レッジョ市内の攻防と趨勢

ルロイ一行が、『異界の扉』へ旅立ってから数時間経ち、レッジョの空にぽっかりと禍々しく開いた空の磁場は益々ますます巨大となり、ついにレッジョの中心部である市庁舎にまでモンスターの黒い群れが押し寄せるまでになっていた。

 そろそろ昼下がりの頃合いだろうか。

 本来であれば、レッジョ市民に時刻を知らせる市庁舎の鐘楼しょうろうはすでに破壊され、鐘を突く官吏は逃げる間もなく無残にもモンスターに食い殺されてしまっていた。

サシャは、磁場のゆがみのせいですっかり暗鬱あんうつ瘴気しょうきの色に染まった空を、市庁舎の二階広間の窓から見上げていた。

空には、日光も遮られ絶望的な光景の大空には、健気けなげにもフレッチャー明るい青色の体が空を舞い、いびつな翼を持った魔物と血みどろの死闘を演じ決死の抵抗を続けていた。

青き飛竜フレッチャーの奮戦は、一様に暗く立ち込めたレッジョの空において、本来の空の明るさが凝縮された空の青みが、その尊厳をもって戦い抜いているようにも市民たちには見えた。曰く、黒く染められそうな空において、『蒼天マティス』の遺志が蘇りこのレッジョの最後の希望として輝いているようであると。

市庁舎の上空を舞うフレッチャーが鮮血を空に撒き散らし、有翼の悪魔の頭を顎で粉砕する。敵の血潮だけではないフレッチャーもまた自ら血を散らし戦ってくれている。


「おい、バリケード代わりにそっちの長椅子もだ、これ以上は持たねぇ」

「ぐぉあ……俺の手が、手が!」

「おい、もう一人。今度は手足ともやられてる!」

「くそ、もうレッジョはおしまいだ」

「ええい、まだまだ……俺たちのレッジョ魂をバケモン共に見せてやる!」


 複数の男たちの焦りの混じった怒声、悲鳴、絶望があらわになった声が塊となって飛び交う。

 サシャの眼下である一階大広間は文字通り血みどろの戦場だった。

 サシャたちがルロイたちを見送ってから、湧きだしたモンスターの大群はレッジョ各所の衛兵が守る市門やバリケードを突破。

衛兵と有志の冒険者、市民によって結成された有志連合の市民軍の抵抗も虚しく、サシャたちは市庁舎の正門玄関口の扉まで押し込められ籠城ろうじょうを強いられている。

 レッジョを守るためここでモンスターを塞ぎ止めている冒険者や衛兵たちの中で、無傷の者はほとんど居ないありさまだった。

「悪ぃ、しくじっちまった……」

「すいません。そろそろ限界ですぅ……」

 既に満身創痍まんしんそういとなったアシュリーとアナが衛兵に肩を貸され、足を引きずるようにして階段を上がり床に倒れ込む。

「二人とも、しっかりして下さい」

 負傷者の手当てのため駆けずり回っていたモリーが、二人へ駆け寄り包帯やら薬の入った籠の中身をかき回して応急手当を始める。既に、モリーも疲労の色が濃い。負傷者の手当てに奔走し続けたモリーの顔は汗と血で汚れ疲れのせいで目は虚ろだった。

「モリーこそ、ここは私に代わって休んで」

 サシャがモリーに代わり二人の手当てを引き受けようと駆け寄るも、モリーは意味深に微笑んでみせた。

「リゼ姉たちだって、これ以上の地獄を戦ってる。私は大丈夫だから……」

 中途半端で浅はかな気遣いだったかとサシャは、何とも言えず複雑に黙りこくっていると、モリーは少しばかりはにかんだ苦笑いを浮かべ額の汗と血を手の甲で拭った。

「でもありがと、気遣ってくれて。サシャは、こっちを手伝ってくれるかな?」

少しばかり気の抜けたように、モリーはため息を吐き出しサシャの申し出に安堵の表情を見せていた。が、次の瞬間モリーは雷に打たれたように表情を固める。

「フィ、フィオーレ猊下げいかあぁ!」

 モリーの素っ頓狂とんきょうな声につられてサシャも後ろを振り向き、サシャもまた意外そうに姿勢をかしこまる。

「そう、かしこまらずともよいよい。まったく、これじゃワシが君らをいじめているようじゃないかね?」

 老人の厳粛そうな皺が刻まれた顔が困惑の表情を浮かべ、次第にほろ苦い笑みへと変わってゆく。

 エンツォ・ディ・フィオーレ。ウェルス神殿の長にしてレッジョの司法長官であるこの老賢者がサシャの前に厳かにたたずんでいた。なぜこの老賢者が神殿ではなく、市庁舎にいるかと言えば、予想を上回る数のモンスターの奇襲によりレッジョの行政の中枢が壊滅しかけていたところを、有志を引き連れ逃げ込んできたフィオーレが機転を利かせ皆を取りまとめ、今は事実上の戦時指揮官に収まっている。おかげで、どうにか皆戦うだけの士気を保っているのだった。

 そんな頼れる老賢者であるフィオーレは、先ほどまで戦死した市長の代わりに執務室で臨時に市民軍の指揮を執っていたはずだとサシャは記憶している。

「別に、冷やかしに来たわけではないぞ。むしろワシなりに、皆に朗報を伝えに来た」

 咳ばらいを一つすると、フィオーレはサシャに歩み寄り意味深に囁く。

「安心せい、外でうごめいておる奴ばらはワシの勘ではここいらが限界じゃ」

「えっ」

「空を見よ……」

 フィオーレの言葉どおりサシャが空を見上げ、しばらく呆けたように空を見上げ僅かだが決定的な変化がサシャにも目に入った。 

「穴の拡大が収まってる?それに、雷鳴も……」

「左様、十年前もこのなぎの状態で異界の磁場が停止し、後に今度は緩やかに縮小が始まる」

「って、ことは!」

 アシュリーらの応急手当てを終えたモリーが、フィオーレの言葉に希望に弾ませ身を乗り出す。

「これ以上、モンスターが増殖し我がレッジョが侵略されることはない。今をしのげば、我らの勝ちよ。まぁ、ここまで押し込められたのはレッジョ史上なき事だったがな。流石のワシも諦めかけたわ」

 フィオーレの頼もしい言葉に皆の疲弊した顔に明るさが戻る。モリーなどそれまでの疲れが一気に消し飛んだかのように飛び上がって喜んでいる。

「やった!」

「もっとも、磁場が収縮すればしたで『異界の扉』が閉じる瞬間、街に巨大な衝撃波が来る。それに、当然中に入った者は帰還できなくなる」

 フィオーレの厳粛な言葉に、サシャは悲痛そうにヘイゼルの瞳を潤ませる。

「やはり、ルロイが心配か?」

「はい。それに、あのダンジョンのことが色々と気になって。ロイにとっても十年も前の事なんですよね……」

 フィオーレは、サシャの懸念と疑問をそれとなく察したのか、レッジョの天に君臨し続ける忌々しくも偉大な扉について話し始める。

「幾多の調査の結果、この世界での十年の後も『異界の扉』内部は時が止まっておることが分かっておる。いや時の流れそのものがこの世界とは違い恐ろしく緩慢なだけかもしれんが……」

 フィオーレの知るところによれば、『異界の扉』内部のそもそもの力場の中心は心願の壺であり、モンスターに生命を与えているのも心願の壺である。という学説がウェルス神殿の図書館にありルロイがその学説に一縷いちるの儚い望みを賭けていること。こうして、前回よりも『異界の扉』の磁場の影響でモンスターの増殖が獰猛に強化されたのも、冒険者として稀代きだいの英雄エルヴィン・カウフマンの生命力を取り込み活用しているためではないか、とフィオーレは独自の見解を独り言としてサシャに話して聞かせた。

 それは、ルロイやフィオーレ自身の、あるいはサシャへの希望を抱かせるための幻想かもしれない。それでも、命ある限り人間はその希望に縋って今を生きるしかないのだ。

「ロイ……」

 サシャは再び空に目を向ける。

 既に少しずつ、空を覆っていた瘴気しょうきは何かが細かく割れる音を発しつつ収まり引いてゆくのだった。レッジョの街を守る者にとってようやく待ちわびた勝利への序曲。しかし、それは同時に『異界の扉』へ潜ったルロイたちがこの世に帰還する可能性が一歩ずつ遠のいてゆく、死神の足音に等しい。

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