サシャの竜笛

 その夜、サシャ・ランベールは決して自分のものではない夢を見た。

「私の代わりにあの人を愛して」

 暗闇の中でその言葉が脳裏に響く。

 それはサシャに向けた母の最期の遺言だった。

 それから程なくして父マティスは自分と距離を置くようになった。

 フレッチャーの温かい寝息が顔に当たる感覚がする。

 自分が夢を見ている実感が湧く。

 あの後自分は、自分と母を見捨てた父を憎み愛しつつ父の最期を見届けるためこのレッジョに来たのだった。これが自分の夢であれば、そのあらすじをこれから夢の中でなぞるのだろう。少しばかり退屈だなとサシャは思った。が、直後その予想は覆された。

 目の前には快晴の空と遠い地上の景色。

 それも物凄いスピードで流れ去る。

 青い飛竜にまたがるまだ若い竜騎士の腕が、足が見える。

 これは父さんの?

 高速で回転する万華鏡まんげきょうのようにマティス・ランベールの記憶がサシャの中へとめどもなく流れ入ってくる。

 いや、これは父さんと意識を共有していたフレッチの……

 冒険者としての栄達、母との逢瀬おうせと結婚、サシャの誕生、最愛故の幸せというしがらみ、絶対的な孤独、自由への狂的渇望、空からの転落そして……


 俺の娘にも伝えてやってくれ、こんな父で済まなかったと。そしてお前も自由になってくれと……


 場面はレッジョの遥かなる階に切り替わる。ルロイから、父の最期とその言葉は聞いている。フレッチャーの記憶を通して映る父の最期をサシャは見ていた。

 全てから解放され満ち足りた表情とサシャを残してきたことへの僅かばかりの後悔。フレッチャーを通してマティスの感情までもがサシャに流れ込む。

 初めから人並みの愛や家庭など求めず、

 速さと自由を追い求めていれば良かったのではないか?

 そうしなかったのは、やはり人ゆえの寂しき弱さか……

 マティスの心に穿たれた「大いなる喪失」の虚空は消え去り、父はその呪縛から真に満たされ自由になった。父マティスは蒼い結晶となって天へと召されたのだった。


 ずるい――――

 初めにサシャが感じた想いは、父の一番の存在になれなかった娘としてのある意味での嫉妬と自分だけ自由になった父への羨望せんぼうだった。

 同時に、竜騎士の飛竜教の思想が脳裏を過る。

 飛竜は自由と言う無限の思想であり、竜騎士は飛竜と共に大空を神速で疾駆することにより真の自由と救いを得ることができる。よって、竜騎士にとって飛竜にまたがり飛ぶのは正当なことであり、自由は竜騎士の本性そのものであり、その自由を邪魔するものはいかなる形の制約であれ捨て去るべきである。

 この飛竜教の思想を、サシャをしてその血肉とするならば、人は自由を渇望し求め彷徨うか弱い存在で、竜騎士が自由のために全てを捨て滅してゆく存在とまず認識する。

 いわば、マティスの求めた自由とは自分を含め何もかもを切り捨てた先にある極限にまで純化された何か。やはり、サシャにはマティスのような「自由」を求められない。切り捨てられた側の痛みと悲哀を知るが故、むしろ不要を捨て去るのではなく必要を与える道を見出す。

 その上で、サシャは自由というコインの裏側、自由の裏側に根を張る責任こそを自覚する。

 私は責任を選ぶ。

 自由を渇望して現世から逃げるのではなく、自由を求める者たちの導き手としての責任。

 自分は父のように飛竜にまたが体躯たいくやセンスもなければ、ルロイやほかの冒険者たちの様に武器を持ってダンジョンに潜ることもできない。しかし、今なら分かるフレッチが父マティスの人生を通して教えてくれた。

 人が自らの業と向き合い自由を手にせんと必死にあがくならば、彼らを私なりに救おう。そのために今はフレッチの力が必要なのだろう。竜騎士ではなく竜使いとして――――

 父とは真逆の道。

 きっとそれこそが、自分が真に自由になりうる道なのだろう。




「キュイ……」

 フレッチャーの優し気な鳴き声、日の光の温かさをまぶた越しに感じる。随分長い夢を見ていた気がする。

「うん……」

「おい、大丈夫か?随分うなされてたぞ」

 目を開くと同時に、アシュリーが心配そうにサシャの顔を覗き込んでいる。

「まったく、こいつが面白がって飲ませるからニャ」

「いや、悪ぃ悪ぃ」

 続いてディエゴ、ギャリックの声。

 その後ろにリーゼとアナも居る。


 ―――答えを見出した今の君になら竜笛を創り直せるはずだ、サシャ―――


 ふと、聞き覚えのない声が脳裏に響いた。

「あれ、何か言いました?」

「え……いや」

 アシュリーが後ろの一同を一瞥する。皆一様にそっけなく首を横に振る。サシャは、机に置いたままの竜笛を見つめ、指を差す。

「さっき、それを直せるはずだって。誰かが……」

「も、もうちょっと安静にしてた方が」

「ふむ、二日酔いによる幻聴なら、猟奇的に良い酔い覚ましをあげよう」

 アナが心配そうにサシャに歩み寄り、続いてリーゼが怪しげな小瓶を取り出し微笑む。

「いえ、大丈夫です……」

 ベッドから起き上がり、サシャは穏やかで円らなフレッチャーの瞳にウィンクする。

「ちょっと、試してみたいことができましたから」

 サシャは、足早に作業机へ向かい座ると、きりとノミを手にする。

 フレッチャーの意思をくみ取るかのように、サシャは竜笛をただ直すのではなく、自分とフレッチャーの波長に合うよう竜笛を創り直してゆく。

 それから数時間後、正午の時間を告げる六時課の鐘の音が響いてすぐのことである。

 レッジョの霊園近く、数人の通行人が歓喜にむせぶ飛竜の甲高い声を聴いた。その直後、 レッジョの霊園の湿った大地からそよ風のような笛の音を合図に青き飛竜が飛び立つ雄姿をその目で見たと言う。青き飛竜は、霊園上空を悠然と旋回し、しばらくして霊園に着陸したのだった。

 その光景を遠巻きに神殿から見上げていた、かつての『蒼天マティス』を知るウェルス神殿長エンツォ・ディ・フィオーレが言うには、青き飛竜にはかつてのマティスの神速の如き速さはない。しかし、何かを導くような優しさと慈悲に満ちた飛び方であったと言う。これが、竜使いサシャ・ランベールがレッジョで名を知らしめる第一歩であった。




 その後、竜使いとなったサシャは一先ず冒険者ギルドの職員として、レッジョ近辺のダンジョン等の監視偵察の任を任されることとなる。

 新たにサシャを主として、大空を疾駆するフレッチャーが後にレッジョを大きく揺るがす事となる『はるかなるきざはし』最上部の異変に気が付くのは、それから数か月後の事である。

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