第18話 墓参り

 放課後。全身がすっかりボロ雑巾状態になってしまったが、それでも僕は真っすぐに帰宅しなかった。普段は乗らない電車を乗り継ぎ、隣の県へと向かう。そうして、約一時間後。辿りついたのは、一軒のアパートだ。築四十年以上は経っているのか、相当の古さが窺える。その一階の、一番奥の部屋の前に立った。そこの表札に書かれているのは、「荒田」の二文字。おかしいな、名字が違う。


「この部屋で合っているはずなんだが」


 ここは僕が前世、つまり守岡信太だったころに住んでいた部屋だ。昨日の実験で、全て思い出している。この部屋で雅美姉さんと一緒に育ち、そして死んだ。


「何をしとるんじゃ」

「うおっ」


 急に背後から声が聞こえて来て、僕は思わず転げそうになった。振り返ると、小学生のように小柄な老婆が立っている。歳は、八十過ぎといったところだろうか。顔中が皺くちゃで腰が折れ曲がっているが、その身は覇気に満ちている。


「怪しい男じゃの。警察に通報するか」

「ま、待て。僕は怪しい者じゃな――です」

「怪しいヤツは、皆そう言うんじゃ」

「本当だ!」


 僕がお婆さんの小さな肩を掴むと、お婆さんは振り払おうと暴れた。歳のせいか力が弱いので、封じるのはたやすい。だが、助けを呼ばれても困る。


「ワシはこのアパートの管理人じゃ。住人を守る義務がある」

「あ、アパートの管理人?」


 そう言われてみると、見覚えがないわけでもない。前世の記憶を引っ張って来ると、似たような顔が浮かび上がって来た。十七年前だから、皺が増えて判別しづらくなっているが、間違いない。この人は、当時もここの管理人をしていた。


「以前、この部屋に『守岡』という人が住んでいなかったか――いませんでしたか」


 いつもの渋面を押し込めて、無理やり愛想笑いを浮かべる。慣れない敬語も使い、頭を下げた。あまりにぎこちなくて、より一層怪しい人間に見えるかもしれない。


「守岡? お主、あの守岡を知っておるのか」

「はい、えっと、遠い親戚だ――です」


 思いつきでそう誤魔化すと、お婆さんは「ふむ」と鼻息を漏らす。暴れるのもやめてくれた。その胡散臭そうな目から察するに、こちらの嘘は軽く見透かされているようだが。


「お主、ここで昔何があったのか、知っておるのか」

「はい。姉弟が自殺した、と」

「その通りじゃ。おかげで幽霊が化けて出るだの、夜な夜な女のすすり泣く声が聞こえて来るだの、と言って、入居者が減ったわい。西日が一番当たるいい部屋じゃから、もったいなくての。家賃をギリギリまで減らし、どうにかこうして入居してもらっておる。おかげで、こちらの生活が厳しくなってしまったわい」


 そう言って、お婆さんは表札を軽く叩く。


 幽霊か。そんな話になっていたとは考えていなかった。「僕ら」は自殺した後、こうして生まれ変わっているから、自縛霊にはなっていないのだが。


「姉弟が亡くなった後、ご家族の人はどうなったんだ――ですか」


 意をけっし、尋ねる。それが、ここへ来た理由だ。まだこの部屋に住んでいるのなら、会いたいという願いがあった。


 守岡信太は、世を儚んで死んだ。姉との仲を両親に打ち明けることができず、未成年ゆえに家を出て、姉と二人で生きることも難しかった。そして、死という手段を使って逃げたのだ。家族への謝罪の言葉を、遺書に残し。


 我が子が自殺したのなら、両親がこの部屋に残って暮らすことは難しいだろう。現に、表札の名前は変わっている。そうなると、どこへ引っ越したのだろうか。


「お主、それを聞いてどうするんじゃ」

「亡くなった姉弟の代わりに、謝りたいんだ――です」

「謝る? 親類とはいえ、他人じゃろう? 見たところ若いようじゃから、死んだ姉弟と面識があるわけでもあるまい。どうしてそこまでする?」

「亡くなった姉弟のうち、弟については僕も知っている――います。彼がこの部屋で育っていた思い出を。亡くなる寸前の心境も聞いている――います。だから、亡くなった彼の代わりに、彼の残した想いを伝える義務が、僕にはある――です」


 下手くそな敬語をどうにか付け足しながら、僕は決意を明かした。そう。義務がある。勝手に死んだ前世の代わりに、現世の僕が謝る義務が。そんな僕の真剣さが伝わったのか、お婆さんはしばらくの間黙りこんだ。それから乾いた口を重々しく開く。


「分かった。話そう」


 長く立っていたのが疲れたのか、お婆さんは外の階段に腰を下ろした。


「部屋で首を吊って死んだ姉弟を発見したのは、母親の方じゃ。それがよほどのショックだったのじゃろうな、葬儀にも出席できないほどに心が弱ってしまった。体調も崩し、寝込む日々が続いた。そして、三年後に病死したのじゃ」

「そう、ですか」

「一人残された父親は、それを境に気が狂ってしまったようじゃった。酒びたりになり、勤めていた仕事もやめた。アパートの他の住人とすれ違うたびに、苛立ちをぶつけ事件を起こしてな。そうしてある日、忽然と姿を消した。風の噂では、何かきな臭い新興宗教に入信したなどという話も聞く。確か、『螺旋の会』とかいったか」

「『螺旋の会』……」


 その名前を聞かされて、僕はふと先日の記憶を思い出す。


 父さんに協力を求めていた、あの白スーツの男達。確か、あの連中は、『螺旋の会』と名乗っていたはずだ。その中で、僕に毒づいていた刀傷の男がいた。見覚えがあったのに、あのときは誰だか思い出せなかった。


 だが、今なら分かる。あの男こそが、守岡信太の父親なのだ。どうして、あのときに気付けなかったのか。


 家族がバラバラになる元凶を作ったのは、間違いなく前世の僕だった。僕が、前世の夕奈に告白しなければ、そんな事態にはならなかった。家族をめちゃくちゃにし、破滅へと導いた犯人が僕なのだ。


「お主、泣いておるのか」


 お婆さんに言われ、ようやく僕は、自分が涙を流していることに気付いた。そんな権利はないのに。僕は慌てて手で涙を拭う。それを見たお婆さんは、長い溜息を吐いた。


「正直を言えば、お主が死んだ姉弟の親戚などという話は、これっぽっちも信じておらん。幽霊が出る、という話を聞きつけて、面白半分で取材に来る者も多いからのう。じゃが、お主はどうやら、その手の輩とは違うようじゃな」

「……ありがとう、ございます」


 さすがに元本人だ、とは言えない。だが、お婆さんは懐かしむように僕を見る。


「お主が何者かは知らん。じゃが何となく、あの死んだ弟の方に似ている気がするわい。はて、どうしてかのう。顔は全然似とらんのに。身にまとう雰囲気が似とるのか。まあ、いいわい。どうせ来たのなら、墓参りもしていくといい」

「この近くにあるのか――あるんですか」

「子ども二人が死んだときに、この地に墓を建てた。だが、母親が死んだときに、実家が遺体を引き取らなかったのでな。母親についてはワシが代わりに供養した」







 お婆さんに教えてもらった通りに、道を進むこと十分ほど。柳の木々に囲まれたところに、墓地はあった。辺りに民家は少なく、また平日ということもあって墓参りに来る者も見当たらない。その墓地の端の方にひっそりと、その墓は存在していた。


『守岡家墓』


 簡素に刻まれた墓石。「僕」が生きていた証としては、何とも寂しい。だが、これくらいでいいのかもしれないな。目立ちすぎると、ここも「自殺した人間の霊が出る」などと噂されるかもしれないし。いや、さすがにそれはないか。


 墓の前には、枯れかけの花が添えられていた。おそらく、あのお婆さんが時折来てくれているのだろう。アパートの近くの花屋で買った花を、代わりに供える。お婆さんからもらったマッチで、線香に火をつけた。


「自分の墓参りに来るっていうのも、奇妙なものだな」


 この墓の中に、守岡信太と守岡雅美の魂は入っていない。もしも入っているとすれば、二人の母のものだけだ。遅れて亡くなった前世の母に、僕は懺悔の言葉を捧げる。


「親不孝をして、すみませんでした……っ」


 その場に深々と土下座し、謝罪をした。地面に擦りつけた額が汚れるのもかまわない。


 前世の僕、守岡信太は自分達が添い遂げるために、多くのものを犠牲にした。父さんから逃げ、世間の目から逃げ、死という手段で逃げ出した。だが、それは間違っていたのではないか。父さんの脅しに屈せず、きちんと警察に届け出るべきだったはずだ。


 そして、それは今の僕にも当てはまる。僕は、夕奈や母さんを守りたかった。それゆえに、父さんからいくら虐待を受けても、ひたすら耐え続けた。

 それでも決断すべきだったのだ。そうすれば、こんな事態にはならなかったはずだった。今からでも遅くはない。警察に虐待を届け出るべきだ。……そう決心しようとするのだが、もう一歩が踏み出せない。自分の弱さに、つくづく嫌気がさす。


「ごめんなさい」


 もう一度、僕は物言わぬ墓石に、謝罪の言葉をかけた。


 そのまま、どれだけの時間が経ったころだろうか。ふと名前を呼ばれる。


「朝斗、ここにいたんだね」


 振り返ると、見知った顔があった。とても馴染み深く、愛くるしい顔が夕日によって儚く照らされている。夕奈は、学校にいるときと変わらない制服姿だ。淡い水色を基調としたブレザーが、夕焼け色の光によって染められていた。その姿を見ているうちに、僕は急激な胸の高鳴りのせいで息が詰まりそうになる。まずい、こんな神聖な場所で何を考えているんだ。


 そんな僕の心中に気付いているのかいないのか、夕奈は近づいて来る。その足取りは、いつもに比べてゆっくりだ。少し遠慮がちに、口を開く。


「『糸』を辿って追って来たんだ。まさか、お墓にいるとは思わなかったけれど」


 僕はそのことに気付きもしなかった。この身に圧し掛かる罪を懺悔することで、頭がいっぱいだったからだ。


 夕奈は、僕の隣に並んだ。その距離は、普段よりもほんの少しだけ遠い。今の僕らの心にある、隙間を現しているのかのようだった。


「亡くなった方とは、懇意にしていたのかい?」

「前世の僕達の墓だ」

「前世、のボク達?」

「ああ。前世の僕達の母親も眠っている」


 そして、僕は話をした。前世で二人がこっそりと交際していたのを、若いころの父さんに知られたこと。父さんに脅され、実験のモルモットになっていたこと。次第に精神を病み、心中自殺してしまったこと。それが原因で、前世の母が病死したこと。前世の父が行方不明になったこと。


 全てを話し終え、僕は夕暮れの空を見上げた。


「分かっただろ? 全部、僕の責任なんだ。前世で家族が壊れたのも、長瀬達が今苦しんでいることも。前世も今も、僕がめちゃくちゃにした」


 夕奈は辛そうに目を細め、地面に視線を落としていた。それから長いまつ毛を震わせ、こちらにそっと手を差し出す。


「線香をあげさせてもらっても、いいかな?」

「……ああ」


 アパートのお婆さんからもらった線香を数本、夕奈に手渡す。夕奈は墓前でしゃがみ、手を合わせた。そうして、しばらくの時が流れ。夕奈は墓石を見つめながら、再び口を開いた。


「ねえ、朝斗。この後、時間をもらってもいいかな?」

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