シナモン

あね

シナモン

私はコーヒーが苦手だ。

苦いから。


会社の上司が喫煙所でタバコをふかしながらコーヒーを飲んでゲラゲラ談笑した後、私の元へ作業の進捗を確認しに来る。

タバコとコーヒーの合わせ技で、上司が臭い。

せめて口をゆすいでから来い。直で来るな。だから嫌い。


そんな私が付き合っている彼は、小さな喫茶店を営んでいる。

彼の服にはコーヒーとタバコの香りが染み付いているが、何故か彼の匂いは許せた。恋は盲目、なんて言ったりもするが、鼻も効かなくなるなんて知らなかった。


彼とは月に2回程度しか会わない。

会えない、のではなく、会わない。

仕事の休みが合わないのもあるが、私達はベタベタした関係が単純にめんどくさいだけである。

ドライな関係、なのだ。(言ってみたかった。)


ただ、そんな私もデートとは別で彼のお店に顔を出す事はある。

そして今日も、カウンターの1番端の席で1人、パソコンと戦っている。闘っている。テイクアウトした仕事をただ、狩っている。

仕事に行き詰まった時や集中して量をこなしたい時に私は決まって、彼の店を訪れるのである。


「お客さん、そろそろご注文して頂けませんかね。」


カウンターの奥の大智たいちが私に声をかける。注文を催促しているのではなく、茶化しに来たのだ。


「マスター、いつもの。」

「へいへい。」

大智に目もやらずに答える。いつもの、とはただの水である。


「最近仕事忙しいの?」

「んー。上司がケガで入院しちゃったから、そのしわ寄せ。」

「ケガ?入院ってヤバイじゃん。」

「前に会社の飲み会あったって言ったじゃん?その時に上司が3軒ハシゴしたみたいなんだけど、酔っ払って道路の真ん中でコケたらしくてさ。派手に打ったっぽくて、脚と腕折ったんだってさ。」

「めっちゃおっちょこちょいじゃん…。」

「いい迷惑だよホントに…あぁ間違えた。」

「おっと。黙りまーす。お水置いとくね。」


店内に流れるムーディなジャズと、それをぶち壊すようなタイピング音。このキーボードがもしもピアノだったら、私はこの場にとても相応しい人材であろう。

ピアノは弾けないが。

お客さんは私以外誰もいない。集中するには持ってこいの環境だ。



会議に使う資料をまとめ終え、あと一息。ただ、集中の糸が途切れた。

身体を伸ばしながら一息ついていると、カウンターの奥にいる大智の様子が気になった。

黙々と、おそらくモーニングに出す何かの仕込みをしているようだった。

大智が仕事に真剣な姿は贔屓目ひいきめ無しにしても、カッコよく思える。

私も料理は得意な方ではあるが、やはり本職だけあって大智の方が上手だ。彩りも綺麗で、初めて大智の家で食べたロコモコ丼は、まさにカフェのそれだった。

付き合って2年とちょっとになるが、付き合ったばかりの頃を思い出して少しだけ胸の高鳴りを感じた。

大智の顔を見ながら、最近デートしてないな、どこかへ出かけたいな、などと考えていたら大智がこちらに顔を向けていた。気づいていなかったので少し驚いた。


「どうした?終わった?」

「あぁ…うん、今日はこんな所で切り上げようかな。帰ってお風呂入ったら続きやってお終い。」

「そっか。もうちょっとだけ時間ある?」

「え?いいよ?一緒に帰る?」

「いや、そう言うのじゃなくて…。」

大智はそう言うと、何かの缶をポン、ポン、と叩いた。ふわっと甘い、少しスパイシーな香りが漂う。この香りはなんだっけ。


「はいどうぞ。」

「え?何これ!」

カウンターの奥から、スっと出てきたカップ。

甘い香りを纏った湯気が立ち上る。

「マシュマロココアだよ。」

「わぁ!美味しそう!いいの?」

「試作品だけど、よかったら飲んでみて。上にかかってるの、シナモンパウダーね。シナモン好きだったよね?」

あの香りの正体はシナモンだったのか。

「昔ハマってたよねー!ありがとう、いただきます!」


ハート型の大きなマシュマロがココアに溶けだしている。

暖かいカップを両手で包み込み、1口。

ココアと溶けたマシュマロの甘さと温かさが、張り詰めていた身体を優しくほぐしてくれる。シナモンのスパイシーさがいいアクセントになり、甘過ぎない、上品なココアマシュマロ。香りもとても良い。


「あぁ…美味しい…。」

「シナモンの香りは疲れを癒したり、食べれば美容にもいいんだってさ。テレビでやってた。仕事ばっかで疲れたでしょ?」

「はぁありがとう…。て言うかシナモン好きって良く覚えてたね。最近食べてなかったのに。」

「さっき、なんとなく付き合ったばっかの頃の事思い出しててさ。よくシナモン系のお菓子食べてたなーって。めっちゃ勧められてたし。」

「あ。私もさっき付き合いたての頃の事おもいだしてた。めっちゃ美味しかったロコモコ丼。」

「あぁ、あったね。てか恥ずかしいなそれ。同じこと考えてたのか。」

「わかる。初々しい感じね。」

大智がメガネを拭いている。大智は照れているとき、必ずメガネを拭くクセがあるのだ。

それを見た私は、とても心が暖かくなるのを感じた。


「ねぇ大智。」

「何?ニヤニヤして。」

「ふふ、今日大智の部屋行ってもいい?」

「お、珍しいね。いいよ、おいで。ロコモコ丼作ろうか?」

「あ!食べたい!」

「はは、作り方教えるから一緒に作ろうよ。けど企業秘密だからな!誰にも言うなよ?」

「ふふふ、はーい。ありがとう。」

「じゃあそろそろ片付けるから、ちょっと待っててね。」


そう言って大智はカーテンで区切られたキッチンの中へ入っていった。

今夜は久しぶりに大智とゆっくりできそうだ。

私達はきっと、これくらいの距離感が丁度いいのかも知れない。

毎日マシュマロココアでは、きっと飽きてしまうだろう。

お互いが送る生活の、その中で。そのかたわらに。

ほんの少しの、スパイスのように。

シナモンのように。

一緒にいれたらいいな。なんて。


カーテンの奥からパリン、と何かが割れる音がした。遅れて、大智の「あぁ…!」と落胆の声が聞こえる。


「失礼しましたー。」

棒読みの大智。

思わずふふ、と笑ってしまった。

「お気になさらず。」


そんな大智が、とても愛おしく思えた。




シナモン

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シナモン あね @Anezaki_

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