第18話 座長、大いに悩む

 並木は焦っていた。

「まずい……これは絶対にまずい!」

 考査前の1週間となって、陵高校ではすべての部活動が禁じられた。いつもなら、連日のきつい稽古で高まってきた緊張感が、息抜きの時間で一気に緩むところである。

 歴代の部長はそれを避けるために、考査前に入ると、それとなく部員たちと顔を合わせて回ってきた。並木も、去年の夏の地区大会で3年が引退したとき、部長を引き継いでからそうしてきた。

 だが、並木の心配は別のところにあった。

 その稽古が、今回はない。その上、部活さえも気にしなくていい時間が、考査期間も合わせて10日以上も続くのである。大会そのものへの意欲がなくなり、どうでもいいという雰囲気が蔓延するおそれがあった。


 実際、目の前の陵高校演劇部員からして、無力感が漂い始めていた。

 放課後、校舎から張り出した露天のラウンジで見かけたのは、比嘉や苗木を伴った美浪である。

 それはいつもの通りだったが、ただ、いつもと違うことが1つだけあった。

「アタシ……もうダメ」

 ラウンジの円卓に突っ伏した美浪の前に、椅子に座りもせず突っ立っているのは比嘉と苗木だった。机の上に広げられているのは、多分、教科書だろう。

「あと2日もある」

「ここがヤマだからさ」

 もう、どっちの台詞がどっちのものだか分からない。どっちも下ネタお笑いキャラがかぶっているせいだが、実はどっちも教室に戻れば学年でも校外模試でも成績優秀者である。

 それだけに、実はいつも赤点すれすれの美浪は余計に腹が立つらしい。

「うるさい! あっちいけ」

 馬鹿正直にその場を離れようとした2人がラウンジを離れようとすると、美浪がまた呼び止めた。

「それ以上は動くな」

 いわゆるダブルバインドで行くも去るもならない比嘉と苗木はたぶん、美浪の機嫌が直るまで、そこを動くことはできないだろうと思われた。

 その緊迫感に耐えかねた並木は、声をかけることもできずにその場を離れた。


 ほかの部員はどうかと気になって別の階へ行ってみると、教室がずらりと並んだ廊下の端では、奈々枝と須藤が和気あいあいとふざけあっていた。

 試験を前にほとんどの生徒が帰ってしまっているので、その声は良く響く。

 内心、ほっとしたが、それでも言葉の端々が耳の隅っこに引っかかった。

「奈々枝、数学の小テスト何点?」

 須藤の声が妙に甲高い。やる気にあふれているのか、それともカラ元気か。奈々枝の声も負けず劣らずのテンションである。

「25点」

 完全に赤点ラインだった。それではしゃいでいられる辺りが、奈々枝である。

 信一は信一で、自信たっぷりに嘲笑する。

「残念! 僕、40点!」

「信一も赤点でしょ!」

 ムキになる奈々枝に、開き直る信一も、ほとんど子どもであった。

「15点も多いも~ん」

 ダメだ。完全にダメだ。定期考査で赤点を取れば、補充授業が組まれ、部活動に参加できなくなる。


 すぐ目の前の教室からは、2年の舞台監督、相模と3年の照明担当、佐伯が議論を戦わせる声が聞こえている。

 引き戸を開けてみると、二人が前にしているのは、行事予定表だった。

 稽古スケジュールを確かめているようにも見えた。

「一言だけでも相談してくれないかな」

 頼りないが、一応は部長である。話に加わろうと思ったが、その必要はなかった。

 まず、相模の士気はダダ下がりだった。

「テストの最終日って、帰っていいんだっけ?」

 幸恵の意思表示は、もっとはっきりしていた。

「灯体もないことだし、その日は帰る。どっちにせよ」

 心が折れそうになったが、並木はいささか他人行儀な口調で乗り切った。

「予定通り、参加してください」

 そのまま、帰ることにした。1年生部員はスタッフばかりなので、終礼が済んだらさっさと帰宅してしまったことだろう。

 だが、その道筋で小柄な少女の背中が見えた。並木に気付いたのか、振り返って会釈する。

「じゃあ、試験明けに」

 真逆の返答を聞いたばかりだったので、並木は思わず駆け寄った。

「どう? 初めての中間」

 安心したのに、こんなことしか聞けなかった。ちゃんと部活のことを気にしている相手に、こっちから聞くのは失礼な気がしたのだ。

「余裕です」

 こともなげに言ってのけるのにはちょっとムカッときた。

「ま、1年生の中間考査はな」

 先輩面して笑い飛ばしてみせると、沙は真面目な顔で言い返した。

「自分が生きている世界の、環境と状況を知り尽くす……役作りの要領です」

 そこで背後から、冷ややかにからかう声が聞こえてきた。

「大した自信ね……もっと早く入部してたら、キャストお願いしたのに」

 五十鈴だった。沙は気にしてもいないようだが、無用のいさかいは避けたかった。

「1年、基本的にスタッフだろ」

 入部していきなり稽古で絞ると、辞めてしまうことがある。文化祭までは、経験のある上級生がキャストをやることになっていた。

 それは五十鈴も分かっているはずなので、軽くたしなめる程度にとどめた。

 だが、沙は慇懃な言葉を残して、たったと先へ行ってしまった。

「それでは先輩、がんばって! 試験の最終日にお会いしましょう」 

 五十鈴はいささか不機嫌に言葉を返した。

「余計な心配しなくていいです!」

 実際、いつも考査のときは余裕たっぷりに構えているのが五十鈴だった。おもむろに並木へと向き直ると、皮肉たっぷりに忠告してくる。

「可愛い1年生にうつつを抜かさないようにね、部長?」

 

 だが、考査が終わると、部には絶望感が漂い始めた。

 今までにはなかった、赤点による補充対象者が続出して部活どころではなくなったからだ。

 更井と奈々枝と須藤は言わずもがな、ハムレット役の和泉をはじめとして、その母ガートルード、学友のローゼンクランツとギルデンスターンといったキャストたちが続々と、部活への禁足を食らったのである。

 ここで顧問を怒らせたら、何をされるか分からない。

 部活を3日続けて解散させた並木はとうとう、職員室へ出向いたが、顧問は教科の研究集会がどうとかで出張中だった。諦めて廊下に出ると、陽花里が和泉に説教しているところに出くわした。

「あのさ、主役がそれじゃ困るの」

「すみません、もうマンツーマンで補充やるって言われて」

 教科担当者の指導を受けに来たらしい。並木の顔を見ると、二人して困ったような顔をした。

 陽花里は曖昧に笑う。

「どうしたらいいんでしょうね、部長?」

 手を合わせる和泉に、並木は苦笑するしかなかった。

「とりあえず、来られるメンバーでなんとかするから」

 だが、どうにもならなかった。

 職員室前の廊下からは校門が見えるが、そこに並んで立つ笠置と沙の姿が見えたのである。

 

 駆けつけてみると、沙が笠置の手を握るところだった。並木は自分でも卑怯だと思ったが、いつもは忘れられているルールが口を突いて出るのをどうすることもできなかった。

「おい、部内恋愛は……」

「ごまかさないで」

 沙の思いのほか厳しい声に、内心を見透かされたような気がして、並木の足は止まる。さらに追い打ちをかけるように、笠置の言葉が飛んできた。 

「ホントのことを言っただけさ」

 だが、二人が問題にしているのは並木のことではなかった。沙は、どうやら笠置を非難しているらしい。

「いくら成績低かったからって」

 そんなんじゃない、と笠置は言いきった。

「こんな上演、意味ないんだよ」

 どうやら笠置は成績が急落し、全てにネガティブになっているらしい。まっすぐに見つめる沙を見つめ返す。割って入ろうかとは思ったが、二人の間にはどうにも、口を挟み難い空気が感じられた。

 笠置が自嘲気味につぶやく。

「装置なしなんてごまかしだ」

 それを言われると、並木としても返す言葉がない。最初からの演出プランではなく、しかも笠置はそれを知らされないでいたのだ。

 しかし、紗には関係ないことである。

「それをやりきるのが役者じゃない? 演出じゃない? 台本の解釈じゃない? 観客を泣かせたり笑わせたりするのが」

 笠置は言葉に詰まったが、やがて、全てを諦めきったような情けない顔でぼやいた。

「ハンデが大きすぎるよ。最後の公演なのに、他の高校見返したいのに……部室から、箱馬も出せないんだろ?」

 今度は、沙のほうが何も言えなくなった。

 無理もない。部室閉鎖の原因を作ったのは、沙なのだから。

「ごめんなさい」

 そこですっぱりと謝ったのには、近くの笠置も、遠くから見ている並木も驚いた。

「え……?」

 ほとんど同時の呻きだったが、もちろん、沙が忌まわしい過去を語るべきは笠置のほうである。

「私が、男子の前で服脱いじゃったばっかりに」

 やにわに、笠置は校門から駆け出した。思わず後を追った並木の声に、5月の風に乗った嘆きの声が聞こえてきた。

「俺だけ……俺だけそれ、見てない!」 

 そっちか、と思うと追いすがる気も失せる。そこで背中を叩いたのは、沙だった。

「私……何かまずいこと言いました?」

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