第15話 食後のお誘い
僕らが頼んだのは、Menu Vert、フランス語で緑のメニューという意味を持つ、コース料理だった。
学食ならたっぷり食べてもせいぜい1000円台なのに対し、税抜きでも3000円を超えるコースは、しかし、学食の混雑のストレスから解放されたことと、結と一緒であることの二点によって、相応の価格だと評価できる内容だった。
洋食というと海産品はあまり使わない印象だったが、前菜ではイカが使われ、メインディッシュのポワレとやらも、都内の卸売市場から調達した鮮魚であったため、味付けこそ洋風だが、存外和洋折衷なのではないかという気がした。
だが、フレンチレストランの経験が殆どない僕の偏見を披露するのも野暮ったいと思ったので、そのことは結とは話さなかった。
否、そもそも二人で来たはよかったが、あまり話すことがないように思えた。
「閑静なフレンチレストランだと、あまり学生らしい話題は話せないわね。
かといって、今更ながら、私も、そしておそらくあなたも、この場で話せるだけの大人の話題を持っていないと言わざるを得なそうね」
最後のチョコレートムースまで食べて、ゆっくり食後の紅茶を二人で楽しんでいると、ふと彼女はそう言った。
「そもそも僕らは二人ともフランス語選択ではないし、僕はフレンチの経験が殆どないからね。メニューのフランス語の意味を、こっそりスマホで調べるので手一杯だったよ」
結は、それを聞いて、うふふ、と笑って、言う。
「想は、何かを純粋に追い求めているように見えるわ。だからこそ、フレンチに精通していないのも、どこか想らしいわね」
「僕らしい?」
「かく言う私も、人のこと言えるほど詳しいわけじゃないけどね」
またもや笑う結。あまり爆笑になり過ぎないように、そして歯がむき出しになり過ぎないように、手で口元をそっと抑えながら笑う結は、美しかった。
「僕はね、人工知能の道を究めたとき、人間そのものにたどり着けるかに興味があるんだ」
「なるほど。私は、どちらかというと、肉体の方から人間にアプローチしたいと思っているの。人工知能を精神とするなら、人間に近付いた人工知能のその植え付けられるところは、スーパーコンピューターよりも、動ける二足歩行ロボットになると思うから。
今もロボットサークルに入っているし、少し先になるけど、6月の駒場IIリサーチキャンパス公開の時にも、ロボット関連の研究室に足を運ぼうかな、とも考えている。
AI関連の研究室がどこまであったかはちょっとうろ覚えだけど、良かったら、一緒にいくつかの研究室を見に行かない?」
最先端の研究者と実際に話せる機会は限られている。僕は、そのような面白そうなイベントがあるのなら、是非とも行きたいと思った。
「面白そうだね。是非とも、行きたいな」
「一緒に、ね?」
「ああ」
やけにそこに重点を置くんだなと思いながら、僕は、同意した。
結の表情に、微かに赤みがさした気がした。日差しのせいだろうか。
「ところで、話は変わるけど」
残り少なくなってきた紅茶を一口含ませた結は、それまでの楽しそうな表情から、グッと真剣な表情に切り替えて、言う。
「想は、本郷祭の出し物、参加してくれるの?」
「僕は、いいかな。まだまだ得なければならない知識がたくさんあるから」
少しうつむく結。
「そう。想らしいわね。でも、お店に参加しなくてもいいから、本郷祭にも、良かったら来て欲しいな」
結の表情は変わらず真剣だが、先ほどの事務的な真剣さではなく、そこにはもう一枚の感情が重なっているように思われた。
「どうして?」
「本郷祭でも、工学部や理学部などで、それぞれの研究成果が発表されているの。だから、きっと、想が目指すものの役に立つ内容も見つけられると思うの。
でも、それ以上に…、想に見て欲しいんだ。私が作っているはずのロボットを」
「僕に?」
結の真剣さの上に乗っている感情の重みが、加速度的に増していくように思われた。
「ええ。私は、あなたのように道一筋に走れるほど純粋じゃないから、だから、せめて、その純粋さから得られる評価で、自分の立ち位置を確認させて欲しいのよ」
「僕は、ロボットのことは図書館でかじった程度の知識がないから、結のことを偉そうに評価したりする立場じゃないと思うけど」
「それでもいいのよ」
結は、これ以上は折れてくれないと思った。
実際、各学部が展示を出しているのなら、それは一見の価値もある。屋外の露店と異なり、パネル展示を見るだけなら、コンパ代を支える利益が出せるというぼったくりに近いレベルの謎のブランド価格を支払う必要もない。
そのついでに、結のロボットサークルを見に行くのも、一興かもしれないとは思った。
「分かったよ。結の勝ちだ」
「じゃあ、後でラインでブース情報回すから」
そう言ったときの、雲が晴れたような結の明るい笑顔は、僕のことを癒す。
だが、彼女の存在は愛の穴埋めにはならないことも、理屈ではなく感情の上で、同時に痛感させられるのであった。
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