第一話 8-14

「……ふう、今日はこれくらいにしようか」


 イラスト特訓を始めて二時間が経過したところで、俺はそう言った。


「え~、まだだいじょぶだよ~」


 ざかさんはまだまだやる気だったけれど、あんまり初日から根を詰めすぎてもよくない。そう説明すると、ざかさんは素直に従ってくれた。


「は~い、分かりました、せんせー♪」


「……そのせんせーって、いつまで続けるの?」


「え? ずっとだよ。イラストが上手に描けるようになるまで……ううん、せんせーがわたしをお姉ちゃんみたいな立派な〝アキバ系〟のレディにしてくれるまでかな♪」


 ひとなつこいことこの上ないれんな笑顔でそう言うのはやめてくれるかな。恋に落ちちゃうかもしれないから。


 俺はゴホンとせきばらいをした。


「あー、まあそれはいいとして、せっかくカラオケに来たんだから、一曲くらい歌っていこうか?」


「え?」


「ほら、ストレス解消も兼ねて」


「あ、うん……」


 そう言うと、ざかさんはどこかぎこちない様子でマイクとリモコンを手に取った。


 そういえばざかさんはどんな歌が好きなんだろう。


 お嬢様だし、やっぱりオペラとか声楽とかそういうハイソな感じのジャンルが似合いそうだ。それともここはスタンダードにりのJポップとか。意表を突いてヴィジュアル系やデスメタル……はないだろう、さすがに。


 だけど待てども待てども、ざかさんの天使の歌声(推定)は聞こえてこなかった。


ざかさん?」


「あ……ごめん」


「どうしたの? 曲が決まらない?」


 そう尋ねると、ざかさんは少しだけ言いにくそうにこう口にした。


「そうじゃなくて、えっと……その、分かんないんだ」


「え?」


 分からない?


「ん、こういう時はどういう曲を歌えばいいのかってゆうか、そもそも歌える曲自体、何も知らないってゆうか……。ほら、わたし、ずっと勉強とか習い事とかでいっぱいいっぱいだったって言ったでしょ? だからテレビの歌番組を見たりとか音楽を聴いたりとか、そういうこともほとんどする余裕もなくてさ……って、こんなの変だよね、あはは……」


「……」


 寂しそうな顔で小さく笑う。


 そっか、お姉ちゃんの背中を追うだけで必死だったって前に言ってたもんな。


 にしてもそんな顔……反則だ。美人はどんな悲しげな表情でも絵になるから、ずるい。


 そんなざかさんに、俺は言った。


「……分からないなら、今から知っていけばいいんじゃないかな」


「え?」


「ほら、俺だって分かる曲なんてせいぜいってるのくらいだし。あとはふゆが毎日洗脳みたいに聴かせてくるアニソンとか。だから、その、これからいっしょに色んな歌を覚えていけばいいんじゃないかと、思う」


「あ……」


 その言葉に、ざかさんはしばらくの間、目をぱちぱちとさせていた。


 だけどすぐにぱあっと表情を輝かせて、


「うんっ……!」


 そう、大きくうなずいたのだった。






 その後、二人で何曲か歌った。


 普通のJポップだったり、演歌だったり、アニソンだったり。


 ざかさんは、まだまだたどたどしい声音だったけれど、楽しそうだった。中でも『魔法少女ドジっ娘マホちゃん』のオープニング曲がお気に入りだったみたいだ。






 ・ざかの秘密④(秘密レベルB)


 すごくいい匂いがする。


 ・ざかの秘密⑤(秘密レベルA)


 描くイラストにはおんりようが宿っている。


 ・ざかの秘密⑥(秘密レベルB)


 飲み込みはものすごく早い。


 ・ざかの秘密⑦(秘密レベルC)


 カラオケで歌ったことがなかった。






    5




 それからも特訓は続けられた。


 とにかく時間が許す限り描けるだけイラストを描いて、その合間に『魔法少女ドジっ娘マホちゃん』の録画を見て勉強したりしつつ、またイラストを描く。


 ひたすらにその繰り返し。


 ざかさんはかなり真面目で、普通では考えられない速さでイラストの腕は上達していった。


 自分では劣等生と言っていたけれど、それでも常人と比べれば基本スペックが桁違いなんだろう。普通の地球人の中にサイヤ人がいるみたいな感じだ。それに何より、ざかさんは努力を惜しまなかった。毎日一心に模写をし続けるのを、一切苦にしなかった。そういえば中学時代も寝る間も惜しんで勉強や習い事をしてたって言っていたし、ざかさんはそういう努力できる才能っていうのが飛び抜けてるんだと思う。


 このまま根気よく続けていけば、あと一ヶ月もすれば人に見せられるものにはなるんじゃないか、そう思えるくらいには先の見通しが立っていた。


 だけど。


 世の中というやつは、なかなかにままならないものなのである。

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