甘えるという事を知らない。


 この瞬間こそが、彼の潜在的な欲求が抑制の殻を破った印であったのだ。


「……ボクは、今までの魔女狩りをしているのね?」


 彼は俯いた。図星だった。


「勿論、ボクのやってきた事は決して褒められたものじゃないわ。当然、ファリナもよ。ボク達は罪深い存在よ、キツい事を言うようだけど……」


 オガルゥは聞き分けの悪い子供を諭す母親のように、ライキの前でしゃがみ込んで彼の手を取った。


「でもね、例えばボクが『殺してくれ』って頼むのは、もっともっと罪深いわ。冷酷な言い方をすると、殺されたザラドとニールマンゼは無駄死にをした――という事になるのよ。二人の分まで生きなさい……なんて生易しい言葉を掛けるのは、多分ボクにとって一番辛い仕打ちでしょう。だから――」


 キュッと強くライキの手を握ったオガルゥは、力無くも美しく微笑んだ。


「救いなさい。道に迷った人を、転んで泣いている子供を、絶望に暮れている者を、そして……可哀想なファリナを……」


「オガルゥさんは……ファリナを憎んではいないのですか」


「全然、と言えば嘘になるかもね。彼女の計画はあまりに非道で許し難い、けれど……これだけは分かるの。あの娘、ボクよりも何倍も後悔しているはず。それこそ、目が覚めたら自殺を図ると思うわ。ね、ボク……どうかファリナに目を明ける機会を与えてあげて? それでもし、再び過ちを犯そうとしたのなら、その時はボクが終わらせてあげて欲しいの。愚かなファリナ……長い年月をひたすらに俯いて暮らして来たファリナ……」


 オガルゥの身体が小刻みに震えた。ライキは何も言わずに、ただ彼女を見つめるだけだった。


「ごめんなさい、ボク。……もしかすると、ファリナがおかしくなったのは……私達のせいかもしれないのに……ごめんなさいね……」


「オガルゥさん達のせいではないと思います。……ただ、巡り合わせが悪かっただけです」


 優しいのね、とオガルゥは涙を拭ってから立ち上がると、白んできた空を見上げて「そろそろ逝くわね」と微笑んだ。


 どうして彼女が死ななくてはならないのか――ライキは全く納得がいかなかった。手法はどうあれ人を助け続けた魔女の最期がこんなにも鬱々とした場所とは!


 本人が望む死に場所とはいえ、あまりにも陰惨ではないか……ライキは目頭が熱くなるのを覚えた。


「実はね、最初からボクの手を汚すつもりは無かったのよ」


 オガルゥは懐から小瓶を取り出した。


 中には粘るように輝く紫色の液体が揺られており、それがいとも容易く服用者に「終わり」をもたらせるのは明白だった。


「ボク、この先何があっても死のうとなんて思っては駄目よ。せっかく目が明いたのだからね。近い将来、きっと闘わなくてはならない時が来る、けれども、ボク……その時は全力で闘いなさい。ボクには出来る、私が言うのだから間違い無いわ」


 空に輝く月を眺め、オガルゥは懐かしむように言った。


「月が綺麗ね。五人でサフォニアを造ろうと決めた日も、皆で喧嘩した日も、ファリナがいなくなった日も、そして今も……ずっと月だけは私達を見ていてくれた」


 オガルゥは小瓶の蓋を開け、乾杯をするかの如く天に向けると――一気に中身を飲み干した。その様子を見つめていたライキは彼女の自殺を止めようとして――果たしてその場に立ち尽くしていた。


 自分が森に来た事で、オガルゥの死期をもしかしたら大幅に早めたのではないだろうか……と、ライキは歯を食い縛って悔しさに耐えた。


「あぁ……眩しいわ、月がこんなにも眩しい事は一度も無かった……。そうそう、これだけは言っておかないとね……」


 ゆっくりとライキの方へ振り向くオガルゥ。その顔は月光を受けて青白く、しかし最後の灯火のように輝いているようだった。


「オガリス、楽しかったわ。ありがとう――」


 小瓶の割れる音に続いて、魔女はその場に横たわった。


 その刹那であった。


 全ての墓石が、まるで生きているように薄らと光を放ち始めた。介錯人であり、墓守であり、そして慈母であったオガルゥの死を、土の中の子供達が悼んでいるのであろう――ライキはその場に跪くと、永久の眠りに就いた魔女の冥福を祈った。

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