もしも無課金女子大生が死神スタンプカードを受け取ったら

乙島紅

□□□□


***


れいちぇる「初めまして! 最近投稿減ってるみたいですけど、いつも素敵なイラスト楽しみにしてます」


kaito「ありがとうございます。今はバタバタしてますが、落ち着いたらまた落書きとか投稿しますね」


れいちぇる「あの、もし良かったら私のアイコン描いてくれませんか? あ、もちろん無料で!」


kaito「すみません。依頼は嬉しいんですが、これでも絵で食ってる人間なので無料というのはちょっと……」


れいちぇる「適当でいいので! いつもあげてる落書きだってお金もらってるわけじゃないですよね?」


kaito「おっしゃる通りです。ただこの先二年くらい仕事が詰まっててしばらく落書きも投稿できない状況なので、無料でとなると落ち着くまで待ってもらうしかありません」


れいちぇる「二年とかwたかがアイコンにそんなにかかるとかレベル低すぎwww」




れいちぇる「既読無視ですか? 反論できないってことでいいですか? だいたいアイコンくらいでお金取るとか無いわ。普段絵描いてるだけで給料もらってるんでしょ? なんでそれくらいサービスできないんですか? おもてなしの心足りてませんよw」


れいちぇる「ずっと無視されるしもうファンやめまーす。バイバイ。せいぜい仕事に追われて頑張ってくださいね」




***





 大学の講義中、只野怜ただのれいはじっとスマホの画面を見つめていた。


 彼女はとある連絡が来るのを待っているのだ。


 それは青春真っ只中の女子大生らしい、片思いの相手からのメッセージの返信……ではなく。


 ピコン!


 待受画面に白い通知アイコンが現れた。


 彼女は胸を高鳴らせながら通知を送ってきたアプリを開く。


 フリマアプリ『モウカリ』。誰でも簡単に個人間の売買ができる人気のアプリだ。


 通知内容を確かめ、思わずにやけそうになる。


「あなたが出品した商品が三万円で購入されました」


 出品したのはSNSのキャンペーンで当たった声優サイン色紙である。


 今どきSNS上には様々なキャンペーンが溢れていて、片っ端から応募していれば運良く当たることがある。ファンにとってはかけがえのないプレゼントだが、怜にとってはあくまで仕入れだ。彼女の目的は当たった賞品を『モウカリ』に出品して換金することなのだ。


(オタクの皆さん、毎度ありがとうございまーす。さて、今日もをこなしますか)


 『モウカリ』を閉じて、今度はSNSを開く。


 彼女は一人でアカウントを十個以上持っている。そのほとんどが懸賞用のアカウントだ。キャンペーンを見かけたら即座にシェアボタンを押して応募する。毎日各アカウントにつきキャンペーン百個。それが、自身に課しているノルマなのである。


 無心で応募作業をしているうちに、いつの間にか講義終了の鐘が鳴った。トンと肩を叩かれ振り返ると、同級生の愛未あいみが立っていた。


「やっぱ懸賞やってたんだ。少しもノート取らずにずっとスマホ触ってるんだもん」


「しょうがないじゃん。懸賞だって楽じゃないんだよ? かけた努力と時間が当選確率に直結するんだから」


 大まじめに答えると、愛未は呆れたように笑う。


「けどさ、あたしらこれから就活でしょ。今まで通りに懸賞に時間使ってられなくなるかもよ」


 そう言って手渡してきたのは学内会社説明会に関するパンフレットだ。


「ねぇ、怜も一緒に行こうよ。会社によっては説明会の参加回数をチェックされるところもあるみたいだし」


 会社一覧の中には誰でも知っているような大手企業の名前もいくつかあった。だが、怜はさっと目を通しただけでパンフレットを返した。


「私はいいや、興味ない」


「へ?」


「だって働くなんてアホらしいよ。懸賞をやりこめば余裕で食べていける時代なのに、なんでわざわざスーツ着て会社行かなきゃいけないの」


「そ、そう? あたしだって別に働きたいわけじゃないけど、なんていうか……」


 言葉に詰まる愛未をよそに、怜は自分のスマホを見る。十六時五十分。そろそろ校門前に自動車教習所行きの無料送迎バスが来る時間だ。


 怜は「行かなきゃ」と言って愛未と別れると、バス停に向かって歩き出した。






 時間通りにバスがやってくる。今日は他に乗客がいないようだ。怜は空席二つ分使って悠々と座り、スマホゲームを起動した。課金しなくても時間さえかければ十分キャラを育成することができるのが評判のゲームだ。


(さて、今日も周回周回っと)


 早速キャラの育成に必要な素材が手に入るクエストを進める。レアモンスターに遭遇。レアモンスターの素材のドロップ率は通常の十倍だ。これはクエスト結果が楽しみ……だが、急に画面が暗くなってアプリが落ちてしまった。


 慌てて再起動すると、画面には「緊急メンテナンス中」の文字。


(ふざけないでよ……!)


 メンテナンスが入るとプレイ途中のクエストはリセットされる。最悪だ。あと少しでクリアしていたのに。


 苛立ちおさまらず、怜はネット掲示板を開いていた。


『クソゲー。詫び石はよ』


 そう書き込もうとした、その時。




 キィィィィッ!!




 バスが急ブレーキをかけた。


 怜は勢い余って前の席の背に思い切り頭をぶつける。


「痛ッ……!」


 じんじんと額が痛むだけで大したことはない。それより投げ出されたハンドバッグの中身が悲惨な状況だ。あらゆる店舗のクーポンやポイントカードが散らばってしまっている。


 しばらくして、バスは何事もなかったかのように動き出した。


 怜は「最悪……」とぼやきながら散らばったバッグの中身を拾い集めていく。


 残りはカード一枚、というところで怜はふと手を止めた。


(……あれ?)


 それは見覚えのないカードだった。血塗られたような不気味な赤一色のデザインで、表には『死神スタンプカード』と書かれている。こんな趣味の悪いカード、受け取った記憶はない。誰かの落とし物だろうか。


 そう思ってカードを裏返してみて、怜は息を飲んだ。


 裏面にはカードの色と同じ赤色で自分の名前が書かれていた。白い枠が四つあって、そのうちの一つには「死」と書かれたスタンプが押されている。


「え……何なの、これ……?」


 思わず声が上ずる。


 なぜだかさっきから寒気がしてまない。




「それはな、スタンプカードなんだよ」




 どこからか男の声がする。顔を上げると、そこには見覚えのない人物が立っていた。


(あれ、私の他には誰もいなかったんじゃ……?)


 背丈は怜より少し高いくらいの、血の気がない肌の色をした童顔の男。白のシャツベストとスラックスを着ているかと思うと、その上には黒のごついモッズコートという奇妙な格好だ。そして何より異質なのは背中に生える、白と黒の色違いの翼。


 まるで天使か悪魔——


 そんな言葉がよぎった怜の考えを見透かすように、男はにっと笑った。


「どうもー、只野怜さん。俺はあんたの死神です」


「死神……? いや、そんなわけ——」


 そう言いかけて、怜は途中で口をつぐんだ。


 よく見るとルームミラーには自分以外誰も映っていなかったのだ。おかしい。振り返ると死神はちゃんとそこにいる。


 冷や汗が額を伝う。


 死神はにっこりと柔和な笑みを浮かべた。


「俺の姿はあんたにしか見えないんだよ。もちろん声も、他の人間には聞こえない」


「……あああありえない! これは幻覚、きっと幻覚だから。疲れが溜まってるのよ。うん、きっとそう」


「残念ながら幻覚じゃないんだなぁ。それよりそのスタンプカードについて説明を」


 だが、怜は死神の言葉を遮るように耳を塞いでいた。死神の声は変わらず聞こえていたのだが、それでも彼女なりの拒絶の意思表示だった。


「ったく、大事なことなんだけどな。ま、いいか。聞く気になったら話すよ」


 怜は耳を塞いだままぎゅっとまぶたを閉じた。


 幻覚なら一度寝たら消えるかもしれないと期待して。




■□□□




 目が覚めても死神は変わらずそばにいた。それどころかどこまでもついてくる。出会った日だけでなく、次の日も、またその次の日も。こうと思ってトイレに入った時でさえ、するっと壁をすり抜けて中に入ってくるのだ。


「変態! ストーカー! 幻覚とはいえプライバシーくらいわきまえなさいよ!」


 死神が現れて三日が経った頃、怜は大学の空き教室で死神にストレスをぶちまけていた。


「だーかーら、幻覚じゃないって。それにストーカー呼ばわりとは失礼な。俺だって好きであんたを監視してるわけじゃない」


「じゃあ何なのよ」


「お、聞く気になったか」


 ニヤニヤとした悪戯な笑みを浮かべる死神に、怜はそっぽを向いた。


「興味ない。あーあ、幻覚に構ってるだけ時間の無駄だった」


 すると、死神は急に怜の肩を掴んできた。骨ばって色白いその手は、氷のように冷たい。


「後悔しても知らねぇぞ。只野怜——いや、HNハンドルネーム『れいちぇる』だったか」


 怜は固まる。「れいちぇる」は怜が管理しているSNSアカウントのうちの一つだ。


「あんた、私の何を知っているの」


「さぁね。俺のことには興味ないんじゃなかったのか?」


 その時、ポケットの中でスマホが振動した。愛未からの着信だ。


『怜、今どこ~』


「大学だけど……」


『合同説明会で就活イベントの招待券もらったんだぁ。怜も一緒にどう? 先輩社員との懇親会を兼ねてはいるけど、ホテルスイーツ食べ放題みたいだし』






 愛未に誘われたイベントは都心の大きなホテルで開催されていた。


 怜が会場の端で黙々とスイーツを食べていると、先輩社員のいるテーブルを回ってきた愛未が戻ってきた。


「少しは社員さんと話してきなよー。一応採用活動のために無料で食べさせてくれてるんだしさ」


「いいよ、私は興味ないし。スイーツのために来ただけだもん」


「もー、ゲンキンだなぁ。あ、そういえば前に怜が教えてくれた『コミック村』でさ、面白い漫画見つけたんだよね」


 『コミック村』は無料で様々な漫画が読み放題の海外サイトだ。愛未はその漫画を探そうとしていたが、ふと手を止めた。


「あれ?」


 横から彼女のスマホを覗き込むと、そこには「サイトが見つかりません」というエラーが表示されている。


「えー! 昨日まで普通に見れてたのに」


 怜も慌ててサイト名で検索する。だが見つかったのは漫画サイトではなくニュース記事だった。記事によると、『コミック村』が漫画を無断転載していたことが問題視されて、サイトにアクセスできなくする措置が取られたのだという。


(最低……楽しみにしてた漫画の続きが読めなくなった人の気持ちも考えて——)


 その時、怜は急にめまいを覚えた。食べかけのケーキが喉に詰まり、息苦しくて、吐き気がする。


 愛未の声が、フィルターがかかっているように遠くに聞こえる。


 涙でぼやける視界の端に映る死神の顔。彼は、歪んだ笑みを浮かべていた。


「スタンプカードを見てみな」


 愛未の声と比べてやけにはっきり聞こえて、怜は震える手でポケットからあの不気味なスタンプカードを取り出した。


「は……? なにこれ……」


 怜は目をこすって確かめる。


 そこには二つ目のスタンプが、血が滲むようにしてじわりと浮き上がってきていた。




■■□□




 イベントを途中で抜けて、怜は自宅まで戻ってきていた。


 確かめなければ。


 玄関の前で立ち止まり、後ろについてきている死神の方に向き直る。


「死神スタンプカードって一体何なの?」


 死神は愉しげな表情を浮かべていた。あれだけ幻覚だと突っぱねていた怜の心変わりをあざ笑っているのだろう。


 怜は苛立ちをぐっとこらえて言葉を続けた。


「あんたが幻覚じゃないって認めるから。ちゃんと説明して」


「いいよ。このままあんたが死んじまったら、こっちもやるせない気分になりそうだしな」


「え」


 死。


 その言葉が重く響く。


「私、もしかしてもうすぐ死ぬの……?」


「俺とのゲームに負けたらな」


「ゲーム?」


「そ。これは閻魔えんま様に頼んでやらせてもらってる死神と標的との間のゲームなんだ。ルールは簡単。スタンプを四つためたら標的の負け、ためなかったら死神の負け。負けた方が地獄行き」


「は!? そんなの理不尽でしょ! なんで私が地獄に——」


 怜は途中で口をつぐんだ。死神の冷ややかな眼差しにゾッとして、それ以上続けられなかったのだ。


「他人には理不尽をいるくせに、都合いいこと言うんじゃねぇよ」


 押し黙る怜。死神は溜息を吐き、説明を続けた。


「それに、条件はあんたの方が有利だぜ。あんたは勝てば普通に寿命をまっとうできる。一方俺はすでに死んだ人間だ。勝っても負けても生き返れるわけじゃない。な、リスクしかないだろ」


「じゃあなんでわざわざこんなゲームをするの?」


「復讐のためだよ」


「え……」


 どきりとする。


 心当たりはないのだが。


「私……あんたに何かしたの?」


「さぁな、自分の胸に聞いてみな。それがスタンプを押される条件になってる。俺が何者かを暴くか、スタンプが押される条件を見抜くことできればこのゲームはあんたの勝ちだ」


「そんな……スタンプは残り二つしか……!」


 その時、ガチャリと音がして玄関の扉が開いた。


 母親だ。


「声がしたと思ったら、やっぱり帰ってたのね。ご飯もうすぐできるわよ」






 怜の家は築四十年以上の住宅団地の中の一室である。父、母、娘の三人暮らしで、狭い間取りの中に生活用品がごちゃごちゃと積まれている。


 父親が帰ってくる前に風呂掃除をするよう言いつけられた怜は、やる気のない返事をして風呂場に向かう。


 手前の洗面所にはぐるぐるとねじられた歯磨き粉、ぼさぼさに広がった歯ブラシ、毛玉の浮いたタオル。風呂場の中には廃油で作られた手作り石鹸、湯量を減らす節水シャワーヘッド。


「なんか……あんたの家ってケチ臭いよな」


「はっきり言えば? 貧乏だって」


 死神の言葉に怜は淡々と返す。


 父親は町工場の雇われ作業員、母親はスーパーのレジ打ちパートタイマー。家族三人、ぎりぎりの生活水準でなんとか保っているのが只野家だった。


「でも別に困るほどじゃない。少子化のおかげで学費免除してもらえる大学にすんなり入れたし、今はネットさえつながればいくらでも無料で暇を潰せるでしょ。懸賞でお金稼ぎだってできるし。お父さんみたいに働いても働いても報われないんだったら、いっそ働かなきゃいいのよ。それができる時代なんだから」


 死神は黙って腕を組んで立っていた。


「あれー、もしかして正論すぎて言い返せない?」


 試しに茶化してみると、死神は珍しく素直に頷いた。


「一理あると思うよ。あんた自身がそれで満足するんだったらな」


「満足に決まってるでしょ。今の時代は賢く生きた者勝ちなのよ。探せばそこらじゅうに無料のものが溢れかえってるんだから」


 掃除を終え、風呂場を出ようとする怜。その背後で死神は冷ややかに呟く。


「気をつけろよ。そんな調子じゃすぐに三つ目のスタンプが押されちまうぜ」






 家族三人で食べる母親の手料理は、普段となんら代わり映えのないものだった。白米、味噌汁、ほうれん草のおひたし、主菜は肉じゃが。ただし牛肉ではなく豚肉で、一番安い小間切れ。そして父親が帰りに買ってきたコンビニの百円シュークリーム。


 只野家に馴染んだ味。


 だが、高級ホテルのスイーツを食べた後の怜にとってはどうしても味気なかった。


 食後、洗いものをする母を手伝いながら、怜はぶつぶつと文句を呟く。


「ねぇ、たまにはもっといい材料使わない? こんなのばっかりじゃ気持ちまで貧乏になりそうで——」


 ガシャン!!


 母親が洗っていた包丁を落とし、怜は慌てて飛び退く。


「怜」


 父親の低い声が聞こえて、怜ははっと食卓の方を見やる。腕を組んで、眉間にしわを寄せて、いつになく厳しい表情だ。


「もう限界だ。うちじゃお前のわがままに付き合いきれん。そろそろ自立してくれないか」


「え……?」


「最低限金は用意するから! もう、出て行ってくれ……!」


 父は声を震わせながら、怜と目を合わせず机の上をじっと見つめている。


「ちょっと待ってよ……!」


 戸惑う怜と唯一目が合ったのは、父親の背後にいる死神だけだった。


 彼は悪戯な笑みを浮かべながら、ひらひらとスタンプカードを振ってみせる。


 そこには、三つ目のスタンプが押されていた。




■■■□




 怜の頭からは「どうして」が消えない。


 死神曰く、スタンプを押される条件は一つだけらしい。


 だが、どれだけ記憶を辿ってみても、怜にはスタンプが押された時の共通点が分からなかった。


 文句を言うこと自体が条件なのかとも思った。ただ、カフェで注文したのと違うドリンクが出てきたことにクレームを入れたり、教習所の教官が隣の席で居眠りしていたのを愛未に愚痴ったりした時は何も起きていない。


 残された猶予はスタンプ一つ。なのに勝てる見込みが一切ない。


 できることなら何もしないでいたかったが、強制的に実家を追い出されてしまったせいでそうもいかなかった。慣れない一人暮らしで懸賞にかけるための余暇は無くなり、月三万の仕送り以外に収入のない彼女はなくなく近所のファミレスでバイトをすることにした。






「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」


「あなた笑顔が無いわねぇ。ちゃんと心を込めて接客をしてるの?」


「あの、だから何名様」


「そんなの覚えときなさいよ! 七人よ、七人! いつも町内会の帰りに寄ってるでしょ」


「……はい、申し訳ございません」




「ちょっとお姉さんー。水がまだ来てないんだけど」


「当店はお水はセルフサービスになっておりまして」


「は? 聞いてねーし。水は店員が持ってくるのが普通だろぉ?」


「……はい、申し訳ございません」




「…………」


「お客様。ご注文、ですよね?」


「…………」


「あー、その指でさされているメニューですね。はい、かしこまりました」






 店の締め作業が終わり、日付をまたいで帰宅した怜は倒れるようにベッドに横たわった。


「おーおー、ずいぶん疲れてんな」


 死神がにやにやと笑いながら顔をのぞき込んでくる。普段なら追い払うところだが、今の怜にはその気力はなかった。


「……やっぱり、働くってアホらしいと思う」


「なんで?」


「どれだけ頑張っても報われないじゃん。細かいことで店長から怒られるし、客からは理不尽なこと言われるし。それでもらえる給料はたった数万ぽっちだよ? 卒業して社会人になったら毎日こんな地獄だなんて……だったらいっそ今のうちにスタンプ四つ押されて本当の地獄に行った方が楽かななんて思うよ」


 すると死神はすっと身を引いて、ベッドの端の方に座り込んだ。どこか浮かない表情だ。


「何その反応。私に死んでほしいんじゃなかったの?」


「……復讐したいのは確かだけど、俺は別にあんたが死ぬことを望んじゃいないらしい」


「は? どういうこと」


「俺はちょっとだけ賭けてるんだ。あんたがこのゲームに勝つ可能性に」


「バッカみたい。それで負けたらそっちが地獄行きになるのに」


 怜の言葉に、死神は自嘲する。


「ああ、自分でもよく分かんねぇよ。ただ地獄なら死ぬ前に見たから、感覚麻痺ってんのかもな」


「ふーん……」


 死神のくせに、変なやつ。


 怜は枕元に置いてあるスマホに手を伸ばした。ゲームアプリを起動する。いつの間にか死神がそばに来て画面を覗き込んでいた。


「そのゲーム好きか?」


「どうだろ。まぁ惰性で続けてるだけかな。二ヶ月くらい前に専属絵師が担当外れてからキャラのクオリティ落ちたし、そろそろやめどきだと思う」


 すると死神はしばらく黙っていたが、やがてぼそりと呟いた。


「その専属イラストレーターな。過労とファンからの心ない一言で病んでさ、睡眠薬つまみに酒飲んでたら死んじまったんだよ」


「……そんな話、どこにも発表されてないけど」


「俺は死神だから分かるんだ」


 やけに真剣な口調だった。


 さっきは死神らしくないことを言っていたのに。


 怜は寝ぼけまなこで天井を眺める。


 もしかしたら、そのイラストレーターが最期に見た景色もこんな味気の無いものだったのかもしれない、なんて思いながら。


「過労死かぁ……そんな風に終わっちゃう人生に、価値なんてあったのかな」






 バイト先にはよくシフトが一緒になる先輩がいた。おっとりした性格のせいか注文間違いや飲み物をこぼすことが多く、怜よりも店長に叱られている。だが、不思議といつもにこにことしていて愚痴一つ言わない、そんな人だ。ある日、怜は彼女と休憩の時間が被り、気になっていたことを尋ねてみた。


「え、辞めたくならないのって?」


 予想外の質問だったのか、先輩は少し驚いているようだった。


「うーん、確かに大変だけど……私は接客の仕事が好きだからなぁ」


「どうして好きって思えるんですか」


「怜ちゃんは好きじゃないの?」


「私は……接客なんて嫌いです。さっさとAIに仕事とられちゃえばいいのにって思います」


「現代っ子だなぁ。でも、今はまだ接客の楽しさに気づいてないだけかもよ」


 怜がきょとんと首をかしげると、先輩はくすくすと笑った。


「前にね、あるお客さんが言ってたの。常連なのにご飯大盛り無料ってことを知らなくて、怜ちゃんが注文の時に教えてくれたの嬉しかった、って」


「それは……せっかくお得なのに知らないと可哀想だったから。あのお客さん、見た目からしてたくさん食べそうでしたし」


 先輩はウンウンと頷く。


「それでいいじゃん。接客って自分がやったことがすぐにお客さんの満足に繋がるでしょ? そこが面白いところだと思うな」


「そうなんでしょうか……」


「まぁ私は本業がお客さんと遠いから、余計にそう思うのかもしれないけどね」


「別のお仕事もしてるんですか?」


「うん、普段は漫画家のアシスタントをしてるの。井原先生って知ってる?」


「え、井原先生ってまさか」


 日本人なら誰もが知っているとある少年漫画の作者だ。


 彼の漫画は『コミック村』でも一番PV数が多かった。


(そういえば確か前に『モウカリ』で……)


 有名な漫画家の直筆サイン色紙は高い金額で落札される。人気度によるが、井原クラスであれば軽く五万は超える相場のはずだ。


 つまり、彼のサイン色紙を手に入れられれば、今月のシフトを半分以下に減らしても余裕の生活ができる!


「良かったら井原先生のサインもらえませんか? 小さい頃からずっとファンなんです!」


 怜は頭を下げて頼み込んだ。


 ファンなんて嘘だけど。


 期待むなしく、先輩は困り顔で首を横に振った。


「ごめんねー、基本的にサインは断ってるの。先生、前に転売されちゃったのがショックだったみたいで」






 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!


 たかがサインを書くだけなのに。


 家に帰る途中、怜はスマホを睨みつけてネット掲示板を開いていた。井原の漫画に関するスレッドに思いの丈をぶつけていく。


 ——この漫画の何が面白いの?


 ——ファンの心を平気で踏みにじる作家乙。


 ——キャラデザが下手。


「おーい、歩いている時くらいスマホやめろって」


 死神の忠告が聞こえるが、怜はそれでもやめなかった。




 ——作家が作家なら、アシスタントもクソ。




 その時、眩しい光が向けられて怜は思わず立ちすくんだ。


 車のヘッドライト。


 あれ? ここ、普段は車通りが全然ない道路で。


 耳障りな、アスファルトとブレーキの擦れる音。


 気づけば世界が逆転していた。


 ぐらりと視界が歪んで、地面に強く身体を打ち付けられる。


 ひんやりと冷たいアスファルト。


 どくどくと熱い身体。


 傍らには、液晶がひび割れたスマホ。


 手に取ろうにも、手が動かなかった。


 立ち上がろうにも、足が動かなかった。


 動かせるのは眼球だけで、その視界にはしゃがんでいる死神の顔が映る。


「あんたほんと性根ひんまがってんなー」


 彼はそう言って、一枚の紙を横たわる怜に見せた。


 死神スタンプカード。


 空欄は、もうない。


「さよなら、只野怜。あんたの負けだよ」


 どうして——そう言おうにも口がぷるぷると震えるだけで声にならなかった。


 ぞっとする。


 死。


 死。死。


 死。死。死。死。死。死。死。死。


 いやだ、死にたくない。


 その時になって、怜はようやく全身の痛みを理解した。車にはねられ、全身打撲、頭部は出血。


「哀れだから教えてやるよ」


 死神は冷たい声で言った。


「無償で与えられたものに文句を言う、それがあんたのスタンプの条件だったんだ」


 無課金でプレイしているゲームへの文句も。


 無料で読んでいた漫画サイトが消えたことへの文句も。


 無償の優しさを与えてくれていた母親やバイト先の先輩への文句も。


 全部、スタンプの条件を満たしていた。


 死神は立ち上がってふっと笑った。




「なぁ、無料無料ってそればっかりだったけどさ……あんたの人生にちゃんと価値はあったのか?」






■■■■






 人通りの少ない路地に横たわる女子大生の遺体。


 彼女をはねた車はそのまま逃げてしまい、一つの命がこの世から消えたことに気づく者はまだ誰もいない。


 死神はしばらくその場にたたずんでいたが、ふと思いついて彼女の血の海に沈みかけているスタンプカードを手に取った。怜のハンドバッグに入っていたボールペンでカードに絵を描いていく。


 それは、怜の死に顔だった。


 絵の横にそっと自分のサインを添える。


 「kaito」と。


 消えかかる死神はふっと笑って呟いた。


「ほら、特別サービスな。アイコンにでもしてくれよ」






【END】



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