第2話 前世の記憶とバカップルの記憶

 …………。

 目が覚めた。

 夢から醒めて、気持ちも冷めた。

 なんてことだと頭が痛くなる。ぶつけた痛みとは全く別のものだ。私はとんでもないことを思い出してしまったのだ。

 何をか?

 前世の記憶だ。今の私に生まれる前の記憶。もう一つの人生の記憶を思い出してしまったのだ。

 朝方にうなされていた夢も思い出した。あれは前世の記憶だったのだ。


――コイツは! この男は! 


 思いきりリートを睨んだ。私は前世でのこいつを知っているのだ。

 このリートは、あの男だ。間違いない。顔は違うんだけど、なんとなく面影があるし、目つきなんてそっくりだ。

 なにより、ビビっとくるのだ。私の中の野生の勘が、こいつはあの男だと告げるのだ。

 前世での因縁が、私の中に鮮やかに甦っている。私たちは敵対関係にある家の出身だった。そう、生まれながらに敵同士だったのだ。


 憎悪で身体が震えだす。心臓がバックンバックンと跳ねて、破裂してしまうんじゃないかと思った。

 嗚呼、あの日の恐怖と絶望。決して忘れられないし許せるものではない。私は、彼のせいで命を落としたのだから。

 再び、炎と死の記憶が恐怖となって沸き上がったけど、即座に怒りがそれを上回る。

 生まれ変わったからといって、忘れていたからといって、どうしてよりによってコイツと結婚してしまったんだと、ギリギリと奥歯を噛みしめた。


――何がニアたんよ! キモッ! ウザッ! コイツ脳みそ腐ってるわ!


 リートくぅんなどと私も言ってたようだし、食べさせっことか気が狂ってたとしか思えないが、それはこの際棚の上だ。


――ああ神様! アホの「ニアたん」は先程ご臨終しましたので、どうか全て無かったことにして下さいぃぃ!


 リートも頭をさすり低い唸り声を出していた。なんてこった、と。

 ゆっくりと上げた顔には、明らかに動揺と憎悪が浮かんでいる。ということは、彼も前世を思い出し、私が生まれ変りだと気が付いたのだろう。顔に最悪と太字で書いてある。

 しかもリートは、悪びれもせずに睨んでくるのだ。

 よくもそんな顔ができるもんだ私を殺したくせに、と猛烈に悔しくて思い切り唇を噛んだ。

 しかも唐突に、昨夜のあれやこれやしてのあっはんや、目覚めのちゅーを思い出してしまい、全身にぞわぞわと鳥肌が立ってきた。もう吐きそうだ。


――ああ、このクソ野郎と……いやぁぁ! もう無理無理、無理ぃ! ニアたんのバカ! 助けて神様、今すぐバカップルの記憶を抹消してぇ!


 思わずブンブンと頭を振ってしまった。

 しかし、いくら祈ったところで無駄だろう。今生の記憶は一切消えないままで、私は前世を思い出してしまっているのだ。ああ、神様はあなたはなんて無慈悲なの。

 リートも口をゴシゴシ拭って、ゲーッと舌を出した。ということは、恐らく昨夜のあっはんを……。


――同じこと思い出して同じ反応してんじゃないわよ! こっちの方が絶対ダメージ大きいんだからね!


 くうぅぅとハンカチを噛みしめた。もうやだ。逃げたい。

 コイツの顔なんか見たくない。これ以上一秒だって無理だ。

 この状況から逃げるには、多分方法はこれしかないだろう。


「リートさん・ ・、折り入って話があります」

「奇遇だな、俺もだ。ニアさん・ ・


 他人行儀に、さん付けで呼び合って睨み合う。どちらも視線で相手を刺し貫く勢いだ。殺意さえ籠っている。


「今すぐ私の前から、いいえ、この世から消えて!」

「お前が消えろ! 消え失せろ!」

「出てけ! 自分の村に帰れ! 離婚よ!」

「おう、出てってやるさ! 離婚だ!」


「りこ……ん? いえぇぇぇぇ!? そんなぁ!!」


 ピピが悲鳴を上げた。

 なになに、どうして、と叫んでいる。

 そして、ばたばたと私とリートの間を行ったり来たりしはじめた。


「ど、ど、どうしたのでしゅか? お、お二人は運命の愛の絆で結ばれているのでしゅ! り、離婚だなんてダメでしゅぅぅ!」

「ごめん、ピピ! ちょっと黙ってて!」


 はっきり言って、私の頭は今リートを追い出すことでいっぱいいっぱいで、甲高い幼女の声はほとんど耳を素通りしていた。


「ああ、最悪だ! 人生の汚点だ! やり直してー!」

「だったら、さあ、行け! ほら、逝け! あんたなんかもう他人よ!」


 玄関を指さして、思い切りリートを睨みつけ怒鳴るのだった。

 リートも鋭い三白眼で思いっきりガンを飛ばしてくるが、負けじと私も目ん玉ひんむいてギリギリと睨む。軽く腰を落として、ほとんど臨戦態勢である。

 だんだん目が乾いてきて瞬きしたくなるが、一瞬でも目を瞑ったら負けな気がして、意地で睨み続けた。


 あんなに毎日イチャついていたのに、簡単に手のひらを返して口汚く罵ってしまえる自分に少し驚いていた。

 でも、それは仕方ないというものだ。気絶から目覚めたら、恋心なんてものは消し飛んでいたのだ。パンくずの欠片ほども残ってない。だって、リートは私を殺したんだから。

 あるのは猛烈な後悔と腹立たしさだ。コイツと結婚するくらいなら、タニシの方がまだマシだったと思うくらい、嫌悪で身の毛がよだつ。

 そして、それはリートの方でも同じなようだ。こちらを睨みつけて、聞こえよがしに舌打ちしているのだから。


「急にどうされたのでしゅか?! お、お二人とも落ち着いてくだしゃい!」


 私とリートの服を引っ張って、ピピがおろおろと声を上げる。

 ハッと視線を落とした。無意識に瞬きしていた。助かった、目に潤いが戻った。因みに、これは不可抗力であり負けではない。

 ピピは真っ青になり、訳が分からないと首をかしげている。今にも泣きだしそうな顔だった。


――そうだった。ピピが祝福してくれるって……ほっぺにキスしてもらったんだっけ……ああ、何の因果でこんなことに……。ああ、もう! 離婚よ、離婚! 離婚したからって済むもんでもない気がするけど、とにかく離婚よぉ!


 訳が分からないのは私だって同じだ。胸がもやもやして、がりっと下唇を噛んでしまう。

 なぜ突然、前世なんて思いだしてしまったのか。まさか前世なんてものがあるとも思わなかったし、その上仇敵と結婚していたという衝撃の事実を突きつけられるなんて、はっきり言って今頭の中は大混乱である。

 悪夢だと思う。このリートが、あいつだと知っていたら絶対に結婚なんて、恋なんてしなかったのにと。


「あのね、ピピ。私、思い出しちゃったのよ……前世のとんでもない記憶を」

「え……。お、思い出した、のでしゅか?」


 ピピは可愛らしく首を傾げ、目をパチパチと瞬いた。えーっとえっとと、呟きながら見上げてきた。

 そりゃそうだろう。前世を思い出したなんていきなり言われても、首を傾げるのが普通の反応だろう。

 これに対して、ケッと悪態をついたのはリートだった。

 

「ああ、俺も思い出した。ちくしょう、こんなあばずれと結婚しちまってたなんて! ああ、最悪だぁ!」

「誰があばずれよ、この人でなし! 最悪なのはこっちよ! さっさと消えて! 出て行って!」

「言われなくても出て行くわぁ!」

「もう、いっそ死んじゃって!」

「お前が死ね!」


 ぶん殴ってやるムキーっと、近くにあった花瓶を振り上げると、かかってこいやとリートも煽ってくる。一触即発、戦闘開始の鐘の音がカーンと今にも聞こえそうだ。

 と、真っ白なものが私の前をふわりと遮った。


「ダメェー! 喧嘩しないでくだしゃい!!」


 殺し合いしそうな剣幕の私たちの間に立ちふさがったのは、もちろんピピだ。しかし、私の目からリートの姿を隠したのは、真っ白な羽根。なんと小さなピピの背中から、大きな羽根がばさりと広がったのだ。

 ふわふわの綿のような雲のような、そしてキラキラした光の粒をまとって煌く純白の羽根だ。やたらと神々しい。

 どうやらピピは、純正らしい。本当に本物の天使だったのだ。

 出て行け私殺し、と叫びかけていた口をポカンと開いたまま、私は固まってしまった。

 ピピはポロポロと涙をこぼしながら、私とリートを交互に見つめている。どうしようどうしようと呟きつつ、情けない顔して見上げて来るのだ。

 恐る恐る尋ねるピピの声が震えている。


「お、お二人は、な、仲良し夫婦でしゅよね……?」

「……は、羽根、羽根が……マジか」

「天使、降臨……?」


 真っ白な羽根の出現に驚いてそれ以上言葉が出てこなかった。ピピが本当に天使だったことが衝撃すぎて、一瞬リートへの怒りも薄れかけたくらいだ。


「お二人は仲良しでしゅよね? ね?」


 ピピはもう一度縋るように問いかけけてきた。何故かは知らないが、彼女はどうしても私たちに仲良し夫婦でいて欲しいらしい。が、それはもう無理だし、何度質問しても無意味だと思う。答えは決まっているのだ。

 

「そんなわけねーだろ。……今、離婚だって言ったとこだぞ。というか、お前の羽根って本物……?」


 リートの声は不機嫌で乱暴だったが、ピピに対してまで怒鳴ることはなかった。まじまじとピピの羽根を眺めている。どう見ても羽根は彼女の背中から生えていて、小さく震えるような動きさえしている。本物としか言いようがない。

 軽く頭を振ってから、リートは吐き出すように言った。


「そもそも結婚したのが間違いだった。気の病だった」 

「えっと、あ、あの……」


 リートにギンと睨まれて、私も睨み返す。


「そうね! 僕は君に出会うために生まれてきましたぁ~とか、あんた脳みそ膿んでるとしか思えない、気っ色悪いこと言ってたもんね。マジ病気。キモっ。感染りたくないから、さっさと出てけ! 散れ! 消し飛べ!」

「ど、どうか、落ちつ」

「黙れバカ女! イカレてんのはお前だろうが、あなた眩しすぎて目が潰れそーとかほざいたくせに、だったら潰れてしまえ! 頭ごと潰れろ! 逝ってしまえ! 地獄に堕ちろ!!」

「や、止めてくだしゃい~~~! びえぇぇぇぇ! 離婚はダメでしゅぅぅ! そんなことしたら、世界が消滅しちゃいましゅでしゅぅぅ! びえぇぇぇぇ! 」


 ついにピピは泣きだしてしまった。

 天使を泣かせてしまうなんて、もしかして罰があたるかも。


――って、今、世界が消滅とか言いました? え? は? なに、その超展開は……。あ、分かった! とんでも発言で笑わそうってことね! ハッハッハ! いや、面白くないからぁ!

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