7-3

肉を割り、骨を砕き、怪人のさいが、僕の胸を貫いていく。


衝撃と、形容不可能な激痛に、体がのけぞった。

心臓を、真芯ましんに、とらえられたか。


「ニフシェぇぇえええええええええええええ───────────────!」


しいらさんの叫び声が聞こえた。


だが、それは、彼方からの呼び声のようだった。


─────女のひとに泣かれるのは、やっぱり、苦手だな。


頭の片隅で、そんな呑気な考えがちらついた。


けれど、すぐに、意識が薄れていく。

なにもかもが、空になっていく。


視界までも、霧がかって、ぼやけていった。

その代わりに、心を満たし、虚ろな目に映りだしたのは……。


──────────思い出の中にある、あの、黄金の景色。







生きてるんだから、怒るのは当然です


でも、人を憎んではダメ


誰かを憎めば、心の柔らかいところが、減っちゃうの

そこが減るとね、人は、人を許すことが下手になって


どんどん、どんどん、心が硬くなっていって


最後には、誰も許せない人間になってしまうの





そんなの、悲しいでしょう?





人を許せるのは、同じ、人だけなんだから

……神様?

そうねえ………神様は、人を─────────────── 

          






──────────僕が世間に〈人外アーク〉だとバレた原因は、笑っちゃうほどベタな話。


幼い頃の僕は、人間社会と隔絶するように、母さんと、神父の爺や、そしてその家族に育てられていた。


僕が生まれて、七年間。

街外れの教会で過ごす、ささやかな善意に守られた、穏やかな日々。


……その頃には、自分が、普通の人間とは違う、ということは、きちんと理解していた。

自分を取り巻く、世界のことも。


母さんたちの教えのおかげもあったが、子供ながらに、感じていたのだ。

普通の人間は、得体の知れないものを認めず、否定する──────────。


だから、隠さなくちゃいけない。


自分が〈違っている〉ことが、周りに知れたら、すべて、失ってしまう。

自分が大切に想っている、すべてを……………………。


だけど、秘密にしている限り、平和な日々は、続いていく。


幼い僕は、そう信じていた。


それは、危うい均衡バランスで保たれる、綱渡り。


その均衡バランスを破ってしまったのは─────他ならぬ、僕自身だった。


人目を避けて生きる、と言っても、外界と完全に隔絶して生活するのは、不可能だ。


食糧や、日用品などは、定期的に、街へ買い出しに行かねばならなかった。

僕に、分別がつくようになった頃から、母さんは、その買い出しの際に、僕を連れ出すようになっていた。


街の様子を見せることで、人間社会の有り様を、学ばせたかったのだろう。


人の、街。

普通の子供なら、見るもの、触れるものに、心踊らせるものなのだろう。


しかし、その頃の僕は、街に行くことが、好きではなかった。


人々の喧噪は、賑わっていると言うには、乾いたものに聞こえ。

その街並みは、豊かと言うには、なにか、うつろなものに見えたからだ。


そうして、いつもと変わりなく、買い出しに行った─────あの、春の日。


何事もなく買い物は終わり、母さんと、教会に帰る途中のことだった。


道端みちばたで、二人の女の子が、大きめのゴムボールで遊んでいた。


同年代の子と遊ぶことがまったくなかった僕は、それを少しうらやまましく眺めながら、通り過ぎた。


その、直後に。

半人外ハーフ〉である僕の、超人的聴覚が、背後に生じている音を、鮮明に聴き分けてしまった。


女の子達のボールが、大きく逸れて、道路側に跳ね飛んでいく音と。

ボールを追って、走っていく女の子の足音。


……そして、ボールが落ちた地点へと、勢いよく曲がり来る大型車輌の、駆動音を。

弾かれたように振り返ったその目に、大型車が、女の子へ激突する寸前の光景が、飛び込んできた。


躊躇ちゅうちょする一瞬が、確かに、僕の中にあった。


─────けれど、僕の体は、即座に動いていた。


七歳の子供といえど、〈半人外ハーフ〉の筋力と敏捷性は、超常的なものだ。

女の子を抱きかかえ、間一髪で、向かい側の歩道へと、飛び移った。


女の子は、何が起こったのか理解できなかったようで、拾ったボールを手に持ったまま、呆然としていた。


……顔を見られちゃダメだ。

そう思った僕は、素早くその場から離れた。


母さんを置いて。


そうするしかなかった。


どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう──────────!


混乱して、街を走り続ける僕は、ひどい胸騒ぎを覚えていた。


正しいことをした。

そのはずだった。


でも……………………本当に?


胸の中で、際限なく膨れ上がっていく、焦燥感。


実体のない何かに追われるように、僕は、走り続けた。


母さんは、どうしただろう?

事故が起こりそうになった場所で、僕を待っているのだろうか?

あの場所に、戻る?


それはダメだ。


ほんのわずかな間の出来事とはいえ、目撃者は、大勢いただろう。

そこへ戻るのは、自殺行為だ。


教会に──────────家に、帰る?

帰っても、大丈夫だろうか?


わからない。


どうすればいいのか、何処へ行けばいいのか、わからない。


走るのをやめても、足を動かすことは、止めることができず。


街の中を、往くあてもなく、ただ、彷徨さまよう。

…………………………………………しかし、結局、何処へ行きようもなく。


時は、夕暮れ。

斜陽の光を浴びて輝く、八重咲きの黄水仙たち。


教会へ至る、その花畑の道を、僕は、歩いていた。

足取りは重く、胸は、不安で締め付けられるよう。


怖い。


このまま帰ってもいいか、わからないことが、怖い。


不安と恐怖を抱えながら歩く、その道の先に──────────。


母さんが、立っていた。


春の匂いが満ちる、黄昏の光景。


その景色と溶けこむように、母さんは、たたずんでいた。


いったい、いつから、僕を待っていたのだろう。

僕を信じて、ただ、ずっと、そこで………………。


──────────穏やかな風が吹いた。


母さんの長い髪が、ふわりと揺れる。


母さんが、僕に微笑んだ。


それから、母さんは、ゆっくり歩み寄ってくると、かがみこんで、僕を抱きしめた。

包みこむような、優しい抱擁。


その、母さんの温もりが、僕の不安と恐怖を消し去ってくれた。

…………………ああ、帰ってきて、よかったんだ。


幼い僕は、それだけで、安堵してしまった。

一時の感情はかき消えたとしても、僕が〈人外ハーフ〉だと、世間に露呈してしまった事実は、消えないというのに─────。


……その夜。


しばらくの間、母さんと僕は、教会を出て、街から離れたほうがよい、という話になった。

話の原因たる僕は、皆に申し訳なく思っていたが、教会を出て行くことに、心残りはなかった。


母さんと一緒にいられるなら、不安も未練も、感じなかったからだ。


今にして思えば、なんと幼く、楽天的だったことか。

その時既に、街を離れる機は、いっしてしまっていたのだ。


街を出る仕度したくをしていたところに─────武装した警官達が、教会に押し寄せてきた。


……その時代には、すでに、〈人外アーク〉の発見者には、報奨金ほうしょうきんが出るようになっていた。

つまりは、そういうこと。


警官達は、荒々しく教会中を探ったあとで、僕を見つけたようだった。


大人しくしていれば、悪いようにはしないから。

警官達は、表面は穏やかに、そんなことを口にした。

その言葉に、子供ながら、嘘を感じた。


けれど、母さん達に危害が及ぶのが嫌だったから、じっとしていた。

警官の一人が、僕の両手に、手錠を掛けた。

子供の僕に、だ。

それは、我慢できた。

しかし。


警官達は、母さん達までも、乱暴に拘束しだした。


教会の住人を、次々に礼拝堂へ引き立てると、その場で尋問をはじめた。

奇しくもそこは、人が、神に祈りを捧げる場所。


おかしい、と思った。


欺瞞ぎまんと、疑問を感じた。

突如として、いくつもの感情が、僕の心にわき起こっていた。

……最後に、礼拝堂に連れてこられたのは、爺やだった。


〔坊っちゃま……!〕


僕の身を、案じたのだろう。


僕の両手に手錠が掛かっているのを見た爺やが、低く叫んだ。


その動きが、唐突なものだったせいか。


警官の一人が、爺やの背中を、銃底で激しく叩きつけた。

その勢いで、爺やは、床に倒れこんでしまった。






!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!






その時、わき起こっていた感情の数々が、ひとつの方向性を持って、爆発した。


思えばそれが。

生まれて初めて誰かに抱いた、怒り、だったのか。


僕は、手錠を引きちぎり、近くにいた警官の下腹部を、力任せに殴り飛ばしていた。


装甲服を着ていたらしいが、〈人外ハーフ〉の腕力の前では、関係ない。

突風に飛ばされた紙きれのように、警官の体は、宙を舞った。


他の警官達がそれに反応するより早く、僕は、傍にいた別の警官の足を、蹴りつけていた。

加減なしの蹴りは、警官の足を、ありえない方向にへし折っていた。

絶叫が上がり、警官の体は、傾き崩れた。


僕は、その腕を両手で掴んで、警官を、壁のほうへ投げ飛ばした。


もろい。

簡単だ。


激情に突き動かされながらも、そんな感想を抱く、めた視線が、僕の中にあった。


これなら、こいつらみんな、やっつけてしまえば…………!


そう、光明を見いだした気になったとき。


銃声が、聞こえた。


わずかに遅れて、胸に、熱いものを覚えた。

気づけば、体は、大きくのけぞってしまっていた。


だが、撃たれたのだ、と自覚するのに、半瞬とかからなかった。


胸に生じた熱が、その半瞬のうちに、言語を絶する激痛へと変わった。


人間の子供なら、即死だっただろう。


けれど、僕には、〈人外ハーフ〉の超回復能力があった。


そして、それより、なにより。

幼さ故の純粋な怒りと……母さん達を助けなければ、と、想う使命感。


それらが、壮絶な痛苦を、上回っていた。


衝撃で揺らいだ体を、のけぞりざま、空中で身をひねり、一回転。

すぐに、動ける体勢を整えた。


しかし、その、眼前に。


僕を抱き取ろうとするように、母さんが飛びこんでくる姿が見えて──────────。


再び、銃声が聞こえた。


こちらに両手を差し伸べようとした姿勢のまま、母さんの体が、下へ沈んでいった。


人外アーク〉の超動体視力が、その一刹那ひとせつなを、永遠の出来事のように─────そして呪いのように、僕の網膜もうまくに焼き付けていった。


母さんの唇が、声を発すること叶わず、動くのが見えた。


ニフシェ、と。


そのまま──────────母さんの身体は、床の上に、倒れ伏した。


立て続けに、銃声が重なった。


弾丸が、次々に、僕の身体を撃ち抜いていった。


今度は、どうすることもできずに、僕の身体は、衝撃で後方へ吹き飛ばされた。


…………衝撃により吹き飛んだ先は、祭壇の前。


天を仰ぐように、背中から、床へと倒れこんだ。


──────────超回復能力を持っているとはいえ、即座には、指一本、動かすことができなかった。


撃ち抜かれた箇所の肉は弾け、抉られ、全身、死の苦痛に、まみれていた。


視界は混濁し、記憶は、瞬間的な混乱を繰り返した。


おびただしい血を流しながら、無力に横たわる僕の耳に入ってくるのは、怒声と、雑音。


負傷した痛みとは別に……それらが、心に障った。







許せなかった。







それらは、教会で聞こえてはいけない音。

大切な家に、在ってはならない音だった。


────────────────────胸が、異様に熱かった。


その熱は、銃で撃たれたことによるものではない。


魂の奥深い場所から生じる、負の感情。

純然たる憎悪、ただ■■の死を渇望する漆黒の炎。

それが、胸の中で荒れ狂っていた。


そして、その暗い炎の狂乱が、僕の身体の根源で眠っていたものに、火を入れてしまった。







■■てしまえ







……僕の意志とは無関係に、僕の体は、ゆらりと立ち上がっていた。


警官達が、祭壇を背に立った僕に、銃口と、恐怖の眼差しを向けてきた。


僕の目には、警官達の姿がえてはいた。


すべてのものを、テレビのモニター越しに眺めているような視覚。


もはやこのとき、人間としての意識はなく。

また、おのれの身に宿る〈力〉に対する自覚など、ありはしない。


僕は、本能と、黒い衝動しょうどうの赴くままに─────〈人外アーク〉の〈力〉を、走らせた。


容赦なく、見境なく。


警官達から────を────し尽くした。


…………まるで、積み木崩し。

次の瞬間、喘ぎ、苦悶の表情を浮かべて、警官達は一斉に、倒れていった。


だが、その光景を見ても、僕の中の黒い衝動は、消えなかった。


獣の叫び声が聞こえた。


その声を発したのは、僕だった。


直後、雷がひらめいたように、身体が、勝手に動いていた。


理性のはずれ、限界を超えた速度で、警官へと、瞬間的に迫っていった。

振り上げられた僕の拳は、床に倒れている警官の頭を狙っていた。


……その右腕に、一瞬、隕石でもぶつかったかと思うような衝撃が襲った。

衝撃と痛みがあったのは、本当に一瞬。

そのあと、濁流に流されるような勢いで、身体が、右腕から後ろへと、引っ張られた。


後ろから、何者かに腕を掴まれ、引き寄せられたのだった。


〔そこまで〕


背後で、そんな声が聞こえた。


僕は……いや、僕の本能が、掴まれた腕を振り払い、声の方向に身構え、振り向こうとした。


しかし、遅い。


腕をつかんだ何者かの姿を、視界にとらえる前に。


風を、感じた。


野原に立っていて、突然吹きつけてきた────────そんな、風の感覚。


直後、僕は、眉間に軽い衝撃を覚えた。


そこで、僕の意識は、完全に途絶えた………………………………………………。

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