第七話 死なせはしない


 一方、赤いマントを着た騎士は悠然とした歩調でこちらに馬を進めてくる。他の騎士たちとは違い、マントの下には一際豪華な装飾の施された甲冑を身につけたその騎士。彼はまっすぐにアーデルベルトの方へ向かう。


「お久しぶりです」


 騎士は馬に乗ったまま、アーデルベルトに頭を下げた。


「ああ、久しぶり。ゆっくり近況でも聞きたいところですが、いまはそれどころではないようですな。女王陛下はまだお戻りになられていないのでしょう?」

 アーデルベルトは手に持っていた杖を地面に突き刺すと、その上に両手のひらを置いて威厳を感じさせる仕草でもって近づいてきた騎士を見上げる。


「はい。前王の命日を弔う儀式のため、ユシリス様とともに夏の宮にいらっしゃいます。私どもの半数もあちらに残って護衛にあたっておりますのでご心配にはおよばないかと。これほどの人数は必要ないかと思いましたが、念のため」


「そうですか。なら、安心ですね」


 そんな、どこか場違いなほどノンビリとした会話が聞こえてくる。彼らにとっては、城内の片隅で子どものドラゴンが暴れるなんてことは、さほと逼迫した事態ではないのかもしれない。

 といっても、こっちは悠長にはしていられない。このままではこのドラゴンは殺されてしまう。


「ノイマン!」


 佐久間はノイマンのそばに駆け寄った。ノイマンは今まさに、手に掲げる暴力的なまでに膨らんだ空気の渦のようなものを放とうとしているところだった。

 佐久間はドラゴンとノイマンの間に立つ。


「サクマ、そこをどいてください。そこにいると巻き込んでしまいます」


 しかし佐久間は、どかない。


「ノイマン。気づけよ! このドラゴンが何のために暴れてんのか!」


 佐久間は片腕を広げてドラゴンを指さした。ドラゴンに背を向けている。

 背後から火球を吐きかけられる可能性もあったが、そんなことには絶対ならないという確信があった。


「それは……逃げたいのでしょう。飼い主のところに戻りたいのかもしれません」


 ノイマンの言葉に佐久間は首を横に振る。


「違うよ。ちゃんと思い出せよ! 昨日、こいつの飼い主はこいつもろとも俺たちを攻撃しようとした。こいつのことも死んでもいいと思ってなきゃあんなことやんないだろ!?」


「あ……」


 ノイマンも思い出したようだった。

 そう、昨日の捕り物騒ぎのとき、このドラゴンの飼い主は、何か不思議な道具で火球を作り出し攻撃しようとしてきた。

 結局、誤爆に終わったが、あの規模の爆発をまともに受けたら佐久間たちはもちろんのこと、このドラゴンだって深い傷を負っただろう。


「そんなところに戻りたいんだとも、逃げたいんだとも俺には思えない」


 佐久間は言い捨てる。


「じゃあ、なぜ……」


 ノイマンの表情に戸惑いが浮かぶ。が、右手に掲げた空気の渦はまだそのままだ。いつでも攻撃に移れる態勢は崩してはいない。佐久間はさらに言葉を続けた。


「逃げるのが目的だっていうんなら、なんでこんなに暴れてんのに誰一人として死人どころか怪我人すらいないんだよ。建物だってほとんど壊れてない。それは、こいつが上手くコントロールして被害の出なそうな場所に火の球飛ばして、誰も傷つけないように暴れてるってことに他ならないだろ!?」


「たしかに言われてみれば、そうやなぁ。さっきからずっと、人がいる場所には火球が飛んできてないで」


 と、これはゼン。


「こいつは人間の言葉を理解できるくらい賢いんだってアンタ言ってたよな。だったら飼い主が自分に何をしようとしたのか、自分がこれからどうなるのかも全部わかってんじゃないのか?」


 だから、昨日もあんなに寂しそうな目をしていたんじゃないだろうかと佐久間は思い出す。あそこにあったのは、不安。失望。そして……深い絶望。


「たしかに古竜ほど頭のいい生き物ならば、状況はかなり正確に把握しているとは思いますが……」


 とノイマンは視線を落として考え込むような仕草を見せた。


「だからさ。こいつは、わざと暴れてお前らに自分を攻撃させようとしているんだと……俺は思うんだ」


「え……」


 ノイマンの目が驚いて見開かれる。


(そうだよな。俺もそんな考え、初めは信じられなかった。でも、さっき、騎士たちのいるところに火球を吐きそうになって、すごく焦ったみたいだったこのドラゴンの様子を見て、確信したんだ。こいつは、本当は誰も傷つけたくないんだって)


 そんなやつが、わざと暴れて自分を攻撃させようとしている理由。

 それは。


「ノイマン。こいつは、自殺しようとしてんだよ。お前らに自分を攻撃させることで、自分の命に決着をつけようとしてるんだ。それに易々と加担してやるのかよ?」


 自分の言っていることが全て思い込みだったらどうしよう。全部、見当はずれだったらどうしよう。そういう不安もあるにはあった。

 しかし、あっちの世界で徴税吏員として働いていた頃、こちらを出し抜こうとあの手この手を使ってくる悪質な滞納者相手に、その言動に惑わされずに嘘を見抜く必要にせまられた経験なんて数え切れないほどあった。

 その中で鍛えられた自分の嗅覚は信頼できるものだと思っている。

 その嗅覚が告げるのだ。これは、茶番だと。

 このドラゴンが仕掛けた、ど派手な茶番だと。

 そんなものに乗ってやる義理は、ないじゃないか。

 佐久間がノイマンたちとしゃべっている間、背後にいるはずのドラゴンからの暴れるような物音も羽音もいつしか止んでいた。どうしたんだろうと心配になって後ろを振り向く。

 そこには地面に下りて行儀よくお座りし、こちらを静かに見下ろしているドラゴンの姿があった。

 それはまるで、佐久間の話を聞いているようにも見えた。


「なぁ、ドラゴン。俺は、お前に死んでほしくない。現状に絶望して、不安で心配で哀しいのは……まぁ、わかるけどさ。俺もそうだし」


 どこまで話が通じるのかはわからないけど、ドラゴンは前脚を揃えてじっとこちらを見つめている。


「でも、っていうか、だからこそ、お前には生きていてほしいんだ。勝手に自分を重ねてウザいって思われそうだけど。一人で絶望するのは寂しいけど、二人だったらまだちょっとはマシになるかもしれないし。たまたま、俺、お前の世話係だしさ。俺もお前もどれくらいここにいるのかわからないけど」


 このドラゴンには、自分が言ったことは全部伝わっている。そんな気がした。


「その間だけでいいから、一緒に生きてほしい」


 どうか思い直してほしいと、必死に訴える。

 勝手なわがままだと自分でも思うし、理不尽を押し付けているだけなのかもしれない。それでも。

 佐久間にはかつて、徴税吏員として担当していた滞納者の一人を、自分の不用意な発言で死へと追いやってしまった過去があった。

 そして、自分がやってしまったことの重みに耐えられなくて心を病んだ。仕事にも出られなくなり、数ヶ月休職した。そのときの気持ちが蘇る。


(死にたいほどの絶望なら、俺も覚えがある。でも……だからこそ、あのどうしようもない絶望の中で命を終わらせてほしくないんだ。息をするのも辛いほどの絶望の中で命を終わらせて、それでいいんだろうか。それで救われるんだろうか。自分だったら、そんなのは嫌だ)


 佐久間はドラゴンをじっと見上げる。


「あと一歩、生きてみようよ。そうしたら、違った未来も見えてくるかもしれないだろ」


 トラウマを噛み殺す。後悔は今もある。

 もう、誰も死なせたくはなかった。

 辺りに朝の静けさが戻る。遠巻きに周りを取り囲む衛兵たちも、騎士たちも、ノイマンたちも誰も一言も発さなかった。

 ただ、一人と一頭のやりとりと成り行きを見守っていた。

 ドラゴンが動く。ゆっくりとこちらに覆いかぶさるように身体をかがませると。

 大きな口を開けて、そのピンク色の舌でペロリと佐久間の顔を舐めた。

 ドラゴンの舌は温かくて、そしてザラザラしていた。


「ちょ……くすぐったいって」


 ドラゴンは何度も何度も舐めてきた。唾液でべとべとになったけど、嫌じゃなかった。

 ドラゴンからは、もう暴れる素振りも、荒々しさもすっかり消えてしまったようだ。

 そこにパチパチと手を打つ音が響く。音のした方に目をやると、拍手していたのはアーデルベルトだった。いつの間にか彼はノイマンの隣に来ている。


「見事でした。誰一人の犠牲も出すことなく事態を収めましたね。そうですね? ノイマン君」


 そう言って隣のノイマンに目くばせする。その頃にはもうノイマンの手は下げられ、あの空気の渦も消失していた。


「え、ええ……そうですね」


 アーデルベルトに半ば言いくるめられるように渋々といった感じだったが、ノイマンは承諾する。


「おとなしくしていてくれるのなら、こちらも無用な殺生をしたくはありません。ただ……」


 そう言って辺りを見回す。


「城内をこれだけ穴だらけにしたお咎めは来るでしょうねぇ……」


 嘆息するノイマンに、


「昨日、あの未納者から徴収した未納金よりも、こっちの損害の方がはるかに大きそうやなぁ」


 なんて言うゼンの呑気な言葉が追い打ちをかけて、ノイマンはますます項垂れるのだった。



※続きは書籍をお買い上げの上、お楽しみください。

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あなたのドラゴン、差押えます ~アラサー公務員の異世界徴税~ 飛野 猶/「L-エンタメ小説」/プライム書籍編集部 @prime-edi

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