第六章 占いの行方(2)

 天声壇は八角形の建物である。王宮の建物群と揃いの黄色の瓦屋根は、外から見ると二層に見えるが、実際は一階建てだ。

 円錐に尖った屋根の四方には排煙のための小窓がついており、この日は卜占のために小窓を四か所とも開け放っていた。

 小窓から白い光が深紅の陶板で覆われた壇内の壁や床に差し込み、ぼんやりとした四角形の模様を落す。

 四本の光のきざはしの向こう側には大極宮とまた別の白亜の神像――薄絹から乳房を覗かせた柔和な女神像で額だけ花鈿が紅で彩色され、鶴と孔雀を左右に連れている――を最奥に、手前には花や果物、そして花房を象った蝋燭がたくさん供えられている。これらの祭壇の正面には円形の火壇があり、五色の砂絵の上に火を焚いていた。脇に置かれた三方には金色の火箸と動物の骨、植物と神酒が供えられている。

 ぱちぱちと火の粉がはじける火壇にハワルが皆で織ったうすものを持って座り、オルツィイやサィンたち九人のトゥルナが後ろに控える。その後ろは役目を持たないトゥルナの面々が、続いてトズの面々が並び、曄人とアルマたち別の部族の女たちは更にその後ろに座った。

 アルマが天声壇に到着した時には既に殆どの者が着席しており、アルマと他数人が着席すると天声壇の扉は二人のトゥルナによって閉ざされた。

 薄暗くなった壇内を小窓からの光の階と炎が照らす。ハワルは側仕たちが着る質素な白い曄服の上から金縁が施された水色の羽織を着て房飾りの太い縄を腰ひもにしている。表情は恍惚としていて、炎が熱いのか頬は熟れた桃のようだ。

「光の祖、命の祖、慈愛深き母なる神よ。星辰の守護者、家の守護者、魂の守護者よ。白糸の道よ作りて我らを導きたまえ。アアス、ケジュイケティ、キュゼディウィエス」

 ハワルは祭文を唱えると火の前にうすものを掲げて拝み、祭壇の中央に置く。それを合図に他のトゥルナの女たちも「アアス、ケジュイケティ、キュゼディウィエス」と不思議な響きの祭文――恐らくトゥルナの言葉であろう――を唱えた。

 火壇の前に戻ったハワルが三方から金の火箸を取ると、合図とばかりにアルマたちの前に着席するトゥルナたちが歌を歌い始めた。神に捧げる歌である。

 ややあって月の形の木型を持った九人が立ち、火の壇とハワルの周囲をぐるりと歌いながら回り始めた。祭壇の前に至るとそれぞれが木型を掲げてお参りし、またぐるりと回っていく。

 アルマは機織りの時のように共に歌うべきか考えあぐねてトズを見やった。トズの者たちは口を閉ざして真剣な面持ちで火をみつめている。ドルラルが神事はトゥルナのものだといったようにトズになれば歌にも参加できないようだ。それはアルマ自身も同じで、トゥルナ族でなければ神事の担い手の資格がないのだろう。唇を結んでトズ同様に神事の行方をじっと見守ることに徹した。

 神への歌が響く中、ハワルは火箸でまず緑の葉のついた植物を火にくべた。次いで火箸を一旦置いて神酒を右手に垂らすと火にかける。蒸気が上がる。

 暫くすると香のような匂いが漂ってくる。先にくべた植物の燃える匂いだろう。そして再び火箸を手に取ると、動物の骨――アルマが見間違えていなければ、大きさや形、オルツィイの話からきっと鹿だろう――を挟んで炎の中にそっと入れる。一瞬だけだが、骨の上に細かな文字が書き記しているのが垣間見えた。神への伺いだろうか。

 徐々に煙が上がってきた。と、九人のトゥルナたちが次々に祭壇の前で木型を投げ始める。

 オルツィイが木型を投げる番がきた。

 火の周りは暑いのだろうか。それとも神事への真摯さがそうさせるのか、うなじにじっとりと汗をかいている。彼女は真剣な面持ちで何言か目の前の女神像に唱えたのち、頭上高くに木型を掲げてそのまま木型を床に落とす。合唱に紛れてからんと小さな音が鳴る。

 同様に全員が投げた後、ハワルは立ち上がってそれぞれの木型を検めた。トゥルナの列のすぐ後ろに座るエルデニネとドルラルが墨を取り出し、木簡に書きつけようと待つ。

 歌が止み、ハワルの声が響く。

「一つ、黒、或いは茶色の髪」

 書記をするエルデニネたちがさらさらと書きつけると、傍のトゥルナが次の木簡を手渡す。

「一つ、金色の小麦に似た映える顔艶」

 ハワルは読み終えた木型を火箸で脇へ追いやっていく。

「一つ、獅子のような胸」

 一つ、白く隙間のない歯。一つ、均整のとれた健康な足。透き通って響き渡る声、健康である、柔らかくしなやかな手足、青・黒・茶いずれかの瞳。このようにしてハワルは合計九つの結果を読み上げた。

「以上が此度の天還祭の姫神子様でございます」

 女神像を背に一礼をすると火壇に戻り、次に控えの少女から扇型の葉を受け取ると神酒をかけて火を叩き始める。完全に鎮火されるのを待って、ハワルは壇上の骨を見た。

「……えっ」

 神懸り的に恍惚に陥っていたはずのハワルが、一瞬、素面に戻って驚きに唇を渇かせた。神事を司る女から、突如普通の少女に戻ったかのようだった。不可思議な間を怪訝に思ってか、皆が固唾を飲んで彼女の口から次の言葉が紡がれるのを待つ。

 ハワルはどう伝えれば良いか迷っているようだった。じっと骨を見つめて、様々な方向から神意を読み取ろうとする。まるで希望する神意の形を読み取れる角度を探すように。

 木簡を全て書き終えたドルラルが今にも身を乗り出しそうにしている。向かい側のエルデニネですら身じろぎをきつく我慢している。

「ご神意のご確認を……」

 ハワルは遂にすぐ後ろに並ぶオルツィイたちを呼び立てた。本来ならば一人で読まなければならなかったが、それほど複雑で稀な結果が出たのだろうか。

 九人が骨を取り囲む。

 一人が両手で口元を押さえて後ずさった。小さく悲鳴を上げる者も一人。ハワルはその姿を見て自分の読んだ神意が間違えでないと悟り、骨を囲む左右のトゥルナたちに目配せする。全員が頷くと着席する大衆に振り返り、ぶるりと背筋を振るわせて息を吸った。

「ご神意を承りました」

 心なしか声が震えている。

 皆の眼差しがハワル一身に注がれた。全員の心が早く神意が聞きたいと訴えている。彼女は小さく息を吸い込むと、張りつめた表情で卜占の結果を言い渡した。

「此度の天還祭、ご神意にて凶と出てございます」

 女たちの驚きと小さな悲鳴が天声壇を埋め尽くした。

「ご神意にて、天還祭の成功、安全、穏やかに執り行えるか、国の安寧の行方を占いましたが、全てに凶と出ております……」

 ハワルが俯いて地面に伏した。嗚咽が聞こえる。凶と出してしまった祭祀の責任者は蔑まれる。時の皇帝によっては不吉な予言をしたとして処刑されることもある。誇らしいはずの場が、一転、小さな肩に国家の命運の責任がのしかかった。

「見せて頂いてもよろしいかしら」

「わたくしもよろしいですか」

 ドルラルとエルデニネが驚きの様相で尋ねるが、ハワルは泣いてばかりだった。

「どうぞ、皆様方……」

 ハワルの肩を抱きながらサィンや他のトゥルナが火壇を明け渡した。

 覗き込んだトズの二人が神妙な面持ちで骨をみつめ、ややあってエルデニネは消沈した顔をした。ドルラルは顔を強張らせたまま、泣き崩れるハワルを強く抱きしめた。

「ハワル、ご神意はご神意です。あなたのせいではありませんわ」

 二人に限らず、トズとトゥルナは占いの結果を読むことができるらしい。次々骨を覗き込んでは凶事との結果に恐怖の声を上げるのであった。

 アルマもちらりと骨を見たが、分かったのは骨の上に書かれた文字に大きなひびが入っていることと、これが雄の鹿の骨であることだけで、何をどう読み取れば良いのかてんで分からなかった。

 混乱のさ中、エルデニネが声を張り上げた。

「良いですか皆さん。今日の卜占の結果と姫神子を皇帝に伝えねばなりません。しかし、決して神事を行ったトゥルナの皆さんの責ではございません。ご神意にあれば、むやみにトゥルナを罰することは例え皇帝であれど許されません。誰が占うであれ、神が御身の思召しをわたくしたちにお下しされているだけなのです。分かりましたね」

「はい、エルデニネ様」

 全てのトゥルナが傅いた。トズたちも今は派閥のいかんにかかわりなく無言で頷く。

「さあ、それでは皆さん、ご神事に疲れましたでしょう。へやに戻り休憩といたしましょう」

 エルデニネは優しく微笑むと、手ずから天声壇の扉を開け放った。ドルラルはゆっくりとハワルを起こしてサィンとともに寄り添う。卜占の骨は天還祭を終えるまでこの天声壇に安置せねばならないらしい。誰もが骨と女神像を一瞥しながら退室する。

「たた、大変なことになりました……」

 アルマの横にオルツィイが駆け寄った。心なしか青白い面をしているような気がする。

へやで話そう、オルツィイ」

 そっと背中を撫でると、オルツィイは「お嬢様ぁ」と涙ぐんだ。オルツィイも張り切っていた分だけ緊張したはずだ。どうしよう、と囁く彼女の背中を支えながら、アルマ自身は卜占の重大さをいまいち噛みしめていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る