第3話 ハートマークとドクロマーク

 私たちはテーブルを囲んで座った。ピピは泣きべそで、私とリートは仏頂面で、というかおもいきり鬼面で。

 とにかく喧嘩するのだけは止めてくれとピピに懇願されて、渋々ながら一旦矛を収めたのだった。とにかくまずは自分の話を聞いてくれと天使に涙ながらにお願いされては、いう事をきかないわけにもいかない。

 それに彼女は、世界がどうこうとか妙なことも言い始めてしまったのだから。


――ああ、もう無理、訳わかんない……頭破裂する……最低、辛い……。


 気が付くとぽろりと涙が零れていた。

 一年前の私は、心から望んでリートと結婚したはずなのに、記憶が甦った今となっては、どうしても騙された裏切られたと感じてしまうのだ。

 ギッと彼を睨みつける。

 記憶によると、直接リートに手をかけられたのではない。というか、冷静に考えれば事故死にあたるのではないかと思う。

 でも、ここで待っててくれという彼の言葉に従ったせいで、私は逃げ遅れて火事に巻き込まれ、その結果死んでしまったのだ。

 しかも、その火を放ったのは彼だという声を、私は確かに聞いたのだ。つまりリートが私を殺したようなものだ。


――私を騙した、大ウソつき野郎! 人殺し! ろくでなし!


 今朝がたうなされていたのは、前世の死を夢で見ていたからだ。

 彼を待ち続けて、私は炎にまかれて死んだ。これは覆しようのない真実だ。

 リートが、くっそ凶悪な目つきで睨んできやがった。極悪放火殺人犯のくせに、ギリギリと鋭い目つきで睨んでくるのだ。自分が殺した相手を、悪びれもせずむしろ仇のように睨んでくる図々しい神経が理解できない。


――なにコイツ、怖いわー。気持ち悪いわー。精神異常者? 殺人狂?! 恨めしそうな顔しちゃって、自分の方が被害者だとでも思ってんの! 私が何したっていうのよ!


 目の前にいるリートはもう、あーんしてくれた優しいリート君ではない。

 身体がガタガタ震えそうになるのを両手で抱きしめぐっと堪えていると、ピピが小さな声で呟き始めた。


「ピピは神しゃまから、おふたりが幸せになれるように、見守るように言いつかったのでしゅ……それなのに……」

「今度こそ?」


 ピピの言葉に嫌な引っかかりを覚える。前世でのことは間違いで、今生でやり直すはずだったとでもいうのだろうか。私にしてみれば、今生のこの結婚こそが間違いで、直ちに離婚して人生やり直したいのだけど。


「あ、それにさっきなんか変なこと言ってたよね。世界が消滅するとかって……。あれ、何?」

「あ、あい、えっとそれはお二人が離婚してしまうと、未来が変わってしまうということなのでしゅ。これから生まれるはずだった大切な未来の世界が消えてしまう、ということなのでしゅ……」


 ピピはえぐえぐとしゃくりあげてと泣きながら、なんだかよく分からないとんでもないことを話し始めたのだった。





 ……ピピはここに降りてくる前、神しゃまから「運命の書」を見せてもらったのでしゅ。分厚くて、古くて、重くて、すっごい本なのでしゅ。あらゆる人の運命のお相手が記されているのでしゅ。

 その「運命の書」に、お二人の魂は愛の絆でしっかり結ばれていると書かれてあって…………ほ、本当でしゅ! 本当に書いてあったのでしゅ。真っ赤なハートマークついてて! ピピはちゃんと見たでしゅ! 他の人たちは一つのところ、五つも付いていたでしゅよ!


 思い出したのでしゅよね? 前世では、お二人が結ばれる前に悲劇にあってしまって、それはなんというか手違いがあったそうなのでしゅ。

 ピピは何があったのか詳しいことは知らないのでしゅが、本当はちゃんと結ばれて幸せになるはずだったそうでしゅ。今生のようにラブラブカップルになるはずだったと…………し、信じてくだしゃい! ハートマーク五つなのでしゅ! 嘘なんて言ってないでしゅ! 天使、嘘つきましぇん!


 転生すればお相手が変わることも珍しくはないのに、お二人は同じ相手と結ばれる運命で…………お、怒らないでくだしゃい! ピピが決めたんじゃないでしゅよぉ。遠い昔むかしから決まってたんでしゅっ! そのくらい深ーい強ーい絆が…………ほ、本当でしゅ! 書いてあったのでしゅ!


 でも、どうして前世を思い出してしまったのでしょうか。せっかく仲良し夫婦だったのに、思い出してしまったばっかりに喧嘩を……。普通は思い出したりしないものなのでしゅけど……。え?! ピピ? ピピのせいなのでしゅか? ふへ! チューでゴッツンコしちゃったから? そ、そんな……

 ち、ちちちち、違うと思いましゅよ? ……しょんなはずは……しょんな……ふうう、ふええぇぇぇん、びえぇぇぇぇん!


 しゅ、しゅみ、すみません……。取り乱してしまいました。それから、ピピのせいじゃないって分かってくれてありがとうございましゅ。きっと、これは間違いというか、事故なのでしゅ。前世での悲劇も、なぜかどこかで間違いが起きてしまったのでしゅ。

 どうか信じて下しゃい……下さい。ピピはお二人の幸せを、心から願っているのです。本当でしゅ……です。神しゃまも心配しているのです。

 それに間違いは正さなければなりません。せめて、前世での手違いは今生で正さなければならないのです。……あ、う、な、なぜか今生でも、て、手違いが起きてしまったようなのですけど……離婚を言いだすなんて……これはなおさら、修正しなければ……。


 でないと、世界の色んな所がひずんでしまって、未来の世界ががらりと変わってしまいます。これは本来あるべき世界が消滅するということなのです。ピピの生きる世界も……消滅してしまう……。

 本当です。大げさじゃないです。「運命の書」と違うことがこれ以上起きては、大変なことになってしまうのです。もう限界なのです。神しゃまは、もうこれが最後のチャンスだと……。ピピには難しいことは、よく分からないのですけど……。


 今回神様は、お二人が本来の運命通りに結ばれて幸せな人生が送れるように、間違いが起こらないように、万難排して今生の舞台を整えられたそうです。

 そして、神様のお導き通りにお二人は出会い、結婚して仲良く暮らすことができました。最後の仕上げとして、お二人への祝福の為に神様はピピをここに遣わしたのでございます。ちゃんと見守るようにと仰られました。

 ピピの初仕事だったのに……。大切な大切なお仕事だったのに、どうしてこんなことになって……ふ、ふぇぇぇ、びえぇぇぇぇ!


 どうして、てちがいがおきたとか、ピピにはよくわかんないでしゅよぉ。もう、そんなのどーでもいいれしゅ。ただ、しあわしぇになってほしいらけれしゅ。なかよしふーふでいてほしいのれしゅ。しょれがピピのしあわせれもあるんれしゅよぉ……。

 ろうか、お、おねがいしましゅぅぅ……うえぇぇぇぇ……。





 ピピは言うだけ言って、わんわんと泣いて、それからテーブルに突っ伏して寝てしまった。張り詰めていたものが、ぷつんと切れた、そんな感じだった。

 今は羽根の消えたピピの小さな背中が、呼吸に合わせてゆるく上下していた。


――なんてこった……。前世で誰が何を間違えたのか知らないけど、そのせいで世界が歪んで未来の世界が消滅してしまうとか、それはなんていう物語ですか。本はあるんですか読みたいんですけど。


 ピピの話についていくのに精いっぱいで、もう言葉もでない。

 はあぁっとため息をつくと、リートもぴったり同時に大きく息を吐いていた。気持ち悪いから、合わせないでよ。

 なるべく視界に入らないように、お互いはすに座っていたけど、ちらりと様子を伺うとこれまた目が合ってしまった。キモくて一瞬で逸らした。

 チッと舌を打ち、リートは私に背を向けて頬づえをついた。

 私も、ふんとそっぽを向いたのだが、斜め前の食器棚にリートの横顔が映っているのが見えてしまった。


 悔しいことに、やっぱりリートはカッコいい。正面も横顔もカッコいいのだ。化けの皮が剥がれた後でも、どうしようもないほど私の好みで……。苦しいくらい、どストライクなわけで……。

 数時間前の私は、この人が好きだった。大好きだった。ガラスに映った考え込むような真面目な顔は、にっこり笑った顔の次に好きだった。ずっと見つめ続けていられるくらい、好きだった。

 本当に、大好き、だった。


――……過去形だけどね。


 「運命の書」って一体なんなのよと、私はまたため息をつく。

 とても信じられない話だけど、天使が言うのだから百歩譲ってその「運命の書」っていうのは、あるにはあるのだろう。頭が痛いけど認めようと思う。

 しかし、私とリートは愛の絆で結ばれてなんかいない。絶対、そこは認めてあげない。だって、前世でリートは私を死に追いやったのだから。


――だいたい、手違いってなによ。手違いで運命の相手を殺したりする? しないでしょ? できないでしょ? どんな手違いよ。ハートマークとドクロマーク書き間違えたんじゃないの。間違いってそこじゃないの?


 私たちが離婚したら未来の世界が消滅するなんて言われても、代わりに違う未来が生まれるとしたら、それはそれでいいんじゃないかと思うんだけど。それではダメなんだろうか、とため息がでる。

 リートだって、ほら、冷めきった顔をしている。


 胸がきゅんと痛んだ。甘さなんかこれっぽっちもない。

 苦みしかない。もう、一緒にはいられない。

 でも離婚したら、私の心もきっと冷めきってしまうんだろう予感がする。


 彼と出会った時、ここから私の本当の人生が始まるに違いない、そう思った。

 なんのとりえもない私なんかにリートは告白してくれて、泣きたくなるほど嬉しかった。家はお金ないし、たいして可愛くないし、モテたことないし、料理が得意なわけでもなきゃ裁縫の腕もない。

 ないないづくしで何の自信もない私を、リートは丸ごと受け入れてくれた。私の良いところを見つけてくれた。彼が私に自信を与えてくれた。


 畑の野菜は瑞々しく美味しそうに育てられているとか、ちゃんと宣伝して売ればお金も貯まるはずだとか。今のままでも可愛いけど、髪を整えて化粧をすればもっと可愛いとか。料理のレパートリーは少なくても美味しいから十分だとか、針仕事はほつれが直せたらそれでいいとか。

 あと、俺がいるからモテなくていいんだって。

 とても暖かくて、幸せだった。


 全部、過去形になってしまった。

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