血の雨の中を歩く

爪切り

血の雨の中を歩く




 血の雨の中を歩く。

 雨に色が着いたのは、一年ぐらい前。

 血と見紛う程の、真っ赤に真っ紅で真っ朱が真っ緋な、あかい雨が世界に降り注ぐようになった。

 原因不明。

 解決不可能。

 世間は当然大騒ぎ。

 この異常気象を色んなもののせいにしようとする人がたくさん出た。

 たとえば人類の環境破壊による結果だとか。

 或いは宇宙人の侵略だとか。

 それともとうとう神様が、愚かな人間共にブチギレただとか。

 議論は尽きなかったものの、幸か不幸か世の中は変わらない。

 雨が血色になったところで。

 地球はちっとも動かない。

 以前と何も変わらずに。

 相も変わらず他人のビニール傘を勝手に持っていく不埒ものは、何処にでも出没するのだった。

 つまりは私は困っているのである。

 血の雨の中を歩く。

 血の雨の中を歩く。

 いまや私は殺人鬼のよう。

 もしくは潰れたトマトのよう。

 いやいやそれとも無花果のジャム?

 とにかく私は真っ赤っ赤。

 視界に映るは血色の世界。

 不躾なパトカーが、けたたましいサイレンを鳴らしながら、血飛沫を上げて歩道の私を更に赤く染めた。

 そんなにパトランプを光らせたって、赤一色のこの光景の中じゃわからないだろうに。

 いったいどんな世界がみえているのやら。

 いったいどんな人間をみているつもりなのやら。

 はぁ、とため息。

 真冬の白い吐息さえ赤く染まって見える。

 走ったところでいく当てなんてない。

 よって体力無しの私としては、さっさと諦めてだらだらと歩くことにしたワケだけれど。


「流石に…………寒い…………」


 体温はどんどん赤い雨に奪われるばかり。

 これじゃ真面目に風邪をひいてしまう。

 雨宿りをしよう。

 そう決めると、すぐに目に留まった看板目掛けて駆け寄った。

 …………真っ赤に染まって、店名はよくわからなかったのだけれど。




 どうやらカフェのようだった。

 ありふれたジャズの音楽が耳に触れるが、店内は純喫茶とは似つかないカジュアルな内装。

 …………真っ赤な姿で入るのがやや憚られるくらいには、オシャレなお店だった。


「いらっしゃい」


 カウンターから聞こえたのは女性の声。

 他に店員さんは見当たらない。


「すみません…………雨で水浸しなんですが、入って大丈夫ですか?」


 卑怯な言い方だなぁ。

 雨で水浸し、だなんて。

 血塗れで血みどろなんですけど、と言った方が的を得ているだろうに。


「構いませんよ」


 その言葉を受けて、少し迷ってから、「ブレンド一つ」と言いつつカウンターに座った。


「よければこれ、どうぞ」


 それだけ呟くと、彼女はタオルを貸してくれた。


「…………ありがとうございます」


 もう、下手に遠慮する方が失礼かな。

 そう思った私は、大人しくタオルを受け取り、一通り身体を拭う。

 あくまである程度、ではあるが、びしょ濡れとまではいかない程には赤色を拭い去った。

 それと同時に、カウンターにコーヒーが置かれる。

 店内のテレビにはニュースが流れており、現在進行形で殺人犯が逃亡中だなんて五月蝿く喚いていた。


「すみません。タオル、真っ赤っ赤にしちゃって」


「いえ、気にしませんから」


 そんな風なやり取りの中、私はコーヒーをブラックのまま口に運んだ。

 苦い。

 旨い。


「酷いことをするひとがいますね。ナイフで滅多刺しですって」


 ニュースを観ながらであろうその台詞に、私は「そうですかねぇ」だなんておざなりな生返事を返した。


「そんなに憎かったのかしらね。どれほどの事をされたのかしら」


「どうでしょうね。理由なんて、案外どうでもいいことだったりして」


「そうかしらね」


 そんな風に彼女は言って、ため息を吐いた。


「けれど、もう捕まるのも時間の問題でしょうね。そんなに乱暴な手口なら、証拠なんていくらでも残ってるでしょうし」


「そうなんですか?」


「それは、そうじゃないですか? 血痕とか、返り血とか」


「あはははは」


 血痕に返り血ときたか。

 だけれど。


「この真っ赤な雨の中じゃ、何が何やらわかったもんじゃないですね。ひょっとしたら犯人はそれを狙ったのかも」


 何せ、降り注ぐ雨の色はまるっきり血の色だ。

 カモフラージュどころの話じゃない。


「……………………ああ、そういうこと。そっか。それはわからなかったわね」


 彼女はそう呟いた。

 その言葉には。

 何か、ちょっとばかり引っ掛かりを感じてしまった。


「どうして、わからなかったんですか?」


 深入りしてみた。

 いや、カフェだけに深煎り、とかではなく。

 クスリ、と彼女はカウンターの向こうで少し笑い。

 口を開いた。


「目、見えないんですよ。わたし」


「………………」


 その意味を理解するのに、数秒かかった。


「生まれつき、というワケではないんですけど、物心ついた時にはもう。だから一年前に『血の雨が降りだした』──なんて話になっても、全然ピンとこなくって」


「……………………」


 ああ──そうか。

 そういう環境も、あるわけか。

 そういう人間も、いるわけか。

 そういう世界も──在りうるのか。


「雨が赤くなった。だなんて──空が青いのとどう違うって言うのかしら。…………なんて嫌みなこと思ってみたりしたんです」


「………………あは」


 笑える。笑える。

 なんて滑稽。

 なんて陳腐。

 なんて無様で、酔狂なことか。


「そう、ですか」


 私は、なんとか言葉を紡ぐ。

 絞り出すように。

 絵の具を、絞り出すように。


「赤色、血色、雨の色──なんて、そんなの、そんなもの──」


「ええ──わたしにとっては同じもの。どこまでいってもいつまでたっても──わたしの目に映るのはいつも通りの、『無色』だったから」


 ピシリ。ガタガタ、バラバラバラ。

 世界の崩れる音を聴いた。

 扉を鎖す意志を知った。


「他の人にとっては──世界がひっくり返ったみたいなものだったらしいですけど」


「大げさな──なんていうのはわたしの勝手な感想なんでしょうね。けど──だけどもそれなら、教えて欲しいわ」


 彼女は。


 何処を見るでもなく。


 だけれど、何処か遠くを視るように。


 そう溢した。




 雨って──どんな色をしていたの?


 赤って──どんな色なのかしら?


 血って──赤とは違う色なの?


 あなたにとって。


 この世界は一体──何色に映るかしら?






「ご馳走さまでした」


 そう告げながら店を出て、まっすぐに歩き出した。


「スマフォ、はとっくにGPS警戒して壊して捨てたから…………仕方ない。公衆電話探そうか」


 まったく。

 毒気を抜かれた。

 或いは。

 血色を、脱色された。


「あー。あー、あー、あー、あー…………」


 空を見上げた私は、気だるげに呟く。


「うっぜぇなぁ」


 頭上には。

 嫌みったらしいぐらいに澄み渡った。






 真っ青なソラが、血色の世界を見下していた。





















「えっと。もしもし、警察ですか?」


「今、公衆電話からかけてるんですけど…………え? 110番ボタン? ああ、これ。そっか。これ押せばよかったのか」


「いえ、そうですね。それどころじゃないですね。えーと。例の滅多刺し殺人事件ですけれど。」


「あれ、やったの私です」


「自白。いえ、自首? したいんですけど」


「いや、違います。イタズラじゃないです」


「はい。はい。えっと、さっきパトカー見かけたので、この公衆電話に寄越して貰えれば」


「詳しい話は署で聞こう、ですね。はい。はい」


「え? 動機ですか? えーと…………ん~~~~…………」


「音楽性の違い」


「じゃなかった。チジョーノモツレってヤツでお願いします。はい」


「それじゃ、待ってますので」






 ガチャン。



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