第3話:喪失と消滅

 それは子供たちのいたずらに近い。あるいは大人たちの意思決定に対するささやかな抵抗。【巡礼】するエンフォーサー達を止めてしまえば、この街を消滅させる理由の半分は消えることになる。


 陽が暮れると水城みずきハルはエンフォーサーが通過する予定の路地に小さなスピーカーを設置した。メルはエレベーターホールの真ん中で音声モジュールとマイクを設置する。


「ハル、準備はいい?」


 向かいの路地をかけてくるハルは「大丈夫」と手を振る。その反対から宵闇を照らすエンフォーサーの青い目が迫っていた。


 駆け戻ってきたハルは、巡礼路の真ん中で、痩せ細った猫がうずくまっているのに気が付いた。さっきまでは見かけなかったとメルは思う。後ろ足を怪我しているのだろう。微動だにせず、目の前に迫ったエンフォーサーの青い光を見つめている。


「きっと、正義の執行が下される」


「メル、マイクの用意を。僕はあの子を助けたい」


「え?」


 絶対的に間に合わない。そう確信した直後、メルの目の前で、ハルは猫を抱えたまま、迫ってきたエンフォーサーによって突き飛ばされた。画像処理エンジンが二十年前の代物だとしても、差分抽出による動体認識は人間よりも優れている。


 華奢なハルの体は数メートルも舞い上がり、そのまま重力に導かれて、鋼鉄製のフェンスに直撃した。数本の支柱がハルの体を貫通していた。猫は彼の腕に抱かれて小さく震えていた。


「いやーーー」


 マイクが床に落下し、ハウリング音が狭い路地に響き渡った。メルの叫び声と溶け合いながらどこまでも。



 結局、何が残ったのだろう。少しだけ体力を回復した猫の命。あるいはボーカロイドが奏でるエンフォーサーの機動停止コード。メルは意味もなくその音楽を聞き続けた。

 ハルの気配が消えた1DK。じきに取り壊される高層住宅群と木造教会。退去通知だけが積み重なっていく郵便受け。


 失われたものと、失われなかったもの。

 風景に残されたものと、消えていったもの。そして消えゆくもの。


 メルは陽が暮れると、足の悪い猫を抱えながら、エンフォーサーの【巡礼】を観察した。毎日毎日、彼らはどこからきて、そしてどこに向かうのか、彼女なりにその行動をしっかり見据えようとした。自分がどこからやってきて、これからどこへ向かえばよいのか、その答えを探すように。


 まだ夜が明けない早朝、メルは教会にいた。両腕に抱きかかえた猫を、そっと床に置くと、その丸い背中を撫でる。

 猫は目を細めてメルを見上げ、小さく欠伸をした。


中央にある大きな柱に近寄り、そっと頬をあててみる。


 『スターヴというのはノルウェー語で垂直に立った支柱という意味なんだ』


 聞こえるような気がした。まだ幼き頃のハルとメルの笑い声が。

 ふと顔を離して柱を見つめてみる。孤児院で暮らしていた頃に刻まれた、身長の計測跡が二人分。人差し指でゆっくりとなぞる。それは過去と現在とを明確に分節していく境界線のように、今でもくっきりと残っている。


 ハルがいつもそうしていたように、メルは椅子の背もたれに腰かけて、本来座る場所に足を置いた。彼女は待っている。彼らがこの場所に集まってくるのを。ただ静かに。


「そろそろやってくる時間」


 メルは椅子から立ち上がると、祭壇の向かいに立ち、胸に手を押し当てる。その後を追うように、猫は彼女の足元までやってくるとその隣で座った。東の空から差し込んできた陽の光が、ステンドグラスを通過して会堂を紫色に染め始める。

 エンフォーサー達の足音が徐々に大きくなるのを確認してから、メルは祈るように歌を歌った。繰り返し聞いたヴォーカロイドのメロディーを自分の歌にして、そして自分の声で奏でる。


 窓越しに見えるエンフォーサー達は、教会の正面で次々と、【巡礼】を止め、その場に立ち止まる。あるものはそのまま地面に崩れ落ち、あるものは立ち尽くしたまま動かなくなり、そしてあるものは仰向けに倒れ朝焼けを見つめていた。やがて、十五体のエンフォーサーは全て青い光を失った。



 歌うことで、この街にどんな意味があったのかなんてことは、メルにとって重要ではなかった。エンフォーサーが存在しようが存在しなかろうが、この街の運命が変わることなんてなかったし、何かが変わることを本気で期待していたわけでもなかった。

 ただ、歌うことが無意味だからこそ、それは彼女にとって確かな意味を持つ。たとえ何かが変わらないのだとしても、感情に残るものと薄れていくものがある。きっと、それ以上でもそれ以下でもない。


 高層住宅群の一階層に設置された炸薬は、寸分の狂いもなく、計算通りに建造物を破壊していく。崩壊していく高層住宅群から巻き上がる粉塵に空気が霞んでいく。轟音と共に、崩れ落ちていく生活の跡。


 メルは街に張り巡らされたフェンスの外側から、ハルと過ごした風景が消えていく瞬間を眺めていた。彼女の足元には真っ白な猫が寄り添っている。かつて、メルがハルにそうしたように。彼女は猫を抱きかかえると、耳元でささやいた。


「きっと大丈夫」


 薄れゆく風景の只中で、ハルの声が聞こえた気がした。

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景色が消えるその前に。 星崎ゆうき @syuichiao

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